ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『シャーリー』2巻・11年ぶりの新刊発売と、そこから思う自分のメイド研究活動





『シャーリー』2巻が発売となりました。私は『シャーリー』2巻発売記念原画展 in シャッツキステに資料提供を行い、発売前から『シャーリー』2巻発売に関われるきっかけをいただいていたり、『シャーリー』という作品に派生して、英国メイドを巡る同人活動を思い出したりと、私にとっては「11年前の過去」と、「その11年後の未来である現在」を繋ぐものでもあり、なかなか作品だけでのコメントにはなりにくいと、いざ感想を書こうとして思う次第です。


11年前の思い出

ということで、先に11年前の思い出を書いたのが以下のテキストです。




『シャーリー』という作品の希有さ

だいたい書きたいことはTwitterかブログのライフワークという作品に接することが出来る幸せに書いてしまっているのですが、『シャーリー』は森薫さんの作品の中では異なる位置づけに思います。それは『エマ』乙嫁語り』というメインストリームとなる、「自身を高めて究極を描こうとする道」あるいは「読者と作家の対峙」を感じる作品に対して、「ただ好きなことを、自然体に好きに描く」ことが徹底して、それが世界観と作家性を素晴らしく反映しているように私には見えます。



そう言う意味では、この時代に、「英国メイド」を好きなだけ描ける立場にあること、そしてそれが商業として出せていることに、森薫さんがこれまで切り開いてきた在り方を思わずにいられません。



こうした雰囲気を同じく感じたのは、『エマ』本編完結後の外伝で、ディテールの彫り具合や視点の多様性、キャラクターの魅力をひたすら追求するスタンスは変わっていないように思いますし、11年を経て、過去の作品と比べて作家としての変わっているところ、変わらないところもあるのだと。



何よりも森薫さんの「今」を知ることが出来るのは、ここまで長い時間を経ても「単行本」として刊行した『シャーリー』なればこそでしょう。


2巻の感想

「読めば分かる!」の一言で。



私個人としては、『「あとがきちゃんちゃらマンガ」メイド漫画で今日も元気!!』での自家発電のあまりの高エネルギーっぷりに憧れ、「メイドを描かせておけばおおむね健康な森薫です!!」と言い切れる点に、「自分のここ数年の元気不足=メイドについてしっかり描いていない」からではと自覚させられる次第です。



というだけでは短いので、追記します。



英国メイド資料の現在 11年前からの飛躍的な進化

というところもありつつ、英国メイド資料について最後にふれておくと、もはや日本人が新しく「メイド」について書く必要がないところまで来ているというのが、私の偽らざる心情です。第一にほぼ網羅的な資料が出そろっていること、第二に、こちらの方が重要ですが、「英書の翻訳」が進んでいます。『ヴィクトリアン・サーヴァント』日本版が30年を経て翻訳された2005年と異なり、今や2010年代以降の研究書が翻訳されたりしています。



2010年代以降、『図説英国メイドの日常』『英国メイド マーガレットの回想』『図説英国執事』『図説メイドと執事の文化誌』『エドワーディアンズ』,そして9月に『図説英国貴族の令嬢』と精力的に刊行される村上リコさんの活躍を抜きに語れないとともに、『ダウントン・アビー』での盛り上がりを受けて、最近では『おだまり、ローズ』『使用人が見た英国の二〇世紀』なども翻訳されていることも大きな出来事です。



『おだまり、ローズ』は私が『英国メイドの世界』を書く上で最も参考にした本の一冊で、それが翻訳されて発売されることの大きさは、なかなか理解されがたいかもしれませんが、侍女という生き方について、そして大きな屋敷で働く家事使用人について、これほど素晴らしい資料はありません。



最近『おだまり、ローズ』を刊行した白水社様では書店フェアもしているようで、新井潤美先生による関連書籍紹介に『英国メイドの世界』も加えて頂けていたので、以下に。




最後に

『シャーリー』2巻発売は自分にとって得難い経験をくれています。それは、「森薫さんと、同じ場にいること」の実現です。2007年に『マナーハウス』日本語版が出たときは、副読本上で名前が同じ場に載りましたが、今回のシャッツキステとのイベントで、場を同じくすることが出来ました。












『シャーリー』2巻の感想になりませんでしたが、『シャーリー』1巻からの11年間という時間の長さと、11年後の2025年にも、このように振り返っていそうな気もしています。



何はともあれ、あの頃、メイドが好きだった人々がもう一度集まるきっかけになることを願いつつ、最高作品である『シャーリー』が、新しくメイドを好きになる人々にとって入り口となることを願って。