- 作者: 森薫
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/エンターブレイン
- 発売日: 2014/09/13
- メディア: コミック
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『シャーリー』2巻が発売となりました。私は『シャーリー』2巻発売記念原画展 in シャッツキステに資料提供を行い、発売前から『シャーリー』2巻発売に関われるきっかけをいただいていたり、『シャーリー』という作品に派生して、英国メイドを巡る同人活動を思い出したりと、私にとっては「11年前の過去」と、「その11年後の未来である現在」を繋ぐものでもあり、なかなか作品だけでのコメントにはなりにくいと、いざ感想を書こうとして思う次第です。
11年前の思い出
ということで、先に11年前の思い出を書いたのが以下のテキストです。
とはいえ、サークルスペースでの出来事が激しすぎたので、この本を買えなかったという思い出が。 #11年前のメイドの思い出
『シャーリー』の刊行に際して、過去を懐かしむとともに、同窓会のようにあの当時出会った方々に再会できることを、或いは新しく興味を持つ方々が増えることを願って。 #11年前のメイドの思い出
『シャーリー』という作品の希有さ
だいたい書きたいことはTwitterかブログのライフワークという作品に接することが出来る幸せに書いてしまっているのですが、『シャーリー』は森薫さんの作品の中では異なる位置づけに思います。それは『エマ』『乙嫁語り』というメインストリームとなる、「自身を高めて究極を描こうとする道」あるいは「読者と作家の対峙」を感じる作品に対して、「ただ好きなことを、自然体に好きに描く」ことが徹底して、それが世界観と作家性を素晴らしく反映しているように私には見えます。
そう言う意味では、この時代に、「英国メイド」を好きなだけ描ける立場にあること、そしてそれが商業として出せていることに、森薫さんがこれまで切り開いてきた在り方を思わずにいられません。
こうした雰囲気を同じく感じたのは、『エマ』本編完結後の外伝で、ディテールの彫り具合や視点の多様性、キャラクターの魅力をひたすら追求するスタンスは変わっていないように思いますし、11年を経て、過去の作品と比べて作家としての変わっているところ、変わらないところもあるのだと。
何よりも森薫さんの「今」を知ることが出来るのは、ここまで長い時間を経ても「単行本」として刊行した『シャーリー』なればこそでしょう。
2巻の感想
「読めば分かる!」の一言で。
私個人としては、『「あとがきちゃんちゃらマンガ」メイド漫画で今日も元気!!』での自家発電のあまりの高エネルギーっぷりに憧れ、「メイドを描かせておけばおおむね健康な森薫です!!」と言い切れる点に、「自分のここ数年の元気不足=メイドについてしっかり描いていない」からではと自覚させられる次第です。
というだけでは短いので、追記します。
『シャーリー』を読み直していると、自分がどの辺りの所作に魅力を感じるのかと言えば、とにかくいろいろなことに一生懸命なこと(背が低い、幼いということもありつつ)かと思う。掃除に取り組む姿勢であったり、洗濯物を取り込むシーンだったり。
『シャーリー』2巻で良いなと思えたのは、跳ねる姿と、走る姿。跳ねる方は踊りや靴のエピソードで、走る方は洗濯物の取り込みや、ベネットさんが帰宅したときの門の音に反応して玄関に駆け寄るところ。ふと思うと、「走るメイドさん」描写は、シャーリー以外であまり記憶に無い。
この「ロングな服装で走る」という魅力はきっと、『名探偵ホームズ』(犬版)でのハドソン夫人に見られるような、宮崎駿ヒロインの魅力描写の系譜にあるのかもしれないし、また、そもそも「主人の帰宅の音に反応して駆け寄る」という描写がどこか忠犬的な健気さも感じさせる。
コンテンツにあって女性は関係性に萌える、との言葉があるけれども、『シャーリー』におけるベネットさんとシャーリーの関係性は、良いものなのだろう。
しかし、こうして「走る」という視点で見ると、本当にシャーリーは走っている。躍動感がある。小動物の可愛らしさというのか、13歳であるが故の一生懸命さが、「走る」という魅せ方を確立しているのか。
あと、これはメイドさんを撮影した時に気づいた視点なのだけど、身長差が大きいと角度が上からになる。シャーリーは見上げている構図が多い。その逆転をしているのが『お給料』の扉絵。
構図と言えば、よく考えると、ここまで「後ろ髪」が描かれているキャラクターはいないのではないか? シャーリーのおかっぱが特徴的で魅力の源泉とはいえ、俯瞰していく構図が多いというのか。
そうか、先の「背の高さ」に戻ると、人形のマリーを見つめるときに、シャーリーを「見上げる」構図になっている。作品としてはベネットさんとシャーリーの構図と、シャーリーとマリーの構図も良いなぁ。
そして、『留守番』の構図にあるように、後ろ姿、エプロンの結び目、ぶら下がった足、見える足の線と靴の裏というのは、発明なのだろう。あと、怪我を隠すロングスカートという発明。
やっぱり、シャーリーは走っている。いろいろなところで、家の中でも、階段でも、外に出ても、走っている。風をはらんで広がるスカートには、絶対に必要な条件なのだろう。宮崎駿ヒロインとの共通項を、誰かに論じて欲しい。ハドソン夫人とキキの言及はあれども。
この辺は就学年限(時代を追うごとに年齢があがっていき、就業年齢が上がっていく)や、孤児院を追い出される年次などにもかかわっていたかと。ヴィクトリア朝の前期の方では8歳ぐらいからメイドとして働かされる子もいました。
紳士アーサー・マンビーと極秘に結婚したメイドのハナも8歳から手伝いに出されたと言われています。URL
@kuga_spqr 森薫作品って疾走感が良いんだと思います。エマでの自転車に乗るシーン、乙嫁語りでの馬が駆けるシーン、シャーリーではシャーリー自身が走るシーンが非常に良く描かれており、重要なポイントになっていると思います。
2014-09-14 10:14:58 via Silver Bird to @kuga_spqr
英国メイド資料の現在 11年前からの飛躍的な進化
というところもありつつ、英国メイド資料について最後にふれておくと、もはや日本人が新しく「メイド」について書く必要がないところまで来ているというのが、私の偽らざる心情です。第一にほぼ網羅的な資料が出そろっていること、第二に、こちらの方が重要ですが、「英書の翻訳」が進んでいます。『ヴィクトリアン・サーヴァント』日本版が30年を経て翻訳された2005年と異なり、今や2010年代以降の研究書が翻訳されたりしています。
2010年代以降、『図説英国メイドの日常』『英国メイド マーガレットの回想』『図説英国執事』『図説メイドと執事の文化誌』『エドワーディアンズ』,そして9月に『図説英国貴族の令嬢』と精力的に刊行される村上リコさんの活躍を抜きに語れないとともに、『ダウントン・アビー』での盛り上がりを受けて、最近では『おだまり、ローズ』『使用人が見た英国の二〇世紀』なども翻訳されていることも大きな出来事です。
『おだまり、ローズ』は私が『英国メイドの世界』を書く上で最も参考にした本の一冊で、それが翻訳されて発売されることの大きさは、なかなか理解されがたいかもしれませんが、侍女という生き方について、そして大きな屋敷で働く家事使用人について、これほど素晴らしい資料はありません。
最近『おだまり、ローズ』を刊行した白水社様では書店フェアもしているようで、新井潤美先生による関連書籍紹介に『英国メイドの世界』も加えて頂けていたので、以下に。
久我真樹『英国メイドの世界』講談社「家政系メイド」、「料理系メイド」、「男性使用人」、「上級使用人」等、各カテゴリーについて、その年収、年齢、歴史、仕事の内容などを、様々な資料を参照しながらアイテム別に解説したもの。読み物としても、参考書としても貴重な一冊。 #おだまりローズ
『おだまり、ローズ』の原書は『英国メイドの世界』で主要参考文献の1つでした。また、村上リコさんが翻訳した『英国メイド マーガレットの回想』も同様で、その点では、2010年時点で英書だったものが2冊、このように翻訳されていることは、日本の英国メイド資料の充実を示すでしょう。
ただ、これも一過性にならないように、興味を持ち続ける層が一定数いることを示し続けないと、というところもありますね。
最後に
『シャーリー』2巻発売は自分にとって得難い経験をくれています。それは、「森薫さんと、同じ場にいること」の実現です。2007年に『マナーハウス』日本語版が出たときは、副読本上で名前が同じ場に載りましたが、今回のシャッツキステとのイベントで、場を同じくすることが出来ました。
10年後がどうなっているのか、自分でもよくわかりませんが、その頃には何か一緒に出来ていると良いな、と思います。『シャーリー』1巻が出たいまから11年前の2003年に、今のような生活は思い描いていなかったですが、10年後に振り返れるのは、感慨深いです。
2011年に「10年後に読んでくれる人がいることを願って」 URL とテキストを書いてから、もう3年。
2003年の話で言えば、あの頃の英国メイド研究で人生が変わったとも言えます。英書を読む決意をした理由の一つに「いつか英語を使う仕事をしたい」との気持ちがありました。別に英語が得意だった訳でも留学経験があった訳でもないのですが、その積み重ねで今、英語を使う仕事をしています。
メイド研究でどこまで行けるのか、可能性を切り開くと言っていた頃が懐かしいです。
『シャーリー』2巻の感想になりませんでしたが、『シャーリー』1巻からの11年間という時間の長さと、11年後の2025年にも、このように振り返っていそうな気もしています。
何はともあれ、あの頃、メイドが好きだった人々がもう一度集まるきっかけになることを願いつつ、最高作品である『シャーリー』が、新しくメイドを好きになる人々にとって入り口となることを願って。