ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。同人・出版活動の報告を含みます。

『秒速5センチメートル』

思わず買ってしまったので、映画に続き感想を書きます。またしてもネタバレなので、映画を見ていない人や小説を読んでいない人はご注意下さい。



結論から言えば、映画あっての小説だと思います。映画であの映像美を見ず、新海監督の小説の文面だけから美しさを想像で広げていくのは、難しいと思います。(久我は先に映像を見てしまったので、あくまでも想像ですが)



「桜花抄」の美しさと、明里の元へ向かう貴樹の切迫感は、映像が圧倒的です。



ただ、小説版のエンディングで示された解釈は、納得できるものでしたし、ラストの手紙や香苗の描き方はよかったです。久我もシステム系の仕事しているので(貴樹ほどエンジニアとして優秀でもないですが)、描写された風景に親近感が(笑)



DVD買おうかなぁと思います。



小説・秒速5センチメートル (ダ・ヴィンチブックス)

小説・秒速5センチメートル (ダ・ヴィンチブックス)
















































貴樹の心理

「貴樹は明里を、ずっと好きだったのか?」



小説では、この辺りの回答が映画よりも曖昧です。「原作と違うように作っている」とあとがきで新海監督は記されていますが、主人公である貴樹の気持ちが、映画よりも見えにくいです。



そこには、何も無いように。



映画では一途な想いに縛られて、貴樹は強すぎる初恋によって、現実を受け入れることなく、いろいろな人を傷つけて、頑なな想いを守っていくように見えました。



実際、第二章「コスモナウト」で貴樹が空想する「この世ではない幻想的な世界」(或いは理想郷)では、貴樹の隣に明里がいます。高校生活の間も、明里からの手紙を待ち望むような描写もありました。



そして、何よりも山崎まさよしさんの『 One more time,One more chance』が大きいです。「どこかにいる、ここにはいない、好きな人」の面影を求める曲が流れることによって、「急行待ちの踏み切り辺り」と歌詞にオーバーラップさせることで、「日常の中、好きな人の面影を探してしまう」貴樹、というような受け止め方をさせます。



エンディングでふたりは踏み切りですれ違います。言葉を交わすことは無く、立ち止まった貴樹に対して、明里は去ってしまいます。この、ふたりが巡り合わなかったエンディングは、好みが分かれるところです。



そのエンディングに至る解釈について、小説版は違った光の当て方をしています。

エンディングに至るまでの時間

違ってくるのが第三章です。ここは貴樹が東京に出てから、明里とすれ違うまでの時間を、社会人として過ごした時間を、淡々と綴っています。



映画で描かれなかった、「空白の時間」です。



貴樹は、それまでに何人もの女性と付き合いながらも、結局、別れに至っています。誰も幸せに出来ない、誰に対しても優しいものの、何も本当に求めていないような(明里を求めているのかは明示されていませんが)「空漠な心」を抱えていて、それが人を傷つけていくというふうに。



映画では自分しか見えていない、自分のことで精一杯に見えた貴樹ですが、小説版では自分自身を見つめていて、なぜそうなったかを自覚できないようなところに、脆さを感じさせます。



そうした生活の果てに、貴樹は明里とすれ違います。



小説版では山崎まさよしさんの曲が無いので、どこにでも明里の面影を求めるような強い描写がありません。故に、最後のシーンは少し違った雰囲気になっています。



ネットで映画の感想を見ると「再会するフィクションより、出会わなかったのはリアルなエンディング」という評価もありますが、それを覆す解釈が、小説版によって明らかにされた貴樹の心情だと思います。



久我は「貴樹は明里とすれ違っても、本物と気づかない・『また似ている人』だと思いこむ」と考えていましたが、小説版で貴樹は明里とすれ違ったと感じて、「もしも、すれ違えたならば、奇跡」だとしています。



この解釈は意外でした。



確かに、違う人生を生きていた二人がすれ違えたこと自体、一期一会の「奇跡」です。なぜあの時、明里がそこにいたのか、貴樹があそこにいたのか?



失ったものを探し続ける主題歌の強さに身を委ね、物語における「お約束的なカタルシス」を求めるがあまり、「すれ違えたことの奇跡」を、映画のエピローグとして「ありだけど、ちょっとどうかな」と思っていました。



もっと希望があって、よかったとも。


すれ違うことが「奇跡」

しかし、そうでもなかった、ということでしょう。あのすれ違いは、現実の厳しさではなく、限られた中での「希望」ではないかと。そうした違う視点に気づかせてくれたのが、小説版のよいところではないでしょうか?



小説版で、貴樹は明確な回答を得ていません。それが明里だったかどうかに関わらず、彼は歩き出そうと、前に進む気持ちを抱きました。映画とは少し違った、貴樹です。



映画では「明里」への思慕、というものが強く感じられましたが、小説版は「転校生」としての貴樹、「社会人として生きる貴樹」の時間を描くことで、別の感情を描いたのかもしれません。初恋に縛られて、前に進めなくなっているのはあるにしても、それだけではない、「常に何かを失っていく」生き方を。



・明里への想いを失いたくない気持ち。

・あれだけ想ったのに、失った。

・もう失いたくないから、想いを委ねない。



それが貴樹の目の前の現実を拒否させてしまった、貴樹はそのことをようやく自覚して絶望したのかもしれません。けれど小説の結末として貴樹は立ち直り、未来へ至る希望として「明里」とすれ違う。



小説版のもうひとつの魅力は、明里が渡そうとした手紙とそのことを振り返る明里の想いが綴られていることです。明里は明確に、貴樹を想っています。でもそれは、過去の自分を思い出してのこと。彼女は想い出とともに、あの時間を自分の一部として
自然に、未来を生きています。



映画では見えにくかった明里の心、当時と今の心情が、伝わってきます。



また、第二章「コスモナウト」では一途な想いを告白できなかった香苗もフォローされています。貴樹との距離感、その心理と卒業時の別離についてもふれられていて、映画では語られなかった部分が、しっかりと補完されました。



もう一度、映像を見たいですね。



映画が好きな人ならば、オススメします。



映画『秒速5センチメートル』感想