ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

同人誌1トンを刷った経緯と部数決定のプロセス

以前ノウハウとして、倉庫を活用して1トン(1冊1キロを1,000冊)の同人誌を刷った話を書きました。印刷所の倉庫を活用し、大量の在庫を抱えても日常生活に影響を及ぼさない方法でした。



しかし、そもそもサービスがあったとしても、1,000部を頒布できる確信が無ければ、印刷は行えません。部数決定は勘のようなものがありますし、当時友人や話を聞いた人のほとんどは、1,000部は現実的ではないといった反応を見せました。少なくとも表立って1,000部ぐらいいけるのではといってくれたのは、2人だけです。(どちらも同人経験は久我より長いです)



この部数は、希望的観測を交えたものもありますが、直感に頼らず、これまでの活動実績と同人イベントで接した方たちの動きから積み上げて推測した結果です。



3年で頒布する計画が3ヶ月で完売したのはひとえにアキバBlog様に取り上げられた幸運によりますが、少なくとも1,000部を刷らなければ本が流通せず、目にも止まらなかった可能性もあるわけです。吹いた風に乗れたのは「人為」によるので、幸運を逃さなかった態勢にあったのは、良かったです。



では、どのように部数を決定したのでしょうか? それを書いている過程で、同人活動の別のノウハウがあるように思えたので、それを交えながら、実体験に基づいた話をご紹介します。



正直なところ、すべてが他の方に当てはまるとは思いませんし、同じ方法が通用するとも限りませんが、こういう考え方があるのを、知っていただければと思います。

なお、この1トン刷った同人誌『英国メイドの世界』は、講談社から2010/11/11予定で出版されました。



英国メイドの世界

英国メイドの世界





以下、長いです。


前提:作っている同人誌とそのジャンル

同人誌

英国ヴィクトリア朝やそれ以降の時代に実在した使用人の仕事内容や生き方を紹介する資料本・エピソード集・創作です。


ジャンル

した コミケでは「創作少年・メイドジャンル」です。コミティアでは「文章」か「歴史」で申し込んでいます。ただし、コミティアの公式による分類(ティアズマガジンP&R掲載時)では「評論」ジャンルでした。


目次

[1]自分の居るジャンルの「交通量」を知る
[2]「人が本当に少ないのか」把握する
[3]「訪問されて読まれない理由」を把握する
[4]「読まれて買われない理由」を把握する
[5]総集編部数決定のプロセスとその結果
[終わりに]一番大切なのは試行錯誤・「考えて」「次に生かすこと」

[1]自分の居るジャンルの「交通量」を知る

同人誌でよく言われるのが「刷ったけど売れない」こと、です。最近でも幾つかエントリが目に入ってきました。「絵のうまさ」「作品の質」に話がいきがちですが、ここではそれは置いておき、他の視点で書いていきます。



頒布部数として正確な部数を算出するには、自分が所属する「ジャンルの母数」を知ることが大切です。新規に店舗を出店する時には交通量調査を行い、その道の「期待できる顧客数」を把握するのと、考え方はまったく同じです。



同人における交通量は、「ジャンル」で決まります。



「二次創作は売れる」というのは、もちろんそれだけ裾野が広く、交通量が多いからです。その中でもサークルの本によっては大きく数字に差が出るのはブランドや提供する価値の違いによりますが、まずは交通量の話を続けます。


人が通らない=読まれない

久我はコミケでは「創作少年・メイドジャンル」に所属し、いわば「メイド本を求めてくる人」がいる場所で参加をしています。そのコミケに参加した後、初めてコミティア(二次創作は原則禁止)に申し込みました。ここで所属したジャンル「文章」は、自分にとって同人活動を続ける上での多くの気づきをくれました。



コミティアの「文章」ジャンルは人が少ないのです。コミティアのメインは「マンガ」で、マンガが欲しい人は文章には興味を示さず、文章ジャンルをあまり通りませんし、「あ、文章か」というふうにちら見してスルーしていくこともあります。コミティアのサークルは「ジャンル」(少年・少女・旅行・エロ)と「表現手段」(文章・イラスト)が混在する形で分類されており、「表現手段」の方は「マンガ」が欲しい人がそもそも足を運ぶ理由がないのです。



久我はそのことを知らず、コミケと同じ気持ちで参加したところ、部数がまったく出ずに、ショックを受けました。しかし、間違っているのは久我です。人が少ないところにいて、人が通らないことを嘆くのですから。


スペースの直接参加よりも売れるイベント内委託

参加した1度目は勢いで80部前後出ましたが、以降はなかなか伸びず、一桁の時もありました。その後、委託に切り替えたところ、意外にも数字が伸びました。出している本が同じであるにも関わらず、委託の方が売れた理由は、委託の方が来場者数が多いからだと考えました。



コミティアの委託スペースは小さく、どのジャンルでも見回しやすく、特定のジャンルを探すというよりは回遊する傾向があり、委託スペースに足を運ぶ人の目に止まりやすいです。少なくとも、文章ジャンルで参加した時より、売れました。



売っている本は同じでも、場所によって出方がまったく違うのです。「売れない」ことで自分を責める方もいるかもしれません。久我は相当落ち込みましたし、自信も無くしました。しかし、原因を分解していくと心も落ち着きますし、改善の余地も見えてくるのです。そしてこの「失敗→原因把握・仮説→次で検証」を繰り返すことは、サークル活動を続ける楽しさに繋がります。


[2]「人が本当に少ないのか」把握する

コミティア参加が目を開かせてくれました。



自分の本は「読まれて、売れないのか」「読まれない」のか、どちらなのかと。同人活動のノウハウや「売れない!」という話題は数多く出ていますが、どちらなのかを明確にしているテキストは多くありません。



まず、手に取られなければ存在しないも同じです。そもそも手に取ってくれる人が存在しなければ、まったく売れなくて当然です。10人しかスペースに来ないのに、「20部売れない」と嘆くのは間違っています。作品の質を問うのも当然ですが、読まれた上でその話が続いてくるのです。



そこで、コミティアでの体験を可視化しようと、過去に何度かコンビニのレジのように、「総訪問者数」と「購入者数」を記録してみました。



以下、「1度目」「2度目(ティアズマガジンP&R掲載=認知度UP)」「3度目(『英国メイドの世界』頒布・アキバBlog様に取り上げられた時&P&R掲載)」の訪問者数と、比率です。まぁ、思いついた当初はそれだけ暇だったということです。


1度目:文章系は人が通らないが、購買率は高い

文章スペースでの参加です。



数字は全部はメモできませんでしたので、おおよそのものです。確か40名程度の方たちがスペースに足を運んで下さいました。そのうち、85%ぐらいの方が購入されていったので、少なくとも内容的には刺さる人に刺さるのではないかと、思えました。



購買34人/総訪問40人(購買率85%)



この購買率は自信につながりました。出会えれば、買ってもらえる確率は高いクオリティなのだと。


2度目:P&Rで一見さん増加も購買率は低下

文章スペースでの参加です。



ティアズマガジンの掲載効果で100名ぐらいの方に来訪いただいた気がします。前回の2.5倍です。ただ、掲載によって目立っただけで、自分の同人誌が合うとは限りませんので、購買率は確か70%ぐらいに低下しました。



購買70人/総訪問100人(購買率70%)



こうしてみると、如何に母数が大切なのかもわかります。少なくとも読まれた上で購入されないのは自分の作品の問題ですし、相手の都合(趣味に合わない・予算・荷物の都合)にもよるでしょう。


3度目:一見さん激増・購買率は低下

分厚すぎた『英国メイドの世界』を搬入をするので、文章スペースではなく、壁を希望し、通りました。2008年9月にアキバBlog様で『英国メイドの世界』が取り上げられ、かつティアズマガジンにも掲載されたコミティア86の時です。これは久我にとってコミティアのピークでした。



購買186人/総訪問319人(購買率58%)



数字だけ見ると、いかに宣伝効果が大きいのかわかります。一見が多い分だけ購買率も低下しますが、それでも記録1回目の「8倍」訪問しているのですから、1度目よりも部数が出て当然です。コミケではジャンル効果があって、配置場所にもよりますが少なくとも300〜400人ぐらいは訪問してもらえていると思います。コミケが、そしてジャンル効果がいかに大きいのか、という数字にもなります。(尚、新刊をコミケでしか出していないので、新刊が無いコミティアは訪問数が相対的に少なくなっているはずです)



ちなみに、「壁」だという理由で買われるほどコミティアは甘くないです。これ以降、コミティアで2度壁になりましたが、話題性が去ったので、訪問者数は文章サークルの時と変わらないぐらいに落ち込みました。壁はある意味「ノージャンル」で、そのサークル目当ての人は大勢来ますが、そこに該当しないサークルの交通量は極めて少ないのです。自分のサークルで言えば、一見さんに出会う確率は、「壁以外」の方が、高いかもしれません。


「読まれていないならば読まれる工夫を」

上記のような自分のサークルへの「訪問数」を言える方は、どれだけいるでしょうか?(時間に余裕がないと出来ないのですが)



まず自分の状況を理解しないと、手の打ちようがありません。読んで欲しいならば、訪問数を増やすのが望ましいですが、人に取り上げられるかは運にもよります。その辺のノウハウはジャンルや作品によって異なりすぎて一般化できません。自分が完璧にそれを出来ていれば、きっとここにはいないでしょう。



正直なところ、母数を増やすのが一番難しいです。



商業作家/プロ、ニュースサイト、ネットで活動など同人イベント以外での活動で多くの読者と接点を持っている人が強いですが、そこに参入していくのが活動の本筋として正しいかもわかりませんし、結果が出るとも限りません。久我が心がけていたのは、少なくとも「日本に存在しないもの作る」=「そこにしかない価値を作る」ことでしたし、それをネットで伝えていくことでした。



話が逸れましたが、言いたいことは「読まれているのかいないのか」をまず把握すること、です。ジャンルによって対応は違ってきますし、そこを自分で考えるのも同人活動だと思います。解決策を出せるものではないので、考えるヒントにでもなれば、幸いです。



同人は部数がすべてではないですし、部数のために自分が描きたくもない本を作るのは本末転倒(主目的が売上ならば否定はしません)です。だから、出来るだけ自分が作った好きな本が評価されるように、それでモチベーションが上がるように、組み立てていくのは、荊の道ですが、正攻法だと思います。



自分の本に自信を持ち、時間とコストを費やしてきたならば、多くの方に読んで欲しいと思うのは当然ですし、読んだ人のプラスになる自負があればこそ、わざわざ作っているはずです。部数は、「どれだけの人に届いたか」の見えやすい結果になります。



では、もともと「交通量」が少ないオリジナルや人気ジャンルではない同人サークルに、読者と出会う機会や、頒布数を伸ばす機会はないのでしょうか?



そうは思いません。工夫の余地はあります。


[3]「訪問されて読まれない理由」を把握する

先ほど大きく取り上げたは「交通量」ですが、次に考えるべきは購読率です。来た人に、手にとってもらえているのか、いないのか? 母数を増やすことは非常に難しいことです。貴重な訪問してくれる人がいるならば、その機会を最大限に活用するのが肝要です。



こちらについてはかなりの数ノウハウが出ていますし、ほとんどの場合はスペース上のディスプレイの話になるでしょう。同人イベントの大前提として、訪問される方の時間とお金は限られています。本を読めばわかるといっても、読んでくれるとは限りませんし、そんな義理もありません。読んで欲しいならば、「わかりやすく、伝える」努力をするのが、建設的です。


1:値段はわかりやすいか?

買い物をする時、最も気になるのは値段です。ショップ運営に学べるところも多いと思いますが、他の人がやっていることを真似ておくのが楽ですし、安心感もあります。


2:内容はわかりやすいか?

一番重要です。



文章系は特に同人イベントだけで判断するのはほぼ無理です。ならば概要やあらすじを紹介するのが親切です。キャッチコピーのようなものです。読んで欲しいならば、「何が同人誌の魅力なのか」を伝える努力はすべきです。「読めば魅力がわかる」としても、まず「読まれてない」のですから。


3:言葉の選び方は適切か?

ブログタイトルでアクセス数が違うように、同じコンテンツであっても「興味を引くか」「相手のニーズに合っているか」で、まったく動きが違います。スペース上から訪問者に訴える言葉は、適切ですか?



これは、意外と奥深いもので、具体例があります。



久我が作った同人誌7巻は「男性使用人」を扱っていましたが、正直、時代が早かったのか、あまり売れていませんでした。しかし、ある時期、執事喫茶経由で執事を知って来訪された方がいるのを知り、執事喫茶に登場するものの日本ではほとんど情報がない男性使用人職「フットマン」の文字を概要に追加したところ、女性が買われる確率が高くなりました。



この経験を元に、『とらのあな』に部数が出ず断られていた7巻の委託を、「執事喫茶のある池袋の店舗で再開して欲しい」と交渉したところ、成功しました。そして、委託した部数は完売しました。伝え方一つで、変わります。


4:「読んで欲しい」=「卑屈にならない」

同人活動で大切なのは、自分の作品の魅力を伝える「広報」力だと思います。飲食店と同じですが、「お口にあうかどうか……」と不安そうに言われるよりも、「美味しいですよ!」と笑顔で言われる方が、いいです。



実際に美味しくなければ、二度と足を運ばないだけですし、美味しくないものをさも美味しいように伝えるべきともいいません。ただ作品の産みの親が「美味しい!」と自信を持ち、愛せるものでなければ、読んでくれる方に失礼ではないでしょうか?



自分の作品の味方は、自分です。美味しい自信があるならば、相手に伝わるように伝えるのが良いです。


[4]「読まれて買われない理由」を把握する

さて、ようやく手に取ってもらえたとしても、そして読んでもらえたとしても買われないことは普通に起こります。こちらは「作品の質」や「相性」だと思われがちですし、その側面が非常に大きいですが、それだけではありません。久我のように既刊が多い長期で続けるサークル向けの視点ですが、ここに「買いやすさ」を考えるヒントがあります。



なぜ、読まれて買われないのか?



スペースに訪問された方は様々なヒントをくれています。そこに気づくと、改善の余地が様々に見えてきます。同人イベントに参加していると、購買パターンが見えてきます。リピーターの方は別として、久我のサークルに訪問した一見の方の行動はだいたい次のようになります。



■A:購入する場合
1:新刊を試し買いする。

2:一番古い巻(シリーズ物の1巻)を買う

3:全部買う



■B:購入しない場合
1:全部読んで、買わない

2:新刊だけを読んで買わない

3:一番古い巻(シリーズ物の1巻)だけを読んで買わない

4:めくって、すぐ去る



「購入する場合」については購入されているので(その購入行動にも学ぶ余地があり、なぜ買ったのかを把握するのも次に繋がるヒントですが)ここでは扱いません。



では「購入しない」場合、どこに改善の余地はあるでしょうか?


1:全部読んで、買わない

これは己の実力不足と相手とのニーズとのミスマッチ(内容の方向性、同人誌のレベル、予算、荷物の都合など)で、どうしようもありません。読んでいただいたことに感謝しましょう。



己の腕を磨くしかありません。


2:新刊だけを読んで買わない

自分にとって最新刊は常に最高傑作(自分が成長中という意味において、時間経過は味方する)との思いもあって、そこで評価を下されるのは、仕方がありません。久我は、「欲しいと思わない人に、無理に買って欲しい」とは望んでいません。しかし、もしかすると既刊にその方の琴線に触れるものがあるかもしれません。



その時、大切になってくるのが前述したディスプレイのわかりやすさ、です。目に入って判断してもらえ、かつその人にニーズがあるならば、それ以外にも手を伸ばしてもらえるでしょう。


3:一番古い巻(シリーズ物の1巻)だけを読んで買わない

これが、一番残念な結果です。そして、事実として、久我のサークルで一番起こった結果です。久我の本は資料本という性質上、頒布期間が長すぎ、また扱いたい題材を一度に作れないので毎回研究発表して、徐々に空白を埋めていくシリーズ物だったので、欠点がありました。



シリーズ物の体裁で売っているので、確かに普通に考えれば1巻を手にします。しかし、1巻は自分の実力が最も低かった時期の作品です。もしかすると新刊や、他の巻を読めば興味を持ってもらえたかもしれないのに、一番未熟な本を読んでそれがすべてだと判断されるのは、不本意です。1回のイベントで5〜10人ぐらい、いたと思います。母数と累積するその数を考えると、無視できない数字です。これを改善するため、伝え方を変える(各巻は独立しており、自分が必要なテーマを選んでもらう)方法を行い、そこそこ出たような気がします。



もうひとつ、ここで学んだことは「シリーズ物は買いにくい」ことです。総集編準備のため1〜4巻を廃刊にした後、内容としては独立している5巻以降が動きにくくなりました。「1巻(総集編)が出たら買います」と、直接言ってくれる読者の方もいました。確かに、9年間の活動で、数多く頒布できた上位の同人誌は2001年に作った「1巻」でした。このことから、「総集編を出したら、買いやすさが劇的に向上する」のではないかと、考えました。


4:めくって、すぐ去る

これは「文章サークル」以外の「歴史」でコミティアに参加した時、そこそこ見た行動です。「あ、文章か」という感じなのでしょう。マンガを求めているのに、文章に遭遇するのは、確かに嬉しくないでしょう。その点では手を伸ばす前に、「文章サークル」と分かるように示すのも、お互いにとっていいかもしれません。


自分の本を固定で買って下さる方の数を知る

そもそも的には、新刊頒布時にいつも来てくださる方の数はざっくりとでも把握するべきだと思います。「新刊下さい」とだけ言われる方、ですね。次第に増えていればサークルのファンが増えていることを意味しますし、減っているならば一過性のものや、期待を裏切る何かをやってしまったことになるでしょう。



ただ夏と冬や様々な要因で変動があるので、新刊の初動(久我の場合は必ずコミケでリリースなのでその時の新刊数字)を何回分かで平均したものでざっくり判断しています。



これが「流行」に左右されない自力だと思います。


[5]総集編部数決定のプロセスとその結果

以上の経験と、コミケでいつもご来訪いただける方々(リピーターと定義)をベースに、総集編の部数は算出しました。



1:リピーター(200〜250前後)

2:これまでの頒布数(1巻は最大700/イベント+委託含む)

3:「総集編」による新規効果(3年で300を想定)



1と2は重複するものの、3の強さを体感していたので、3年かければなんとか頒布しきれるだろうという計算の元、1,000部の印刷に踏み切りました。



以下はその結果分かったことです。


1:分厚いことの宣伝効果とイベント頒布の弱さ

コミケカタログより分厚い」「1キログラム」は結果論でしたが、宣伝効果になりましたし、スペースで訪問される方との間の楽しい話題になりました。目立つので、非常に強力な素材でした。



その一方で、「重いから買えない」と告げた方がかなりいたのも勉強になりました。確かに最初に買うと行動が制限されますし、明らかに手にしたバッグに入らないであろう方々もいました。これは意外な発見でした。



分厚さの評価は、本の質的な内容とは直接関係しません。同人は内容だけではなく、「本の情熱」「異質性」でも評価してもらえる余地があります。努力したところが評価されるのはアマチュアならではかもしれません。


2:言い切れる・わかりやすい

総集編だったので、内容がはっきりしています。「これ一冊でわかる」、という言い方をしたので、自信を持てました。すっきりと説明できました。わかりやすいので、買いやすかったのでしょう。


3:取り上げられる可能性が高まる

1と2などがあいまってか、アキバBlog様やティアズマガジンにて掲載される結果となり、一見の方に「気づいてもらえる」機会が増えました。その結果、3年間の予想が3ヶ月になる結果となりましたし、400部の増刷を行うことにも繋がりました。


4:限界を知る

今回の結果は、「総集編」独自のものとそれによる追い風が強く、決して自分のブランドが上がったものではありません。なので、次の冬コミで印刷した部数は控えめにしました。そして、その判断は正しいものでした。



自分の本がなぜ売れたのかを考えておくと、「次」の判断をする時に見誤りにくくなると思います。失敗が少なければ凹みにくく、同人活動の無理も生じません。自分のサークルは自分にとってはonlyですが、他の人からすればone of themです。忘れられることも多いでしょう。次に来てくれないのは残念ですが、一期一会で出会えた幸運に感謝して、それ以上を求めすぎないことも意識しています。


[終わりに]一番大切なのは試行錯誤・「考えて」「次に生かすこと」

以上、部数決定に際して「自分がいる場所を理解する」ことが大切だと書きました。ここまで観察されている方は少ないと思いますし、おかしいぐらいに同人活動を「考えて」していると自覚はあります。


伝えたいことは伝えられていますか?

なぜ本を作るのでしょうか?



イベントに参加したいだけならば、本を作る必要はありません。自分が作りたい、表現したい、そしてその表現の先には必ず読者がいます。読者がいなければ本は存在しないも同じです。久我の個人的な考え方では、伝えたい相手に伝えたいことが伝わらないものに、意味はありません。相手に応じて、相手に伝わるように、相手に理解できる言葉で、伝えるように工夫が必要になります。



大切なのは、プロセスではなく結果です。久我の考える同人誌においては「テーマが伝わる」「伝えたいことが、伝わる」ことが「結果」です。伝わるためには、まず読まれなければなりません。読まれるためには、読んでもらえる場所にいくしかありません。その工夫を惜しんでは、届きません。



訪問の絶対数はいかんともしがたい部分はありますが、少なくとも訪問した方にわかりやすく本の内容を伝えたり、なぜ買わなかったのかを考えて不具合と思える箇所を修正したりする改善の余地は残っています。



良い作品を作ろうと目指すことは絶対に必要ですが、頒布においても努力する余地はあるはずですし、自分もまだまだいっぱい改善する場所はあります。少なくとも、読者の反応を見る機会は同人イベントなればこそ、与えられています。なので、「売れた部数」ではなく、「手にした人」を見るのが、大切だと思うのです。



「売れない自分」だけを見て、ヒントを見逃すのはもったいないです。これが、伝えたいことです。


得ることを増やして楽しむ気持ちで続ける

ここまで書きましたが、これが正解かどうかは、わかりません。また、同人活動は努力をしたとしても伸びしろが大きいといえません。金銭で見れば、同じ時間と情熱を注ぐならば、仕事に費やした方が得られる金額は大きいでしょう。



なので、同人でしか得られない価値は何か、というのを明確にできず、自分で見つけられないと、生活の中での同人活動の優先順位が下がり、続かなくなる可能性が高くなります。同人は好きで続ける活動、好きでしか続かない活動ですが、その中で部数が気になるならば、どのポイントが問題なのかを把握し、考えていくことは大切だと思います。今出来なくても、続けることで生まれる価値はあるはずです。



ここまで長く活動を続けた末に1,000部を刷る「決心」をでき、それを頒布しきることもできました。それは、1桁しか部数が出なかった体験があっても、止めなかったからですし、学んできたからです。


相手を知り、己を知る

膨大な失敗に凹まずに続けてきて、今があります。創作自体にこのエネルギーを向けるべき、と思われるかもしれません。しかし、その創作が命を得た後、「読者に届くかどうか」まで含めて、同人ならば筆者が考えた方が、楽しいと思います。



親バカです。



届けたい人に届けられるかどうかは不確定要素ですが、「どれぐらいに届かず、また届けられたか」を知ることは参加すれば出来ることです。



部数を刷りすぎて失敗する人もいますが、同人活動を希望的観測だけで行うと、続かなくなったり、辛いことも増えていったりします。居場所を知ることで部数計算の精度も上がりますし、部数ばかりを気にして「訪問している方から教われること」を見落とすのはもったいないです。



同人活動、特にイベント参加はいろんなヒントがいっぱいで、自分が主体的になって試行錯誤できます。自分が置かれている現状を把握し、続けていく上での改善を行う余地があるのをここでお伝えし、活動が少しでも続けやすくなる方が増えるといいなぁと願います。



この辺の話はネットではほとんど見ないので、何かが誰かの役に立てばいいなと思い、書きました。自分の作品に圧倒的な力があれば気にしなくて良いんですが、そうでもないので水面下で一生懸命努力しています。



何かしら同人活動を長く続けている方には、それぞれ「流儀」があるとも思うのです。才能だけではなく、「作品を生み出し続ける環境を作る努力」をしているはずで、そういうのを取材した同人誌を読んでみたいですね。



そういえば偶然ですが、前回は「印刷部数が実際よりも足りなくて困った人向け」で、今回は「印刷部数が想定よりも多すぎて困った人向け」となりました。


『英国メイドの世界』の今

講談社からの出版が決まりました。



行動の結果に出会った縁(2009/11/14)

『英国メイドの世界』、講談社BOXから出版・刊行予定は2010/11/11(2010/11/02)