ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

コミックマーケット81・サークル参加無事終了と振り返り

2011年最後のイベント・コミックマーケット81へのサークル参加が無事に終了しました。サークルスペースにご来訪いただいた皆様、誠にありがとうございます。私が作った同人誌との出会いが、何かしらプラスとなることを願っております。


訪問される方々との出来事

基本的にコミケはサークルを来訪される方々が、なるべく短時間に多くのスペースを回る行動を原則としているので、忙しいです。そこでサークル側としても如何に来訪される方々の時間を無駄にしないかを意識しています。そういうところで、ノウハウ的な情報も出せそうな気がしてきました。私と言うよりも、売り子として手伝ってくれている友人が良く気付く人なので、常に改善はなされています。



今回も含めての感想となります。


「新刊下さい」

コミケのサークル参加を連続で続ける「ご褒美」は、この言葉です。新刊同人誌を読まずに「サークルの新刊」として欲して下さるのは、いわば「信頼」のやりとりのようなものです。その期待を裏切らないように活動したい、またその信頼を超えるものを提供したいという目標にもなります。


「新刊2冊下さい」「友人の分を買いに」

このところ多いのが、ご友人の分も購入されていく「新刊2冊下さい」です。この冬のコミケでもある程度の方がこのような形で本を手にしていかれました。変則的なところでは「自分の分を買う→友人と合流して、その友人が買いに来る・友人に頼まれてもう一冊買いに来る」パターンです。他に、友人に頼まれてスペースに来られる方もいます。


初めての方&「既刊全冊下さい」

ジャンルが隆盛するには「常に『初めてこのジャンルに興味を持つ方』が入りやすい」必要があり、「その入り口となる」ことを、私は同人活動で意識します。そのために、なるべく「分かりやすい」(その上で深く)同人誌を目指しています。また、新しく始めやすいように最近は続刊方式を避け、既刊も確実に変えるように運営しています。



そうした中、既刊全冊購入される方も毎回いらっしゃいます。さらに今回は、初めてでしょうか、「既刊全冊を2冊ずつ下さい」という方がいらっしゃったと売り子の友人から聞きました。その場に私が立ち会いたかったです。


「あれ、これ買ったかな?」

久我の同人活動も長く、既に19冊を刊行しています。またサークルを訪れる方々が毎回私のサークルに来ているとも限らないので、「あれ、これ買ったかな?」との言葉はよく出てきます。だいたい刊行時期と内容を説明していますが、ここ最近は机に並べる冊数を絞って分かりやすくするようにしています。


「以前買った本が良かったので」

「裾野を広げる入口となる」手ごたえのひとつが、この言葉を頂ける瞬間です。前回ためしで一冊だけ買って、それが面白かったのでもう一度来ていただける。私の同人誌の中では『MAID HACKS』と『英国執事の流儀』が、この「初めての方向けに、分かりやすい切り口」になっています。


ウェブ・Twitter経由でやり取りのある方々

自分の何気ないTwitter上の呟きから話が広がり、いろいろとご教示くださる同好の士の方々ともコミケ会場ではお会いできています。「ずっと会場でお会いしていた常連の方はあなたでしたか!」と思うこともありますし、「Twitter上ではお世話になりました」という方もいらっしゃいます。



Twitter上で同人サークルとしての存在を認知されて、足を運ばれてくる方々も毎回コンスタントにいらっしゃいます。どんな形にせよ興味を持っていただけれるのはありがたいことで、ウェブの活動は今後も続けます。


サークル観点で思うこと

過剰搬入

前回のコミケは「100円玉が足りない!」と言うところから始まりましたが、今回のコミケでもトラブルが生じました。搬入した同人誌の量が多すぎたことです。今回、新刊の同人誌が分厚かったことを忘れて搬入依頼をしてしまったために、過去最大の14箱(A3サイズ:A5サイズの220ページの同人誌が52冊入る箱)が!



机の下に4箱、後ろに2列5箱という形でスペース内には収まりましたが、これは誕生日席の内側の席だったがために偶然スペースが広かったことによるものです。本来的にはここまでの箱は入らないと思います。



毎回、コミケの前には宅急便受付場所を確認します。今回のサークル配置は東4ホールのスペースでしたので、搬出場所は東6ホールの先のクロネコヤマトか、東ホールの中間通路を通って東1ホール近くにあるゆうぱっくのどちらかを選ばなければなりません。近い方のゆうぱっくは「中間通路」である点で人の密度と動線が混乱していることが予想されたので、距離的にあるクロネコヤマトの利用を決め、この距離を分かっていたので、今回は運搬用カートを持ち込みました。



いずれにせよ、次回以降、もう少し在庫数は厳密に想定します。今回は忙しさもあって「厳密」どころか、感覚的に行ってしまったので……


お会いできなかった方々と交流について

今回、想定を超えたのが搬出量でした。とにかく遠いことで、時間がかかりました。今回の過剰在庫で時間がかかることをを想定して、当日は14時から随時搬出を行いましたが、4往復で1時間を費やしました。その1時間にスペースを訪問して下さった方々とお会いできなかったという、大きな失敗をしてしまいました。



その中で一つ感じることは、ここ数年、同人イベント「だけ」で得られる交流のようなものが減少している気もしています。その一因は、普段からコミュニケーションできているからかもしれません。



今回は上記のように「わざわざ私に会いに来て下さった方々」との機会を自ら逃してしまったこともありますが、同人で得られていたことの変化はマイナスと言うより、時代・環境の変化というところで、ではそこから一歩踏み込んで、同人イベントで得られていることは何だろうと、自分なりに考えるつもりです。


感想をうかがう機会の減少

「同人誌の感想」を直接聞く機会も本当に減りました。その点で、過去の遺産でやっているような気もしますし、『英国メイドの世界』という過去最大に感想を引き出せた経験をしてしまったが故に、それに比肩する価値を大きく作れない中、無いモノを望んでるのでしょうか。



もしかすると昔の自分は、もっとスペースを訪れる方々と会話を楽しみ、結果として感想を引き出せていたのかもしれません。つまり自分が変わってしまった可能性もあります。新刊を買いに来ていただけることだけでもありがたい「感想」です。この点で今すぐ答えはないのですが、この視点は今回の感想を書いていて思いついたものなので、結論は出さず、しばらく温めてみます。


久しぶりに新刊をジャンル買い

自分のサークル以外の感想を書くのは久しぶりでしょうか。今回、Twitterで縁が生まれたtakatoraさんの同人誌を買いに出かけました。メイド喫茶データベースを作られており、活動が始まる経緯も拝見していたので、その研究成果を読みたい気持ちが強くありました。



メイド喫茶データベース構想/実在したメイド喫茶のデータベース化について2011/01/09夜に交わされたつぶやき。



何よりも、実際にtakatoraさんにお会いしたかったです。takatoraさんは私の世界を広げた方で、『月夜のサアカス』『うさぎの森』へ行ってみようと思ったのは、takatoraさんが薦められていたからでした。



そんなこんなでtakatoraさんにご挨拶し、新刊を手にしました。地道な作業でしか作り上げることができない貴重なデータで構成された本で、何度か比喩として使っていますが、本当にリンネのようなコレクションへの情熱を感じます。ここからより分析が広がっていくことが楽しみになりました。サークルスペースでは同じくTwitter経由で縁があった秘め子さんが参加されているカフェシカロでメイドをされている凪さんが売り子をしているサプライズもありました。



その後、サークル「くぬぎやま通信社」シャッツキステの有井エリスさんが表紙を書かれている同人誌『アキハバラ カミラジオ』を、そしてサークル「秋葉に住む」へ。確かこのサークルの同人誌は、私がイラストをお願いしていた2005年ぐらいにGENSHIさんから教わっていましたが、今回はtakatoraさん経由で興味を持った、そこに委託された『JAM AKIHABARA FanBook』が目当てでした。



元々私はメイド喫茶秋葉原のコンテクストに強い関心を持っていませんでしたが、ここ数年は「日本におけるメイド」を理解するために、この領域で「好き」を持ち続ける方々の情報に接したいと思っています。ちなみに、実はここでも緩い繋がりながらも縁を見つけることができます。ひとつは『JAMアキハバラ』が私が初めて訪問した商業ベースのメイド喫茶であること、そしてこの店舗の名物店員だったイヌ発電さんが参加された同人イベント『帝國メイド倶楽部』で一度隣のスペースだったことがある点です。



他にもいろいろと広げられる要素はありますが、意外と気づかぬうちに、こうした「秋葉原」「メイド喫茶」コンテクストの端っこあたりにいたのだなぁと感じ入る次第です。


同人活動の原点回帰のために

今回のコミケでは「そこにしか書かれていない情報がある同人誌を欲しい!」との気持ちを思い出す機会にもなりました。これは久しぶりのことで、「欲しい同人誌がないから作る」をスタートとした私にとってはひとつの心境の変化かも知れません。そんな当たり前のことをと思われるかもしれませんが、同人にあってフォーカスを「自分」に絞っていたことは否めません。



また、長年創作メイド同人誌を作られて戦友とも呼べるきっしーさんのこの冬の同人誌に接したことも、「メイドが好きだった頃の過去の自分」を思い出すきっかけとなりました。2002年ぐらいの頃、日本にはメイドの資料が十分にありませんでした。そこで公開された映画『ゴスフォード・パーク』の完成度、そして『8人の女たち』エマニュエル・ベアール様が演じたメイドイメージ、さらにその原型とされたジャンヌ・モローが演じた『小間使の日記』のメイドは、いわばあの時代にメイドに関心を持って接した人々にとって、「同じ釜の飯」とも呼べるものでした。



今の自分は、かつての自分よりも圧倒的な情報量に接し、その時よりも密度の高い研究をできている自負はあります。しかし、今の自分は、昔と同じ情熱で研究し、また同人誌と向き合っているかと問われると、自信がありません。端的に言えば、コミケにおける情熱を、失っています。今回痛切に感じたのは、読者の方を「驚かせる」「突き抜けるぐらいのバカらしさ」をあまり実現できていないことでした。



2007年12月の『MAID HACKS』は一発ネタでしたが、2008年08月の『英国メイドの世界』は圧倒的存在感で、12月の『9巻 終わりの始まり』はArthur Munbyを召喚してかつ彼の登場する二次創作まで書くという勢いがありました。2009年08月の『英国執事の流儀』も切り口の独自性から、日本最高レベルの執事資料本との自負があります。



2010年12月には同人ノウハウを記した『英国メイドの世界ができるまで』を作って振り返りをしつつ、2010年08月は出版準備の忙しさからコミケ新刊では初の薄い冊子となる『英国メイドにまつわる7つの話と展望』を作り、2011年には『英国メイドの世界』の続きとなる『英国メイドがいた時代』、そして11年の創作活動の総集編『誰かの始まりは、他の誰かの始まり』を書きました。



この2010年12月以降はいわば『英国メイドの世界』という自分が作った同人誌・商業誌に代表される、「これまでの11年」との対峙だったように思いますし、そこからどのように「この先」を広げていくかの足場作りの時間だったかもしれません。その点で、来年からは再び「驚き・ここにしかない価値」を追求するつもりですが、時間的な都合から、その表現の場を同人誌に限らなくてもいいとの結論に達しました。



2012年のコミケは夏コミへの参加は行わず、冬コミのみの申し込みとします。1年かけて作りたい同人誌を作るつもりです。もちろん、途中でどうしようもなく同人誌を作りたくなるかもしれませんので、この方針は変わるかもしれません(夏コミ申し込みは2月なのでその時までにこの気持ちが生じなければ2月参加しません。



むしろ、2012年は商業発表の機会創出と、「同人誌以外の形」での「同人活動」を行うつもりでいます。2012年の目標としてもう一度書きますが、2011年はやや動きが取れず、守勢でした。2012年はもう少し機会を広げ、繋がりの中で、「10年後に残る価値」を生み出していきたいと思います。



そういった「広義での同人活動」をご支援いただければ、幸いです。2011年はありがとうございました。2012年もよろしくお願いいたします。


2012年01月現在の今後の参加予定と新刊・既刊の委託先

参加予定

2012/02/05(日) コミティア99

ほか、未定


委託していない同人誌

『MIAD HACKS』


2011年の振り返り

振り返りを踏まえた2012年の目標・展望は明日に更新します。


足場がそれまでより不安定だった2011年

これまでの年間振り返りではほとんどプライベートのことには触れてきませんでしたが、今年は実生活の部分を抜きに振り返れないため、ある程度、私が経験してきたことについて書きます。


「出版では食えない」と分かっている中で「出版経験」を優先した2年間

2011年は毀誉褒貶あった1年でした。出版と仕事の両立が難しく、2009年に会社を辞めて2010年まで出版に専念し(途中、派遣社員での就業も行う)、2011年初頭は出版での努力が一段落したと判断し、会社生活に戻ろうと決めました。自分の実力や努力の仕方では継続的にやるのが難しく、営業能力もありません。そもそも私は会社勤めで得られる環境が好きでしたし(『エマ』10巻「アデーレの幸せ」から生きることと「仕事」の一致を振り返るにその辺は書きました)、私の力で出版で食べていくのは困難だと分かっていたので、離職する前から会社生活は前提でした。



それで出版への気持ちの区切りがついた3月ぐらいから転職活動を始めましたが、ある企業の面接へ出かけようとした一時間前に東日本大震災が発生し、それからしばらくは自分の身の回りのことで必死でした。転職に対する価値観もぶれ、気持ちに迷いが生じました。転職活動も一筋縄ではいきません。「出版を経験した2年間」は世の中的にマイナス評価されることも多く、「この出版を経験しなければ、もっと良い仕事ができたのではないか」と思うことも一度ではありませんでした。とはいえ、自分だけはこの出版を否定してはいけないと経験が生きる道を探しました。



そんな中、迷いながらも次の職場を見つけ、働きました。自分が好きな方向に近い企業で、やりがいも十分にあると思いました。しかし私がついた職種ではこれまでの経験が生きず、軸が少し離れていたり期待されていたりしたものが違って、一か月で離職しました。そこから短期の派遣を行い、やがて前職の知人の紹介で現在の職場と出会いました。そこでは、出版を含めた多様な経験を評価してもらえましたし、メイド研究を通じて続けた英語力が生きました。



現在は新環境で足元を固めつつある最中で、ようやく自分の適性についても見極めがつきました。離職した期間で失った「会社で主体的に働く感覚」もだいぶ取り戻しつつあり、現時点では他の環境でも通じるだけの自信と環境への適応能力を回復したように思えます。


今までと異なる就業環境から見えたこと

こうした点で、2011年は「同人活動を安定して行う」には、やや厳しい環境にありました。ただ、2011年の経験は私の中にある視点を変えました。



私はバイト経験もそこそこありますが、基本的に正社員での勤務が長く、出版準備のために時間の都合がつけやすい一般派遣社員のポジションを今回初めて選びました。一般派遣の方に業務指示を出し、管理した経験もありますが、その逆の立場になると、正社員との待遇の違いを多く感じました。



自分の時間の都合はつけやすく、残業もほとんどありませんでした。責任も正社員時代より軽くて精神的に楽でしたが、自分の判断だけで物事を進められない、主体的に動きにくいし期待されていない、半年働かないと有給休暇が得られない、その期間に休むと給与が出ない、給与が正社員よりも相当低く、いつ契約が切れて解雇されてもおかしくない立場にギャップを感じました。



出版との両立がしやすく時間的に都合がいい一般派遣の立場で働き続ける選択肢もありましたが、主に年収額の相違という経済的理由と有事における時間の融通具合、そして主体的に計画を立てられる立場でありたいと、私は正社員職のポジションを探して転職活動を始めました。



というものの、「勤務経歴としてブランクとみなされる『出版』の経験」は、いわゆる一般的な企業ではマイナスとされ、仮に似た年齢の人がいた場合には減点材料にもなりました。こうした経験は、育児によって勤務から離れたために、その後の就業機会の選択肢を失ってしまう女性の経験と重なりを感じました。



会社に戻る時間を最小限にするため、キャリアを維持するため、海外ではメイドの雇用も行われている、そのことに実感を持てたのもこの期間があったからですし、国の支援が乏しく、長時間労働を強いられる環境から、仕方なく家事労働者を雇用して解決策とする英国の一部で見られる動きも知りました。私の友人や親族も含めて子供がいる人も増えてきているので、「待機児童」の話は身近なものとなりました。



同時に、「就業環境の不安定さ」や「正社員は待遇が安定する代わりに長時間労働」「一般派遣社員は時間の都合は聞くけど、待遇は不安定。正社員よりも責任はないけれども、正社員と同じ労働をしても給与は安い」ことから同一労働・同一待遇との言葉を知り、同時に、そもそも正規雇用にあっても私生活を犠牲にする働き方に疑問を持ちました。仮に残業時間を相当減らせば育児に従事しやすくなる時間も出来ます。



そういったところからワークライフバランスや働き方、現代の労働環境、そしてメイドをソリューションとする現代事情に関心が向かいました。『英国メイドがいた時代』は『英国メイドの世界』と言う出版経験を積まなければ作れなかったと同時に、私自身がそれまでの職種にいただけでは得られなかった視点や感情をベースとしています。



自分を取り巻く労働環境で成立する「ルール」や「評価基準」がなぜ成立しているのか、どうしたら変えられるのか。そもそも、理想の形はどういうものなのか、との考えも生じました。相当自由度が低く、私はただ運と縁に恵まれて生き延びただけにも思えます。だからこそ、この空気のようなものを変えたいと感じています。



「働いていること」への価値観についても、「家事」についての価値観についても問い直すことは多々ありますが、その辺りはまた後日に広げます。


グローバリゼーション

2011年のメイド研究におけるテーマの一つは、グローバリゼーションでした。この視点は元々自覚していたもので、現代英国の格差を照らし、現代日本の労働環境も相対化する『英国メイドがいた時代』『英国メイドがいた時代』が繋がっていくテーマの補足に記してきました。



身近なところで、私が英会話学校で出会ったフィリピンの先生との会話も、グローバリゼーションへの関心を強めました。(メイドの可能性を広げて「接点」を響かせる参照)。さながら大企業と中小企業で給与のベースや福利厚生が違うように、さながら正社員と一般派遣社員と言う境遇で給与に差があるように、生まれる国や環境が違うだけでも通貨価値は異なります。日本で稼いだ給与を現地での教育機会改善に使うという先生の活動に感銘を受けましたし、この構造が持続しえる理由にも興味を持ちました。



社会全体で幅広くメイド雇用が成立するには、低賃金で働く人々が必要で、その状況は低賃金でも働かざるを得ないためにその環境を受け入れる人々が多数いることを前提とします。日本や現在の先進国では産業構造が変化し、経済発展による中産階級の増加に伴ってある程度格差は縮小し、メイド雇用を前提とする社会は崩れていきましたが、日本でも格差が広がり、教育の機会や就業の機会にも格差が見られ始めています。



こうした「グローバリゼーション」は私が派遣で出向いた企業に外資系があったことも影響しています。私のメイド研究のテーマに「グローバリゼーション」があるが故に、私はなおのこと、一度は外資系企業の当事者として現在の状況を経験したい、梅田望夫さん的に言えば「見晴らしのいい場所」に立ちたいとも思いました。長期的に、何ができるかを考えるためにです。


2011年の出来事

こうした背景で私の同人活動は続いていました。ここ数年は35年間の人生で、大きな転換期にありましたと、例年にないほど個人的な話から始まりましたが、自分で引き起こしたものでもあるので後悔はしていませんし、機会を得るためにリスクを取っただけともいえます。また、仮にマイナスのことがあったとしても、その経験がプラスになるように、今後を生きていくつもりです。



というところで、2011年にあった研究軸の出来事です。


1. 同人誌の電子書籍化推進

2010年10月にテストとしてDLSiteで『英国メイドにまつわる7つの話と展望』の公開を行いました。



私はこれまでに何度か同人誌を含めて電子書籍関連のテキストを書きましたが、私は電子書籍へ特に過剰な期待を抱くこともなく、私個人で大きく動かせることもないと思うので、今時点では考察や整理を含めて大きく時間を割くつもりはありません。私以上に真剣にかつ詳しく考察されている方々を見つけられた、というのも理由にはなります。



あと、次のようなモデルも考えていたのを思い出しました。










2. 『英国メイドの世界』1周年&第四刷刊行

『英国メイドの世界』は絶版になることもなく、『英国メイドの世界』刊行から1周年を振り返るに書いたように、1年間を無事に迎えることが出来ました。



一部のリアル書店でも店頭に並んでいる様子は確認できましたし、少なくともネット上で見える範囲(主にAmazonランキング)では、私の本より後で刊行された英国メイド関連本と同じか、時にはそれ以上の順位でコンスタントに推移しています。



英国メイド関連本が出た時に書店で一緒に並べて売ってもらえるポジションとしてウェブのように認識されていないように思えるのは残念ですが、著者が努力し続けることで自分の本の寿命を延ばし、埋没することなく生き続けた結果として、新しい読者の方々とも出会う機会を得るという結果を出せています。これは、当初思い描いた通りにできたことです。


3. 同人誌『英国メイドがいた時代』&『誰かの始まりは、他の誰かの始まり』刊行

2008年に刊行した『英国メイドの世界』は私の人生を変えました。その余波が大きすぎたために、その後の同人活動にも影響を与えました。『英国メイドの世界』に続く時代として『英国メイドがいた時代』を作り、同人版『英国メイドの時代』が絶版して生まれた講談社版に掲載されなかった短編集を再生する『誰かの始まりは、他の誰かの始まり』を刊行しました。



この点で、ようやく2008年からの様々な流れを、自分なりに昇華出来ました。同人振り返りの中では「原点回帰」と書いてきてもいますが、もはや何年原点回帰しているのだという話でもあり、そろそろ『英国メイドの世界』から子離れして、自分の世界を広げようとも思います。


4. 水樹奈々さんのラジオ番組に出演

これは出版にまつわる最大の事件のひとつ、というものでした。



FM-TOKYO『水樹奈々のMの世界』のメイド対談を振り返ってにて振り返りましたが、正直、素人の自分がラジオに出演しても失敗することは目に見えていました。それでも、出ていかねばらない「機」だと強く感じました。



「誰に依頼されることもなく、ただ好きを貫いて本を出版する」経験をした上に、「水樹奈々さんにお会いできる」機会を得るというのは、通常起こりえない人生です。さらに「英国メイド研究者がゲストとしてラジオに呼ばれる」と言う事象は、メイド界隈にとって興味深い事例になるのではなると。



私は「好きなことを続ける」ことを大切にしていますし、そういう自由さが尊重される社会であって欲しいと思っています。だからこそ、自分の活動を知ってもらう機会や人との出会いは大切にしますし、その経験が広がる機会を逃したくありませんでした。



これが「大きな一歩」となるよう、今後も機会を作れるよう努力します。


5. 「なぜ今の時代、『英国メイド』なのか」の答えを出す

最後は、文中で少しだけ触れた東日本大震災です。



私が震災後にできたことは献血、募金、津波に遭った宮城県でのボランティア活動(清掃活動)と短期的で限られたものでしたが、震災の直後、歴史を学ぶ立場として出来ることに記したように、自身の専門領域の知識や視点を提供されている方々の活動を知り、自分にも出来ることを広げたいと考えました。



そもそも現代にあって、「ただメイドが好きだから」と言う理由だけで自分がメイドの研究をしていても、社会から遊離しているようでもありますし、同時代性を欠くように思えました。私はそれを本業として食べる立場ではなく、組織に属して働く境遇にあります。その「私」がなぜ研究するのかは常に自問自答しています。



そこで、私は現代人が興味を持つような転職やキャリアアップを軸としたコンテクストを作ったり、現代の労働環境を相対化する視点としたり、更には現代に続く雇用を通じて育児環境や社会福祉にもテーマを広げたりしたつもりです。



そしてこの震災に際して私が感じたのは、「今のままの経済発展、豊かな暮らしは続かない」との想いでした。『英国メイドの世界』で「コンテンツとしてまとまった本文から若干乖離したことで没にしたあとがき」があります。そこに、私の2010年時点の気持ちがありましたので、掲載します。




○2・家事使用人/家事手伝いの歴史が伝えること
 近世を起点とした家事使用人の歴史の帰結を追いかけた本章では、家事使用人の時代の終わりを扱ったその先で、いつのまにか現代へと繋がりました。執事やメイドの姿は歴史の表舞台から消えましたが、誰かが家事を担う役割自体は残り、将来に渡って続きます。
家事使用人という一つの職業集団が生まれ、最盛期を迎えて、衰退する。この歴史や職業が直面した構造的問題は、多くの示唆に富んでいます。



■1・家事を巡る消費の側面と同時代性

 イギリスでは、消費が数多く生まれました。家庭で担った生産は商品革命の進化で外部に委ねられ、新しい製品が家に入り込んできた結果として家事の手間が増え、その解決策として使用人は消費されました。メイドがいなければ、家事は大変な作業でした。
たとえばクルマは今の私たちの暮らしに欠かせない重要な存在ですが、クルマを使った生活自体は新しいものです。メイドを前提とした暮らしは供給不足で変化を余儀なくされましたが、私たちが当たり前に思う「今の社会の便利な何か」は将来、環境や資源の問題で姿を消すかもしれません。生活様式の変更を迫る「使用人問題」は、決して私たちにとって他人事ではないものです。



 家事使用人職が衰退した一方、家事手伝いの仕事はイギリスでリバイバルし、時間をお金で買う形での消費を生み出しています。そして日本国外では、今も家事を手伝うメイドは同時代的存在であり続け、都市部を中心に発展したラテンアメリカや中国などでは、メイドとして働く人々が増加しました。たとえば香港では国内で完結せず、海外からメイドを雇用しています。



 高齢化社会の日本では介護領域で求人がありながら国内で需要を満たせず、海外からの人員受け入れが進んでいます。歴史は繰り返さないとしても、似た構造は出現しています。



■2・物の見方や価値観の基盤

 古代ローマユリウス・カエサルは『人は見たい現実を見る』と言いました。この言葉は「人は見たい価値観で物を見る」と言い換えられるでしょう。使用人問題は、使用人を必要とする生活や、使用人を見る価値観の変化を雇用主に迫るものでした。



 心理学者Violet Firthは使用人問題解決のためにプロパガンダの重要性を訴えました。使用人への偏見、使用人を必要とする生活の歴史は短いものに過ぎないとして、その見方を捨てれば問題は解決すると彼女は主張しました。



 物を見る価値観の影響は、使用人の歴史につきまといます。



 「働くことは神聖」とする考え方や「家庭は神聖」とした価値観は産業革命期のイギリスで普及し、ヴィクトリア朝以降に強い影響力を及ぼしました。「男性が働き、女性は家で有閑化する」ことを尊重した環境では中流階級の女性の就業が好まれませんでしたが、女性の社会進出が進み、使用人雇用が難しくなると、価値観は変容しました。



 何かの価値観が社会で支持されるには理由があるからで、環境が変われば「それまでの伝統」は変化します。それを再確認することは歴史を学ぶ立場として有益で、過去の影響を受けて構築された現代を見る視点として役立ちます。



■3・ある社会で人が「働く」ことへの問いかけ

 使用人が働いた環境は、ある一時代の人の働き方を照らす良質の題材です。使用人問題は、人が働く上で問題となる労働条件を明確にしつつ、政府報告書で答えが見えながら解決されなかったことで、雇用主と被雇用者を巡る労働問題の根深さを物語ります。



 現代の日本人はメイドの問題を、過去の問題とはできません。一例として、労働時間の法的上限を定めた国際労働機関ILOの条約(8時間労働制:第1号や第8号など)を日本は批准していません。日本の労働基準法の法定労働時間は、労使協定(36協定)で上限を引き上げられます。運用や給与や環境で同一でないにせよ、過労死は問題化していますし、労働時間の実質的に上限が無いことは過去のメイドと似た境遇にある姿を示しています。



 もちろん、「働くこと」で見えてくるのはマイナスだけではありません。



 求人広告や人材バンクがあった求人市場は現代的ですし、スキルを磨き、キャリアを重ねるような、人が生きるために働く中で感じる悩みは時代を超えます。



 限られた環境で自分の仕事に責任を持ち、主体的に働いた使用人たちの声や、仕事に生きがいを見出した人たち、戦略的にキャリアを築き上げていった使用人たちの生き方は、社会で働いた「先輩」として、働く自分を見直すヒントがあふれています。



 19世紀初頭のある執事は自分が得た職務経験から、若い男性使用人のために『The footman's directory and butler's rememberancer』という書籍を刊行しました。そこには使用人としての仕事の技術だけではなく、「働く上で、同僚とうまくやる方法」や「執事になった時に大切なこと」まで掲載されていて、ビジネス本に類似した鋭い洞察や、誰かの役に立つために自分の知識を伝える想いが込められています。





私がこの当時想定していたのは、「そのうち、クルマ社会が無くなるのではないか」とのものでした。今、そうした仮定を聞いても「ありえない」と思ったり、「そこで生じる不便さはどうするのか」との反論も出てきたりするでしょう。しかし、過去にあって「メイド・家事使用人」は一部の人々にとって、クルマと似た存在でした。その雇用が難しくなって雇えなくなった場合に、人々の意識は切り替わりました。



「具体的に生活を変える」というのがどういうことか、その経験は過去の歴史の中に見出すことができます。震災の余波による原子力災害にあって、原子力発電が供給してきた「電気」とどう向き合うのかも、「寸断されたインフラ」や「計画停電」によって身近なものとなってきました。この方面の情報収集や学習を適切に行えていないので今時点で私に回答はありませんが、「現代の当り前は、過去にあって当たり前ではない」ということへの自覚や、なぜ自分がそう思うのか根拠を探すこと、そして「好きなようにルールは変えられる」との気持ちが強まりました。



私が尊敬する、1920年代の家事使用人問題の研究者Violet Firthは、こうも言いました。




『生活の一部を変えたら、結局すべてが変わります。(中略)思い込みを捨てることです。生活様式は変えられます。調査の証言者は遅い時間の夕食は必須といいました。しかし、歴史を学べば遅い時間の夕食は最近の習慣で、それゆえ英国人種は遥か昔から、必要性なしで存在していた。使用人問題の議論すべてで、人々は私たちの社会習慣が自然界の法則のように、変更できないと見なすけれども、新しい習慣に適応できなければ人類は絶滅していた。事実として、それらは単なる「習慣」の過ぎません』
(『THE PSYCOLOGY OF THE SERVANT PROBLEM』P.89)

今日は振り返りまで

というところで、これらを踏まえて2012年の目標を書きます。


番外編

2009年時点の目標の達成具合

2009年12月の同人誌『英国メイドの世界ができるまで』に書いた今後の進捗と展望のレビューです。意外とがんばっていますし、時間が経過する中で初期とは異なった形で実現に近づけている物もあります。



活動領域 項目 詳細 結果 結果の詳細・変更点
同人活動 1. 完結編『使用人の世界の終わり』 『英国メイドの世界』で扱えない領域を書く。 達成 『英国メイドがいた時代』の刊行を行う
2. 『総集編2』について 5〜7巻で描きだした「日常生活」の総集編。 目標変更 『図説英国メイドの日常』が出ているのでよいのでは?

短編集の総集編は、2011年冬に達成。
3. 完結編以降について ・貴族の領地や屋敷での話。

・創作の賞への応募。

・創作の資料を提供する立場

33%達成 『英国メイドの世界』が創作の資料になるのは達成。
【同人以外の活動・出版】 1. 『英国メイドの世界』出版 必ず刊行する。 達成 2011年11月11日に講談社から。
2. プロモーション案の検討 しっかりと読者の方々に届くように努力する。 達成 ・第四版までを実現。

・アクションは『英国メイドの世界』刊行から1周年を振り返るに記す。
3. 『英国執事の流儀』の出版 出版する。 目標変更 ・特にアクションせず。

・別の出版企画を優先中。
【同人以外の活動・インフラ作り】 1. 資料本ネットワーク構想 資料本を有する作家・創作者で資料館を作る。 部分的に達成・継続進行中 ・蔵書の公開はスポットでシャッツキステとのイベントで行う。

・定常的に公開可能な場の確保は某所で進行中。

・他の作家の方を巻き込むのはまだ。
2. 論文/賞的なもの 読みたい・研究して欲しい領域のテキストに賞金を出す。 未達成 ・『英国メイドの世界』が爆発的に売れたら、と思っていました。

・資金の目途は無いので、今年中に運営スタイルを設計予定。
3. メイド研究資料のウェブ公開 Google Booksで未公開で著作権切れ資料のウェブ公開(翻訳含む)。 未達成 ・優先順位的に何もアクションせず。

・いつ行うかは、また別途検討課題。主に時間。
4. 留学と英国滞在 研究したいので。 未達成 ・それだけのお金がないです。

外資系企業に転職したので英語力を伸ばし、英国で仕事する可能性を模索。
5. 論文を書く 研究したい領域があるので。 未達成 ・今のところ、未定です。

2010年時点の目標の達成具合

2010年を振り返る&2011年への抱負もついでにレビューします。



活動領域 項目 詳細 結果 結果の詳細・変更点
【「メイド」の概念を広げる】 メイドの概念を分類・世に伝える 「日本のメイド」「英国メイド」「現代の家事労働者」の3軸を理論化して示す。 途上 ・現代をテーマとする『英国メイドがいた時代』を刊行。

・研究自体は着手。
【同人誌】 1. 同人誌『階下で出会った人々』を刊行 実在する家事使用人の人名・エピソードガイド。 未達成 ・どうしようか考え中。
・代わりに『誰かの始まりは、他の誰かの始まり』を刊行
2. 同人誌『英国メイドがいた時代の終わり』を刊行 20世紀全体でメイド雇用衰退の経緯を描く。 達成 ・タイトルは『英国メイドがいた時代』に変更。
【個人の目標】 1. 小説を書く ・英国メイド関連の物語を描き、多様性を伝える。
・賞に応募する。

・短編小説サイトをWrodPressに移行する
33%達成 ・物語は2年ぶりに書けた。冬コミ新刊で整理・作成。

・応募作は未定。

・移行作業もまだ。
2. 活動スポンサーを見つける(非メイド関連事業) メイドコンテンツホルダー以外で研究を支援してくれるスポンサーを見つける。 未達成 ・何も働きかけをしていません。

・これも2012年中にプランのみは立てます。
3. 他メディアへの展開 旅行業界や転職業界、IT業界など。 未達成 ・メディアでの取り上げはほとんどないですね。ラジオ出演ぐらい?

・とりあえず、仕事・キャリアネタで売り込みに行きましょうか。
【勉強について】 1. イギリス屋敷への橋頭堡を築くく イギリス屋敷関連のコミュニティーに入る。見つけてもらう。 未達成 何もしていないですね、はい。
2. 英語力(TOEFL)を高める:点数を決めて 留学に必要なレベルに到達する。 未達成 2011年は時間が作れませんでしたが、今年はSkypeでの英会話レッスンを始めたり、英会話コミュニティなどに入ったりする予定です。
3. 留学する 研究したいですね、現地で。 未達成 2009年振り返りに記したとおりです。