エピソードを掘削中です。とりあえず人名で文章を拾い上げ、翻訳。その後で、それが使えるかどうかを判断する、という流れです。何度か登場する使用人もいて、そういう人たちはエピソードをまとめあげます。
・誰が
・どの使用人について
・いつ語ったか
今回はこの観点で、作っていきます。
エピソードが大事なのですが、何よりも「誰が語っているか」に焦点を当てていこうと思います。基本的にメイドが語る、その世界が重要なのです。で、「誰が語っているか」を識別しやすくするのが本書の目的です。
最終的には150エピソードから、50ぐらいに絞る感じがしますね。100を集めるのはもっと母数を増やさないといけませんが。さすがに「記録を残せる」ようになるのは、結構、後の時代からなので、これ自体が目指していた「最終章」(メイド世界の終焉)へ通じる道でもあります。
1930年代のDoriz Hazzelさんが底本の筆者のお気に入りなのか、結構、頻出です。『NOT IN FRONT OF SERVANTS』が面白いのは、こういうところですね。今ならばブログがあるので、誰でも自分の職業について、語れます。
しかし、1970年代において、かつてメイドをしていた人たちはよほど文才が無い限りは、自信のエピソードを、体験した世界を、社会の記録に残る形で表現できませんでした。その点ではBBCで働いていたという、筆者のDAWES氏の書き方は、「リスナーと対話するDJ」のようで、彼の元に「メイドからの手紙」が集まるのは、わかる気がします。
きっと、この本は、久我が思う以上に、当時の多くの人に受け入れられたのではないかと思います。
しかし、さすがに三日連続で十時間以上英書と向かい合おうとすると疲れますね。必ずしも知っている単語、辞書に出ている単語だけではないので、ネットのありがたさも噛み締めています。
さて、残り8時間ぐらいは頑張りましょうか。今日で120エピソードまで、掘り起こしましょう。
あと雑談ですが、時々、「貴族の暮らし」などで検索ワードがありますが、そういう方は使用人を調べるのがよいですよ。
貴族の暮らしを支えたのは使用人です。主人たちは自分たちの生活をある種「当たり前に思う」ので、あんまり生活に関する記録を残していませんが、使用人たちにとっては仕事であり、異世界なので、印象が強い分、かなり記録は残っています。
元々久我は「貴族と屋敷の暮らし」を追いかけていたのですが、気づけば、どっぷりと使用人の生活を追いかけている次第。使用人は貴族の鏡みたいなもので、時々、それは歪んでいて真実を写しませんが、その姿が使用人の目に写ったものであることも、確かなのです。
ハウスメイドの足首(19:30)
時間が立つのが早いです。いろいろ並行しているので、今のところ100エピソード。ちょっと時間が足りないような。
そんなとき、ふと目に付いたテキストを載せておきます。
『ハウスメイドは"その可哀想な足"を何度も上下させて、朝から夜の長い間、階段を上り下りする。床を磨いたり、石炭入りのバケツを運んだり、お湯の入った重い缶を運んだり、重い荷物を載せたトレイを持っていったり――突然鳴り出す、呼び出しのベルに応えたり、立っている姿をほとんど見せないメイドもいただろう。彼女たちはいつも膝をついて、掃除をしていたから。ヴィクトリア朝の厳しい家政のルールでは、彼女たちは誰にも「その足首」を見せないように、長いスカートで足を隠さなければならなかった』(『NOT IN FRONT OF SERVANTS』P.88より翻訳・引用)
新刊ではこういう「人のエピソードではないもの」を掲載しませんが、無視もできず、なんとなくここに掲載しておきます。
現実逃避です、はい。
気持ち悪くなったので終了(20:30)
限界突破です。107人まで来ました。
知らない単語を出さないで下さい……翻訳できません。