ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。同人・出版活動の報告を含みます。

「電子書籍」はアクセス解析的観点で読者を可視化するか

久しぶりに電子書籍の話題です。電子書籍が紙の本ではできないことはいろいろとありますが、中でも、実装によっては「ユーザーの読書の仕方・進行・傾向」まで可視化できる可能性がある点です。(主にコンテンツがウェブにあって計測可能か:GMAIL的なもの。あるいはアプリに計測可能な仕組みがあり、情報を収集する形態か:後者は情報のやり取りに本人の同意が必要でしょう)


ウェブによる可視化と類似した電子書籍

ウェブサイトはいわゆる「アクセス解析」で、ユーザーがどのような検索ワードでサイトに到達し、どのページを見て、どのぐらい滞在したかが分かります。で、これは広告メディアとしてネットがテレビや雑誌と異なる点として強調されるのが、「(少なくともアクセス解析の情報から判断できる範囲において)その広告をユーザーが実際に見ているか、わかる」点です。



メディアに掲載する広告価値の可視化は難しく、テレビであれば視聴率調査ですが、あれはモニターの家庭に機器を設置するのでサンプリングされたものです。録画環境によりまた異なるでしょう。(通信販売のCMは電話での申し込みで、効果が可視化しやすい) 雑誌も一度売ってしまえば「売った」記録は残っても、「広告に接した読者は何%」かまでは計測できませんし、効果指標の一形態として「読者はがき・資料請求数」があげられるでしょう。



こうした媒体の広告効果を可視化する意味で、テレビキャンペーン用の検索ワードをテレビや雑誌などに掲載したり、テレビを見ながらアクセスできる携帯電話を効果の可視化に利用しています。ウェブ万能論のつもりはありませんが、たとえばネット上で閲覧できる動画は「視聴者が何分で離脱したか」まで計測可能です。ウェブはある程度、サービス提供者がサービス享受者の環境を「可視化がしやすい」と言えるでしょう。



前置きが長くなりましたが、「何を可視化できるか」というメディアとしての電子書籍を考えると、今まで出版社が可視化できなかった「実際の漫画や小説などの完読率」(最終ページまで到達したか)や、「読書の周期」(電車で読んでいるのかな? あるいは数年周期で読破されている「大切な一冊」)的なところまで計測されるでしょう。プライバシー関連やPDFなどは抜きにしますし、環境面でも諸々考えないといけないことは多いですが、こうなると、作り手にフィードバックされる情報が多くなります。



紙は「一度刷ったら終わり」といわれますが、ウェブは「公開が始まり」です。ユーザーが訪れた結果から満足度や行動をアクセス解析で観察し、ボリューム調整したり、言葉を変えたりします。出版社の可能性も、作家が得られる新しい機会も、ここにあるのではないかと思います。感想や書評と言うレベルの話は既に可視化されていますので、「実際の体験・声にならない行動」について、です。これは個人を特定すると言うより、「読者の可視化」が、本格的に行われることを意味します。


同人誌即売会で体験した「読者」のアクション

私の事例ですが、以前、1冊1kgあるメイドの資料同人誌を作りました。同人としては大変話題を呼んで最初に刷った1トンが3ヶ月で完売しましたが、今までに「読破した」と告げてくれている方は非常に少ないものでした。辞典的なものですし、「ネタとして買った」というのも当然考えられますが、個人的に「冒頭の章(使用人の歴史)が面白くないから挫折したのだろう」と推測しました。実際、私自身、この章をなかなかうまく作れず、一度は同人誌に掲載するかどうかを悩みました。必要な情報は載せていますが、「楽しんで読ませる」ことには至らなかったからです。



冒頭の第一章から先に進めば、20種類近い使用人の解説を行った章があり、「読み終わらない」と言う方には、「自分が読みたいところだけ読んでみてください」「使用人の一職種だけでも読める作りです」と説明してきました。しかし、それでは不十分で、やはり「最初」は重要です。似たような体験は、同人誌を何冊も作っていた頃、同人誌即売会で「本を手にするのに、読まれない」理由を考えていたときに、していました。




3:一番古い巻(シリーズ物の1巻)だけを読んで買わない



これが、一番残念な結果です。そして、事実として、久我のサークルで一番起こった結果です。久我の本は資料本という性質上、頒布期間が長すぎ、また扱いたい題材を一度に作れないので毎回研究発表して、徐々に空白を埋めていくシリーズ物だったので、欠点がありました。



シリーズ物の体裁で売っているので、確かに普通に考えれば1巻を手にします。しかし、1巻は自分の実力が最も低かった時期の作品です。もしかすると新刊や、他の巻を読めば興味を持ってもらえたかもしれないのに、一番未熟な本を読んでそれがすべてだと判断されるのは、不本意です。1回のイベントで5〜10 人ぐらい、いたと思います。母数と累積するその数を考えると、無視できない数字です。これを改善するため、伝え方を変える(各巻は独立しており、自分が必要なテーマを選んでもらう)方法を行い、そこそこ出たような気がします。



同人誌1トンを刷った経緯と部数決定のプロセス


以上の経験から「『最初』が面白くないと分かりにくいし、伝わらないし、読まれないかもしれない」と考え、上記同人誌の商業出版が決まった際には編集の方に上記経緯を話し、なるべく「最初は読みやすく」「世界を感じやすいようにしたい」、また「この本は『情報』だけではなく、『全体を理解しやすくする』ようにしたい」と、新しい章を設け、流れを分かりやすくする試みをしています。


ウェブ的なスタイル

本の種類にもよりますが、電子書籍をこの延長線上で考えると、作り手は「読者がどこで読まなくなっているか」と言う情報を得ることで、本の改善を行う機会を得られるのではないか、というのが私が考えることです。紙の本では一度印刷すると修正は難しくなりますが、そうではなくなります。



もちろん、これは作家が衝撃を受けるデータが出る可能性を秘めています。しかし、改善して「作り直す」機会に恵まれることで、作品の概念も変わってくるのではないかと思います。書き直すことで改悪されるかもしれませんが、書き直すことでよくなるものもあるでしょうし、紙で行うよりは行いやすくなるでしょう。



編集をされる方には当たり前かもしれませんが、情報の出し方、順番ひとつで読者の感じ方は大きく異なります。その順番を少し変えるだけで、読者が体験する「流れ」が変わるかもしれません。そういう意味では編集は必須だと思いますし、データが編集の仕事に寄与する可能性もあるのではないでしょうか。(読者のパターンごとに構成が変化する雑誌とかもあるかも)



何かしら、作ったものを可視化し、反響を得て、良い作品作りを目指すスタンスとして興味深かったのは、以前感想「魔王と勇者の物語から受け取ったもの」を書いた作品の作者・橙乃ままれさんのコメントです。編集を、「ウェブに委ねる」というのでしょうか。






これらに加えて、読書行動と言う「感想ではない」データが電子書籍にも持ち込まれ、作品の発表後、より「生き物」のように成長していく、揉まれていく。初期の読者の反響を受けて改修されていく、そんな作り方も増えていくのではないかと、私は思っています。



電子書籍は、読者の体験を「可視化」する可能性を秘めています。それ自体は大きな機会です。そのあたりを考察している人がいるかなぁと探してみたところ、こちらのCMSとIAの専門家で、かつアクセス解析でウェブを可視化される方の記事が、より深く広く語られていて、響くものがありました。



CMS+IA (2):コンテンツの意味と価値を読み解く