ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

小説『夜明けのメイジー』感想

夜明けのメイジー (ハヤカワ・ミステリ文庫)

夜明けのメイジー (ハヤカワ・ミステリ文庫)





2005年に日本で翻訳刊行された、分類としては「探偵小説」です。Twitterで紹介をいただいた作品で、第一次世界大戦前後を舞台としています。なぜ私に勧められたかと言えば、この作品で主役を務める探偵メイジーが、「元メイド」だったからです。決して「屋敷」を売りにした作品ではありませんが、その要素を色濃く持つ作品で、屋敷やメイドの話が好きな人にはオススメします。私がオススメされたように(笑)



ミステリマニア向けかといえば、ドラマチックさや謎解きの魅力の観点で、個人的にこの作品から大きく衝撃を受けるものはありませんでした。しかし、『夜明けのメイジー』単体で言えば、とにかく描写が丁寧で、メイジーのメイド時代や第一次世界大戦を巡って傷ついた個人の描かれ方は、響くものがありました。


1.第一次世界大戦前後を巡る変化


ロンドンで探偵事務所を開いたメイジーの初めての仕事は、上流婦人の浮気調査だった。早速、尾行を始めたものの、たどりついたのは寂しい墓地。貴婦人には一体どんな秘密が...?自らの才覚を頼りに、メイドから大学生、看護婦、そして探偵へと我が道を切り拓くメイジーのドラマチックな運命!二〇世紀初頭の古さと新しさが同居する英国を舞台に、恋に仕事に真摯なメイジーの姿を描くアガサ賞、マカヴィティ賞受賞作。



Google Books/夜明けのメイジーあらすじより引用


あらすじに記されている範囲で言えば、労働者階級に生まれたメイジー第一次世界大戦前の時代に、ある屋敷にメイドとして勤めに出ます。ここで彼女は執事やハウスキーパー、同僚のメイドと共に屋敷を支えますが、様々な経験を重ね、やがてその才覚に気づいた雇用主によって、学習の機会を与えられます。



そして彼女は大学に進学する機会を得てメイドを辞め、世界を広げていきますが、第一次世界大戦が勃発して、彼女は看護婦としての訓練を受けてフランスへと渡ります。そのフランスで彼女は辛い体験をしますが、そこから探偵事務所を開くに至ります。


1-1.選択肢としてのメイド

まず、ここで描かれる世界にはいくつかキーワードがあります。メイジーのように頭がいい女性であっても、親が貧しければ進学の機会を捨てなければなりませんでした。実在のメイド経験者、Margaret PowellもJean Rennieも高等教育を受ける機会を失い、稼ぐためにメイドとなりました。



英国における階級は血筋や人種や価値観の違いではなく、単純に言えば経済力の違いと、経済力をベースとした文化の違いでした。親の経済力によって未来が決まり、親に経済力が無ければ、収入が高く社会的に評価され得る職種に就けません。その上、女性は男性よりもその機会(教育、就業)も少ないものでした。メイドは、労働者階級にとって最も選びやすい選択肢のひとつでした。



メイジーのように支援を得られた女性はいたのでしょうか? これは分かりません。ただ、経済力がある人々の支援を得られれば、無かった話ではありません。貴族が支援者となって、たとえば歌の上手い女家庭教師がプロ歌手となったり、第二次大戦後ですが公爵家?に仕えた男性の子息の学費を公爵家が負担するなど、経済的支援をする人はいたようです。



ただ、まず「メイドや家事使用人をサポートしてもいい」と思える機会が無ければなりません。しかし、現実に両者の距離は隔たっており、支援をする気持ちがある人でも、何を支援していいか分からなかったかもしれません。



この「メイドの能力を知る機会」として読書というのはひとつの指標となりますが、前述のMargaret Powellは、彼女の能力を評価する女主人から読書をしていることについて、違和感を示されています。メイドについての「偏見」も、存在する時代でした。この辺、『夜明けのメイジー』では同僚との距離感を描いたり、理解者としての執事がとてもいい味を出していました。


1-2.第一次世界大戦とメイド

メイジーが体験した第一次世界大戦は、英国社会にも大きな変化をもたらしました。まず家事使用人の雇用が贅沢と見なされ、風当たりが強くなりました。戦時下にあってはどの国でも、贅沢は敵でした。さらに男性の従軍数が増加していくと、様々な職場で男性の欠員が生じ、穴を埋めるために男性の職種への女性の就業が進んだと言われています。



この中で特に労働人口を吸収したのは事務職や工場といった職場でした。メイジーの中でもメイドの仕事を辞め、工場に勤める元同僚の話が描かれています。工場の仕事は身体的に辛いものでしたが、同じ場所に同僚がいて、勤務時間が決まっていて、仕事を終えれば自分の時間を得られる上、メイドの仕事よりも賃金が高いケースもあり、元メイドにとっては抑圧から解放される職業でした。



こうしたこともあって第一次世界大戦後に家事使用人の労働人口は減少しましたが、戦後は男性を職場に戻す社会的圧力が非常に高まり、女性は事務職などの一部の職場を除いて、多くの職場を男性に引き渡さなければなりませんでした。



折しも、英国では家事使用人の労働条件が悪く、社会構造の変化で供給源も弱まったことで、家事使用人のなり手不足(使用人問題)が生じていました。失業者の女性に向けた就業訓練は家事使用人だけだったり、家事使用人職への就業強制(紹介を拒否すると失業手当を打ちきる)が行われるなど、家事使用人の時代は、「第一次世界大戦」を契機に終わったとは言えませんでした。



これ以上の詳細やその後の経緯は『英国メイドがいた時代』に書きましたので省きますが、大学に進学した上で看護婦として従軍する機会を得たメイジーは、この時点では中流階級の女性のようなポジションへと「メタモルフォーゼ」していたといえます。


2.「第一次世界大戦」を「当事者」として扱った作品

長文になってきたので、そろそろ話を終わらせますが、『夜明けのメイジー』時代的には『ダロウェイ夫人』のダロウェイ夫人が生きた時代(追想ではなく)と重なっていて、戦後の傷を引きずる青年セプティマスが思い出せる方には、関心を持てる作品かもしれません。英国らしさと、戦争で傷ついた人々の話を扱っていますので。



もうひとつ、第一次世界大戦を巡る時代を描いた作品には『リヴァトン館』があります。こちらも『ダロウェイ夫人』と同じく、戦争で傷ついた青年が登場しますし、屋敷には『Upstairs Downstairs』の執事ミスター・ハドソンや、コックのミセス・ブリッジス的な人物が出てきます。



『夜明けのメイジー』は同様に執事とハウスキーパーが出てきますが、より近い距離で人間らしく感じられます。特にメイジーの場合は「階級を超える」体験をするので、その階級的な障壁を感じさせる意味で、同僚との距離感は欠かせない描写で、それが上手く機能しているように思います。「英国メイド」の置かれた社会的背景を知っておくと、この作品でメイジーが辿った軌跡がどれだけの物なのかが、より伝わります。



また、『夜明けのメイジー』は前述の2冊と違って、実際に主役たるメイジーが従軍し、親しい人に犠牲者が出た当事者として描かれています。他の2作品では、この辺りは「目撃者」です。その意味では、描かれる第一次世界大戦との距離感や重さが違っているでしょう。



続刊が英書で出ているものの日本では翻訳されていないとのことで、作品として日本では高い評価を受けていないかもしれません。しかし、第一次世界大戦に前後した時代の『リヴァトン館』以上に、第一次世界大戦後の英国を描いていると思いますし、ストーリーとしては私の好みでした。


3.最新作はミステリの賞を受賞していた

最新海外ミステリーニュース20110330(執筆者・木村二郎)を読んでいたところ、『夜明けのメイジー』の続編(7作目)"The Mapping of Love & Death"が、2011 Bruce Alexander Memorial Historical Mystery Awardを受賞したとのことです。



著者Jacqueline Winspearの公式サイトを見たところ、1932年まで物語は進んでいるんですね。これまでになんと8作品も出ていました。続きは英書でそのうち読みますが、続きを読みたいと思える作品であることは間違いありません。



第一次世界大戦から一世紀を迎える(2014年が開戦から100年)時期が迫っていますので、今後、日本でも再注目されるかもしれません。第一次世界大戦に前後した「メイド」や「屋敷の仕事」が好きな方にも、『名探偵ポワロ』的な時代背景が好きな人にも、この作品はオススメできます。私はミステリとしてより、「メイジーという女性と、彼女を支援する人たち」がこの作品の最も大きな魅力だと思います。