ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

メイドさんはサラリーマン

『M.O.E』に寄稿したコラムの補筆のようなものです。



メイドさんはよく「神に仕える巫女」的な「奉仕・献身」のニュアンスで強く語られますが、それだけではない、というのが自分のメイド観にありますし、同人誌制作にもそれが反映されています。



責任感を持って仲間と共に働くサラリーマンには、仕事が大変でも楽しいことがあります。残業をしていても、「早く帰りたい」と意識しながらやらされている残業と、「仲間と一緒に残りながら最善を尽くす」残業とでは、まったく違いますが、それと同様のことが、100年前にもあったのではないかと。



サラリーマンには、メイドの心がわかります。

なぜならば、働くという意味では、まったく違いが無いからです。



『M.O.E』に寄稿したメイド小説はどちらかというと、「仕事をやらされていた」「時計ばかりを見ていた」アルバイトの頃を思い起こして書いています。これが一般的なイメージ、そして実情に近いものであるかもしれません。



それとは対照的に、働くと言うこと、周囲から必要とされることを通じて、仕事で満たされた人たちもいたのではないか、やらされる仕事だけではなかったのではないか、個性を発揮できる場もあったのでは、という問いかけが久我の視点です。



何度も引用しすぎていますが、アガサ・クリスティーの言葉に代表される、使用人描写です。


『よくいわれているように、彼らは"自分の立場を心得ている"が、立場を心得ているということはけっして卑屈ということではなくて、専門家としての誇りを持っているということなのだ』
(『アガサ・クリスティー自伝』(上)P.58〜59より引用)



職場に尊敬できる上司もいれば、意地悪な先輩もいるかもしれない。仕事は出来ても人間として尊敬できない、或いは仕事はそんなに出来ないけれども人間としてはその真面目さに敬意を抱ける、職場には色々な人がいて、その人間関係の中で働くことを余儀なくされる。



それはメイドもサラリーマンも同じです。



同人誌の中身も当初は「主人公の貴族とそれに関わる人々の交流=奉仕と献身」を軸にしていましたが、今は「働くメイドさんの姿」「どんな仕事をしていたのか」という彼女たちの姿を描くだけで足りてしまっています。働く自分にとって、先輩なんですね、100年前にいたメイドさんたちは。



……一応、真面目に書いているコラムで、エイプリールフールネタじゃありません。



メイドさんを描くことによって、自分自身を含めて仕事のあり方を考える、硬く言うとそんな感じでしょうか。



いわゆる、ライトスタッフのような世界を描くこと。今書いている短編は、そんなことを意識しながら、作っています。完成すれば、『帝國メイド倶楽部』の新刊にする予定です。