ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『まおゆう』刊行を記念して、振り返る「近代」関連の書籍

今年の5月に魔王と勇者の物語から受け取ったもの(2010/05/17)と感想を書いた、ウェブで公開されていた小説『まおゆう』が、年末にエンターブレインから刊行されます。







この本でモチーフにしている関連書籍だけで副読本が作られそうな予感もしますが(本オタク的には知りたいです。ご本人のtwitterでは、聖書関連もあると触れた気もします)、この本を読んで私がこの1年、気になった関連性が高そうな本をご紹介します。視点としては近代の産業化によって国が豊かになるプロセス、ルネサンス宗教改革、銃の登場と国民皆兵的な軍事上のインパクト、資源を巡る戦争というところになるでしょうか。とはいえ、詳しくない領域が多いので、イギリスと産業革命を主軸にしています。



『まおゆう』の感想としては、『まおゆう』の感想を淡々と書き連ねる(2010/05/16)と「社会科学論ノートからの抜粋 (まおゆうの感想) 」(2010/05/17)が、私にはない視点の書籍も提案していますので、一緒にご参照いただければと思います。



いい作品は、筆者が意図した・しないにかかわらず、多様な読み方が出来る、というところに魅力があると思いますし、感想は作品そのものというより、作品を受け取った自分自身の反応を示すもので、私以外の方が書けば、きっとまったく違ったものになるでしょう。



ちょうど私自身、英国のメイドを研究している立場として「近代がメイドに与えた影響」「近代にメイドはなぜ生まれたのか」を調べている過程にあって(そのひとつの考察がメイド・執事、使用人の規律・訓練、フーコー的観点)、『まおゆう』をきっかけにいろいろと関心が広がっていきましたので、それを可視化した読書マップのようなものです。



あまりにも広すぎるので言及する範囲を限っている点は、ご了承ください。


農耕社会から商工業の社会へ

農耕社会から商工業主体の産業社会へと転換する、そのインパクトを構造的にかつ分かりやすく描いたのは、岡田斗司夫さんの著書『ぼくたちの洗脳社会』で紹介されていた、アルビン・トフラーの『第三の波』(ASIN:4122009537)でしょうか。近代イギリスはその変化の参考事例となります。



『まおゆう』においてモチーフの一つとなっている、近代化・産業革命については、『産業革命と民衆』(ASIN:4309472206)をまずオススメします。イギリスでなぜ産業革命が起こりえたのかというところや、近代イギリスが海外交易や貿易を通じて産業化・商業化していくプロセスが、個人レベルの生活にどうインパクトを与えたかが分かりやすく描かれています。



近代化については、英国におけるこの領域の第一人者で上記『産業革命と民衆』の著者のひとり、川北稔先生が、『イギリス近代史講義』(ASIN:4062880709)を記されています。視点は様々にありますが、この中で「成長パラノイア」(昨日よりもいい生活を、昨日よりも豊かになろうとする心理)と題して、資本主義の在り方と、その先の帰結として資源が枯渇していく現状(過去にあっては資源の奪い合いによる戦争)についても述べられています。



産業革命を支えた18世紀イギリスのありようとして、奴隷交易と砂糖を取り上げた『砂糖の文化史』(ASIN:4005002765)と、職業がなかったり困窮したりした人々を海外植民地に移民として送り出して帝国主義支配の労働力とした『民衆の大英帝国』(ASIN:4006002041)も、近代イギリスを照らす視点になります。また、支配を行うために植民地の自給自足的な産業を破壊し、交易用の農作物を栽培させるプランテーション化については、「近代世界システム」を取り上げた『知の教科書 ウォーラーステイン』(ASIN:4062582228)の視点が参考になると思います。今も貧しい国のいくつかは、産業を植民地支配で「低開発」化されて、海外の資源に依存しなければならない構造にされたという視点です。ウォーラーステイン自身には西洋中心との批判もありますが、概念として参考になりました。


近代化の中に含まれる側面

近代的な経済発展以外では、人間の理性を評価する啓蒙思想も『まおゆう』のテーマの一つでしょうか。近代思想や物の見方については、高山宏先生の『近代文化史入門 超英文学講義』(ASIN:4061598279)が、とても参考になると思いますし、高山宏先生の諸作品を挙げるだけで終わってしまいそうでもありますし、近代的な人間観の変化は『監獄の誕生―監視と処罰』(ASIN:4105067036)に刺激を受けました。



近代へ連なる思想として、『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』(ASIN:4152091312)が注目されていますが、啓蒙の考え方は植民地支配を正当化する手段になった点も指摘されます。啓蒙を行う側が優れていて、啓蒙される側が劣っているとの考え方で、何をもって劣るとするかの基準のひとつが、「産業化」のレベルです。経済発展している国は優れ、経済発展していない国は「遅れている」、だから「啓蒙して、文明の光で照らす」とした流れは帝国主義に含まれました。



この辺りは、『神を殺した男―ダーウィン革命と世紀末』(ASIN:4062580144)が詳しく、また近代的な諸相として生じた西洋文明(とその担い手が人種的にも)が優れているとの発想が生まれ、外見や骨格から人を判断したり、優越性を主張する「科学」(骨相学や優生学など)も登場しました。男女の性差についても「男性が優れている」「女性は劣っている」とした思想も存在し、その思想を反映した社会は、『倒錯の偶像』(ASIN:4938165112)を読むと、伝わってきます。男性を描く視点では、帝国主義と関連した19世紀半ば以降の「騎士道精神の称揚」として、『騎士道とジェントルマン』(ASIN:4385349231)が詳述しています。



そして、19世紀末に行き着いた先のひとつが人種偏見であり、ユダヤ人移民への恐怖を描いた『ドラキュラの世紀末―ヴィクトリア朝外国恐怖症の文化研究』(ASIN:4130830252)を経て、20世紀には民族の虐殺という系譜に連なる流れが指摘されます。ナショナリズムは『定本想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』(ASIN:4904701089)が広範に描き出していますし、現在、『もしドラ』で盛り上がっているドラッカーもこうした近代経済発展の帰結として行き着いた全体主義ファシズムについて、処女作『「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか』(ASIN:4478001200)で言及しています。この辺りも、読書領域として繋がっていくかもしれません。



西洋文明が産業的・技術的に発展したのは人種的に優れていたからなのかという点は、書店で見かけることが多くなっているベストセラー『銃・病原菌・鉄』(ASIN:4794210051)が違う回答を示しています。同書は西洋の発展は地理的な好条件に恵まれた結果だとして、ダイナミックに説明しています。また、同書は、「農耕社会から、近代化による産業社会」の前段階として、「狩猟社会から、農耕社会へ」という段階を精密に描いており、人類発展の歴史についての大枠を理解しやすくなっています。


メイド表現

最後に、『まおゆう』における「メイド定義」「メイド表現」は、英国におけるものと異なっており、純粋に理想化・洗練されたその姿は極めて「日本的なメイド」であると私は思いますので、細かな言及は出来ません。しかし、『まおゆう』の中には、日本で発展してきたメイド表現に求められる様々な要素が盛り込まれており、日本的な「メイド」作品としても面白いものです。



メイドについて、私は経済発展・産業化の中で生まれる過渡期的な職業だと考えておりますので、この近代を描いた作品で「メイド」を登場させることは必然的だと思います。その辺りは今後、書いていきたいところですが、最後はメイドというところで結ぶのが当ブログらしいかと思います。


終わりに

ここで取り上げたのは、あくまでも一部でしかありませんし、私が語りたい・語れる領域でやや強引に繋いでもいます。『まおゆう』は非常に広がりを持った作品で、私が理解しえる範囲も狭いものです。こういう視点でも見られるよ、という参考程度のものとしてお読みいただければと思います。



何よりも、私が言及しているのはあくまでも「ウェブ」で読んだもので、出版されるものは相当異なるものになると思います。人の手が入り、視点が増えることでどれだけ変化するのかを、一読者として楽しみにしています。