ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

近代英国の家事についての読書メモ(料理や燃料、照明の話)

少し前に、近代英国の三世紀に渡る家事の歴史を扱った『A WOMEN'S WORK IS NEVER DONE』の読後感想をまとめて呟いていたので、ブログ用に再編集しました。ざっくりした本の感想まとめです。



メイドがどういう職場で働いたの、というところの理解なしに、彼女たちの業務は把握できません。家電がない時代、生活レベルを上げることは、それだけ多くの労働力=メイドを必要としました。ただ、あくまでも同書の主体は近代から家事に責任を持った女性を中心に、その家事環境と電気ガス水道のインフラ、それに利用できたテクノロジーの話などをしています。



その点では、以前ご紹介したアメリカ事情を扱う『『お母さんは忙しくなるばかり 家事労働とテクノロジーの社会史』感想(2011/01/31)と重なりや相違があります。比較して読むと、より楽しめると思います。



長くなったので2回に分けます。前半は社会インフラや料理、燃料、照明の話で、後半は衛生観念や洗濯、家事使用人の話を。



参考資料:A Woman's Work is Never Done: History of Housework in the British Isles, 1650-1950



※あくまでも、メモです。


電気・ガス・水道の普及

現代日本で普及し、近代に普及していなかった社会インフラは電気・ガス・水道です。いずれも普及して家庭に届けるには、鋼や鉄や銅といった工業製品が大量生産されて、安価な水道管・ガス管・電線などが利用できることと不可避でした。その点では、こうした社会環境が英国で十分に整っていくのは、20世紀以降の出来事でした。



労働者階級よりも経済的余裕を持った中流階級の家庭では1920年代に、それまで家事労働を担っていた使用人のなり手不足が深刻化し、電気やガスによる家事削減での家事労働力不足解消の提案が行われました。様々な設備を導入するコストより、使用人の人件費の方が安い時代には使用人の労働力への依存が続きましたが、使用人を雇用できなくなったり、雇用しにくくなっていったりすると、設備投資や仕事を楽にしようとする試みが始まりました。



電気普及の主体のひとつには、EAW(女性のための電気協会)があり、家事総量削減のために当時の家事労働時間の比較(電気導入前・導入後)をして、削減できる数字を(独自の計算式ながら)発表し、電気普及に協力しました。同書によると、「水」と「ガス」の普及に女性のアクションは目立っていませんが、電気だけは女性が集合的・積極的に家事へ導入する動きを見せたそうです。



1935年でしょうか、電化されていない家は週26.5時間を家事に使い、電化すると7時間で済むという話ですし、1930年代には家事労働の時間の可視化を行う調査も他に行われました。



しかし、1948年までの家電の普及率を見ると、電気アイロンと電気室内暖房がメインで、他はあんまり高い数字ではありません。"電気は中流階級の女性や貧しい女性たちにとって最良の友"という1934年のコメントも出ています。結果としてこの年代の普及は知っていましたが、その背景のアクションに女性の関与があったという話は面白かったです。



ちなみに現代事情では家事労働は依然男女格差が歴然=OECD調べ(2011/04/13)と記事が出ていますし、その元になったOECDの資料は、Who’s busiest: working hours and household chores across OECDとなります。


調理・料理・燃料

英国での料理は「煮る・パン焼き・ロースト」がベースでした。魔女やファンタジーで見る吊るした鍋は囲炉裏的なもので、あの形態では複雑な調理器具が使えませんでした。そこから開放式の石炭レンジ→閉鎖式の石炭レンジを経て、ガスや電気調理器具へと至りました。



ガス調理器具の普及への始まりは19世紀後半と実用化からかなり間隔が開きます。その理由は電気会社・電燈の台頭でガス会社が脅かされ、新しい消費先を求めたことにも影響とのことでした。



パンを焼かなくなる、ビールを自家醸造しなくなる、というのも家庭の生産能力がアウトソーシングされる歴史の中で語られることですが、他に石炭の利用については流通が大きく影響しており、地域によって手に入れられる燃料に差が生じました。地産地消、というのでしょうか。



農村では乾燥させた糞の利用が根強かったりとの話や、スコットランドでは特に
ピート(泥炭)が使われました。動画探していたら、切り出しているところや、ピートを燃やしたものがあったので是非。







燃料の話では、過去の英国ではアメリカ的なストーブや温室にあったような温水管による暖房をあまり見ません。多くの人々は借家に住み、設備投資の問題でリプレイスされないままで、冒頭の話に戻りますが、メイドを使った方が安い時代は新技術に設備投資しない、という話もありますし、国民的な好みとして「暖炉」に集まり、みんなで「赤い炎」を眺めたいという願望も指摘されています。



しかし、お金持ち以外は石炭がもったいないので、暖炉で燃やすのは1室ぐらいという話でした。その都度、メイドがつけたり消したりしていたのでしょう。


照明の話

窓に課税された頃は家も暗く、日中の家事もそう考えると大変な状況でした。燃料に使われたのは、イグサを使った蝋燭、獣脂、蜜蝋、クジラの脂でした。これも出身地域で使える燃料に差異も出ました。ランプの燃料も漁村では魚やあざらしのオイル(十五少年漂流記)、植物油も利用。他に燭炭(cannel coal)も存在しました。



モミの木や、海辺では海鳥の脂なんて言う話もあり、近代にあって、都市化が進む前に多数を占めていた農家の人々は、材料を身近なところから調達して、家庭で使う品物を自給自足していました。都市の住む労働者はこうした資源にアクセスできないので、既成品を買うことになります。



そこから鉱物製のランプのためのオイル(石油など)が登場します。年代ごとに使えた照明の種類も違ってくるんですね。ただ便利な石油ランプでした。男性使用人が蝋燭やランプ類を扱い、フットマンやボーイが管理を行いました。管理が大変で、多くのランプを使ったRutland公爵家の屋敷Belvoirでは6人以上が専任でランプの清掃に従事しました。





他に、ランプの形態にも進歩がありました。それを促したのがArgand lamp(V&Aに所蔵)であり、さらにそのランプを改良したのがRumford伯爵です。石油ランプからガス照明、電気照明へと転換する中で、掃除の手間も減り、燃焼時の匂いも無くなっていきました。これだけでもガスや電気を導入する価値はあります。



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このようなご指摘もいただきました。確かに、銀の燭台や食器でのディナーは光の輝きも違っていそうですね。だからこそ、その銀食器の磨きが素晴らしいと、担当者の執事やフットマンが褒められたのでしょう。また、ランプや蝋燭の光で見る宝石の光も、現代と違うといいますし、その辺りは谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』にも通じるでしょう。



陰翳礼讃 (中公文庫)

陰翳礼讃 (中公文庫)





最後に印象的なのは、照明が自由に使えるようになって家事の時間が日中以降にしやすくなったとの話です。夜にも安価に照明を使えるようになったことで、家で過ごす時間も変わっていきました。



というところで、次回へ。