ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

2012年の振り返り 働くことと向き合うことを優先した1年間

振り返りを踏まえた2013年の目標・展望は明日に更新します。客観的に見て、2012年の振り返りで考えていた事項で2012年に取り入れられた物が少ない、というのが結論になりそうです。



2011年の振り返り(2012/01/01)



では、なぜ少ないかと言えば、仕事に時間を割きすぎてしまったからです。そこで少し、自分が仕事優先になってしまった構造を振り返りたいと思います。


前段:メイド研究は「仕事の研究」であるとの考え方

私がメイド研究の面白さにどっぷりと浸かり始めたのは、「会社人として屋敷の職場を見る」視点からでした。数多くのメイドの手記や執事の自伝を読んでいると、「このメイドとは一緒に仕事をしたくない」「この執事は数字に強いし、ビジネスセンスがある」「こういう主人の下では確かに仕事はやりにくい」といった情報に接します。



その点で、私は英国における家事使用人を「組織で働く、自分自身の先輩」として捉えています。この観点で見ると、「多くのメイドが働いて1〜2年で職場を離れて転職する(労働条件が悪すぎるので)」、「裕福な屋敷の上級使用人のポストは数が少なく、かつ離職者が少ないので就業が難しい」(上が詰まっていて昇進できない事情も、中途採用で良いポジションが空きにくいことなど)で、重なりを見出せましたし、労働環境を巡る労使の関係性は、「2つの使用人問題」を巡る19世紀末時点での女主人の見解(2011/06/26)にも記しました。



もうひとつ気になったのが、「自発的に仕事を行い、規律を持って働く家事使用人」と、「主人に反発し、辞めてしまう家事使用人」の差でした。だいたいにおいて人は働かなければ生きていけませんが、その働く環境は自分の意志で選べます。時代や環境で働ける職場の数や質に制約を受け、必ずしも自分の希望が反映されるとは限りませんが、「給与がいい待遇」「一緒に働ける仲間がいる」「主人から尊重されている」環境というのは、離職率が低い傾向を示しています。そして、仕事に粉骨砕身する「忠誠心の発露」を見ることもできます。



勤め先への忠誠心、仕事へのめりこんでいく感覚を「社畜」というならば、そうした構造は過去にも見出すことは出来ます。



という背景で、私は「仕事をすること=メイド研究を深めること」と1つの線で結んでいました。しかし、結んでしまったが故に、どこかで「仕事だけをやっていても、メイド研究に繋がる」との言い訳を作ってしまったかもしれません。それが、2012年のメイド研究に時間を避けなかった理由づけになるかもしれません。


私が自発的に社畜化した条件を考える

ここで、私の振り返りです。2012年は2011年に比べると転職で労働条件が改善したものの、仕事に時間を費やし、休日出勤や休日にノートPCから仕事をする機会が増えすぎました。今では進んで休日出勤しますし、そのことに苦痛は感じないほど「社畜」化が進み、その反動として研究活動に費やす時間が激減しました。



「私は自分を客観的に見ることができる」との有名な発言を愛好する私は(客観的に見ることと振舞うことは別、という言葉も聞こえてきますが)、なぜ自分が社畜化していくのかを構造的に捉え、2013年は少し異なるアプローチをしようと思う次第です。


1.アクションの結果が可視化される

私の仕事は広義でのウェブプロデューサーで、ウェブサイトにおける事業の企画・制作・運用、及びその事業部内での環境整備などを行っています。ウェブとそのサービスを通じた事業では様々な結果がデータ化されやすく、アクションした結果がダイレクトに数字に反映されやすい傾向があります。



こうした「アクション→結果」の見えやすさは魅力的で、ゲーム的構造を備えているように考えます。ゲームでは費やした時間の分だけ、能力が上がったり、財産やアイテムが増えたり、称号を得たりと、結果が可視化されます。現実における資格制度や受験勉強・学歴に似たものもあるかもしれません。しかし、ゲームの世界ではその結果が出るまでの時間が極めて短く、「アクション→結果」のループに中毒性を持たせられます。


2.結果の可視化で未来を変える・計画を作る楽しさ

結果によって、次のアクションも見えてしまう場合、ゲーム中毒のように、時間を投じたくなります。現在の仕事では、「現在の数字を見て、次に何をしたいのか」をどこまでも考えられます。数字を見る角度を切り替えたり、他の事業部と比較したり、広告予算の獲得などで条件を変えたり、自分たちの事業の成果を引き上げていくパラメータを探し、費用対効果が高いものにリソースを割り振り、無用なコストを削りつつ、収益化を図っていく計画を作ることは、「どのようにレベルを上げてゲームをクリアするか」を考える楽しさに通じています。



目の前に提示された問題を見た場合、解決するしかありません。私は難しい課題を達成する「課題達成型」というより、現在の事業部が抱える問題点を把握して1つずつ解決していく「問題解決型」のタイプで、そこに達成感を感じるが故に、問題の把握に繋がる「数字化」と、その問題を解決するための「計画作り」が大好きです。



その上で、自分の役割に課せられた業務を遂行するには、全体の情報を収集し、事業部の向かう方向と課題を把握し、現場の要望を聞き、取りまとめる必要があります。関係者にも情報を共有してどこに向かっているのか、どういう基準で動いているのかを提示することで、より効率的なコミュニケーションを行いたいとの気持ちもあります。そのためには情報を整備し、分かりやすく伝えられるドキュメント化が必須です。すべての人間に会議の場で語りかけることは非合理ですし、時間も無限にあるわけではないからです。

3.「誰も手を付けていない」が故に、「誰がやっても成果を出せる」

私の事業部で行っている領域では、手がついていないものが多々あります。言い換えれば、社員が時間を投じて手を付ければ、それが成果になりやすいものが残されています。しかし、こなせる業務の量に上限があり、社員数というリソースに制約がある中で、すべての案件を行うことは出来ません。



結果を出して数字を変化させたい、となると労働時間を増やすしかありません。それも、前述した1と2の楽しさを知っていると、会社や上司に命じられるわけではなく、自発的に動いてしまうのです。



ただ、こうした「自発的」労働がリソース不足を隠し、本来的に必要な雇用が生まれる機会を損ねるとも思う次第です。私の現状に関して言えば、純粋に欠員が出ている状況の影響を最小化する暫定措置と割り切っています。


4.1〜3をまとめると「メイド研究」も「今の仕事の取り組み方」も似ている

2で言及したドキュメント化の作業は、私が『英国メイドの世界』や同人誌における表現で行ってきたプロセスに相似しています。情報を形にしていく楽しさを感じればこそ、その作業は「モノづくり」の満足感をもたらし、私が研究で得ていた満足感に代替してしまっているのではないかと。



そして3の「目の前に広がる課題」は、私にとってのメイド研究が、ある意味、そうした領域であることを再認識させてくれます。私が研究を始めた当初では日本には大学の分野で専門研究者がおらず(専門家は今も不在と思いますが)、英書まで含めて大規模に研究する人は極めて限られ、かつ私が欲しい切り口で情報を提供する人に至っては皆無だったので、「私が行うこと=誰がやっても成果を出せる」状況だったように思います。



そこで求められたのは、そのことに時間を費やすか、否かだけでした。



その時間を私は可能な限り捻出しました。現在の会社での休日出勤や経験がスキル向上や給与評価の成果に繋がるように、研究にあって私は「英書を読む」「情報をまとめる」「誰にでも伝わる文章を書く」「世界を広げる」経験を積めると考えて、優先しましたし、ある意味で未知を既知にして人に伝えていくプロセスは楽しかったです。



趣味的なものと業務を同列に論じられませんし、会社の場合は現場リソースを少なくして、「自分が何とかしなければならない」「自分が何とかすることに意味がある」と責任感や思い込みを引き出し、「自発的労働」をさせる構造(ベンチャー企業に見られる)もあります。



何より、「私が本当に行いたかったことなのか?」は常に自問しています。目の前の問題を解決できることと、自分が解決したい問題を解決したいことはまったく別のものだからです。この辺は「やりがいの搾取」に通じるところなので、ここ数年の課題ですが、深める機会を逸しています。


思考に影響を与える「給与支払いのスケジュール化」と「ゲームの類似」

このように「仕事人間化」していく自分を相対的に見ようとする試みは仕事中毒の解毒作用を持っていると考えますが、自分が置かれる構造を言葉にしようと思うのも、過去の家事使用人と現代の自分を通じて、「働く」ことを見直すきっかけになっています(というぐらいにすべてを結び付けようとするところが自分の長所でもあり短所でもあり、会社に限らず、メイド研究もすべてに結び付けようとしている点では、どこか壊れているか、意図的に螺子を外そうとしているところかもしれません)。



さて、労働においてゲームの比喩を考えた際、そもそも私と会社との関係がゲーム的なところもあるのだなぁと思う点がありました。それは、一定期間で支払われる給与の存在です。私は出版準備のため、会社を辞めました。半年のつもりが2年間と長引いたことで収入が途絶する期間もあり、その状況が「回復魔法のない日々」「毒の沼地を歩く気分」にも感じられましたが、一定期間で給与が振り込まれるシステムは、よくできているなぁと感心しました。



私が勤めたいくつかの企業では毎月25日に給料を支払ってくれます。派遣社員として働いた際は月の半ばと月末が締日で、2週間後ぐらいに支払いを受けました。こうした給与が支払われることを前提に、たとえば買い物の計画を立てたり貯金をしたり、家賃を支払うことを私は当たり前に受け入れています。



今、1か月分の給与で買える商品があったとして、それをすぐに買えない場合でも、何度かの給料日を経て貯金して、入手することもできるでしょう。旅行の計画を立てるのもそうですが、計画を考えること自体は楽しいものです。



この「一定周期に数字が増加し、それを消費して行動する形式」は、ゲームに類似しています。2011年に私は『ブラウザ三国志』というゲームに時間を投じました。『ブラウザ三国志』では内政を行って国力を上げます。国力を上げるには領地の拡張が必須で、その結果として戦争が生じるので、優秀な武将を育てたり、兵を増強したりする必要がありました。



このゲームでは開発した土地から資源が算出され、リアルタイムで増加します。開発力を上げるにはこの資源を投じなければならず、「資源Aの数字が貯まったら、Bを開発する」といった計算を行えます。「何かのリソースが貯まるのを待って(給料日を待って)」何かの計画を立てる楽しさこそが、賃金労働の要素とすれば、その構造は家事使用人がいた時代にも成立していますし、それ以前からもあったでしょう。



家事使用人も、奉公人から賃金労働者へ大きく移行した職業です。古くは衣食住の保証で無償労働だった時代から、1年契約、四半期、そして時を経て月単位の賃金支払いへ移ったりしますが、フルタイムでの雇用が難しくなると時給での概念が見られました。賃金の支払い形態と貯金、そしてそれらによる消費への影響度合いもテーマとしては面白そうですし、既に研究もあることでしょう。



その辺りを深めたいなぁと思えた1年でした。


2012年の出来事

さて、長くなりましたが、2012年にあった研究軸の出来事です。


1. 『月夜のサアカス』で書棚公開&家事使用人勉強会

元々、私は自分一人で研究を完結できるとは思っていませんし、特定の人間だけが情報にアクセスできる環境もあまりいいと思っていません。その情報を得る人が広がっていくことで表現者が増加し、表現者が増えることでその領域に関心を持つ人が増えることを理想としています。



そこで私が所有する本を公開して参照できる「公開図書館」のようなものにあこがれを抱き、その願望をTwitterで呟いたところ、たまたま秋葉原のカフェ『月夜のサアカス』オーナーのはるきさんの目に留まり、お声掛けいただくことで実現しました。



2012年04月より秋葉原のカフェ『月夜のサアカス』で蔵書を一部公開(2012/02/27)

秋葉原のカフェ『月夜のサアカス』での蔵書公開とタイトル一覧(169+2種)(2012/03/31)



蔵書を公開するだけではなく、家事使用人勉強会の始まり(2012/06/09)と、勉強会への参加をカフェにおいて始めました。



ただ、現在は仕事があまりにも忙しすぎるために十分な時間確保が出来ず、2回目の時期については決まっておりませんし、私がどこまでかかわれるかも難しくなっています。そもそも的に私自身はいまだ学ぶ立場に過ぎず、その点では学ぶ時間の確保が最優先となるためです。


2. 『英国メイドの世界』2周年&第5刷刊行


『英国メイドの世界』は絶版になることもなく、『英国メイドの世界』刊行から1周年を振り返るに書いたように、1年間を無事に迎えることが出来ました。



英国メイド関連本が出た時に書店で一緒に並べて売ってもらえるポジションとしてウェブのように認識されていないように思えるのは残念ですが、著者が努力し続けることで自分の本の寿命を延ばし、埋没することなく生き続けた結果として、新しい読者の方々とも出会う機会を得るという結果を出せています。これは、当初思い描いた通りにできたことです。



2012年は次のように書きましたが、その後、あまり大きなアクションは取れませんでした。その中での成果は、第5版を刊行するに至れたことです。今でも絶版にならずに書店で販売していただけているのは、有難いことです。






3. 同人誌『メイドイメージの大国ニッポン 漫画・ラノベ編』刊行

いろいろな経緯もありつつ、私はここ数年でメイドブーム考察を始めました。第1期「日本のメイドさん」確立へ第2期制服ブームから派生したメイド服リアル化・「コスプレ」喫茶成立までで記したように、wikipedia以外のまとまったテキストを残し、かつ、自分を育み、またメイドジャンルにとっては欠かせない存在である「同人」のコンテクストを伝えたいとの意志があるからです。



そうしたブームの可視化の理解をしようとした際に、作品数とその時代に見られた傾向を把握しようとして作ったのが、新刊『メイドイメージの大国ニッポン 漫画・ラノベ編』です。同書で最も伝えたいことは、「メイドが登場する作品はブーム時にピークを迎えたのではなく、ブーム以降も増え続けており、作品として安定供給されるに至っている」点です。



ただ、メイドブームとはコンテンツ軸だけのものではありません。世の中にメイドブームを巻き起こしたのはメイド喫茶ブームであり、メディアにおける広範な露出です。その点も踏まえ、メイド喫茶に関する理解を深めるべく、2012年は様々な研究や調査を行いました。その成果は2013年中にお見せします。


4. 『ハヤカワミステリマガジン』に寄稿

メディア関係では、タイトルの通り、2012年12月号にコラム「ゴシック小説の家事使用人からメイド喫茶へ」を寄稿(2012/10/26)しました。元々は「ゴシックと家事使用人」というテーマでいただきましたが、メイド喫茶に見られる表現様式と、ゴシック小説の初期に建物へと向けられた世界観の表現とを比較対象として取り上げました。



また、これまでに私は何冊かゴシックに関する研究本を読みましたが、その多くがメイド喫茶における「メイド服」や「メイドの存在」を言及する際に、「メイド喫茶サイド」からの参考文献を一切提示していないことに疑問を覚えていました。参考文献を挙げずに語ることに対してよりも、そうした方々の目に入るだけの強度を持つメイド喫茶側から「外の世界」に向けた情報があってもいいのではないかと。



私自身はメイド喫茶の専門家ではないので、書ける範囲に限界はありますが、私なりのメイド喫茶論のひとつになります。とはいえ、これは「見たい現実を見た=メイド喫茶における現実の一側面」を切り取ったにすぎません。メイド喫茶については「気持ち悪い」と評されることもあります。その「気持ち悪い」との認識がどこから生まれるのかの考察は、また別の機会に発表したいと思います。


昨年言及したメイド研究にまつわるキーワードで進んでいないものをメモ

振り返りとして、2012年に書いたキーワードのうち、以下は進んでいません。これが仕事を優先した結果に設けられた、私の限界でした。この課題と取り組むことはライフワークとしたいので、働き方を変えていくのが2013年の私の急務です。


1.労働条件


同時に、「就業環境の不安定さ」や「正社員は待遇が安定する代わりに長時間労働」「一般派遣社員は時間の都合は聞くけど、待遇は不安定。正社員よりも責任はないけれども、正社員と同じ労働をしても給与は安い」ことから同一労働・同一待遇との言葉を知り、同時に、そもそも正規雇用にあっても私生活を犠牲にする働き方に疑問を持ちました。仮に残業時間を相当減らせば育児に従事しやすくなる時間も出来ます。



そういったところからワークライフバランスや働き方、現代の労働環境、そしてメイドをソリューションとする現代事情に関心が向かいました。『英国メイドがいた時代』は『英国メイドの世界』と言う出版経験を積まなければ作れなかったと同時に、私自身がそれまでの職種にいただけでは得られなかった視点や感情をベースとしています。



自分を取り巻く労働環境で成立する「ルール」や「評価基準」がなぜ成立しているのか、どうしたら変えられるのか。そもそも、理想の形はどういうものなのか、との考えも生じました。相当自由度が低く、私はただ運と縁に恵まれて生き延びただけにも思えます。だからこそ、この空気のようなものを変えたいと感じています。



「働いていること」への価値観についても、「家事」についての価値観についても問い直すことは多々ありますが、その辺りはまた後日に広げます。


2.グローバリゼーション


2011年のメイド研究におけるテーマの一つは、グローバリゼーションでした。この視点は元々自覚していたもので、現代英国の格差を照らし、現代日本の労働環境も相対化する『英国メイドがいた時代』『英国メイドがいた時代』が繋がっていくテーマの補足に記してきました。



身近なところで、私が英会話学校で出会ったフィリピンの先生との会話も、グローバリゼーションへの関心を強めました。(メイドの可能性を広げて「接点」を響かせる参照)。さながら大企業と中小企業で給与のベースや福利厚生が違うように、さながら正社員と一般派遣社員と言う境遇で給与に差があるように、生まれる国や環境が違うだけでも通貨価値は異なります。日本で稼いだ給与を現地での教育機会改善に使うという先生の活動に感銘を受けましたし、この構造が持続しえる理由にも興味を持ちました。



社会全体で幅広くメイド雇用が成立するには、低賃金で働く人々が必要で、その状況は低賃金でも働かざるを得ないためにその環境を受け入れる人々が多数いることを前提とします。日本や現在の先進国では産業構造が変化し、経済発展による中産階級の増加に伴ってある程度格差は縮小し、メイド雇用を前提とする社会は崩れていきましたが、日本でも格差が広がり、教育の機会や就業の機会にも格差が見られ始めています。



こうした「グローバリゼーション」は私が派遣で出向いた企業に外資系があったことも影響しています。私のメイド研究のテーマに「グローバリゼーション」があるが故に、私はなおのこと、一度は外資系企業の当事者として現在の状況を経験したい、梅田望夫さん的に言えば「見晴らしのいい場所」に立ちたいとも思いました。長期的に、何ができるかを考えるためにです。


3. 「なぜ今の時代、『英国メイド』なのか」の答えを出す


最後は、文中で少しだけ触れた東日本大震災です。



私が震災後にできたことは献血、募金、津波に遭った宮城県でのボランティア活動(清掃活動)と短期的で限られたものでしたが、震災の直後、歴史を学ぶ立場として出来ることに記したように、自身の専門領域の知識や視点を提供されている方々の活動を知り、自分にも出来ることを広げたいと考えました。



そもそも現代にあって、「ただメイドが好きだから」と言う理由だけで自分がメイドの研究をしていても、社会から遊離しているようでもありますし、同時代性を欠くように思えました。私はそれを本業として食べる立場ではなく、組織に属して働く境遇にあります。その「私」がなぜ研究するのかは常に自問自答しています。



そこで、私は現代人が興味を持つような転職やキャリアアップを軸としたコンテクストを作ったり、現代の労働環境を相対化する視点としたり、更には現代に続く雇用を通じて育児環境や社会福祉にもテーマを広げたりしたつもりです。



そしてこの震災に際して私が感じたのは、「今のままの経済発展、豊かな暮らしは続かない」との想いでした。『英国メイドの世界』で「コンテンツとしてまとまった本文から若干乖離したことで没にしたあとがき」があります。そこに、私の2010年時点の気持ちがありましたので、掲載します。




○2・家事使用人/家事手伝いの歴史が伝えること
 近世を起点とした家事使用人の歴史の帰結を追いかけた本章では、家事使用人の時代の終わりを扱ったその先で、いつのまにか現代へと繋がりました。執事やメイドの姿は歴史の表舞台から消えましたが、誰かが家事を担う役割自体は残り、将来に渡って続きます。
家事使用人という一つの職業集団が生まれ、最盛期を迎えて、衰退する。この歴史や職業が直面した構造的問題は、多くの示唆に富んでいます。



■1・家事を巡る消費の側面と同時代性

 イギリスでは、消費が数多く生まれました。家庭で担った生産は商品革命の進化で外部に委ねられ、新しい製品が家に入り込んできた結果として家事の手間が増え、その解決策として使用人は消費されました。メイドがいなければ、家事は大変な作業でした。
たとえばクルマは今の私たちの暮らしに欠かせない重要な存在ですが、クルマを使った生活自体は新しいものです。メイドを前提とした暮らしは供給不足で変化を余儀なくされましたが、私たちが当たり前に思う「今の社会の便利な何か」は将来、環境や資源の問題で姿を消すかもしれません。生活様式の変更を迫る「使用人問題」は、決して私たちにとって他人事ではないものです。



 家事使用人職が衰退した一方、家事手伝いの仕事はイギリスでリバイバルし、時間をお金で買う形での消費を生み出しています。そして日本国外では、今も家事を手伝うメイドは同時代的存在であり続け、都市部を中心に発展したラテンアメリカや中国などでは、メイドとして働く人々が増加しました。たとえば香港では国内で完結せず、海外からメイドを雇用しています。



 高齢化社会の日本では介護領域で求人がありながら国内で需要を満たせず、海外からの人員受け入れが進んでいます。歴史は繰り返さないとしても、似た構造は出現しています。



■2・物の見方や価値観の基盤

 古代ローマユリウス・カエサルは『人は見たい現実を見る』と言いました。この言葉は「人は見たい価値観で物を見る」と言い換えられるでしょう。使用人問題は、使用人を必要とする生活や、使用人を見る価値観の変化を雇用主に迫るものでした。



 心理学者Violet Firthは使用人問題解決のためにプロパガンダの重要性を訴えました。使用人への偏見、使用人を必要とする生活の歴史は短いものに過ぎないとして、その見方を捨てれば問題は解決すると彼女は主張しました。



 物を見る価値観の影響は、使用人の歴史につきまといます。



 「働くことは神聖」とする考え方や「家庭は神聖」とした価値観は産業革命期のイギリスで普及し、ヴィクトリア朝以降に強い影響力を及ぼしました。「男性が働き、女性は家で有閑化する」ことを尊重した環境では中流階級の女性の就業が好まれませんでしたが、女性の社会進出が進み、使用人雇用が難しくなると、価値観は変容しました。



 何かの価値観が社会で支持されるには理由があるからで、環境が変われば「それまでの伝統」は変化します。それを再確認することは歴史を学ぶ立場として有益で、過去の影響を受けて構築された現代を見る視点として役立ちます。



■3・ある社会で人が「働く」ことへの問いかけ

 使用人が働いた環境は、ある一時代の人の働き方を照らす良質の題材です。使用人問題は、人が働く上で問題となる労働条件を明確にしつつ、政府報告書で答えが見えながら解決されなかったことで、雇用主と被雇用者を巡る労働問題の根深さを物語ります。



 現代の日本人はメイドの問題を、過去の問題とはできません。一例として、労働時間の法的上限を定めた国際労働機関ILOの条約(8時間労働制:第1号や第8号など)を日本は批准していません。日本の労働基準法の法定労働時間は、労使協定(36協定)で上限を引き上げられます。運用や給与や環境で同一でないにせよ、過労死は問題化していますし、労働時間の実質的に上限が無いことは過去のメイドと似た境遇にある姿を示しています。



 もちろん、「働くこと」で見えてくるのはマイナスだけではありません。



 求人広告や人材バンクがあった求人市場は現代的ですし、スキルを磨き、キャリアを重ねるような、人が生きるために働く中で感じる悩みは時代を超えます。



 限られた環境で自分の仕事に責任を持ち、主体的に働いた使用人たちの声や、仕事に生きがいを見出した人たち、戦略的にキャリアを築き上げていった使用人たちの生き方は、社会で働いた「先輩」として、働く自分を見直すヒントがあふれています。



 19世紀初頭のある執事は自分が得た職務経験から、若い男性使用人のために『The footman's directory and butler's rememberancer』という書籍を刊行しました。そこには使用人としての仕事の技術だけではなく、「働く上で、同僚とうまくやる方法」や「執事になった時に大切なこと」まで掲載されていて、ビジネス本に類似した鋭い洞察や、誰かの役に立つために自分の知識を伝える想いが込められています。





私がこの当時想定していたのは、「そのうち、クルマ社会が無くなるのではないか」とのものでした。今、そうした仮定を聞いても「ありえない」と思ったり、「そこで生じる不便さはどうするのか」との反論も出てきたりするでしょう。しかし、過去にあって「メイド・家事使用人」は一部の人々にとって、クルマと似た存在でした。その雇用が難しくなって雇えなくなった場合に、人々の意識は切り替わりました。



「具体的に生活を変える」というのがどういうことか、その経験は過去の歴史の中に見出すことができます。震災の余波による原子力災害にあって、原子力発電が供給してきた「電気」とどう向き合うのかも、「寸断されたインフラ」や「計画停電」によって身近なものとなってきました。この方面の情報収集や学習を適切に行えていないので今時点で私に回答はありませんが、「現代の当り前は、過去にあって当たり前ではない」ということへの自覚や、なぜ自分がそう思うのか根拠を探すこと、そして「好きなようにルールは変えられる」との気持ちが強まりました。



私が尊敬する、1920年代の家事使用人問題の研究者Violet Firthは、こうも言いました。




『生活の一部を変えたら、結局すべてが変わります。(中略)思い込みを捨てることです。生活様式は変えられます。調査の証言者は遅い時間の夕食は必須といいました。しかし、歴史を学べば遅い時間の夕食は最近の習慣で、それゆえ英国人種は遥か昔から、必要性なしで存在していた。使用人問題の議論すべてで、人々は私たちの社会習慣が自然界の法則のように、変更できないと見なすけれども、新しい習慣に適応できなければ人類は絶滅していた。事実として、それらは単なる「習慣」の過ぎません』
(『THE PSYCOLOGY OF THE SERVANT PROBLEM』P.89)

今日は振り返りまで

というところで、これらを踏まえて2013年の目標を書きます。


番外編

2012年時点の目標の達成具合

活動領域 項目 詳細 結果 結果の詳細・変更点
1. 同人活動を広げる 1-1.メイド総合同人誌(または表現の場)の構築 『雑誌的な表現の場』を作りたい。
・「読んだ人がメイドを好きになる本」。
・「メイドを書きたい」と思う創作者の方たちにとっての表現の場
未達成 ・2012年冬コミで実現に向けて一歩を踏み出す。
・2013年の夏か冬に実現するように動きます。
1-2. 『階下で出会った人々』の刊行 家事使用人全般で個人にフォーカスしたエピソード集。 未達成 ・2013年夏を目標。
1-3.同人ノウハウ本の作成 ・継続性を担保する運用ノウハウ。

・意志に依らず、システムとしての環境確保論。

未達成 ・2013年冬ですか?
2.境界線を広げる 2-1.商業出版企画の完遂と出版の実現 ・メイドに関する本 途上(10%以下) ・業務が多忙すぎ、まとめきれなかった。
・半年以内に刊行できるようにするため、3月までに集中する。
2-2.創作への応募 ・メイド作品を、「社会人」か「中学生」向けに書く。 未達成 ・考えます。
2-3.中高生に届けるための図書館への寄付 ・『英国メイドの世界』を毎月図書館に自腹で寄付。 未達成 ・実施に向けて再考。
3. ジャンルの安定化のための活動 3-1. リアルの場で図書公開を行い、学びたい人の場とする ・蔵書公開 達成 ・『月夜のサアカス』で実施中。
3-2. 学びの機会を増やし、かつ自分が学んだことを伝えていく ・同じジャンルの研究者の方との学びの場。

・関心を持ってもらう場の創出。
部分的達成 ・勉強会の形で場の創出は部分達成。

・研究者の方とは2013年に実現に向けて動く。
3-3. 「メイド以外」の人々と出会い、学び、「通じる言葉・概念」にする ・メイドで語りえる領域を広げること。
・メイドの話を、メイドに興味が無い人にも伝えられる強度にする。
部分的達成 ・『ミステリマガジン』での寄稿はこのアクションに含む。

・出版か、原稿の形で、この領域を2013年中に形にする。