ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

家族を持った執事の生涯

購入した本を読了しました。感想は後日書きますし、そのタイミングでタイトルも明かしますが、家族を持った執事の苦労が描かれています。とにかく、彼は経済的に苦労していました。


家族と生活することの難しさ

現代人が経済的理由で結婚できないのと同様、或いは結婚や子供が出来ることによって経済的に自由度を失っていくのと同様、彼は結婚で貯金を失っていきました。妻と子供を勤務先の近くに留めておくのは、住み込みの立場の使用人には難しいことです。



運が良ければ主人たちが領地内に屋敷をくれたり、便宜を図ってくれたりしますが、普通の主人はそこまでしませんし、結婚した使用人を好んで雇いません。彼の場合は一度目こそ勤める屋敷の近くに妻を住ませましたが、妻は職場の移動の多さや転職で住むところが変わることに不安があってか、定住する場所を夫に求めました。



彼がかわいそうなのは、妻が目を患ったことです。医療費がかさみ、やがて失明しました。自分自身も新しい事業に首を突っ込み身体を壊し、お金を失っていきます。その後、彼は子供を成人させ、孫も生まれました。なんとか、成功したのでしょう。


不運の連続

しかし、不幸が訪れます。家には妻と息子夫婦と孫とが住んでいましたが、息子が仕える屋敷の主人の厚意で出かけさせられた劇場でインフルエンザになり、あっさり、妻が病死してしまうのです。



人生の後半、彼が仕えた主人たちは第一次大戦後の激動の時代にあったので、財産を失うことも珍しくありません。他の使用人よりも、彼は「主人の死」にも遭遇しました。「最も素晴らしい職場」は主人の死で失い、屋敷の規模は縮小され、後任の座は態度の悪い「一ヶ月足らず」しか勤めていないヴァレットに奪われます。(この直前、運悪く非常に仲がよく信頼しあっていたヴァレットが運悪く解雇されていた)



「私が死んだら500ポンド、お前に残すよ」と言ってくれた主人は二十代と若く、死と無関係に思えましたが、妻との関係が非常に悪く、酒に逃避し、破滅的な人生を歩んで死へと至りました。遺言は無く、妻に仕える気もせず、彼は去ります。


最高の主人はインドの王子

不思議なことに、最も素晴らしい主人は「インドの王族」でした。『エマ』のハキムのようなこの王子が英国を滞在している間に、彼は執事として仕え、「最も素晴らしい」待遇を受けました。あくまでも彼の滞在中の仕事でしたが、この仕事中、彼は王に出会うことも出来ました。



王子は「私について、インドまで来ないか?」と帰国する際に声をかけましたが、彼は「私がもう少し若ければついていけました」と断ります。「最上級の人物だった」と、彼は褒め称えています。公爵や侯爵、伯爵など数多くの貴族に使えた彼が「最も立派」だったのは、このインドの王族だった、というのです。


転職市場にあふれる「執事」

最後に与えられたチャンスは、「雑用執事」、なんでも雑用をする仕事でした。この仕事はハードワークで、しばらくしてそこを離れた彼は、すぐに後悔します。「執事」が転職市場にあふれかえっているのです。



貴族たちも、低コストなパーラーメイドを導入しだしていることを。英国執事と言う存在が、既に「大英博物館」に陳列されてしまうような存在になっていることを。



その後に見つけた、最後の最後に仕えた貴族(臨時の仕事)も、彼を騙して、都合よく利用し、何度請求しても賃金を払おうとしませんでした。



彼は「救貧院で死ぬだろう」と自らを語りつつ、執事の仕事を諦めて、この自叙伝を書きました。その後の彼がどうなったかはわかりませんが、今、久我が読んでいる本が売れたならば、多少違った人生になったでしょう。


本が印象的な理由・働くことの難しさ

本全体に流れる暗い感じや使用人職に対するシニカルな考え方は、彼が直面してきた様々な失敗、裏切られた経験の連続にもよるでしょうが、これまでに「明るく」主人たちの世界を照らしてきた使用人の手記とは、一線を画しています。



家族を持つが故の苦労、無能どころが有害な同僚に迷惑をかけられる立場、主人の死で職場が消えていくこと、破滅していく主人を見たこと、家族を支えたものの失ったこと、そして使用人職を辞めようと他の職へ転職して何度も失敗したことなど、様々な不運にも見舞われていました。



唯一、彼を高く評価してくれた、そして彼が評価した主人が「インドの王子」というすぐに英国を去ってしまう人だったことも、泣けます。


手記を残した他の執事との相違

ただ、他の執事との相違を考えると、彼がよい「エージェンシー」に出会えていなかったのではないかと思います。彼は「エージェンシーは金を搾取するだけ」と軽蔑し、自分で広告を出していました。



しかし、他の執事たちの手記を見る限り、彼らはいいエージェンシーに出会い、彼と同じ時代を生きた(彼よりも少し後)にもかかわらず、仕事を見つけています。



この点では「ヴィクトリア朝の頃の悪い評価のエージェンシー」と、それ以降の「徐々に評価を上げていったエージェンシー」の相違点を、長い時代を生きたが故に、彼が区別できなかったのが、最後の仕事を見つけられなかった理由になるでしょうか?



二十世紀以降のエージェンシーは手記を読む限り、かなり「良質な職場」を提供してくれています。彼はその点で、自分で考え、行動できるだけの頭脳と行動力を持っていたが故に、他者の助けをあまり得られなかった(自分から求めなかった)気がします。



もう少し彼が生きた年代と、職場で働いた時間を正確にリスト化してみるつもりですが、使用人の転職事情や家族を持つことの大変さが伝わる本でした。多分、能力や人間の品格としては、これまでに読んだ中で最高峰です。



唯一、若いうちに、機会と主人に恵まれなかったのが、彼の人生を変えたように思います。他にも、彼は厳密には労働者階級ではなかった(農場主の一族がいたが火事で財産を失う:当時は保険がなかったとのこと)ことや、他への転職活動が多かったことが、他の使用人との相違だったでしょうか?



少なくとも、彼が「執事」と言う仕事、自分の仕事を「好き」に思っている言葉はほとんど出てきませんでした。仕事を失って以降の最後の章はエピソードというよりは、愚痴の連続でした。それは愚痴も言いたくなるよねと……