ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

家事とメイドが透明な存在であることと

『まおゆう』2巻はかなりメイド回で、料理を行うメイド妹の、料理がもたらす幸福感についての描写が素敵です。何よりも、今回はお腹が空いた状態で読むと危険です。食欲増進的においしそうな料理の描写が多くないでしょうか? かつてギムがお祭りでほおばった鳥の照り焼き的な何かを想起させます。私が空腹状態で読んだから余計そう感じたのかもしれません。



『まおゆう』の料理メニューで、特集を組めそうな感じですね。中世から近世の料理を食べさせるイベントか何かを執り行うメイド喫茶があると面白そうです。食事を体験してみたいです。食の素材にまつわるエピソードも面白いです。こういう読み方が純然たるオタク的なのですが、メイド妹のような腕のいい料理人は魔法使いのように貴重でしょうし、周りの人も幸せでしょう。



というところで、著者の橙乃ままれさんのブログをチェックしたところ、2巻の裏話的なところや、家事を巡る話を「家妖精」と題して書かれています。また、文中で『英国メイドの世界』のご紹介もいただけて嬉しいです。



折角なので、家事と家妖精について徒然と書いてみます。


大変な洗濯事情

家事は本当に大変な作業でした。特に洗濯は「衣類が水を吸う」ので重労働で、衣類の素材によって洗い方を変えないといけませんし、「洗濯できる」綿製品の普及で清潔さに対する水準が上がったので洗濯の頻度が上がりました。さらには消毒や石鹸を泡立たせるのに熱湯を使ったりと、火傷→致死の危険もありました。



ロンドンの場合、水事情の悪さや石炭の煤で干す場所に恵まれなかった事情もありますが、クリーニング屋さんが19世紀ロンドン(年代は調べていないです)には登場しているのも頷けます。王室は専門のランドリーを、ロンドンに社交の季節に来ている裕福な人々も地方の領地に鉄道で洗濯物を送ったり、あるいは高価で繊細な下着類は引退したかつてのランドリーメイドにアウトソーシングしたり(侍女Roseのお母さん)と、面白いモノの流れもありました。



今の全自動洗濯機がどれだけ便利なのか、つい忘れそうです。全自動洗濯機の導入は事件だったと思います。以前、『ど根性ガエル』のアニメで「洗濯板から洗濯機に買い替える→ぴょん吉を回転させるので回転に慣れる訓練をする→巨大船のスクリューに張り付けて船が何か事故にあって、くくりつける判断をしたひろしが自分を責め、洗濯機をバットで叩き壊す→ぴょん吉が根性で船ごと帰ってくる」と、今書いていても何を言っているか分からない的なあらすじで、子供ながらに洗濯機もったないと思ったものですが、全自動洗濯機だけで1話アニメが作れてしまう時代だったのでしょう。


家妖精と「透明なハウスメイド」

家妖精でいえば、日本では『ハリー・ポッター』シリーズで登場する有名なドビーとクリーチャーが記憶にあると思います。ハリー・ポッターで不死鳥の騎士団の拠点は私にとって涙が出そうな、ロンドンのテラスハウスで、キッチンの描写や家屋の構造に目が向いてしまいますが、映画の中、彼ら家妖精は主人に使役される立場でしたし、人目を忍んで動いている姿は、屋敷で「透明」とされたハウスメイドを連想します。



朝起きたら何もかもが片付いている、暖炉に火が入り、洗面台には水もお湯もあり、リネンもきれいになっている状況はハウスメイドの仕事ですが、その姿を見る機会がなければ「妖精」がやったようにも見えるでしょう。



全員がメイドを雇用できるだけの経済力を持っていたわけではなく、ままれさんは「家事をやってくれる誰か」を求める心が家妖精の伝承を生んだのではないかとの指摘もされています。翻ると、「日本のメイドさん」(家政婦的イメージ)の普及もまた何を夢見る心からというところもありますが、初期にあっては「戦闘美少女」の系譜に連なっていたり、「制服趣味」(カフェ・レストラン)が強そうだったりと、一概には言えませんね。



現代日本ではアウトソーシングが進み、メイドを雇わずにも済むだけの便利さが実現されていますが、高齢化社会が進むと動けない・家から出られないところで介護領域における家事需要は高まることにもなります。しかし、人件費や人口バランスの問題で海外からの流入も増えていくのか(現在、海外の介護士の方々の派遣は生じています)、それとも、日本の科学力でメイドロボ的な方向(人に似なくてもいいのですが)で解消するのでしょうか。



以前、セコムのCMで死んだ?おじいちゃんが家事をしているのを見て少し切なくなりましたが、自分も百年後ぐらいには召喚されるのかなぁと……持ちつ持たれつ的に。ただやっぱり、サービスに頼ると非常にお金がかかるわけで、そこで予算を削ろうとすると今度は働き手の待遇が悪化する可能性が高い事情もあって、家妖精を求める心はこの先ずっと、盛り上がっていきそうな予感もします。


余談:因果関係を学ぶ機会との指摘

ところで「魔法のように、きれいになっている」状況は、人の価値観形成の上でデメリットがあると、最近読んでいる海外のメイド事情の本に書いてありました。物事の因果関係(汚したら、汚れる)が分からなくなる・気にしなくなる、という点です。「何かを汚した」結果、「自分で片づけなくても、勝手に片付いている」との状況は、「何かを汚すことへのためらい」を減らすそうです。



言われてみると、英国のメイド事情を学ぶ中でも、お嬢様の中には衣類をひどいぐらいに脱ぎ散らかしてメイドの心を折ったり、やはり主人の中にもハンティング用の衣装をめちゃくちゃにした挙句、腹に据えかねたヴァレットに逃げられたとの話も読んでいました。私は多分片づける側の生き方なので、こうした雇用主を快く感じないのでしょう。



もちろん、同じ状況でもそうしない人の方が多いでしょうが、今の私が生きる環境も社会全体でいろいろと分業化・アウトソーシングしているので「因果関係が見えにくい」はずで、気づかずに何か似たようなことをしてしまっているんだろうなぁとの実感はありますが、段々と感覚的な方向になってきたので、そろそろ終わりにて。


終わりに

家事を巡る社会環境を知る意味で、この前書いた『お母さんは忙しくなるばかり 家事労働とテクノロジーの社会史』で家電が増えても他のことで時間とられて忙しいよという話もありますし、英国メイドの歴史は「近代」をモノを軸にした消費生活から見るので面白いですよと、いう話にて。



冒頭で書きましたが、どこか『まおゆう』で出てきたメニューを提供してくれませんかと繰り返しつつ。以前はこういう目で見ていなかったので気づきませんでしたが、巻が進むごとに料理が開発されていったような気も。