ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

2013年の振り返りと2014年のロードマップ

はじめに

毎年、年末年始には振り返りを行っています。1年前の2012年の振り返り(2013/01/01)を読み返していると、2013年年初に振り返ったことと同じ構造が続いてしまっています。



結論から言えば、仕事に時間を使いすぎました。2012年と同様に仕事が面白く、そこで求められた役割を果たす自分に充実感を覚えました。そのため、私は転職してからほとんどゲームをしていません。ゲームを行うのと同じような「数字が変化する楽しさ」の中にいるからです。会社のリソースの使い方を学び、最大限に結果を出す手段を講じる。あるいは、MMORPGのように協力していける人々と繋がって行動する。そうしたプロセスには「状況把握のための情報のインプット」と、「行動に移すためのアウトプット」が繋がっているため、私は同人活動やプライベートで使うべきクリエイティビティも、仕事に向けているような状況です。



この楽しさが、研究活動に優先している点では、「時間を使いすぎる」というのは「その時間を使うことを優先した自分の意思の結果」ですが、業務における達成感や満足感が、最初から自分の願ったものであるかはまた難しいところで、さながら中毒性があるゲームに夢中になっているようでもありますし、数年先を考えた時に必要なスキルを身につける時間や、衰えつつある体力を鍛えるといった根本的な課題に取り組めていないなど、主体性を発揮できていない点も様々に有ります。



2013年は同僚が増えたり、役割が変わったりと、自分自身に求められる環境も変わってきていますが、数年後に至る道筋として2013年に何を出来て、それが数年後に歩いていたい道筋に繋がっているのかを、ここで再確認したいと思います。



本当に、2013年の年始に行った分析から、進化していないといえば進化していないのですよね。しかし、それでも2013年はかなり大きな出来事に遭遇していますので、振り返りましょう。



2013年の出来事

1. 『月夜のサアカス』の閉店と、書棚公開・家事使用人勉強会の終了

2012年04月より秋葉原のカフェ『月夜のサアカス』で蔵書を一部公開(2012/02/27)

秋葉原のカフェ『月夜のサアカス』での蔵書公開とタイトル一覧(169+2種)(2012/03/31)

家事使用人勉強会の始まり(2012/06/09)



上記3点について言及しておりました秋葉原のカフェ『月夜のサアカス』は、2013年5月末で閉店いたしました。店長のはるきさんの体調不良が理由となります。私にとって『月夜のサアカス』は最も通ったカフェのひとつで、食事もおいしく、私にとって多くの出会いを与えてくれた場所でした。



ほとんどメイド喫茶に通ったことが無い私にとっては、初めて経験する「閉店」でした(シャッツキステの場合は「第二章」が約束されていた)。



そうしたこともありつつ、私自身のコミットも十分出来なかったこともあり、一旦、「書棚公開」「家事使用人勉強会」という試みも、継続を考えず、終了としました。実際に私の時間を取れなかったこともありますし、私自身がしっかりと勉強できていない現状もあったためです。「勉強会」とは準備に時間もかかりますし、何を学ぶかも明確でなければなりません。その点で、私自身、何を学びたかったのか、というところでの設計にも課題がありました。



このあたりの気持ちを書いたテキストを公開し損ねていますので、近いうちにブログに掲載します。


2. 『英国メイドの世界』3周年&電子書籍版の刊行

『英国メイドの世界』は絶版になることもなく、『英国メイドの世界』刊行から1周年を振り返る『英国メイドの世界』から2周年・振り返り途中に記した時を経て、3年間を無事に迎えることが出来ました。




英国メイド関連本が出た時に書店で一緒に並べて売ってもらえるポジションとしてウェブのように認識されていないように思えるのは残念ですが、著者が努力し続けることで自分の本の寿命を延ばし、埋没することなく生き続けた結果として、新しい読者の方々とも出会う機会を得るという結果を出せています。これは、当初思い描いた通りにできたことです。



2012年に記した課題は継続していますし、私自身の活動がこの領域で大きく広がっていないので現状維持もしくは後退も見られる状況ではありますが、講談社BOX編集部の方のご尽力もあって、裾野を広げる意味で「電子書籍版」の刊行を行えました。







『英国メイドの世界 エッセンシャル版 屋敷で働くメイドの仕事・エピソード集』2013/04/26(金)発売・配信開始と電子書籍化の意図(2013/04/26)


3. 同人誌『メイドカフェ批評』へのゲスト原稿寄稿で雑誌メディアを整理

2013年の研究領域は、主にこちらの「メイドイメージ」でした。『英国メイドの世界』を刊行した2010年末から、「日本における」メイドを様々に照らすことが自分の中心課題となりました。そのテーマの一つが、「メイドイメージはどのように語られて、世の中に広がったのか」です。そこで取り組んだのが、雑誌記事の発掘です。



メイドイメージを映し出す雑誌・新聞記事の調査(2013/07/21)



そのきっかけをくれたのが、2010年11月に行ったメイド図書館シャッツキステでの出版記念コラボイベント(2010/11/29)などを通じて縁があった、たかとらさんでした。メイド喫茶のデータベース化を行い、メイド喫茶のあり方を客観的に考えようとするたかとらさんの距離感は、私にとっては学ぶべきものが多くあり、「全体像を把握しようとする試み」は、自分との重なりを感じました。そのたかとらさんが、本格的な批評同人誌を作るというので、私も参加させていただきました。



それが、2013年夏に刊行された『メイドカフェ批評』です。



私はその本に向けて、自分の中で資料だけ集めて体系か出来ていなかった「雑誌メディア」におけるメイド喫茶の変遷を取りまとめました。最終的に私はメイド喫茶の常連になる要素を自分に見出せませんでしたが「日本のメイドイメージ」を総合的に知るための資料が存在しなかったことと、メイドブームの中核となったメイド喫茶があったことで出版できたり、読者の方と知り合えたりしたこともあって、恩返しのつもりでこの領域を広げました。



私の結論は同書の「メディアが伝えるメイドイメージ 誰がメイドを語るのか?」に記載してあります。『メイドカフェ批評』の委託販売状況に委託先が記されていますので、興味のある方は是非、お読み下さい。


4. 同人誌『メイドイメージの大国ニッポン 新聞メディア編』刊行


いろいろな経緯もありつつ、私はここ数年でメイドブーム考察を始めました。第1期「日本のメイドさん」確立へ第2期制服ブームから派生したメイド服リアル化・「コスプレ」喫茶成立までで記したように、wikipedia以外のまとまったテキストを残し、かつ、自分を育み、またメイドジャンルにとっては欠かせない存在である「同人」のコンテクストを伝えたいとの意志があるからです。



そうしたブームの可視化の理解をしようとした際に、作品数とその時代に見られた傾向を把握しようとして作ったのが、新刊『メイドイメージの大国ニッポン 漫画・ラノベ編』です。同書で最も伝えたいことは、「メイドが登場する作品はブーム時にピークを迎えたのではなく、ブーム以降も増え続けており、作品として安定供給されるに至っている」点です。



ただ、メイドブームとはコンテンツ軸だけのものではありません。世の中にメイドブームを巻き起こしたのはメイド喫茶ブームであり、メディアにおける広範な露出です。その点も踏まえ、メイド喫茶に関する理解を深めるべく、2012年は様々な研究や調査を行いました。その成果は2013年中にお見せします。



2013年1月に上記のように記した私にとって、「マスメディア」は研究すべき領域でした。雑誌を書いたので、次は新聞ということで『メイドイメージの大国ニッポン 新聞メディア編』(2013/07/31)を刊行しました。こちらは『メイドカフェ批評』へ寄稿した内容の姉妹編ということで、「雑誌よりも報道範囲に制約が大きく」「地方版の存在で報道内容がより多様」となる新聞紙において、メイドイメージがどのような分類軸で拡散していったのかを整理したものです。



雑誌と新聞の調査を通じて、私は「メイドイメージ」は日本においてブームを経て、日常化したとの結論に至りました。日常化との言葉の使い方は難しいのですが、ブームのような盛り上がりも無く、強いて取り上げることも無く、いわば空気化したともいえるかもしれません。比喩として適切か分かりませんが、「ファミレス」も「コーヒー」も登場した当初は珍しいものでした。それが今では当たり前に存在するものとなっています。「メイド」はコンテンツとして同じ状況なのではないかと。



より正確に言えば、「メイド」の言葉が内包するイメージは見るものによって異なる多義性を持ち、ただ「メイド服」と認識される象徴性によって外部からは「ひとつ」に見えていますし、そのことがメイドが何度ものブームを経て生き残れた要因に思えますが、様々に描かれるメイドイメージを整理するための道筋は、ほぼ整えられたと思います。



尚、テレビについては様々な権利関係もあってアーカイブされた情報へ接することが一般人には難しく、現時点では保留しています。テレビメディアの影響の大きさこそが「メイドブーム」の爆発的な波及効果を生み出したとも考えられますが、その領域については別の方に委ねたいと思います。



[特集]メイド喫茶ブームとメディア露出に一部を記しています。


5. 同人誌『メイド表現の語り手たち 「私」の好きなメイドさん』刊行

こうした活動の帰結として、私は様々な領域の方に出会い、その方たちの表現に接する機会を持ち、魅力を覚えていました。私のように「メイドイメージ全体」への情熱を注いでいる人間も珍しいことでしょう。そうであればこそ、「メイド」の一言が多義性を持つそのこと自体を、本として刊行できれば、「メイドブーム」の一端を伝えることが出来るのではないかと、考えました。



そして作り上げたのが、実に19名の方たちにご参加いただけた『メイド表現の語り手たち 「私」の好きなメイドさん』(2013/12/14)です。この本は語り手の方たちの目に映るメイドの魅力を語っていただく本の後世をしています。その帰結として、多義性を持つ「メイド」の姿が浮かび上がるものとなっていますし、どのようなメイドにまつわる表現活動が存在しえるのかの一端を切り取ったものともいえますし、「多くの方にご参加いただく本を作る」ことは、私にとって数年来、同人で実現したい一つの目標でもありました。



この点で、2013年に行えた同人活動は、制限時間がある中で望みえる最高の成果を出せたと振り返ることができるものです。社畜化が著しく進む中、どうしてこれだけのアウトプットを出せたかといえば、これまでの蓄積(2012年を準備期間としていた)や、ゲストの方たちにご参加いただけた運と縁に恵まれた結果ともいえます。


6. コミケのサークル参加でメイドさんに売り子になっていただく

2013年冬コミでは、サークルでの参加から初めて、サークルスペースにメイドさんたちに売り子をしていただきました。いずれも私の同人活動をご存知の方たちで、安心して一緒にスペースに立つことが出来ました。年初に表明した形とは若干異なりましたが(私の執事コスプレは実現せず)、同人活動で実現したかったことがひとつ叶いましたので、私としては満足です。


2013年に出来ていないこと

ここ数年、いくつか方向性を広げようとして実現できていないことは、以下の通りです。



・近代ヨーロッパにおける女性史の中での家事労働の研究

現代社会における家事労働者の境遇(たとえば家事労働者に関する国際労働基準とILOの活動

・『監獄の誕生 監視と処罰』からの家事使用人の考察

・『シャドウ・ワーク―生活のあり方を問う』からの派生

・家事労働に伴う偏見の形成について

・現代中国における家事労働者のあり方

・近代フランスの家事使用人の状況


2014年のロードマップ

鉄は熱いうちに打つ、ということで2014年のロードマップを書きます。というより、ここ数年来したかったことの表明です。2013年には2013年は同人だからできること、商業だからできることを(2013/01/02)という振り返りをしましたが、いろいろと環境や自分の中での優先順位も変わっているので、そこは目標を絞ります。


1.英国メイド資料はすべてウェブ公開するプラットフォーム作り

何か創作をするのに自分で英語資料を集める時代を終わらせたい、との想いはずっとあります。『英国メイドの世界』はメイド界の「高速道路」を目指すとの表明をしましたし、そもそも自分が『英国メイドの世界』を含めて同人誌での研究活動を始めたのは「創作」をするためでした。現実には創作になかなか辿りつけていないのですが、もっと数多くの創作を生み出しやすい環境を作る手助けができないかと、考えています。



そもそも、メイド関係の資料を個人で集めすぎて、場所が逼迫していますし、私が活用していない資料も山ほどあるので、宝の持ち腐れでも有ります。2012年04月より秋葉原のカフェ『月夜のサアカス』で蔵書を一部公開(2012/02/27)を行ったのもそうした点の取り組みの一環でしたが、別の形での具体化を考えたいところです。



特に、英国の取り組みやGoogle Booksのおかげで、ウェブで接する資料自体は増加しています。こうした資料を編集できる場を設けたいと常々思っているものの、自分の時間を使ったり、人にお願いしたりするとなると、活動資金が必要です。過去にあっては「出版が当たったら、その費用に当てよう」と思っていましたが、そういうわけにも行かなかった現実を鑑みつつ、社会に対して価値を帰せる形でかつ持続可能なプラットフォームを作れないか、検討したいと思います。



お金持ちであれば、道楽のようにできるのですが、なかなか今の立場ではそうも行きません。英国大使館の支援、または石油王のオイルマネーが欲しいです、という冗談はさておき、メイド関連の資料をどのようにアーカイブ化するかは課題です。


2.興味が無い人が読んで理解できる「メイドイメージ」の集大成を作る

私個人の見解でいえば、メイドブームはその渦中にある語り手が少なかったように思います。なぜならば、雑誌メディアで語り手の軸となった森永卓郎さん自身が「萌え」ではなく「女の子と話す楽しさ」を魅力として捉えており、また外で語られる時に参考として目に入る文献があまりに少ないのではないか、と考えられるからです。以下、『メイドカフェ批評』に私が寄稿した原稿です。




 メイドカフェブームは、様々なメイドイメージの相乗りで、その消費のされ方も変化を遂げています。その全体像はとても見えにくく、私が描き得たのはあくまでも大宅壮一図書館でアーカイブされている雑誌記事に留まります。刊行されている書籍類も網羅できているわけではありません。雑誌記事は「雑誌」という媒体の性質のためか、比較的印象論だけで語る記事は少なく、メイド喫茶を記事とする際にはきちんと訪問する方が多かったのが印象的です。
 しかし、雑誌でこれだけ語られていても、全体像は見えにくく、参照されにくいと感じています。「メイドカフェが好きな人による、メイドカフェを外に伝える言葉」の少なさが気になるからです。
 雑誌記事上で継続してメイド喫茶を語っていたのは森永卓郎さんだけでした。しかし、森永さんは今回の記事を通じて、『私は萌えになりきれないんです。メイド喫茶も関係性を持ちたいとかではなく、ただ話をして楽しいから好きなんですよね』(『SPA!』2005.07.12/24-29)と語り、語り手として偏りがあると感じました。
 また、「メイド服とゴスロリ」の関係性を求め、私はゴシックやゴスロリ関係で出版された研究書を三冊読みましたが(『テクノ・ゴシック』『ゴシック・ハート』『死想の血統』)、いずれもメイドカフェに言及する際、メイドカフェ側の参考文献を挙げずに語っていました。参考文献に挙げる本が無かったのかもしれませんし、目に入らなかったかのかもしれませんが、自身の専門領域ではない事項を語る人々が、参考文献を挙げられない点は、不思議に思えました。
 私自身が外部から「参照されるテキスト」を作れるか、あるいは作るのに適した人物かはさておき、メイドカフェを愛好されるたかとらさんから、外の世界に対しての強度を持つ「メイドカフェ批評」の場が作られたことを、私は嬉しく思います。
 私自身は「メイドイメージの研究」の一環として、今回、メイドカフェに関するテキストを書きました。ある程度、私の責務は果たせたと思うので、後はメイドカフェを愛し、その魅力を伝えたいと強く願う方々に任せ、もうしばらくしたところで、英国メイド研究に戻りたいと思います。
上記は「メイドカフェ」についての言及ですが、「メイドブーム」自体もメイドが持つ多義性ゆえに複雑な構造をしているため、なかなか全体像が捉えにくいのも確かです。私自身、[特集]第1期メイドブーム「日本のメイドさん」確立へ(1990年代)[特集]第2期メイドブーム〜制服ブームから派生したメイド服リアル化・「コスプレ」喫茶成立まで(1990年代)において可視化を試みたり、前述した様々な同人誌を作ることで全体像の把握を試みていますが、最近読んだテキストに、自戒の念を抱かされました。




ベゾスによると、講釈の誤りとは2007年に出版されたナシーム・ニコラス・タレブの『ブラック・スワン』に登場する言葉で、複雑な現実にはなにかと講釈を並べ、耳当たりはいいが簡略化しすぎた話にしてしまう人間の性質を指す。タレブはまた、人間は脳の限界により、関係のない事実や出来事のあいだに因果関係を見いだし、わかりやすい講釈をこしらえてしまう傾向があると言う。そのように講釈を並べることで、人間は、現実世界の偶然性や経験という混沌、物事の成否にかかわる運・不運といういとわしい要素から目を背けるのだ。

【書評】『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』からの引用



出来るだけ誠実に対象と向き合い、どのような論拠で結論に至ったかを書くことで、こうした「講釈の誤り」を避けたいとは思いつつも、私という人間の視点で作る点ではどうしても偏りも出るでしょう。とはいえ、何かしらの叩き台を作ることで、今自分が出せない答えも他の誰かに繋がっていくことで答えに近づくことは出来ると考え、一つの形に結実させるつもりです。


3.現代の家事労働者との接点

今年2014年は、第一次世界大戦から一世紀が経過します。英国では『Downton Abbey』を始めとして様々に家事使用人へ注目が集まっている中で、「過去の暮らし」へ目が向くのは当然でありつつ、「なぜ、家事使用人の雇用が衰退していったのか」「それが現代にどう繋がっているのか」を理解することは大切に思えます。



長期的にも、少子高齢化を迎える日本にあって、介護領域での海外からの労働者受け入れは進みつつあり、待機児童の問題もかんがみるに、もしかすると育児領域でもメイドを受け入れていく時代が来るかもしれません。あるいは、海外からの移民受け入れが難しいとしても、こうした「家庭領域で働く」機械が広がっていくとして、それに伴う「構造的な大変さ」(雇う側も雇われる側も)は、なかなか体験しなければ理解しがたいことです。



とはいえ、人は過去の歴史や他者の経験に学ぶことが出来ます。私個人としては、家事領域での家事労働者受け入れを行っている他国の事例や、英国だけではなく過去の日本で女中を雇用した人々の視点も交えて、「家で人を雇い、家事をしてもらうことには技術・経験が必要」だということを伝えられるようになりたいと思っています。



さらに言えば、家事領域について近代から形成されている視点についても、明確に出来ればと考えています。


終わりに

ロードマップはあまり具体的になっていませんし、同人活動への言及をできていませんが、まずは「時間を作る」ことを最優先にして、少しずつ前に進み、途中途中でこまめにブログを書くことでご報告できればと思います。



本年も、よろしくお願いいたします。