ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

魔王と勇者の物語から受け取ったもの

昔読んだ『坂の上の雲』や『竜馬がゆく』で扱う題材がテレビドラマ化される中で、これらの作品は「その刊行当時、自分たちの社会や国を考え直す作品」としての位置づけがあったと思います。確か、ヴェネツィアを扱った塩野七生さんの『海の都の物語』や国家の栄枯盛衰を扱った『ローマ人の物語』も同様で、個人的にはこの界隈の小説が大好きです。



若い人向けの小説、という表現で良いのかわかりませんが、こうした国家や社会について大局的にものを見る小説の中には、『銀河英雄伝説』があります。ただ、相当前の日本で作られた作品で、普遍性があるとはいえ、今の時代は映していません。そこで、今の時代に『銀河英雄伝説』的な視点で物を見る、今を生きる世界の視点を相対化する小説ってあるのかなぁ、あったら読みたいと思っていたところに出会ったのが、最近、ウェブで熱くなっている『魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」』(以下、『まおゆう』)でした。



『ナウシカ』や『ガンダム』の「その先の物語」とは何か。



このブログを読んで、ちょうど気にしていた『銀英伝』的なものを指摘されていたので興味を持ち、読み始めました。特に、『あの丘の向こうに何があるんだろう?』との魔王の問いかけは、高度経済成長期の日本人に向けて描かれた『坂の上の雲』にも通じる物を感じました。




楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながら歩く。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。(『坂の上の雲』第一巻「あとがき」より引用)


今の日本はその坂を登り切った先の状況ですが、そこは様々に混沌としているように思えます。坂を上った後には何が広がっていて、その先にはまた坂があるかもしれない、崖かもしれない、平原かもしれない、何もないかもしれない。ただ、産業革命に代表される近代的な意味での経済成長に依存したシステム(商工業による生産・資源の活用)は環境破壊や資源の枯渇の末の戦争などを引き起こしているわけで、現在のシステム自体が問い直されている時期にあるとは感じています。努力すれば報われるとしても、何を努力していいのか分からない、様々なルールが壊れている現状認識に立つ私は、「この先、何が確立していくのか」「どうしたらいいのか」の答えを考えていますので、魔王が言うところの「丘の向こう」を知りたい想いに強く共感しました。



読むと非常に面白く、止まりませんでした。人類の文明の変遷・技術の発展、そして何よりも人の可能性を感じさせてくれる、歴史を振り返らせてくれる題材に満ちた作品で、一気に読みました。



以下ネタばれになるので、他の人と被らない範囲で自分が興味を持った点について書きます。主に自分がどこに響いたのかのメモです。






























丘を目指す人々=産業革命以降の現代人か

私は英国のメイド雇用の歴史を研究していて、産業革命以降の国の発展と豊かになっていく構造に興味を持っています。イギリスで見られた雇用の流れは「商工業で都市が発展」(経済力を持つ)「仕事がない地方から、スキルがなくても勤められるメイドとして働く」(経済力がない)で、経済格差があればあるほどメイドになる人々の人件費が低く、一方で富裕化する人々は家事を他の時間に費やすために雇用を進めました。



今、世界各国の経済発展はだいたいイギリスと似た構造を辿っていて、産業革命的な軽工業→重工業→電機・クルマ製造という流れでの市場開拓は繰り返し、イギリス・日本・アメリカのような先進国から中国や韓国、他の国々へと広がっています。同様に、国内での鉄道の広がり、自動車の普及はインフラ開発を呼び込み、経済発展に繋がりました。この投資が一定段階を迎えた国々は、「発展していない国々」を市場とすることを求め、たとえば19世紀末のイギリスでは海外投資が盛んになりました。



中国が万博を行っているのも、最盛期を迎えた大英帝国時代のイギリスを比較すると、随分と興味深いものがありますが、その中国の戦略は時代は違えども似ているところは多いですし、貧富の格差が拡大する中(そして先に経済発展を遂げた香港でも)、メイドの雇用が一部では行われています。シンガポールやブラジル、サウジアラビアなどでも同様ですが、その時、雇用されるのは国内の人材だけではなく、経済格差がある海外の国からの移民が加わっています。



政治体制の相違はあっても国が産業によって発展する構造が似ていて、お金の流れも似ていて、資源の枯渇や奪い合い、競争による格差の拡大は起こっています。また発展した国は国全体が豊かになって人件費が高騰して国際競争力を失い(価格競争面で)、政府機構が肥大化し、さらに高い生活レベルの維持のために社会福祉が膨らみ、国家予算が圧迫される構造も繰り返しているでしょう。豊かになったとしても、行き詰っているように私は思います。



そうした現状認識に立った時に、岡田斗司夫さんの著書『ぼくたちの洗脳社会』を読み、そこで『第三の波』という著作を知りました。まさに、自分が感じていた経済発展の歴史を、『第三の波』は「農耕社会の成立」「産業社会の成立」と位置づけて分かりやすく解説し、腑に落ちるものがありました。



この延長として、「では、産業社会の次は何か」の先を語る「物語」を探していて、出会ったのがこの『まおゆう』ともいえます。(実際には「今」を形作る方の多くの要素に出会えました)


人類発展の歴史

『まおゆう』を読んで感じたのは、人類発展の思想・技術の歴史のインパクトです。多分、この本で描かれる知識をすべて知っている人はいるかもしれません。しかし、このように分かりやすくストーリーに仕立て上げられる人は、非常に少ないでしょう。魔王は最初に「定住して農耕を営む封建的中世までの社会」である人間界に、様々な知識を持ちこみます。私は英国メイドの歴史を学ぶ立場として、イギリスを軸に見ていますが、まず魔王は「農業革命」を引き起こします。



これは耕作地の有効活用と生産力の向上で、産業革命期に人口が増大したイギリスの食糧事情を支えたとされています。影響範囲は多岐に及びますが、他にもヨーロッパへ持ち込まれて今では主要作物として名高いジャガイモも登場し、食糧事情に劇的な変化を引き起こしていきます。



思想面では『まおゆう』の感想を淡々と書き連ねるや、今日上がっていたエントリ「社会科学論ノートからの抜粋 (まおゆうの感想) 」が詳しかったので割愛しますが、十字軍、プロテスタント宗教改革にかかわるようなエピソードも盛り込まれていて、どんな角度からも、多くの読者が多面的に語れる内容になっていて、ここから人類の歴史に興味を持つきっかけになります。



プロテスタントの普及も活版印刷がかかわっていますが、その辺りもきちんと踏襲しつつ、私が非常に面白いと思ったのは、「紙が普及していない社会=読み書き能力が低い=紙を読めない人にどう伝えるか」として、「吟遊詩人」を選んでいる点です。この辺、技術や教育レベルに応じた情報の伝わり方にも注目しているのも秀逸です。(印刷関連の話は以下が参考になります)



本はいつごろから作られたか (集英社文庫―大発見)

本はいつごろから作られたか (集英社文庫―大発見)





また、政府機構の発展や軍事組織の技術史的にも、人類の発展の歴史を踏襲しています。難民救済策として、古代ローマで行われた軍人による土木技術・工兵として社会インフラを整える技法や、軍人を植民させて開拓を行わせる手法、大砲の登場を予期して城壁の構造を変える話(私は『コンスタンティノープルの陥落』『ロードス島攻防記』を連想しました)なども盛り込まれていますし、昔学研で出た戦術本で見たスペインの戦術「テルシオ」的なものも登場していました。知っていることと物語が繋がると、オタクな自分には嬉しいです、はい。



他に特筆すべきものがあれば、「国家政治の複雑化による事務処理の増加・財政の変革・中央集権化」と、「銃の登場が引き起こした国民皆兵の強さ」についての流れが非常にスムーズで分かりやすくなっています。見る人が見れば、どこまでも広げられるでしょう。それだけ、多くの要素を包み込んでいます。



個人的に、『まおゆう』は「仮に、今が不幸に見えたとしても、人間は何とか生活水準を上げる発明をやってきた」「その照らされた技術によって、今がある」「それは技術に限らず、思想や物の見方、国家制度などのシステム含めたすべてにいえる」ことであって、そうした人類が得ている「財産」(マイナスも含めて)を見直し、読者に対して、今の時代の「丘の向こう」を見ようと、問いかけているように感じられます。



ところどころ、物語の中の人々へ向けられた熱いメッセージが込められています。物語の中を生きる多くの人へ向けられた「演説」がこれほど多い作品も珍しいのではないでしょうか。



過去に存在した思想や技術、人々の想いの一つ一つが社会に与えた影響を可視化し、希望を持たせてくれるようにも思います。冒頭の話に出した『第三の波』でいう現代社会を形作る「産業社会」の実現が小説内部では行われ、その行き詰った今の先にある「丘の向こう」の景色を私は見たいと思っていましたが、まず「自分が今いる場所」や「目指すべき丘」を、考えるきっかけを貰いました。



あと、献身するメイド像、日本的な「磨きあげられたメイド表現」は素敵でした。


「丘の向こう」へ通じる道へ

筆者である橙乃ままれさんの最新作ログ・ホライズンは、直截的に書かれていた要素を小説表現としてのものに変え、別の形で現代的な部分を取り上げつつ、非常に面白い作品にしています。こちらも読み進めて、止まりませんでした。ネットゲームを題材にしていますし、個人的にネットゲームをやっていませんし、最近のこの界隈の小説をまったく読んでいませんが、楽しめましたし、久しぶりに「続きが読みたい」境遇を味わいました。



ある種、主人公たちが置かれている境遇は「現代人」が置かれている状況にも転換できます。橙乃ままれさんは、人間を信じている、何かを変えた意志を信じている、そして共通点を探して「繋がり」を生みだす仕組み作りとしての「法」「経済活動」「商行為」を照らし直している感じがします。今の時代の雰囲気を紡ぎ、照らし、「その先を見せる」稀有な作り手に思いますし、『ログ・ホライズン』は連載中で、完結が楽しみです。



それとは別に、何よりも、同じ時代に「閉じ込められたプレイヤー」として現代を生きている立場ですから、良きプレイヤーに出会えるように、プレイヤーと共有できる価値やルールを自分でも見つけていきたいです。



第三の波 (中公文庫 M 178-3)

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銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

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関連リンク

以下、『まおゆう』を読んだことをきっかけのひとつにした、読書遍歴的なものです。



『まおゆう』刊行を記念して、振り返る「近代」関連の書籍(2010/12/04)