ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『とめはねっ!』で可視化される「縁」〜河合克敏先生の諸作品の魅力

とめはねっ! 鈴里高校書道部 7 (ヤングサンデーコミックス)

とめはねっ! 鈴里高校書道部 7 (ヤングサンデーコミックス)



この前、『とめはねっ!』最新7巻を読んで、その面白さを考えていて、Twitterで呟きました。







表紙の話はさておき、この話をベースに思考を深めたところ、自分なりに河合先生の作品がなぜ面白いのか、別の言い方をすれば「気持ちよく感じる」のかを見つけられた気がして、掘り下げてみました。



結論から言えば、河合先生の作品は、SNS的、ネットワーク的な作品で、人と人との繋がりや縁が可視化されて世界が広がっていくところに魅力があるのではないかと思い至りました。『とめはねっ!』の主人公の大江縁(おおえ・ゆかり)の名前に、「縁」の一文字があるのは、極めて象徴的でかつ作品の性質に自覚的なことなのではないかと。



まずは順序だてて、最初のつぶやきのベースとなる「学び、教える」関係を説明し、その後でネットワーク・人との繋がりの魅力を可視化します。なお、ネットワーク論は聞きかじりなので、もっと専門的に論じる方がいたら、その方の論を是非、読んでみたいです。また、ここで言及することは他の物語でも適用されるものだと思います。


目次

  • 【作品の魅力1】尊敬される「その道の先輩諸氏」
    • 幅広い年齢層と先生・生徒の関係
    • 対極的な2人の指導者・「書道」との向き合い方
    • 余談:指導者と生徒の関係図
  • 【作品の魅力2】人の縁が繋がって拡大する鈴里高校書道部の物語
    • 鈴里高校書道部が広げていく世界
    • 「接点」が重なり、「縁」となる
  • 【終わりに】一見別々に見えるものが実は繋がっている面白さにあふれた物語



なお、1〜7巻すべての巻について言及するので、ネタバレがあります。まだ未読の方でネタバレを避けたい方は下記読まないようにお願いいたします。



また、主人公の名前・大江縁(おおえ・ゆかり)と、縁(えん)が表記上混在するので、下記文中ではなるべくフルネームで登場人物を表記します。
























【作品の魅力1】尊敬される「その道の先輩諸氏」

幅広い年齢層と先生・生徒の関係

河合克敏先生の作品で特筆すべきは、登場人物の年齢が幅広く、すべての作品で年上の「師匠・先輩」的な存在がいる点です。良い意味での「年功序列」というのか、ある道を先んじて進む方々への敬意があり、そこに続く人たちが自ら教えを乞い、学び、またその先へ伝えていく連鎖が見えます。



たとえば、『とめはねっ!』の世界は本来、書道部の部活動内で完結しており、技術の伝承者は担当顧問の影山先生だけでした。影山先生は普通の教師で、その教えには限界があるでしょう。しかし、一巻では書道大会に出ることで神奈川県を代表する書道家・三浦清風と偶然知り合い、生徒たちは後に彼の指導を受ける機会を得ます。これは生徒だけではなく、教師・影山にとっても大きな刺激となるでしょう。



さらに、この三浦は別の機会(2巻・鵠沼学園高校とのパフォーマンス勝負)に登場し、そこで主人公・大江縁の祖母・大江英子(旧姓・神林英子)の教師をしていたことが判明します。大江縁と三浦の縁はそれまで「たまたま興味を持たれた書道部の生徒」という関係から、「教え子の孫」と、二つの重なりを持ちます。(重なりの話は後述します)



そして6〜7巻では、三浦の教え子が2人、指導者として姿を見せます。ここからが河合先生の真骨頂というのか、指導者論として極めて興味深い構成をしています。


対極的な2人の指導者・「書道」との向き合い方

まず部長の日野ひろみは6巻「書の甲子園」で、美しい「かなの書」を書いて文部科学大臣賞を受賞した大槻藍子に出会い、また「部活動での練習量」と「表現としての書道」と向き合い(この辺りは過去に書いた『帯ギュ』と『とめはねっ!』で見る河合克敏先生の視点と独自性を参照)、自分が表現したい対象として「かなの書」に強い興味を持ち、指導者を探します。



その中で彼女はこれまで知己を得ていた書道家・三浦清風に指導者の紹介を依頼します。三浦清風が推薦したのはかつての教え子、大学で教鞭を取っていた笠置亜紀子でした。彼女は鵠沼学園高校の指導者・笠置奈津子の叔母でもあります。いわば、書と向き合ってその中に身を置いたエリートです。ところが、彼女と大江の祖母には学生時代に浅からぬ因縁があり(7巻参照)、大江縁がいる部活の指導者になることを断られます。



そこで登場したのが、大江縁の祖母・英子です。彼女は書道の指導者としての道を選びませんでしたが、生活の中に「書」を取り込み、研鑽してきた市井の「書道家」といえる人物でした。彼女は鈴里高校の書道部に顔を出し、丁寧に自らが学んできたことを生徒たちに伝えました。その指導内容は、「かなの書」に精通していなかった教師の影山にとっても、学ぶことが多くありました。



最新の7巻で鈴里高校の生徒は、三浦清風のススメで、書道の優秀な生徒が集う大学(書道学科がある)のオープンキャンパスに来ましたが、そこで出会った大江縁に、笠置亜紀子は次のように言います。




笠置 見たところ大江英子さんはいないようね。
縁  あ、祖母は今日は付き添いません。
笠置 まぁ、別に彼女は大学の書道学科とは縁のない人だし、当たり前といえば当たり前ね。
縁 え?
笠置 ところであなたたちは大江英子さんから「かなの書」を習っているのでしょう? 彼女の指導のもとで、あなたたちがどれだけ「かなの書」を身につけられたのか、私もとても興味があるわ。今回のオープンキャンパスでそれが見られそうね。楽しみにしているわ。
とめはねっ!』7巻・P.138-139より引用


笠置亜希子は大学の書道家では無かった大江縁の祖母の指導力に疑問を持っているようでした。祖母の生き方を魅力的に感じればこそ、大江縁は反発を覚えます。




たとえ大学に行ってなくても、おばあちゃんは、本当にいろんなことを知っていて、ボクらに楽しく教えてくれた。あぁいう知識を、きっと誰に教わることもなく、長い時間かけて、ひとりでコツコツと本を読んだりして、身につけていったんだ。

とめはねっ!』7巻・P.143より引用



その後、大江縁は鵠沼学園高校に負けたくないと決意を示しました。祖母の教え子として。



「書」とのかかわり方には様々な道があります。



この大江の祖母・英子の存在は、河合先生の面目躍如足る存在だと思います。文化といえる書道にあってプロ(書道にずっと向き合い、生徒を指導し、その道で食べている人)だけが生き方ではなく、生涯学び、関わる道もあります。そして、個人が生きてきた時間の中で培ってきた技術や知識が、次の世代に受け継がれていくその在り方は、学校の指導者やプロだけに限られたものでもありません。河合先生の作品としての『とめはねっ!』には、こうした「誰かが学び、また教えていく」「教えるものも、また学ぶ」プロセスがあり、学びの場を教室的な機会に限定しない点にも、私は大きな魅力を感じる次第です。



「人の繋がり・教えと学びの系譜」といった要素で、河合先生の作品は満ち溢れています。多分、河合先生にとってのこの繋がりの魅力を描かせたのは、お父様が指導者の一人だったという柔道の影響(『帯ギュ』)も非常に強くあるように思います。帯ギュでも学校内の練習だけではなく、県警への出稽古や大学での合宿など、幅広い成長の機会がありました。


余談:指導者と生徒の関係図

所属 書道家 指導者 教師 生徒
鈴里高校 三浦清風 大江英子 影山 大江縁/望月結希/日野ひろみ/加茂杏子/三輪詩織
鵠沼学園高校 笠置亜紀子 笠置奈津子 日野よしみ/見城美弥子/勅使河原亮/宮田麻衣など


教え子と教師だけではなく、その上に別の指導者がいて、さらにその先生がいるという構図は、河合克敏先生ならではないかと思えます。最初からこの学びの系図があったわけではなく、巻が進むごとに生徒たちが動くことによって開け、築かれてきた道ともいえます。


【作品の魅力2】人の縁が繋がって拡大する鈴里高校書道部の物語

次に、既に一部前段で取り上げた「繋がり」についてです。『とめはねっ!』は人と人との縁が極めて強く肯定的に描かれており、主人公たちの世界は人と出会うたびに深まり、広がっていきます。私が『とめはねっ!』で連想したのは、人と人との繋がりを示す考え方に、「六次の隔たり」(six degree)という概念です。



詳細はwilkipediaに詳しいですが(wikipedia:六次の隔たり)、間に六人ぐらいいると世界中の誰とでも知人になれる(知り合いの知り合いの知り合いの……)との理論です。言葉で言うと分かりにくいかもしれませんが、私たちはSNS(social networking service)でこの「可視化された繋がり」に身を置いています。



類似した考え方には、数学者ポール・エルデシュとの関係を示すエルデシュ数があります。これはポール・エルディシュと共著の論文を書いた人をAさんとした場合、Aさんはエルデュシュ数が1です。そのAさんと論文を一緒に書いた人はエルディシュ数が2となります。有名な話として、俳優ケビン・ベーコンと競演したかどうかの数字を示すベーコン数などもありますが、一見関係ないと思える誰かと、知人経由で繋がっていることは往々にして起こりえることです。



今は携帯ゲームで目立っているSNSGREEの名前も、このSIX DEGREEに由来します。SNSのひとつの面白さには人と知り合いになっていく、自分の人間関係が可視化されたり、思わぬつながりを見つけたり、そして「広がっていく人間関係」を楽しめる点にもあります。(数字を増加させること自体が目的化する傾向も当然ありますが)



私自身がこの理論を聞きかじった程度なのであまり適切に説明できていませんが、一見縁がなかった人と、間に誰かを介して繋がっている。その繋がっている相手によって、他の誰かと面識を得て、自分が本来所属している環境とは別の世界に導かれる連鎖によって、河合克敏先生の作品が形成されていると私は考えます。



SNS的な可視化を徹底して行い、物語としての面白さを紡いでいる。それが『とめはねっ!』のもうひとつの魅力だと私は思います。まず、「世界の広がり」について、見ていきましょう。


鈴里高校書道部が広げていく世界

■第1段階:書道展への参加で「鵠沼学園高校書道部」「三浦清風」と出会う
当初、鈴里高校書道部は廃部寸前で部員にもそれほどやる気がありませんでした。そこに新入生で主人公の大江縁と望月結希が加わり、市民書道大会に作品を出展することになりました。この大会で、鈴里高校書道部自体が「外の世界」と繋がりました。それが、書道部部長・日野ひろみの双子の妹、よしみと彼女が率いる鵠沼学園高校書道部との出会いでした。



そして、会場で審査を行っていた書道家・三浦清風との縁も生まれます。三浦清風は部員・加茂杏子の胸を触ろうとするところに始まり、縁や鵠沼学園高校の勅使河原の作品を評価するなど緩い接点を持ちながら、日野ひろみとよしみの作品を優秀賞に選びます。ところが、この評価に納得せず、優劣をつけて欲しいとよしみは三浦清風に訴え、高校同士の対決の場を設定します。



ここで「書道対決」という因縁が両校に生まれ、またそれを見届ける役目として三浦清風の記憶に残る縁が生じました。出会いは一度だけではなく、そのプロセスにおいて縁が強化されている、というように見えます。(1〜2巻参照)



■第2段階:三浦清風の指導を受ける・祖母が教え子と判明
高校同士の勝負は駅前・路上でのパフォーマンス勝負に移行します。先に鵠沼学園高校が書道のパフォーマンスを行い、別の日に鈴里高校が対抗して勝負に挑み、様々な趣向を凝らして観客からよい反応を得ました。しかし、ここに鵠沼・日野よしみに呼ばれていた三浦清風が登場し、鈴里高校のパフォーマンスは書道ではないと叱責します。



そこに、もうひとつの「縁」が生じます。大江縁のパフォーマンスを見に来ていた祖母が三浦清風に声をかけ、両者が生徒・教師の関係だったことが判明するのです。三浦清風はこの奇縁に感じ入り、かつての生徒の孫・大江縁への指導のため、懇意にしている寺での書道合宿を申し出ます。また、鈴里高校書道部にも指導を行うと言うのです。鈴里高校に対抗心を燃やすよしみはこの話に割り込み、鵠沼学園高校の合宿参加を申し出ます。



その後、この合宿で縁は頭角を現していきますが、異なる学校の部員同士が交流したり、三浦清風から「楽しんで取り組む」ことを教わったり、鵠沼学園の顧問・笠置奈津子が登場したりと、世界が広がっていきます。



三浦清風という県下の書道家に見守られる形で、生徒たちはより書道と向かい合っていくという構図が完成していきます。



■第2.5段階:横のつながり
鵠沼学園との勝負とは関係ないところで、いくつか世界の広がりも垣間見えます。まず、2巻では大きな伏線として、望月結希が小学校の頃に受け取ったラブレターのエピソードが登場します。とても字がうまかったその手紙は、差出人の名前が雨水でにじんで消えていたので、正体がわからないままでした。望月結希は鵠沼学園の男子生徒で字が上手な勅使河原亮がその人かと考えましたが、実際は違っていました。



次に書道の道具屋のおじさんの存在です。筆を買いにいった時に知り合い、筆で使われる「毛」について教えてもらいます。別の機会には墨を買いにいき、ここでも墨の説明を受けます。この買い物は大江縁と望月結希の2人で出かけるもので、両者がお互いを知る機会にもなりましたし、二度目の訪問では犬を連れて行き、店にいるヤギのために草を持っていくなど、人とのつながりを大切にするこまやかなエピソードも垣間見えます。



そして、鵠沼学園の生徒・宮田麻衣の登場です。彼女は合宿の最後に書道初心者・望月結希の書道でのライバルとして登場しただけではなく、大江縁に興味を持つ女子として、再登場します。夏の間、大江縁がバイトをした先が、彼女の実家の蕎麦屋だったのです。最初こそ印象が薄かったものの、大江縁は帰国子女として英語で観光客の応対をしたり、真面目な態度や少し変わった雰囲気で宮田麻衣の興味を惹きます。(その後、一緒に夏祭りに参加も)



また、望月結希も縁の父と偶然知り合ったり、その後、祖母に出会って浴衣を作ってもらったりと、学校の部活動以外の側面で縁が広がっていくところが描かれています。柔道部である彼女の柔道関連での広がりはあまり見えませんが、7巻ではもしかするとと思わせるような伏線があったので、そこは楽しみにしています。



この時期はエピソードが抱負で書ききれません。



■第3段階:書の甲子園・日野ひろみの意欲と、望月結希の幼馴染と再会
次に鈴里高校書道部の世界が広がるのは、「書の甲子園」の展示と表彰式への参加です。2月初旬の展示は大阪で開催され、参加に当たって旅費が必要となり、縁は年末にまた宮田の実家の蕎麦屋でバイトを行い、そこに望月結希も参加します。この流れで両者は仲良くなり、書道のライバルから一歩進んだ関係になったように思えます。



この後、物語が加速します。「書の甲子園」の主役は、入選を果たした部長・日野ひろみと、望月結希の2名でした。



○望月結希:幼馴染との再会と書道への取り組み
先に望月結希の話で言えば、彼女は文部科学大臣賞・創作部門を受賞した、大分の豊後高校1年の一条毅(阿部毅・両親の離婚で一条)に出会います。彼は望月結希と同じ小学校の出身で、1年生のときに同級生でした。そして、彼こそがラブレターの差出人だったと判明します。



また、書の甲子園には三浦清風も参加しており、かつての弟子だった一条毅に会いに来ているという設定もあり、一条毅と鈴里高校書道部のメンバーは、「望月」「三浦」両名を介して、一条毅と縁が繋がるに至っています。



さらに、一条毅が所属する、全国でもハイレベルとして知られる豊後高校との接触が、望月結希と書道とが真剣に向き合う機会となります。「書の甲子園での団体優勝を目指す」という望月結希に対して、豊後高校の生徒たちの反応は微妙で、望月結希は「ものすごい上から見下ろされている」と感じました。



この辺りから部活動と練習量の話に入り、繰り返しとなりますが、前回のブログ(『帯ギュ』と『とめはねっ!』で見る河合克敏先生の視点と独自性)で記したようなことが起こります。



○日野ひろみ:高槻藍子との出会いと、「かなの書」への取り組み
もうひとつ、この大阪への遠征で意識の変化を遂げたのが、部長の日野ひろみです。元々優秀だった彼女は、文部科学大臣賞・「臨書」を受賞した大槻藍子と彼女本人に接し、「かなの書」への関心を強めます。



そして前述の豊後高校との接触を受けて、彼女は「自分らしい書」を捜し求め始めます。帰りの新幹線で大槻藍子と再会した彼女は、「かな」の先生を見つけると宣言し、それが6巻後半からの物語へと繋がっていきます。誰かに指導されるのを待つのではなく、自分でやりたいことを探し、求めていく。日野ひろみが指導者として頼ったのが、三浦清風でした。



■第4段階:「かなの書」を巡り、祖母が指導者となる・大槻藍子との再会
非常に長くなりましたが、最後に、最新7巻のエピソードに到達します。前半の方で書きましたが、「かなの書」の指導者として三浦清風が推挙したのは、かつての教え子にして、鵠沼高校の顧問・笠置奈津子の叔母・笠置亜希子でした。しかし、笠木亜希子は大江縁の祖母との因縁を理由に指導を断り、ライバルである鵠沼学園への指導を始めます。



そこで見出されたのが、これまでに何度も登場している大江縁の祖母・大江英子です。彼女も三浦清風の教え子として優秀であり、長く研鑽を続けていました。彼女は指導力を発揮し、生徒に分かりやすく「かな」を伝えていきます。ここで「笠木亜希子」と「大江英子」の対極的な指導方法と学びへのスタンスが描かれています。



鵠沼学園高校との対決も、すぐに行われます。三浦清風の紹介で近隣の東都文化大学の書道学科のオープンキャンパスに参加した鈴里高校書道部は、再度、鵠沼学園高校のメンバーと遭遇し、書道勝負へと発展していくからです。共に、かつての三浦清風の教え子を指導者に迎えたことで、代理戦争の様相も呈してきます。



最新7巻ではまだ勝負に至りませんが、ここで再び、別の世界が繋がります。大学の下見に、「かなの書」へ興味を持つきっかけを作った、文部科学大臣賞受賞の大槻藍子もやってきていたのです。(一条毅も)



「かなの書」への関心を高める日野ひろみにとって、高槻藍子は理想の「学ぶ仲間」といえるかもしれませんし、共に行動をする中で多くを学んでいくでしょう。何かの道に真剣に進むと道は狭まっていくのかもしれません。


「接点」が重なり、「縁」となる

上記あくまでも一例として4つの段階に分けて考察してみましたが、こうしてみると、河合先生の作品は「過去の繋がり」と「現在の繋がり」を大切にしているように見ますし、たった一度の出会いだけで「繋がり」が深まるような書き方もあまりしていません。



たとえば、鵠沼学園高校書道部と縁を持つのは、鈴里高校書道部・部長の日野ひろみの妹よしみが部長をしており、同じく鈴里の書道部・加茂杏子と三輪詩織が中学時代に知り合っていた、という縁があります。彼女たちは「書道展」という場所で競い合い、より強い関係(ライバル)へと発展していきます。「知り合い」から「ライバル」へと、縁が強化されています。



次に、三浦清風です。三浦はたまたまこの書道展に参加しており、評価者として登場し、勝負の立会人となり、さらには主人公・大江縁の祖母の先生だったという繋がりがあって合宿を設定してくれたり、「かなの書」では師匠を紹介してくれたりと、書道の道を熱心に進む生徒たちを見守る指導者として、縁を深めています。彼の持つ人脈と知見があって、初めて「世界」が広がったといえるかもしれません。



間に誰か一人いて主人公たちと薄い縁を持つのではなく、その縁がありつつも、もうひとり他の誰かと繋がっていたり、何かの出来事を共に体験したりすることで、より縁が深まっていくような書き方をしているように思えます。言葉で言うと分かりにくいので、この辺は時間があれば、ネットワークを可視化するツール:sociariumで可視化したいところですが、データをどう作るかで悩んでいて止まっています。


【終わりに】一見別々に見えるものが実は繋がっている面白さにあふれた物語

少年が少女に出会う、それだけで物語が始まるように、別々のものが、何かの理由で集まり、縁を持っていく様子を見るのは心地よいものです。博覧強記で知られる高山宏さんは「今まで何の関係もないと思われていた二つのものが、一つであることを知ることこそ、魔術・マニエリスムの真諦である」(『近代文化史入門』より)という趣旨の発言をされていますが、『とめはねっ!』にはこの「一つに繋がっていく、同じ『書道』という道に生きることで」が、可視化されているように思えます。



近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)

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河合克敏先生の『帯をギュッとね!』も『モンキーターン!』もこの観点で見ることができますし、その意味で人と人との繋がりを大切に描いてきた河合克敏先生の最新作品の主役の名前が「大江縁」、「縁(えん)」の一文字を含むのは、必然だとも私には感じられます。



河合先生の作品がなぜ自分には面白いのか、それをようやく言葉にできた気がします。言葉だけで書くと伝わりにくいので、そのうち、簡単な図でもいいので足してみます。



なお、他にもこの作品の魅力はたくさんあります。その中の一つとして、望月結希の魅力があまりにもありすぎると思いますが、それを語るのは後日か、他の誰かに委ねたいと思います。とにかく、彼女ほど表情と感情が豊かなキャラクターを、私はあまり知りません。


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この辺がネットワーク系では面白かったですが、数年前に読んだのでだいぶ忘れています。