ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

歴史を学ぶ立場として出来ること

現代の暮らしや価値観を相対化する、それがこのブログにおいては、自分のできることのひとつに思います。私の観測範囲でも今回の震災とそれにまつわる出来事を、「過去」の視点で相対化するエントリを書かれている方々がいました。



墨東公安委員会さんは、日本の「計画停電」の歴史を振り返る〜真の「無計画停電」とはと、電気代と市場経済〜計画停電の歴史・続篇を書き、計画停電の歴史を伝えてくださいました。



最近、「大正時代の女工の話」で取り上げましたコトリコさんは、連日、関東大震災関連で関東大震災の実例から考える非常時デマに対処する方法内務大臣後藤新平さんの談話です、そしてこの際だから『関東大震災のヒーローたち』を無料で公開しますとエントリを公開されています。



では自分に何ができるかを考えると、今すぐに、現代と対応して書けることはありません。しかし、この先、以前から書いてきた「この生活の行く末」、「資源不足で限界が来る」、そして「今の当り前は100年前の当り前ではない」ことについて、過去の人がどう対応したかを書いていくつもりです。



今から100年ぐらい前、イギリスではメイドの成り手が不足し、メイドに依存した人々は生活が立ち行かなくなると危機感を覚え、政府が対応する社会問題に発展しました。



しかし、メイドに実現させる暮らしや生活水準は、100年前には当たり前のことではありませんでした。また、政府も雇用主もメイドの労働条件を改善し、法的に保護する施策を選びませんでした。メイドが安く雇用できなくなると、人々は生活様式を変えたり、外部のサービスを利用したりと、メイドがいない生活に順応していきました。



2010年、「The Age of Stupid」特別上映会感想と「伝える」難しさと、石油を使う生活様式を描くイギリスの映画を見たとき、この石油資源度メイド雇用の状況の類似(どちらも利用できなくなると、それまでより生活レベルが落ちる)を書きました。



また、『イギリス近代史講義』〜現代を照らす一冊でも、際限のない成長を求める結果、世界中で資源を奪い合う状況について触れられているのを紹介しました。端的に言えば、自動車を売れば売るほどガソリンが必要になる国々は増え、たとえば寿司(マグロ)を普及させればさせるほどマグロの需要も伸びていきます。



数年の課題として、段階を追ってこの方面のエントリを書いていくつもりです。