久我が使用人の手記に手を出すようになったのは、様々な英書を読むうちに、共通する登場人物に気づいたからです。どうせならばその人たちの手記を読めば早い、と買い始めたところ、意外な面白さにはまってしまいました。
なぜ面白いのか?
端的に言えば、「違う世界で働く友人の話」を聞くことに似ているからかもしれません。久我の大学時代の友人は、公務員や出版や教師やシステム会社と、様々な業種で働いています。職種や会社が違うだけでも、文化や考え方は異なり、知らない世界があります。
メイドさんや使用人を知りたいならば、「彼らが彼らの目で描いた自分自身・同僚・主人の姿」を学ぶのが、最も近道だとも思っています。
では、以下に、この六年近い中で出会った手記のうち、役立ったものをご紹介しましょう。
ハナ・カルウィックとアーサー・マンビー
身分違いの結婚
ひとりはハナ・カルウィック。紳士アーサー・マンビーと結婚したメイドです。彼女はアーサーの影響を受け、日記や手紙を残しています。同じく、アーサーも手記を残しており、「メイド」「メイドと関係を持った上流階級の紳士の視点」、その双方が非常に興味深い資料になっています。
『Love & Dirt: The Marriage of Arthur Munby and Hannah Cullwick』
今までは、この1冊しか紹介していませんでしたが、夏の同人誌『ヴィクトリア朝の暮らし7巻 忠実な使用人』では、もう一冊の資料を使いました。
それは、「同時代、メイドと結婚した貴族の『事件』」を知り、その姿に自らを重ね合わせた「アーサー・マンビー」の日記です。
『MUNBY MAN OF TWO WORLD』
『Love & Dirt: The Marriage of Arthur Munby and Hannah Cullwick』が手記を織り交ぜつつも、ふたりの人生を物語的に描こうとしたのに対して、こちらは手記中心であり、また世界で、ほぼ最初にマンビーを取り上げた本です。
筆者であるDEREK HUDSON氏はアーサー・マンビーに興味を持ったものの、資料がほとんど見つからず、大英図書館に問い合わせたところ、ケンブリッジにあると知りました。そこにはマンビーの親族の教授がおり、マンビーが残した資料があったのです。
『Love & Dirt: The Marriage of Arthur Munby and Hannah Cullwick』が手記を織り交ぜつつも、フェティシズムを描き、ふたりの人生を物語にしたのに対し、こちらは手記中心で、正統的な資料に仕上がっています。
古本ならば500円ぐらいで買えます。
フレデリック・ゴースト
最高クラスの貴族たちに仕えたフットマン
もうひとりはフレデリック・ゴースト。もう何度もおなじみ過ぎますが、彼はグラッドストーンの甥の屋敷に勤めたり、エドワード七世の傍で役目を務めたポートランド公爵のフットマンになったことでバッキンガム宮殿に出入りしたりと、ほぼ考えられる限り、最高レベルの職場で働きました。
『Of Carriages and Kings』
彼の資料が興味深いのは、一種の「成長物語」「立身出世」を体現しているからです。パン屋の息子が雑用の仕事から始まり、如何にして王宮に入れるぐらいにまでなったのか? 使用人という世界を通じて描かれる最盛期の上流階級の暮らし、そして彼らを支えた使用人自身の世界は、とても面白いです。
ただ、残念なことにフレデリック・ゴーストは途中でキャリアを捨て、手記は終わってしまいます。執事や上級使用人としてどう振舞ったのか、という点では、やや物足りなくなってしまうのです。
『Keeping Their Place』
すさまじい手記の特集本
この日記ではご存知、マニアックな資料を作らせたら右に出るものがいない、Pamela Sambrook女史の最新作です。
内容はいたってシンプル、テーマに即した使用人の手記を紹介する、というものです。簡単に聞こえますが、百人以上の使用人の記録、手記、手紙、刊行されていないものまで含めて、ありとあらゆる資料があります。
主人から使用人へ
使用人から主人へ
使用人から家族へ
自分だけの日記
回顧録
事件簿
などなど、当時を生きた人たちの姿が、多様な視点・多様な立場で描かれています。
- 作者: Pamela Sambrook
- 出版社/メーカー: Sutton Publishing Ltd
- 発売日: 2005/07/21
- メディア: ハードカバー
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『ROSE :MY LIFE IN SERVICE』
個性豊かな女主人に35年間仕えたメイド
一度、同人誌を作る過程で、タイトルを伏せたままでこの資料を紹介しました。
主人との絆〜子爵夫人とその侍女
久我が今までであった資料の多くは、あくまでも「使用人と主人」でした。使用人は職場を転々とし、主人を変え、別々の人生を歩み、たまたま屋敷でそれが交錯するだけでした。
しかし、主人と深く関わり、そこで主人と喧嘩して、傷つけあって、それでも信頼しあえる、生涯を共に出来る関係もある、というのを再認識させてくれたのが、この本です。
元々は『Keeping Their Place』を読んでいてかなり頻繁に紹介されているので、興味を引いたというレベルですが、読んでみるとこれが、過去最高の資料のひとつになるものでした。
筆者はロジーナ・ハリソン。母はランドリーメイド、父は職人。フランス語を学び、裁縫を身につけ、始めからレディーズメイド(侍女)になるべく、キャリアを描いていました。時代が新しければこそ、なのでしょう、こういう生き方は。
過去に書いた文章を読んでいただければわかりますが、女主人であるレディ・アスターはエキセントリックで、ここまで行儀が悪い女主人は珍しい、と思えるほどです。アメリカ南部出身で、自由闊達な生き方をして、イギリス初の女性国会議員にもなり、毒舌とユーモアとウィットに富んでいました。
抑圧的・支配的でありながらも、「反抗する人間を好む」という人柄が、興味深いです。美しくて、お茶目な人でもあるのです。
GoogleImage:Nancy Astor
紳士を体現した夫のアスター子爵
最高のカントリーハウス『クリブデン』
そのクリブデンの主と呼ばれた執事エドウィン・リー
他にも個性豊かなメンバーに囲まれながら、アスター家での35年間の人生が、丁寧に描かれています。周囲にいるのも王族や貴族や億万長者と、びっくりするほどのレベルです。
時代は第一次世界大戦から第二次世界大戦。第二次世界大戦の最中も活動する政治家としての姿、戦争中の貴族の屋敷の様子、使用人の視点での戦争、といった非常に珍しい視点もあります。
そして、子爵夫人が亡くなる前に起こった、クリブデンを舞台にしたプロフューモ事件についても、身内の立場から、語っています。
長く仕える使用人は、主人たちの家族を自らの家族に同一視します。ローズも、自らをアスター家という「Tribe」(一族)と考えていました。また、レディ・アスターがローズのことを、「私のために仕えてきたメイド」(for)ではなく、「私と一緒に過ごしたメイド」(together)と語ったことも、彼女の記憶に強く残りました。
そして彼女は、女主人の「死」を看取りました。死と共に使用人としての生活を終える彼女、ひとりの主人の終わりを見届けたメイドの話を読むのは、初めてでした。
その彼女は、この本の成功から、もう一冊、本を作っています。同僚たちから手記を集めて。その紹介は、また後日に。
ペーパーバックは、悲しみの0.01ポンド……
Rose: My Life in Service
イギリスの古本に手を出すと収拾がつかなくなるのが、ものすごい値段のものが多いからです。