ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『Under the Rose』6巻感想〜「変化」していく作品の価値と、登場人物と、読者

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三度ばかり読み直したところで、何度も考えながら、感想を書きます。



そもそも『あんだろ』の難しいところは「謎」が根幹であり、ネタバレをせずに感想を書く難易度が高いのかもしれません。また、作品の位置づけが既存の作品と比較しにくい、というところも大きい気がします。



今まで、『Under the Rose』の感想を書いてきましたが、その軸は「人間と言うものの不可思議」「人を信じること・疑うこと」、人間が相互につむぎ合う環境自体が作品の根幹で、読者を振り回すものだと思っています。



作品の中心にある「謎」とは「伯爵家に外部から入ってきた視点」から見てのもので、そこで感じる違和感や、そこにいる人物の行動理由を突き止めたい、という欲求によるものでしょうか? 1巻ではライナスが主人公であり、2巻以降は女家庭教師(ガヴァネス)のレイチェルが、主人公となりました。



それぞれにとって、解決したい課題が自分の中にもあり、自分から見た伯爵家にもあり、そこに動かされながら、さまよっていくと突き当たる壁が、伯爵その人であり、妻のアンナ、長男アルバート(2009/06/08:アーサーと間違った表記をしていました。ご指摘ありがとうございます)そして次男のウィリアム、さらには愛人とされるマーガレットです。



この彼らの言葉やコミックスで描写される行動は、時に理解できないものもあり、その理由や行動原理が何なのかを、どうしても知りたくなります。



人は理解できないのは不安になる、共通点を見つけようとする、本当の姿と一致しなくても、断片的であっても。5巻作中にて、登場人物によってその部分にも、光を当てていましたが、「なぜ、そうするのか?」が解消していくことが、迷路を抜けていくような気持ちを生み出していきます。



6巻で「読者にとっての謎」である疑問、「この人はなぜ、そうするのかがわからない」、行動原理的なものが、だいぶ照らされてきました。その根底にあるのは、「真実」を優しく包み隠そうとする「嘘」と、「真実」を求めた末に見えてしまった厳しいまでの「現実」。ウィリアム、本当にいいキャラクターです。



本人の意図を超えて、化学反応するように相互に関わりあいながら、ひとつの結末へ向かっていく姿は、人間の優しさも弱さも美しさも、綺麗に照らし出してくれます。探偵小説と同じで、探偵がいるから殺人事件が起こり、探偵が真実を求めて動き出すから、探偵自身が事件の当事者になっていく。



その点ではミステリの王道とも言える要素も満たしていますが、この作品の本質は「人間そのもの」であることであることに、再度、気づかせてくれます。人と関わることで、変わり、変えて、変えさせられてしまう、ウィリアムとレイチェルの関係性の描写も、あまりにも見事です。



アンナとマーガレットも舞台に上がり、役者が揃い始めた、というのでしょうか?



すべてが見えてきたことによって、追い詰められて、破滅へ向かっていく人間もいます。結末を求めたことでそれぞれにとっての終わりと、始まりとが、動き始めました。



幕間の人物描写、登場人物の可愛らしさ、ヴィクトリア朝・貴族・イギリスでなければ成立しない相続と後継者問題、大家族、主人と使用人という関係性、すべての設定に必然性があり、関係性を生み出し、物語を紡ぎだしていくのです。



6巻の感想と言うよりも、作品全体の感想になりましたが、もう暗い森を歩くような感覚は消えました。ここは沈鬱な森の木々に囲まれた樹海ではなく、目に見えるものすべてが巧妙に配された、視点さえも計算した屋敷の庭園にある「迷路」です。


その先には、必ず、出口があります。



この道がどこへ向かっていくのかはまだわかりませんが、巻数が増えるごとに光を当てる角度が増えて、恐ろしいはずだった「暗い森」が迷路に思えるほど、作品は姿を変えてきます。



だから、もう一度作品を読み直せば、描かれている情報はまったく同じにもかかわらず、読者の側の視点が「後の巻によって変えられた」ことによって、違う楽しみ方が出来るようになるのです。



その点では、読者によって作品の質が変化していくし、過去の巻の評価も作品すべてが完結するまで流動的になり、感想を書きにくい、とも言えます。今のこの感想は6巻時点のもので、実はまだ何度も予想外の展開が待っているかもしれないですし、まだ幾つもわからないことが増えていくかもしれませんから。



「作者を信じていいの? この物語は、このまま進むの?」と読者は考えながら進まなければならず、その点では筆者と読者との対話も作品を織り成す一部ではないでしょうか?



既刊を、読み返しましょう。読み返さなければ、作品を楽しんだとはいえません。もう一度読むことで、まったく違う楽しみが得られます。



それこそが、『Under the Rose』の作品の素晴らしさを味わう楽しみ方です。



人間をミステリの根幹に据えた骨太の作品であり、そこで描かれる人間心理の描写は卓越しつつ、それでいて読者と筆者との対話も求める、今時分の感じる中では最も「完成度が高い」作品です。



続きが読みたい。



既刊を、読み直したい。


というのも表層的かもしれない〜人が変わり、変わっていく

Under the Rose』において本当に大切なもうひとつのテーマは、「キャラクターが変化する」ことかもしれません。本質的な変化だけではなく、見える面が増えて、元々持っていた面が引き出されて、変わっていく、というのもあります。



作品中、わがままでいたずら好きな双子はわかりやすい例です。ウィリアムの働きかけによって彼女たちは変わります。彼女たちがいればこそ、その兄も、影響を受けます。



レイチェルの存在によって、彼女の働きかけによって、少なくとも教え子たちは強い影響を受け、その想いを受け止めて変わった結果が、相互に関連しあい、接した人を動かしていきます。



しかし、変わったのはそんな子供だけでしょうか? 変えたはずのレイチェルも教えることで学び、レイチェルを友人と信じてくれるようになったアグネスさん、その場にいることで認識も変わっていったパーティに招かれた人々それぞれ。



不変に見えるウィリアムも徐々に影響を受け、影響を与え、変わっていきます。このウィリアムさえも変わっていくところが、作品の面白さなのではないでしょうか? アーサーもライナスもその点では、変化が今は止まってしまえばこそ、渦中から外れたようにも思います。(ライナスは寮で出会った友人によって変えられていく描写がありましたが)



謎を知ることでも引き起こされることもありますが、もっとシンプルに、人と触れ合うことによって、人が変わっていく、知り合いになり、友人になり、生徒になり、教師になり、夫婦になり、別れもあり、憎しみも抱き、絶望もする、そんなふうに何かが動くことによって相互に影響しあっていく人間の面白さこそが、作品を通じて貫かれるものではないでしょうか?



筆者自身も作品からの情報が増えることで「変われる」ことに参加できているのですし、この感想自体も、作者によって引き起こされた「変化」であり、この感想を読んで作品への認知が変われば、それもまた「変化」です。



そうですね、アイザックとロレンスの仲の良さも、今は自然になりましたが、人が変化する面白さの一端ですね。6巻、どれだけ仲がいいんだと、過去の巻を思い起こすと、微笑まずにいられません。小さな描写ですが、本当の兄弟になっています。



人は、変われる、変わっていく、変えられてしまう。そのきっかけを作る最初にあるものは人を想う気持ち、です。



あとがきマンガも、この「変化」を伝える作品の一環だと思います。



目に見えているものがすべてではないが、目に見えたものがすべてでもないのです。



また長い感想となりましたし、繰り返しもありましたが、このテキストを読んだのも何かの縁だと思い、未読の方は、是非、お読み下さい。



最後に、ローズ・ロザリンドは最高です。あの三つ編みの喋れない女の子もほんのワンシーン回想で出てきました。嬉しいです。これら変化の渦から「家族ではない使用人」の変化にタイムラグがあったり、変化がなかったりするのは、集団としての使用人の怖さとして、また面白くもありますね。



1巻読み直すと、まだわからないこともありますね。



Under the Rose (1) 冬の物語 バースコミックスデラックス

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