ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『Under the Rose』4巻「春の賛歌」

Under the Rose (4) 春の賛歌 (バースコミックスデラックス)

Under the Rose (4) 春の賛歌 (バースコミックスデラックス)





今年もこの季節が参りました。年に一度の刊行で、定期的に買い続けるものは『ローマ人の物語』と、この『Under the Rose』です。「ヴィクトリア朝」「屋敷」「メイド」と、当サイトの趣旨にマッチするように思えますが、その実態は「貴族屋敷を舞台にした家族模様・人間描写」が、すべてだと思います。



あくまでもヴィクトリア朝も、屋敷も、メイドさんも、そして貴族も、ひとつひとつが個別の価値を持つのではなく、すべてがそろう事で、作者である船戸さんが描きたい人物を描写する土台、魅力を増すための背景となります。



以下、ほとんどネタばれは無いですが、ちょっと展開についての言及があるので、未見の方はコミックスを読んでからご覧下さい。













「最大のミステリは人の心」

Under the Rose』の物語のゴールは明確ではなく、読者は「深い謎」に放り込まれます。1巻ではガヴァネスとして勤めた公爵令嬢の死の真相に、息子が迫っていくという展開ですが、2巻以降で物語の中心を占めるのは「伯爵家の人々」という存在、価値観、彼らそのものが、読者を迷わす「謎」なのです。



2巻で主人公としての視点を与えられたガヴァネスの「ミス・ブレナン」。彼女は部外者として伯爵家に入り、様々な「謎」を見せ付けられます。それは、彼女には理解できないもの、表層からはわからないことばかりで、彼女はひとつずつそれの本質へと近づき、傷ついていきます。



その中心にいるのが、伯爵家の次男ウィリアムです。「登場人物がなぜそう思うか」「なぜそんな行動をするのか」、そこの理由を知りたい、それが物語を読ませる力になる、彼に翻弄されるガヴァネスと同じ視点に読者を迷い込ませる、この作品の魅力のひとつだと思います。



1巻で主役を務めた公爵令嬢の子息ライナスが、2巻以降、主役でなくなった理由も、彼が最大の謎を持つこの物語の中心「ロウランド伯爵家」の人間になってしまったから、もう「謎という森」で迷う側ではなく、人を迷わせる「謎」の側になってしまったから、と言うところにあるかも知れません。


「ある人を、疑うも信じるも人の心」

久我は、「疑うことも信じることも一緒」だと思っています。「疑っている、ことを信じている」「正しいと思うことを、信じている」。どちらも何かしらの根拠があって判断していますが、その判断基準の是非の正しさを論じるには、根拠の根拠が必要になります。



ただ何か正しいものを論じるための証拠を出したのに、その証拠を証拠たらしめるには他の証拠がいる、というふうに、何かしらすべては最終的に信じるところに行き着きます。



目の前にいる人が、何か判らないことをしている、その理由が知りたい。



この物語では、「部外者」の目を通じて、「貴族たち」の姿が、使用人・当人・兄弟・父親などの視点で多様に描かれます。それらすべてはその人にとって真実かもしれない、でも誰かが嘘をついているかもしれない可能性もあります。その行動という結果を見て、判断するとき、何を基準にするか、「誰の言葉を信じるか?」



目の前のその人の言葉?

他の誰かの言葉?

目に見える行動から類推する、自分の判断?



たとえば伯爵家の長男アルバートの振る舞いにしても、1〜3巻を読んだだけでは、それほど読者の共感を得られるものではないかもしれません。しかし、4巻を読むと、彼のそれまでの行動ロジック、読者にわからなかった背景が見えてくる、様な気がするのです。



同じように伯爵に心を許さない、子供を愛そうとしない伯爵夫人アンナも、その行動理由が見えず、「わからない」人物でした。今回の話を読めば、これまでの彼女の行動理由や感情表現が、少なからず見えてきます。既刊を読み直してこそ、物語に深みが増します。



そして、この物語の最大の「謎」であるウィリアムは、今もよくわかりません。



ウィリアムは主役のミス・ブレナンにとっても「謎」でありつつ、そうした人の心理をすべて見透かすかのように、様々な仕掛けを用意し、弄び、人を動かしていきます。それは、読者にとっては、この物語を描き出す筆者と同じ、「神」に等しき立場かもしれません。



Under the Rose』が非常に面白く、他に無い魅力を放つのは、「人間」を描いていればこそ、でしょう。一見理解しがたいものにもその背景には理由がある、そして理由があると信じていても、それはただ自分が理解できる範囲のものとして信じたいだけであって、合理性だけでは割り切れない人間の心を描いた、稀有な作品と言えます。



Under the Rose (4) 春の賛歌 (バースコミックスデラックス)

Under the Rose (4) 春の賛歌 (バースコミックスデラックス)




人の心を巧みに描いた映画

「人間が一番恐ろしいのは、人間だ」という、単なる残酷描写に逃げない心理的な「ミステリ」です。(ドタバタコメディーとなどと書かれていますが……)