ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。同人・出版活動の報告を含みます。

『英國戀物語エマ』第二話

先週に引き続き、細かい背景描写の解説などを行います。



描写の解説面で説明の都合上、描き方に踏み込んでおります。まだ見ていない方はネタばれになるかもしれませんので、ここから先は読まないようにお願いいたします。



正面玄関の使用

コミックビームのCMはひどい出来です。



というのはさておき、一般的に使用人は正面玄関を使えません。19世紀末期にフットマンとして働いたFrederic Gorstは初めて勤めに出たとき、正面玄関から入ろうとして、出迎えに出た執事から、「裏口」を使うようにと、先導されていきます。



同様に、20世紀初頭エドワード朝のカントリーハウスでの生活ドキュメンタリー『MANOR HOUSE』でも、同じような描写をしました。玄関はあくまでも「主人たちの世界に通じる」扉であり、屋敷で「過ごす」(暮らすではありません)使用人は使えなかったのです。



使用人として働く人にとって、階級の壁を感じるのは、この辺りの出来事です。



とはいえ、すべてにおいてそうではない、というのが現実の姿です。『エマ』のように使用人がひとりしかいないところでは利便性が重視されたり、それを気にしない主人もいたかもしれないからです。



ケリーの住む屋敷のキッチンは「地下」ではなく、「1階」にあるようです。(第一話で『エマ』が手紙を書いている描写から判断)なので、地下を使用人用のスペースとして使っているのではなく、倉庫として使っているだけかもしれません。だとすると、地下へ通じる使用人用の階段は無い、とも判断できます。



ヴィクトリア朝中流家庭を再現した『THE 1900 HOUSE』も、地下は使っていませんでした。メイドさんのエリザベスも、普通に毎日、正面玄関から通っていました。



世間体を気にする、ということが重要だったヴィクトリア朝において、使用人が正面玄関から出入りするところを他人に見られるのは、望ましくなかったかも知れません。そもそも、使用人と混同される可能性がある、という意識が、制服の着用、地味な外出服を押し付けた事情もありますから。



舞踏会

盛大な舞踏会はBall、と言います。バッキンガム宮殿にもこの専門の部屋Ball Roomがあり、見学したときには、ヴィクトリア女王の着用したドレスが飾られていました。身長は140cmぐらいだったのではないでしょうか? かなり小さなものでした。



今回は、舞踏会はそれほど細かく描かれていませんでした。



自分自身はあまり詳しくないですが、エドワード七世の愛人だった女性を主人公にした『Lillie』や、政治家の妻であり舞踏会を主催した『ダロウェイ夫人』、それに出征前の陸軍軍人のパーティがあった『サハラに舞う羽根』、映画ではその辺りに描写があったかと。



ダンスで言うと、ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』が目立ちますが、こちらはヴィクトリア朝よりも前、雰囲気は違っています。ダンスの時に着用していたドレスは、やや新しい様式なのではないでしょうか?



実際はどうなのかわかりませんが、うつむいていたエレノアが顔を上げた拍子に、イアリングの澄んだ音が静かに鳴った、そんな描写は好きですね。



傘屋さん

映画『ハリー・ポッター』の魔法の杖の店や本屋の描写が好きな久我としては、この傘屋の描写はたまりませんでした。確か、NHKで『ハリー・ポッター』の特番を組んだとき、荒俣宏さんが、傘屋さんに入っていましたが、それを思い出しました。



撮影には失敗しましたが、ヴィクトリア&アルバート博物館の近くに暖炉やキッチン周りで使う道具屋さんがありました。あれなどもそのまま残っているお店なのでしょう、多分、英国取材の成果なのではないかと思います。



ヴィヴィアンとその服装が可愛いですね、というのはさておき、店を訪問したエレノアの傍に、彼女の侍女も一緒に描かれているのはなかなかいい雰囲気です。当時の「リスペクタブル」な若い女性は一人で外出せず、お目付け役というか、使用人を同行して、外出していました。



侍女なので、それなりにいい服装をしていました。



使用人との距離が近ければ一緒に、今回のケースでは入り口(内部)で控えて待っていたのでしょう。過去に見たイラストでは、フットマンが店舗の入り口に集っているものがありました。



そういえば、過去に古本で『傘の文化史』を買っていました。まだほとんど読んでいませんが。
アンブレラ―傘の文化史


キッチン

キッチンを掃除するエマさんの描写も、キッチンが大好きな自分としては、嬉しいです。石炭レンジに石炭を投じるところ、炉の格子に鉄棒を入れて、灰を除いて空気を循環させる調節方法も、『THE 1900 HOUSE』を参考にしたのかと思いますが、普通のアニメでは絶対に描写されないでしょう。



シナリオ

今回は原作に無いシナリオ構成をしていましたが、「原作にあってもおかしくない」、「森薫先生が見たかったのでは?」と思える描写があったように思えます。ただ、ウィリアムの価値観(日傘を使用人に与える、という感覚。想像力に欠ける残酷さ)が、強すぎたのかなとも思いました。



日傘だけ立派、服装は使用人らしく簡素なもの、というのでは、全体のバランスが著しく悪くなってしまうような。詳しく無いのですが、階級的な指標としての役割もあったと、読んだことがあります。



あまりにも、「使用人」という立場を、ウィリアムが理解していない、というふうに感じます。原作では荷物を持つような真似もしませんでした。やや、ウィリアムを現代的に描きすぎている感じもします。



「エマさんの為になんでもしたい」



そんなウィリアムの盲目な恋を描くためというのはわかりますが、だとするとふたりの距離感が、今のアニメ版の描き方では「生活レベル」の差でしかなく、「階級」という部分には至っていません。



ちょっと難しいところですが、パラソルは使用人が持つような「道具」ではありません。それこそ、無蓋の馬車に乗っていたエレノア向けの道具です。そこに気づかず、「エレノアが喜ぶと言っている、つまり『同じ女性である』エマさんも喜んでくれる」という発想そのものには違和感はありませんし、ウィリアムのあげた日傘を使用人が差している光景をエレノアが見て、ウィリアムにますます興味を持った、というのは流れとして面白いです。



全体には原作の雰囲気を大切にして、きちんと作っているところに好感を持てます。何よりも、あの街並みを歩いてみたい、通り過ぎてみたい、お店に入ってみたい、と言う気持ちにさせてくれるので、いいアニメです。





関連するコラムなど

・ケリーの家の暮らしに興味があれば……

『THE 1900 HOUSE』


・第一回目の感想はこちら

・第三回目の感想はこちら