ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

視点切り替えの難しさ・TRPGユーザとSLGユーザ

今まで、基本的に家事使用人を見る視点は、「個人」を軸にしていました。多分、それが自分の強みでもあり、個性であるとも思います。元々屋敷に興味があって、そこに生きたのは誰で、働いていたのはこの人である、というふうに、「自分がそこにいるものとして、見える世界を広げる」「自分の代理人として、視点を持つ家事使用人の手記を好む」傾向がありました。



今回、出版化に際しては今までよりも遥かに使用人の歴史や時代背景、いわば個人を離れた集合としての視点、職業構造というものに視点を広げています。しかし、そうすると自分の好きな視点を離れることでの不具合や、社会的な問題にぶつかった時、どうしても現代的な比較での評価を入れてしまいがちになっていることに気づきました。



元々、「ヴィクトリア朝の労働者階級はひどい状況にあった」、その中で「家事使用人は比較的恵まれた生活環境にあった」、その認識は変わっていないのですが、そこを今回書いている中で自分でも忘れてしまってもいますし、相対的に「恵まれているはず」なのに、進んでいる「現代との比較」で無意識的に評価を下してしまっているのです。



事実と主観的な評価、さらには現代からの評価は切り離しておくべきものもあり、その辺のさじ加減で、今苦労しています。ただ、家事使用人職の構造的問題を、少なくとも20世紀前半の英国政府は正確に把握しており、何回かに渡る正式レポート(手元にある1916年と1923年の2冊)では、しっかり記されています。



そこは、筆者の誠意として、また分かりやすく既存の和書でも扱っていない領域なので、伝えなければならない要素だとは思っています。あと、そこに集まっているメイドたちの声も、正直な所、高望みするものは少なく、「労働時間を決めてくれ」「オフをしっかりして欲しい」「メイドはなんでそんなにメディアで揶揄されるし、社会的に不人気なの?」と、雇用主や社会(メディア・帰属集団)が改善の意思を持てば、改善するように思える要求に収まっているように思えます。



少なくとも、メイドたちも問題を正確に把握し、自分たちで改善できないから、改善する力のある人に求めているわけで、雇用主と政府が何もしなかったことが、家事使用人産業の不人気となった、というのは結論として導き出せる答えにはなります。



しかし、現代でも、「社会人は楽しい?」「働くことは楽しい?」と聞いてみて、その回答が職場や個人の資質に大きく依存するのは同じで、相対的なものでもあります。確かに労働条件が遥かに改善されていても、過労死する人や鬱病になる人が後を絶たない、そして残業代の未払いがあるように、また、失業がいつまでも社会問題であるように、今が最善であるとも限りません。



結局、雇用主の運用と社会による適切な監督が大きいです。家事使用人産業は、その運用する人の影響が非常に大きく、監督者が不在でもあり、プラスにもマイナスにも作用して、どちらかというとマイナスに偏りやすい構造をしていて(裕福ではない中流階級が雇うメイド=賃金が安い=未熟=不満足で厳しく当たる)、極端な事例が集まっているのかなとも考えますが、結論の出し方や共感しえる要素をいかに伝えられるかが、今、直面する課題です。



あ、タイトルは「個人の視点で見るTRPGスタイル」の研究者が、それよりは好みではない「SLGスタイル」で戦っている、という意味です。好みではないことと苦手ではないことはまた違っていて、自分として調べている成果に納得していますし、十分に満足できるものですが、バランスの良い落としどころを探している感じなのです。



本来は読者の方には他の本を比較して読んで欲しいとも思うのですが、今回は「もしかするとこの1冊しか読まない」方が、相当な数で対象になるかもしれないので、そこは気をつけています。