ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

宮崎駿監督アニメの服装とメイド服イメージについて

昨日、『ルパン三世 カリオストロの城』を見ました。クラリスの衣装を見ていて「いいなぁ」と思いつつ(潜入中の不二子の服装もですね)、あらためて「宮崎駿監督的スカート・袖・ドレス」の描写が、ヨーロッパ的でかつクラシカルな雰囲気の衣装の原点のひとつ(現代日本で「クラシカル」と呼ばれるメイド服のデザイン含めて)ではないかと、感じました。



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メイド服とは、宮崎駿監督作品の要素の一部を具現化したもので、宮崎監督作品が国民的映画として慣れ親しんだ日本人なればこそ、受け入れられている(間口の広さは不明ですが)のではないか、という仮説を私は持っています。



メイドブームがどう成立したかではなく、「誰がメイドブームを受け入れたか」という観点での考察を交えつつ、話を広げて行きます。相変わらず直感に頼っていますが、この辺りは後日調査したいと思っていますし、大学生で服飾関係・メイドブームを考察したい方はこの観点での論考はいかがでしょうか?(人頼み)


目次

  • 宮崎アニメによる「クラシック」な服装描写
  • ヨーロッパ的なるものとメイドブーム(を受け入れた方々)との関連
  • 余談:「ヴィクトリア朝的服装表現」とメイド表現と
    • 日本のメイドブーム関連
    • イギリスのメイドブーム関連(1970年代)


宮崎アニメによる「クラシック」な服装描写

以前、『借りぐらしのアリエッティ』感想とスタジオジブリが描く「風景」(2010/08/08)という感想を書きましたが、『カリオストロの城』を見て、同様のことを想起しました。



ここでクラリスのエンディング付近のドレス(ウェディングドレス)の話に飛びますが、緩やかなラインのスカートに袖がやや膨らんだ、「クラシックっぽい」デザインをしています。ふと思い出したのは、ヴィクトリア朝を舞台にした貴族の屋敷での人間模様を描いたコミックス『Under the Rose』の作者・船戸明里さんによる、「ヴィクトリア朝らしい袖」についての言及です。



作画ミスについてと題する日記の中で、自身が作品で描いた作品での描写について、「描いたデザインはヴィクトリア朝のある一時期のものに過ぎず、全体を代表していない」と、解説をされています。全文を是非読んでいただきたいのですが、この中で非常に面白い指摘が、その袖のデザインを船戸明里さんに刷り込んだ作品が、宮崎駿監督もかかわっていた『名探偵ホームズ』(犬ホームズ)を挙げている点です。




ヴィクトリア朝といえばあの袖」は、間違った感覚であると言い切ってみます。



私が刷り込まれたのは、犬ホームズのハドスン夫人なんですけれども。



めもちょう作画ミスについてより引用


私がここで思い起こすのは、ヴィクトリア朝メイドのロマンスを描いた『エマ』の作者・森薫さんのコメントとしてもハドソン夫人の名があがっていたことです。それは、『エマ ヴィクトリアンガイド』で、森さんが尊敬する漫画家・竹本泉さんとの対談の中で出てきます。




竹本 そういう森さんはメイドはずっとお好きなんですか? きっかけ?
森 きっかけは『ホームズ』のハドソン夫人かな? メイドじゃないけどああいう立場の人が好きなんです。家族じゃないけど世話してくれる人みたいな。
『エマ ヴィクトリアンガイド』P.149より引用


ここでは主に立場的な話になっていますが、森薫さんの表現で宮崎駿監督作品、特にハドソン夫人描写で重なるのは、「走る女性」の姿です。スカートを持って全力で走り、そのときにドロワーズが見える描写(知人の方いわく「ドロチラ」)は宮崎駿監督作品でも見られる描写です。強引な主観かもしれませんが、『エマ』5巻で火事のエピソードで全力で走るエマの躍動感は『名探偵ホームズ』で飛行機を操縦するハドソン夫人に重なります。



宮崎駿監督作品では「全力で走る女性」と「緩やかなラインのスカート」を両立させるためにドロチラが成立していると思いますが、と本筋からずれてきましたが、日本を代表するヴィクトリア朝作品を描かれる漫画家の方々に影響を当てている点で、この界隈の表現と宮崎監督作品は切り離せないのではないかと思うのです。


ヨーロッパ的なるものとメイドブーム(を受け入れた方々)との関連

なぜこの領域の作品が強い影響を受けたのかに、私は興味があり、仮説として、世界名作劇場などのアニメと、過去に放送していた海外ドラマの影響があったことを考えています。そして、こうした諸作品に接していたのは漫画家の方たちだけではなく、私たち読者・視聴者も含まれており、それがメイドブームの広がりに繋がったのではないかと考えています。



私が見た範囲の出来事を、日本ヴィクトリア朝文化研究学会にコラム「日本におけるメイド受容とメイドの魅力」を寄稿しましたが、その際、担当いただいた大学の先生の方から、「『世界名作劇場』がヴィクトリア朝を学ぶきっかけの一つだったかもしれない」との感想をいただきました。



後日、データを増やしたいと思いますが、まず私をサンプルとして振り返ってみます。私は19世紀的な生活文化の描写が好きです。その原点は子供の頃に見た世界名作(アニメ)やその原作小説でしょう。『若草物語』『トム・ソーヤの冒険』、『小公子』『小公女』『秘密の花園』などの作品は今でも覚えていますし(『赤毛のアン』はなぜか、重なっていないのですが)、メイド服に見られるゆるやかなラインのスカートのデザインが好きなのは、確実に『若草物語』の影響です。同人活動の原点の一つは『若草物語』における生活描写への関心(クリスマスプレゼントのお返し、モスリンやライム、失敗した昼食会など)や、時系列を知りたいと思って原作を読み込んで整理したことでした。



アニメだけではなく、英米文学作品、そして映画やドラマも入り口になるでしょう。船戸明里さんはかつて放映されたドラマ『赤毛のアン』『アボンリーへの道』『大草原の小さな家』や『ドクター・クィン』などを日記で紹介されていますし、森薫さんはオペラを題材にした作品を描かれるように衣装劇にも目を向けられています。私も、屋敷へ強い関心を持った原点はアガサ・クリスティー原作のドラマ『名探偵ポワロ』です。



多分、私と同年代(前後10年)の年齢層の方にとって、アニメ作品(宮崎駿監督作品含む)、英米文学(高校や大学で学んだかもしれない)、NHKなど地上波で放映されたドラマシリーズ(ホームズ、ポワロ、赤毛のアン、場合によっては『高慢と偏見』)は非常に幅広く接する機会があったはずで、メイド喫茶で描かれる「クラシカルなメイド」とは、これら諸作品に接してきた人々にとって「作品世界が具現化した」存在ではないか、ヴィクトリア朝や館、メイドの作品は受け入れられるのではないか、というのが私の仮説です。



誰もが最初からメイドの魅力にゼロから目覚めたのではなく、「メイドが表象する何かしらの要素」と、「自分が接してきた諸作品」とが響きあったからと。その接してきた作品に宮崎駿監督がかかわる作品(『カリオストロの城』『天空の城ラピュタ』『魔女の宅急便』『ハウルの動く城』。『耳をすませば』と『借りぐらしのアリエッティ』ではヨーロッパ的描写)が含まれるならば、受容する人たちの間に年代の断絶はないのかもしれません。


余談:「ヴィクトリア朝的服装表現」とメイド表現と

私の考察は以上となりますが、先ほどご紹介した船戸明里さんの日記に、「ヴィクトリア朝的とされた袖」について、メイドブームのヒントになるコメントがあります。




あの袖が日本の漫画アニメブームで流行ったのは、本物の「当時の資料」(資料を見て作られたものは映画も漫画も「当時の資料」にはなりません)抜きに「人の絵を見て描く」ことを繰り返した結果ではないでしょうか。



 コピー、孫コピー、ひ孫コピー、と複製されていつの間にか本物よりも本物らしく市民権得ちゃったみたいな。



めもちょう作画ミスについてより引用


船戸明里さんはヴィクトリア朝を昭和になぞらえていますが、まさに、昭和前期と末期がまったく違う生活レベル、文化でした。「ヴィクトリア朝」という時代も昭和と同じくらい続いていたわけで、前期と末期が同一なはずもありません。しかし、細分化していくと大変なわけで、情報量が膨大になります。何かを伝えていく上で情報が理解されやすい形で簡略化されていくのは必然です。話は逸れますが、その言葉は、資料を作っている私自身にも返ってきます。



メイド表現も「何が本物」であったかはさておき、表現が様々な手段で繰り返され、相互に参考にされる(イメージの相乗り)うちに、ブームとなっていったのだと思いますし、メイドブームを理解する上での難しさも、「この考察は、どの資料に依拠しているのか」が自分には分かりにくかったことにもあります。



そういう意味で、年代別・時代別のメイド服(表現、実在を問わず)をリスト化したいなぁと妄想していますし、それによってメイドを見る眼差しも見えてくるのではないかと思います。



この辺りは前回も取り上げましたが、『創られた伝統』が重なります。スコットランドの「古くからの伝統」と思える「部族によって異なるキルト」が、実は産業革命期に創られた新しい「伝統」に過ぎない(リンク先:BBCの講義)、というのです。


創られた伝統 (文化人類学叢書)

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(2010/10/10:注:200年経過したものは「新しい」とはいえず、「伝統」と主観的に認識されるのではないかとの質問がありました。この点、おっしゃるとおりです。私の意図としては、「18世紀に『伝統』とされた出来事」=その時点では伝統ではないことが、200年後にあっては『伝統』となりつつも「200年よりさらに以前の古来からの出来事として認識される」ことがある、という意図で「新しい」と書きました)



キルトに限らず、日本でも観光資源として伝統が創られることは多くありますが、ブームを引き起こしたメイドは半世紀後の日本で語り継がれて、「日本の伝統」となっているでしょうか? 半世紀後の方が現在の諸作品を見たとき、「どうしてメイドがそこかしこに登場するのか」「日本はメイドが雇用されていたのか?」と誤解するのでしょうか。



さらにどうでもいい余談ですが、DVD版とBlu-ray版でクラリスの衣装が違うのはなぜでしょう。Blu-ray版は長袖、DVD版は半袖+手袋ですね。



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ルパン三世 - カリオストロの城 [DVD]

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