ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『ウェブで学ぶ』から思うこと

ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命 (ちくま新書)

ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命 (ちくま新書)





以前から書き連ねていた物を更新します。本の感想と、私が英国貴族の屋敷や、そこで働くメイドや執事などを調べて本を作ることができたことへのネットの影響を段階的に振り返って見ました。後半は本書の趣旨と外れる事項ですが、ネットサービスが無ければ実現できないことが多かったので、ご参考までに。


目次

  1. 英語圏の圧倒的な「共有」の意思
  2. 個人が学ぶ環境としてのインターネット(自分の体験談)
  3. 知識を繋いで、人を繋ぐ

英語圏の圧倒的な「共有」の意思

梅田望夫さんの最新作で、『ウェブ進化論』に続く系譜で、現在インターネットで進行中の「オープンエデュケーション」について詳しく触れられた一冊です。著者は梅田さんと、実際に以前からアメリカの教育現場(MIT)でこうした流れに参加されている飯吉透さんのお二方で、非常に濃密な内容になっています。インパクトとしては『ウェブ進化論』的だと思いますし、今のタイミングで読んでいて良かったと思える内容です。



私個人はiPadを購入した際にコンテンツを探していたところ、iTunesUに気づいていくつか映像や講義の音声コンテンツをダウンロードしており、その意味ではほんのわずかにせよ、こうした英語圏の教育コンテンツに親しんでいるつもりでした。そのときでさえ、選択できる大学の多さに圧倒されましたが、梅田さんと飯吉さんの語られる世界は、その数倍の密度をもって感じられ、正直な感想として、ここまでアメリカを中心とした英語圏で「大学レベルの知識の共有・公開」が行われているのかと驚きました。



「学び続ける」ということが何だろうかと、とても考えさせられますし、共有する強い意思を持つ英語圏なればこそ、そのリソースは増加していき、メリットが大きいので英語を学ぶ人が増える構造があるようにも思えます。これは文中でも言及されるように、「アメリカ」という軸だけではなく、「英語圏」という広い範囲に向けられています。教育者が教え方を磨き会う姿、分かりやすく伝えるために伝え方を大切にする姿も鮮やかです。高速道路がすさまじい勢いで増えています。



しかし、そうなればこそ大学としても生徒は国内に限ったものではなく、こうしたコンテンツを作り、海外向けに公開し、目を引き、実際に学びに来る生徒を増やそうとする活動をしなければ取り残されていく危機感もあるのかなと感じましたし、私はその選択肢が多すぎるがゆえに「どこに自分の欲しい知識があるのか」がわかりませんでしたので、そこを繋ぐ話としてSNSやネットコミュニティの存在、そして実際に学ぶ場の価値を語られているように思いました。



いずれにせよ、知識を換金化している業界(教育・出版)は大変な時期を迎えていると感じられますし、逆に知へのアクセスが容易になった環境でどのような価値が生まれてくるのかに興味があります。知識を得たことで職を得て生計を立てられるかは別の話ですが、多くを望むものにはより多くが与えられる、何よりも、私は、自分が取り残されていくことに危機感を覚えました。



取り上げられた、オバマ大統領の演説も印象的です。




梅田 先ほどオバマ大統領が就任直後の議会演説で「教育と職」の関係についてのメッセージを発信していた、という話をしましたが、それはこんな言葉で表現されたものでした。
「これからの子供たちはグローバル経済における職を求めて競争することになるが、アメリカの学校の多くはそのことの準備ができていない」「グローバル経済において、売ることのできる最も価値のあるスキルとは知識なのであり、良い教育というものは、もはや機会を得るための道筋ではなくて絶対に必要な条件なのだ」という言い方です。
『ウェブで学ぶ』P.216より引用


オープンエデュケーションは「積極的な学習層」だけではなく、むしろそこから出てしまう層の底上げに繋げていくとの考え方や、グローバリズムの中で教育の格差を縮小しようとの試みは、メイドを学ぶ立場としても響くものがありました。貧しさゆえに教育の機会を得られず、メイドにならざるを得ない少女は過去にも、現代にもいます。


しかし、全体の教育水準がある程度上昇したとしても、より仕事を奪い合う競争が激しくなるのではないか、というところが気になる点です。経済格差によって、たとえばフィリピンの医師や教師、福祉介護士などの資格を持つ人々が、自国で働く環境を捨て海外へ出稼ぎに行ったり、あるいはそれまでの専門性を捨てて「富裕な国での家事使用人」を選択することも生じています。



経済格差が賃金に反映されている点で、必ずしも高い教育水準が教育に見合った仕事を生むわけではありませんが、それでも、その「出稼ぎに来られる国の国民(たとえばアメリカ)」では仕事を奪われる可能性が出る人がいる点は見落とせません。



教育によって人が幸せになれるのかを考えさせるきっかけになる一冊だと思えます。今の自分の仕事が、他の誰かに奪われやすい「学習にどれだけ向かい合い、時間を費やせるか」という根幹は変わっていないと思いますし、「能動的な姿勢」とそうでない場合の差についても同書では、言及されていました。



私の感想は断片的なので、【世界のオープンエデュケーションリンクまとめ】「ウェブで学ぶ」から観える『明日の黒板』に、実際に本書の感想と、文中で紹介されているリソースへのアクセスができますので、興味をもたれた方は是非、ご覧下さい。



梅田さんのファンとして本書で一番興味深いのは、梅田さんの現状認識の変化です。『ウェブ進化論』ではGoogleを代表とするアメリカ的な価値観が日本のウェブでも生じることへの期待が強く感じられましたが、本書では「Google的なものは、特異点」と認識を変えており、各国に応じた独自性を語られていました。



いろいろと未消化なので、後日、機会があれば見直します。


個人が学ぶ環境としてのインターネット(自分の体験談)

以下、おまけです。



私自身は英国貴族の屋敷に興味を持ち、実在したメイドや執事の仕事への関心を深めて出版に漕ぎ着けた立場ですが、10年前、私が欲するレベルの情報を載せている和書は十分にありませんでしたので、まず英語を身につけるなり、駆使しなければ、欲しい知識は手に入らない環境に直面していました。



それが、私のスタート地点です。ネットの恩恵で英書にアクセスしやすかったおかげで、今があると感じています。



英国メイドの世界

英国メイドの世界




第一段階:本に依存:AMAZONによる書籍購入

社会に出てから個人で研究活動をして思ったのは、大学の利便性です。大学は蔵書が非常に多く、なかには絶版書籍も含まれています。卒業後には非常にアクセスしにくく、長期間借りることも難しくなります。そういう意味では、この制約を破るために、手当たり次第に本を買いました。



私にとって重要だったのは、AMAZON(日本、アメリカ、英国)です。方法論としては「和書の参考文献になっている英書」→「その英書の参考文献になっている英書」をひたすら掘り下げたり、TITLEだけで選んだり、気に入った筆者を見つけたらその筆者の本を可能な限り入手する方法を選びました。AMAZONでの単価は古本ならば極めて安く、送料が本代を上回ることも何度もありました。



ただ、この方法では資料の当たり外れが非常に大きく、順番で読まなければ理解しにくい資料もあったので、知識を見つける効率と学ぶ効率と効率で考えれば、相当な無駄がありました。資金と縁と運に依存する、というのが正直な感想です。私は資料運に恵まれた方ですが(最初に見つけた研究者2人が、実質的に今も自分の中では最高の研究者)、大学に所属していれば蔵書の利用や、先生や知人に相談してある程度効率的な学ぶルートを見つけられたりしたのではないかと思います。



会社で働きながら、かつ大学に所属していないという環境は、何かを学ぶには非常に効率が悪いです。しかし、私は英書を読み続ける、英語を学ぶことが将来に役立つと信じて、自分のモチベーションとしました。そして、道楽といえるだけの金額を投じることで資料を買い漁りました。また、同人を発表の場として持つことで適宜アウトプットしていたので、うまく回っていたと思います。



なお、ネットの情報については数年前には信頼性を見極めるだけのリテラシーを持っていなかったので、最初から英書だけに意識を向けていました。ウェブ上でのコミュニケーションをスキルが自分にはないと思い、MLへの参加もせず、その意味ではひたすらアナログでした。



正直に言えば「開かれた知」というウェブと重なっていく要素は、この段階では多くありません。ただ、AMAZONというWeb Serviceによって、かつてよりも情報へのアクセスしやすさ、そして情報の見つけやすさが飛躍的に増大したことが、私にはプラスに作用しました。


第二段階:電子化された資料へのアクセス(Google Booksなど)

現在もほとんど第一段階のサービス、つまり実際の書籍を利用していますが、この2年間ほどで新たに追加されたもののひとつが、Google Booksです。Google Booksにはかつて海外の大学図書館に行かなければアクセスできなかった貴重な「一次資料」が大量に存在しています。



講談社から刊行する、英国の屋敷で働いた家事使用人の資料本『英国メイドの世界』でも、ウェブのリソースをかなり用いました。こちらの[参考資料リスト]家事使用人/マニュアルには、19世紀に刊行された資料を多く掲載しています。



19世紀はいわば、生活様式を金で買う時代ともいえ、裕福になった人々が「憧れのライフスタイル」を実現するために、商品だけではなく、家政マニュアル本を買って使用人のいる暮らしを実現しようとしました。料理のレシピや掃除方法に加えて、使用人をどう使うか、何をさせるかもそうした本には掲載されていましたが、これらの本を一定数、ウェブで読むことが可能になっています。



わざわざ本を買う必要もありませんし、誰かに解釈された情報ではなく、生の情報にアクセスできるのです。この環境がより拡大していくと、本に依存する=購入する資金に依存する形で得られた一種のアドバンテージは消えていきますし、私が研究を始めた10年前には考えられない「高速道路」が建築されていました。



意外な使い方で成功したのが、私がAMAZONの通販やGoogle Booksでは見つけられなかった1920年代の英書を、Google Books内にあった国内図書館の蔵書を記した書籍の中に見つけ、その図書館のコピーサービスを利用して入手したことです。



もちろん、Googleだけが主役ではなく、既に大学図書館などでは蔵書の印刷サービス(海外からも受け付けるところ有り)があったり、論文集の中の一章を買えたりもします。私が個人的に気に入っているのは英国National Archivesで、英国政府が過去に刊行してきた報告書まで入手できます。出力で人件費がかかる分だけ高額で、安易に利用できませんが、ビジネスとしてもしっかりやっている印象です。


第三段階:公開されている資料

このところ、特に感じるのが、英語圏wikipediaやネットリソースの充実です。以前よりも、専門書の参考資料にURLが掲載されている印象があります。最近参照したあるガーデナーにまつわる資料では、wikipediaが使われていました。私はwikipediaで先に情報を見つけ、同書を読んだ際、「こっちが原典か」と思いましたが、実際は逆だったのです。



また、私が今回参考にしたのが、英国の過去の法律を掲載する政府のサイトです。狩猟を司る使用人・ゲームキーパーの活動は法律で明確に規定されていますが([参考資料リスト]法律(狩猟・ゲームキーパー))、生の法律を実際に読める機会は過去にありませんでした。これも、ウェブにコンテンツがあるおかげです。



その上、実際の19世紀にこの法律がどのように解釈されていたのかについて記した同時代の本を、前述したGoogle Booksの中に見出すこともできるので、組み合わせることで幅が広がります。現地に行かなくても、専門研究機関に所属しなくてもアクセスできる情報が増えているというのが、私の探求する領域における実感です。これも、「共有の意思」による恩恵でしょう。



日本については私が事例を知らないだけですが、ヴィクトリア朝知識・リソースに関しては、かなり前から日本の大学でも公開されていますので、意思自体は英語圏に限ったものではありません。



なお、本で書かれている領域に完全に当てはまる授業や教材は、ウェブの中ではまだ見つけられていません。


知識を繋いで、人を繋ぐ

礼賛気味に描きましたが、「ある情報に価値があるか」「その情報が信頼できるか」については、リテラシーが必要です。これだけ膨大な情報が増えると、情報を探すことにも消化することにも時間がかかります。欲しい情報が明確で、自分がある程度詳しいとき、Googleは非常に役立ちますが、そうではない領域では検索ワードが浮かばなかったり、サイトの情報が信頼できるか判断するのは難しいことです。



その点では既存のメディアがなくならないように、情報を編集して分かりやすく伝える存在(専門家や出版社などの情報編集者)は欠かせないように思います。最近ではキュレーションという言葉がジャーナリスト・佐々木俊尚さんによって紹介され、NAVERでもビジネス化が進んでいます。大学という環境は、その意味では「知のキュレーター」ですし、そこは引き続き、価値として残ると思います。



一方、ネットにある情報を知ることで、ネットの限界を知ることもできます。



一定の段階まで進むと、本当に貴重な情報は公開されていなかったり、アクセスしにくかったり、読み込むための専門知識が必要だったり、ある種、鉱山を掘っていくような努力は引き続き必要です。それがウェブだけで身につくのかは分かりませんし、身につくとしても時間がかかるでしょう。今、私が知りたい資料は、少なくともウェブにも手に入る形の書籍でもありませんが、資料としては存在しているもののはずなので、現地(屋敷や資料館など)に行く必要があると考えています。



私の事例は非常にニッチな領域の話で、梅田望夫さんが『ウェブで学ぶ』で描かれた部分や、オバマ大統領の述べるような職業と密接に結びつく領域との重なりは少ないですが、私自身、ネット環境の変化を実感してきましたし、この環境が無ければ、本を書くことはできなかったはずです。



とはいえ、梅田望夫さんと飯吉さんの著書は、「知識がただ増えていき、開かれていく」という文脈を持ちつつもそれだけではありません。同時に、知を持つ人々が可視化されていく仕組み・繋がっていく仕組みにも言及されており、その部分で相互に補い合っていくことで、「学び、教え、教わる」環境が拡大していく点を記されています。日本のSNSは今こそ、こうした観点で見直されて欲しいと思いました。



私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)





以前記されたこの書籍も、系統としてはネットだけで完結しないものだと考えますし、きっと自分が知らないだけで、既に多くの場がネットだけではなく、幅広く存在しているとは思います。



私もどこかでこうして学んできたものを人に伝えていくことをした方がよいとは思っていますし、自分が集めて読みきれない資料については図書館のような形で研究したい方向けに公開したいと考えていますが、まだ方向としては見出せていません。これは今後の課題です。



個人の持つリソースやナレッジ、そしてプロボノ的な要素を巧くアレンジしているのが、今の日本では岡田斗司夫さんだとも思えるので、今年は様々な意味で注目しています。