ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

久しぶりに

自分の限界まで集中して仕事をしているので、今週は余裕がありませんでした。新刊も怪しいです、というか多分無理です。今の会社に入ってから「自分の限界はどこだろう?」と、真剣に全力で働いていましたが、今時点では、まだまだ行けそうなものの体がやばい、というところにある気がします。健康第一路線に戻そうと、いうところです。



物を書けないので、ストレスがたまります。


ドラマ『名探偵ポワロ』

名探偵ポワロ DVD-BOX1
ストレス発散と言うわけでは無いのですが、ようやくDVD第一期を買いました。中学〜高校時代に撮り貯めたビデオテープが死に絶えたので買い直しをずっと検討していましたが、そろそろ頃合かなと、決意しました。



久々に見直していると、全然物の見方が変わっています。



あまりにも、使用人の描写が多いのです。



第一話『コックを捜せ』では、捜されるコックその人がまず使用人です。そして彼女の同僚であったメイドにインタビューする為に、一階から屋敷に入ったポワロは、「階段を下りて」彼女の働く屋敷の「地下」にあるキッチンへ足を運びます。



十年以上前に初めて見た時は何も思わずに流していましたが、「なぜ地下にキッチンが?」という疑問への回答は、使用人の世界を知らなければ出せません。



さらに、再度、屋敷を訪問したポワロが屋敷の表付近の階段を下りて地下でアイロンを掛けているメイドのところを訪ねる場面も、制作者が意図的に使用人世界を描こうとしなければ、描かれないような世界です。



意識しなければ気づかない、けれど、意識しても自然に風景に溶け込んでいる。『名探偵ポワロ』の時代は使用人人口も減少している時代ですが、そうしたイギリスの生活風景を制作者が意識して描こうとしていると言う雰囲気を、感じました。



第二話『ミューズ街の殺人』でも、メイドやハウスキーパーが風景に溶け込んで出演していましたし、第三話『ジョニー・ウェイバリー誘拐事件』ではカントリーハウスが登場します。そこでナースメイドや執事、メイド、運転手などなど、いろいろな使用人たちが、役割を与えられています。



年代を反映して、屋敷での生活が必ずしも贅沢ではなく、ポワロが落胆したように「英国式朝食」も無く、倹約されているという描写もイギリスのカントリーハウスファンには、たまらないです。



あとは、第四話『24羽の黒つぐみ』でも、逝去した老人に仕えていたものの、遺産を何も受け取れず、甥がすべてを持っていってしまったナース(使用人?ハウスキーパー?)の姿がありました。この辺りでも一度ぐらい、物語を書いてみたいですね。





『名探偵ポワロ』データベース


使用人の世界

ヴィクトリア朝や文学について自分より詳しい人は大勢いるかと思いますが、メイドや使用人というジャンルは、日本の学者か研究者にとってほとんど未踏の領域です。和書の少なさがそれを物語っています。



日本においてこうした研究のほとんどは文学や女性史、社会史との関わりでしか語られませんが、そうした「別の分野」のテキストで読むのではなく、「使用人という文化/生活風景」として読むことが大切だと思います。



なぜなら、それ専門で書かれていない本は情報を読み取る際に、「こちらから、使用人のテキストを読み取ろうとしなければならない」ことがあったり、「迂遠」だからです。さらに、その筆者に使用人についての適切な理解が無ければ、あまり面白い本にはなりません。



「餅は餅屋」

「使用人の知識は、専門の研究家に」



和書への依存を捨てただけで、世界は限りなく広がりました。イギリスでは、本当に驚くほどの「使用人だけで成立する」研究書が発行されています。



どんな生き方があったのか、どんな言葉が残っているのか、生きていた人間、残っている生活の道具から描き出される、世界が素直に存在していることは、誰か他の研究者の言葉の引用で成り立つ研究書と、一線を画しています。



そこにあるのは、「意見/思想/観念」ではなく、生活の姿です。



人間への興味が、まずあるのです。



誰かの言葉で語るのではなく、そうした世界に関心を持った自分の姿を作品に反映しようとしている森薫先生や『エマ ヴィクトリアンガイド』の村上リコさんを、自分は尊敬していますし、自分自身もそうありたいとは思っています。