ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『月夜のサアカス』の閉店と、家事使用人・ヴィクトリア朝蔵書公開終了のお知らせ(1年後の公開にて……)

※このテキストは2013年6月に書きましたが、公開したのは1年を経た今となります。



2013年05月末で秋葉原メイド喫茶となる『月夜のサアカス』が、店主はるきさんの療養のため、閉店いたしました。それに伴い、私が2012年04月より2012年04月より秋葉原のカフェ『月夜のサアカス』で蔵書を一部公開を行っていた家事使用人・ヴィクトリア朝関連の蔵書の公開を終了といたしました。



私はメイド喫茶に行ったことが無い人に比べれば相当行っている立場になりますが、実際に行っている店舗の数は少なく、また頻度も低い方です。「メイド」への関心から日本におけるメイドイメージを学ぶ意味で、「メイド喫茶」を理解しようと行動をしてきましたが、本質的に「メイド喫茶を必要としない」生活習慣は変わっていないからです。



そんな私がある程度の頻度で足を運べたのが、自分にとっては交通の便がいい秋葉原を拠点として、独自の雰囲気づくりと企画で魅了する『シャッツキステ』であり、『月夜のサアカス』でした。厳密に言えば、その当時、『月夜のサアカス』はメイド服を着た店員が「いない」お店でした。


ポイントカードが1枚貯まった初めての店

メイド喫茶ではポイントカードの導入が進んでおり、何度も通うことで特典が付くリピーター向けのサービスをしています。しかし、私は財布からポイントカードを抜く性質もあり、ポイントカードを忘れることがしばしばでした。特にポイントを貯める習性もないことから、同行した友人にポイントをつけてもらったり、そもそもあまり常連にならなかったりと、少なくともこの15年ぐらいはあらゆる業種でポイントカードを満了したことがありません。



しかし、『月夜のサアカス』は唯一、ポイントカードが1枚貯まりました。これは私にとって、このお店が特別な存在だったことの証左といえるでしょう。


常連足り得た理由=料理のおいしさと居心地の良さ

『月夜のサアカス』は料理のレベルが高く、料理とケーキが目当てに私は何度も利用しました。秋葉原に足を運ぶ理由になるレベルでした。元々が「喫茶店」を強く意識している場所で入りやすく、いわゆる「メイド服」になったのも2012年4月からで、かつ土日のみでした。それまでの制服は黒を基調とした、シンプルなデザインのドレスで、白いレースでの彩りがあったぐらいでした。



コミュニケーション型のメイド喫茶ではないので、店員が目立つことはなく、店内も静かで、禁煙で、お客さんが騒がしいことも無く、料理のおいしさとも重なって、メイド喫茶に関心を持たない友人や知人と会う時に、とても使いやすかったです。



基本、私はメイド喫茶に店員とのコミュニケーションを求めていないので、個人で行くことがほとんどないのですが、『月夜のサアカス』は上野の美術展を見た帰りに立ち寄りやすく、のんびりと寛いだり、美術展で買った図録を見たりと、ゆっくりできる場所でした。店内に置かれている少女漫画や建物の写真集なども、私の関心を広げてくれました。


『月夜のサアカス』との縁

出会ったきっかけ

私が『月夜のサアカス』と出会ったきっかけは、2010年の『英国メイドの世界』出版の頃です。私はそれまで基本的に『シャッツキステ』か『ワンダーパーラー』に興味を持つレベルでしたが、たまたまTwitterで店主のはるきさんが『英国メイドの世界』やメイドに興味を持ったきっかけについて呟き、また実際に店舗の本棚に並べて下さったのを知り、行きたいと思いました。さらにその当時フォローして下さった方が『シャッツキステ』と同じように『月夜のサアカス』を高い頻度で利用しており、気になっていました。



事前に私は『月夜のサアカス』のホームページを見ました。その印象は、今でも忘れません。メイド喫茶というと私には「男性が多く通う」イメージが強くあり、実際にその傾向が見られますが、このお店で行われるイベント情報には少女や少年、ドールやゴシック的な雰囲気のイラスト展示、さらには女学生展などが掲載されており、私の眼にはとても「少女的」な世界に見えました。



実際に足を運んでみると、店内は照明が抑えられ、落ち着いた空間でした。店内に置かれた木製の本棚や飾り棚、ドールなども空間に調和し、世界観を反映するように静かなBGMが流れ、のんびり過ごせました。何よりも、「メイド服を着た店員がいない」のが特徴的でした。



さらに、食事のおいしさは衝撃でした。ランチメニューにあった「豚の生姜焼き」のお肉がとても柔らかく、会社の近所にあったら通うレベルでした。少なくとも秋葉原に用事があれば立ち寄るようにしましたし、立ち寄ることが用事となりました。月別のメニューのバリエーションも豊富で、ケーキも素晴らしく、紅茶も楽しめました。


入口としての喫茶の雰囲気と、女性客の多さ

るきさんとも面識を得た後でうかがったのは、「平日は近所にある会社員」がランチを食べに来ているという、その敷居の低さでした。そうした人たちがランチの時に、私の本を手にすることもあるとのことでした。お店にある本を通じて、少しでも興味を持ってくれるようになる。それは私にとって素晴らしく価値があることに思えましたし、そこを自覚的に行っている『月夜のサアカス』の独自性に感銘を受けました。



友人と利用していたある時には、居合わせたお客さんが『英国メイドの世界』を手にして読んでいるのも拝見する機会を得て、嬉しかったのを覚えています。



もうひとつ『月夜のサアカス』を語る上で欠かせないのは、お店の少女的な雰囲気もあって、女性のお客さんが多かったことです。「メイド喫茶にしては多い」ではなくといえるほど相対化でいる経験は無いのですが、構成比として半々ぐらいか、だいたい女性の方がお店に多くいる印象でした。メイド喫茶=男性客が特に多いとのイメージを持っていた私には驚きでした。「女性客がいやすいお店」かどうかは、メイド喫茶を分類する指標にもなるでしょう。


『月夜のサアカス』で広げられたこと

書棚公開へ

私が『月夜のサアカス』とのかかわりを強めたのは、2011年の終わりの頃のことでした。その当時、私はメイドやヴィクトリア朝を記した本の多くが絶版状態にあり、さらにはある程度は英書に頼らざるを得ない実情を踏まえて、資料を図書館のように公開することで「メイド知識の高速道路」化をできるのではないかと考えました。そうした知識を創作者が手にすることで、もっと作品が増えることを願って。



「喫茶」という場に訪れたお客さんが、ふとしたきっかけで手にすることも、メイドについての裾野の拡大に繋がると思いました。それまでに書棚の公開は『シャッツキステ』の出版記念メイド夜話で実施しており、一定の手応えを得ていました。さらに言えば、「秋葉原メイド喫茶」と思って足を踏み入れたら、家事使用人や英国屋敷やヴィクトリア朝の本があったら驚くかもしれないとも思いました。



そうしたところ、店主のはるきさんからお声がけいただき、本棚の公開へと至りました。タイミングとして『月夜のサアカス』でも土日の営業ではメイド服を利用するとのお話があり、一緒にメイドに対する照らし方の軸を増やす取り組みとなりました。


家事使用人勉強会の始まり


4月1日から、久我真樹さんの使用人研究史料を開放するのに併せて、お店の中で定期的に開催する、使用人文化の研究会を発足させよう!という事になりました。



メイド喫茶、という名前で存在が知られて、今や漫画アニメゲーム等ポップカルチャーでは欠かせないキャラクターとなってきた「メイドさん」はじめ「家事使用人」ですが、その実実際の彼らがどういったものだったか、また、現代にかけて家事使用人という立場がどういった変遷をたどってきたか、を知る方は少ないと思います。



そういったところから家事使用人の文化に興味を持ち、1から知りたいという方、

既に個人的に研究を重ねている方、

そういった方々があつまり、家事使用人文化についてあれやこれやと語り合う、気軽でマニアックな場を作りたいと思います。

私自身、まだまだ知らないことだらけ。

色んな方のお話を聞きたい!と、思うのです。



私個人の話になりますが、日文生だった大学時代、講義よりゼミよりなにより、授業を離れ、教授の研究室で先輩後輩混ぜこぜで日本文学について語り合ったお茶の時間が、一番活発に意見交換できていたように思います。

ざっくばらんな空気の中で、誰かがふと思い出した本が、自分の研究内容の参考になったり…。

そんな場所になったらいいなと思います。



使用人文化の研究会をはじめます。(2012/03/29)の月夜のサアカスのブログより引用



勉強会自体は、私の業務状況の劇的な変化(同僚の部署移動に伴い、土日出勤も行う状況が半年以上続く)で主導的な立場で続けられなくなってしまいましたが、参加いただいた方には楽しんでいただけたようですし、継続的に続けることに向けての課題も見えました。


少女文化とメイド

私が特に『月夜のサアカス』と店主のはるきさんに学んだのは、少女文化とカフェ文化からの、メイド喫茶へと連なる道のりです。2010年に私は日本ヴィクトリア朝文化研究学会の学会誌へ、「日本におけるメイド受容とメイドの魅力」と題したコラムを寄稿しました。そこでは、メイドに関心を落ち得る人々が、必ずしもメイド喫茶のみを軸としていなかったり、メイドに興味を持つようになる入り口は多様であるとの話をしました。



こうした視点を持つきっかけは、同人誌即売会で出会った人々によって教わったものでした。当時はどうしてメイドに興味を持ったのかをうかがう機会も多く、そのバックボーンの多様さに驚いたものでした。そして、「少女漫画におけるメイド表現」の調査をしたいとも考えた折(『はいからさんが通る』のみ既知)、友人からご紹介いただいた方からおおやちきさんの少女漫画で100人以上のメイドがいた話や、はるきさんが家事使用人との初遭遇として『チム・チム・チェリー』を取りあげていたのを教わり、より深く知りたいと思いました。







家事使用人というか、1970年代の諸作品はヨーロッパへの憧れを想起させる作品設定のものが目立ち、その中でメイドも背景として描かれていることもありました。『風と木の詩』にも執事やメイド(アデル)が登場していたのです。また、2012年に倉敷へ旅行した際にいがらしゆみこ美術館を訪問した際に、メイド的な雰囲気ノ作品や、パフスリーブやエプロンといった19世紀的な衣装のイラストも多数見る機会があり、こうした延長線上に少女文化としての「メイド」があるのではないかとも考えていました。



実際には開催できませんでしたが、2回目の勉強会は、少女漫画に置けるメイド表現にしたいとも話していましたし、個人としては[特集]少女漫画に見る家事使用人(メイドや執事など)(2011/02/05)にまとめてもいます。



広がりすぎたので収束しきれていませんが、この辺りは後日にまとめます。



カフェ文化というところでも、話を広げられますが、そこはまた別途。


『ミステリマガジン』への寄稿

http://d.hatena.ne.jp/spqr/20121026/p1
『月夜のサアカス』でいただいた別の機会の一つは、「メイド喫茶とゴシック」についての考察です。元々、私は「メイド喫茶ゴスロリ」に興味を持ち、ゴシック関連の著作もかなり読みました。そしてたまたま『月夜のサアカス』自体がいわゆる「ゴシック」的な雰囲気の展示を過去に行っていたり、蔵書にそうした本が含まれていたりとしたこともあり、はるきさんにご相談しました。そこでいくつかの示唆をいただき、さらには雑誌に掲載する写真素材もご提供いただけました。



『ハヤカワミステリマガジン』2012年12月号にコラム「ゴシック小説の家事使用人からメイド喫茶へ」を寄稿(2012/10/26)に記した通りです。
http://twilog.org/kuga_spqr/date-121026

終わりに

この「終わりに」のテキストを書くのは実に一年ぶりです。上述のテキストは2013年6月、『月夜のサアカス』閉店直後に書いていましたが、その後、気持ちの整理がつかないまま、公開までにずいぶんと時間がかかりました。熱心なメイド喫茶利用者ではない私は、多分、この界隈の方々が経験しているであろう「お気に入りの店が閉店する」場面に遭遇したことがありません(お気に入りの店がほとんど無いことも理由ですが)。



ですので、閉店の話が現実化してからのショックというのか、喪失というのか、そうした感情を消化するのに時間がかかりました。また、ブログの公開までに時間がかかったのは、閉店後のお店という「本当の終わり」にも立ち会ったことも影響しているでしょう。前述した「英国メイド書架」の公開も終了するので、蔵書を自宅に送り返す必要があったため、私は『月夜のサアカス』に足を運び、後片付けを手伝いました。



私はそこで別離の寂しさだけではなく、一緒に道が重なったことの有り難さや、この先にもまた交錯するであろうことを強く感じることが出来ました。







たまたま昨日、Twitterで『月夜のサアカス』への言及があり、タイムライン上がその思い出で賑わったことも、このテキストを書き上げるきっかけになりました。



ふと、立ち会った2013年6月1日のtweetを見返すと、いろいろと感じるものがありますね。



























2013年は『メイドカフェ批評』への「雑誌メディアにおけるメイドイメージ」の伝わり方のテキストや、『メイドイメージの大国ニッポン 新聞メディア編』、そして『メイド表現の語り手たち 「私」の好きなメイドさん』といった自分にとって集大成と言える発表を、数多く出来た年になりました。



こうした言葉を2014年に読むと、今の自分の至らなさにも気づかされますので、そろそろ、研究に戻ります。