ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『数字で見る英国メイド』を作成中

日記というところでいうと、あんまり最近はそれっぽいことを書いていないなぁと思いつつ、昨日は夏の同人誌作成をしていました。


『数字で見る英国メイド』の予定ラインナップ

特に集中したのが、数字資料です。1851年から1951年までの国勢調査数字は存在していても、一冊の本にまとまっていなかったり、書き手によって国勢調査の生データを「家事使用人」に分類する定義が違ったりと、分かりにくいところもあり、この辺りを一か所にまとめて解消しようと思っています。



尚、「メイド」の話をする際の共通言語にして欲しいので、このデータについては、同人誌制作後にネット公開するつもりです。「メイドが多い」「メイドは若い」というのが、どこまでなのかを、アクセスしやすい形でインフラにしたいと思います。



数字資料としては、以下の4つの分類で収集中です。



■1.家事使用人の労働人口


 1-1.男女インドア家事使用人の労働人口

 1-2.屋外で働く男性使用人の労働人口



■2.家事使用人の年齢構成

 2-1.女性使用人の年齢構成

 2-2.男女使用人の年齢構成

 2-3.女性使用人の結婚年齢



■3.家事使用人の勤務期間

 3-1・女性使用人の勤務期間・地域別

 3-2・女性使用人の勤務期間・職種別



■4.家事使用人の平均賃金

 4-1.女性使用人の平均賃金

 4-2.男性使用人の平均賃金

 4-3.使用人の年代別賃金水準


家事使用人としての定義の違いによる数字の違い

特に難しいのが、労働人口のところです。まず国勢調査における「家事使用人」の定義が途中で変わっていくことで推移を追いかけにくく、さらに国勢調査上の生データを「家事使用人」としてどの職業を含めるかで、著者による定義の違いが出てきます。



まとまった国勢調査資料がない18世紀や19世紀初頭にはまず、「使用人」という言葉に「農業や商業といった、雇用主の家業に従事する使用人」も含まれています。さらにたとえば国勢調査の女性使用人のうち、1891年のデータのみ、「個人の家庭で家事をする妻や娘」も、「家事使用人」としてカウントされています。



また、1951年の家事使用人人口を複数の資料で確認していたところ、数十万人レベルで別の資料と差が出ました。これも、ベースにしていた資料は集計された合算データで、もう一つ見ていた方は、この合算する前のデータから「商業施設など」で働く家事使用人を、分離したものでした。


見えざる巨大勢力たち

私が扱っているのは「一般家庭で働く家事使用人(Private domestic servants)」ですが、さらに踏み込んでいえば、「家庭に住み込みで働く」使用人たちです。メイドオブオールワークやハウスメイド、ハウスキーパー、コックといった女性使用人で、たとえば「洗濯婦」(washerwoman)や「雑役婦」(雑役婦)といった「通い(非住込み)」で外に居を構えて勤めに来る人々は、含まれていたり、含まれていなかったりします。



1901年時点で家庭に勤める女性使用人が128万人として、この頃には日勤の雑用職charwomanが11万人、商業の洗濯関連で19万人が雇用されています。含めなければ128万人、含めれば158万人と、結構、違ってきます。これは元々の国勢調査の分類からしてそうなりますが、英国家事使用人専門研究者のPamela Horn氏の分類をベースに、私は後者の職種を、切り離して考えています。



「洗濯婦」「雑役婦」という領域も、規模的に今後注目されていいと思います。30万人、というのは労働人口の規模として無視しえません。


ガーデナーオブオールワーク?

ガーデナー(家庭勤め)の労働人口も見ていますが、1851年4540人が1871年1.8万人、その10年後に7.4万人に激増して、1901年には11.8万人と膨れ上がっています。意外と、ガーデナーは超巨大勢力なんですよ。こちらもあまり知られていませんが。もっと深めたい領域ですね。



というところで、少しやり取りがありました。













私は主に屋敷を軸に見ており、ガーデナーも[コラム]パクストンから再考するガーデナーの役割とコスト感覚に記したような世界から、1名しかいないような職場までありました。



ガーデナーやゲームキーパーの職種は、主人が関心を持ち、大規模で行えるだけの投資をしなければ、「1名」での雇用がありえましたが、ではその規模がどれぐらいなのか(1名雇用の合計が、全体に占める比率)は、今後、調べたいと思います。


終わりに

こうして数字から見るとあらためて、「労働者階級の女性は働いていた」ことが分かりますし、「働いて自分で稼ぐことが、社会的ステータスを失う」と考えられたヴィクトリア朝中流階級の女性は、数の上で「全体」を代表していません。もちろん、女性の就業機会や労働環境、待遇は男性に比して決して恵まれたものではなく、この点では別の視点での補足が必要になります。



ちなみに、手元の資料では14歳以下の女性使用人の比率は1881年時点で8%、1911年では3.1%となります。『シャーリー』に遭遇する確率は、そんなものでした。



本当の生データにアクセスすれば分かることも、もっともっとありますが、今時点では入手できていません。そういう意味では、深めていくと本当にまだ分からないことが多い領域です。向こうの大学にでも行かなければ、アクセスできない情報も多いです。「無知の知」的に、学べば学ぶほど、知りたい領域が広がっています。



個人の趣味では、結構、「知りたいこと」への限界も出てきているので、経済的に研究を続ける時間を確保できる立場(大学的な専門研究というより、現代との相対化というメディア的なもの)を、引き続き、模索したいと思います。



私は研究者というよりも、読者に近いガイド・ナビゲーター的な立場なので、行っていきたい役割はNPO的なメディアで、それを行えるスポンサーを募集中です。