ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

小説『日蔭者ヂュード』(ASIN:4003224035)

トマス・ハーディが、この本の反響で絶筆した、というような話があったかと思います。絶版になった後、長らく捜し求めていましたが、御茶ノ水で見つけてから、上中下巻のうち、上巻の冒頭のみを読んで、頓挫していました。理由は、あまりにも物悲しい、切ないからです。



読書をするのは知識を得ること、自分が変わること、楽しめること、感情を味わうこと、疑似体験など様々にありますが、トマス・ハーディの作品は、かなりの覚悟がいります。単純に「物語」を求めるならば、他の本を読んだ本がいいと思います。そこに何かしらの価値を求めなければ、読むのが辛くなります。きっとそれでもオブラートに包まれた現実でしょうが、それでも、胸に迫るものが強すぎるので、先延ばししていましたが、この三連休で、もうすぐ終わりにまで辿り着きました。



話の展開は、『テス』に見られるような要素があり、「避けられない運命」「偶然」に翻弄される、という筋立てになっています。アンドレ・ジッドの『狭き門』も、少し連想する感じでしょうか?



貧しい生まれながら学問を志した少年ジュードが、学問に上昇の機会を、聖職に上昇の機会を求めながらも、周囲の環境や貧困、そして女性への愛で遮られて、運命に翻弄され続ける話です。



ジュードは同じ村のアラベラという娘に引っ掛けられる形で結婚するも、彼女は彼を捨てます。その後、幼い頃に憧れた学問の地クライストミンスターに移り住んだジュードは、従妹のスー・ブライドヘッドがそこに居るのを知り、彼女に恋焦がれますが、彼は既婚者のまま。



聡明な彼女はいろいろとあって職場を離れて、仕事を探さなければならなくなります。ジュードは、かつて彼に学問の可能性を示した中年の教職にあるフィロットソンを彼女に紹介し、彼女がそこで働けるようにしますが、それがフィロットソンの気持ちを募らせ、スーは、暮らすことなど様々な理由でそれを受諾します。



しかし既婚者の立場ながら恋する者であるジュードは、結婚を後悔するスーとの距離を近づけます。さらに、そこにアラベラが姿を見せ、彼女は他の男と結婚するから正式な離婚を申し立て、ジュードとスーとの間の障害を減らします。



この後、本当にめまぐるしく展開していきますが、理想が現実に押し潰されていく、貧しさに可能性が消えていく、運命に心も磨り減り、色褪せていく人間、同じ言葉を語ったとは思えない人間の変容は、読んでいて辛くなります。残り数十ページ、ある本で結末を見せられてしまっているのですが、それでも、残りを一気に読むのは覚悟は必要です。



そして思うのが、果たして現代で、ヴィクトリア朝的な小説や風景を描く自分にとって、こういうリアリズム、読んでいる人にとって苦しさや物悲しさを持たせるリアルを書く意味があるのかと。リアリティは、そこまで求められません。そうした血の通う、魂のこもる痛みは、自分の時代で描きたいとも思います。



かつて、友人がある映画やコミックスを評して、「悲しい、見ていて辛くなる物語を、お金を払ってまで見たくない」との言葉も連想します。『鋼の錬金術師』の最新刊、筆者が師匠から聞いたという言葉「作り話だからこそ、本来は救いの無い話にも救いを作ってあげられる」というフレーズも印象深いです。



人間存在を描いた、物語としての完成度、いろいろな文学的意味で評価はされる本かもしれませんし、個人的には好きですが、辛いです。



文庫が絶版になるのも、映画が絶版になるのも、無理なし、と思っていたら、DVDは再版されていました。



日蔭のふたり [DVD]



ケイト・ウィンスレットのファンの人でも、あまりオススメはしません。その気持ちとしては、『フロム・ヘル』のように、「あえて見ようと思わなければ、見る必要は無い」と言えるかもしれません。



フロム・ヘル [DVD]



久しぶりの、資料でした。