『ネバーランドのリンゴ』ではありません。
『ハウルの動く城』で予告編を見て、「あ、イギリス」「ヴィクトリア朝?」と思い、前売り券を買っていました。先週公開だったと思うのですが、ひとまず、一週間経過した今日、行って来ました。「空いているかな?」「ジョニー・デップだから混んでいる?」などと適当に考えていましたが、劇場は意外や意外、超満員になっていました。ジョニー・デップの力でしょうか?
ちなみに、入り口でジョニー・デップの生写真?を貰いました。
映画はヴィクトリア朝ではなく、エドワード朝で、時代的には日露戦争の1904年。ジョニー・デップは劇作家のジェームズ・バリを演じました。映画に使われた公園はケンジントン公園で、アルバート公の記念碑も映っているようでした。残念なことに、ここはイギリス旅行で行っていなかったので、機会があれば行きたいと思います。
ただ、イギリスの公園の芝生はひどいらしいです。実際に足を運んだハイド・パークの芝生は大変なことになっていました。向こうの人はあまり犬の糞を拾わないらしく、寝転がったら悲惨な目に遭うかもしれないのです。当初、「芝生に寝転がったら気持ちいいだろうなぁ」と幻想を抱いていたものの、鳥の糞も盛大にあり、現実は厳しかったです。
さて、ストーリーではなく生活描写で言うと、バリの家は中流ぐらい、メイドを2〜3人雇っているようです。ひとりは『エマ』ですが、これは単純に「当時最もポピュラーだったメイドの名前は『エマ』だった」というエピソードに基づいての命名だと思います。なぜ『エマ』がポピュラーだったかは別としても、主人側が名前を覚えるのが面倒で、勝手に使用人の名前を変えるのは珍しくないことでした。
屋敷は地下1階〜地上2階でしょうか。夫婦喧嘩を玄関でしていたとき、メイドのふたりはそこの続き部屋で銀食器を磨いていましたのも印象的です。大きな家ならばそこは執事の管轄下になりますが、この屋敷に執事はいませんでした。バリの夫人は社交界入りを狙っていたので、中の上流、という感じなのでしょうか? 他にバリの家庭が裕福だったのを示す道具は、「自動車」と、「別荘」がありました。
一方、バリが顔を出すようになるディヴィズ家は「使用人がいない」ほど経済的に困窮しているのか、ケイト・ウィンスレットが演じた未亡人が屋敷内のすべてを仕切っていました。彼女の母が支援をしてくれましたが、この時代、使用人を雇わずに自分ですべてを行う気持ちを持ち、実行できたのはよほどの女性です。それが原因で身体を悪くさせてしまったようにも思えます。バリに招かれたディナーの帰り、彼ら家族は「歩いて」帰りました。馬車を使えなかった、そんなところにも使用人を雇えない経済的な苦しさが描かれています。
『ピーター・パン』では犬に子供の世話をさせて、使用人を雇う費用をケチっていた、そんな描写があったと思いますが、それはこの辺りの事情もあるのでしょうか?
「ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん」という立場で言うと、今回の注目すべき箇所は、「夫婦喧嘩の中で、妻が言った言葉」です。あまりにもディヴィズ家に出入りして、メイドまで貸し出そうとする夫に対して、妻は「あの家にリネンを持っていけば?」「銀食器を持っていけば?」と言いました。綺麗なリネン・新しいリネンは家政の象徴ともいえますし、銀食器は一家にとって何よりも大切な財産です。そうした皮肉を口にしなければならなかった妻の気持ちを、バリは受け流してしまいますが。
映画としてどうなのかというと、なかなか難しいです。ロンドンの街並み、イギリスの風景、屋敷の中、劇場の群像、そして犬に子供たち。素晴らしく描かれています。話の展開や何気ない風景にも、泣かせる場面がありましたが、誰にでも勧められるかといえば、そうでもないような気がします。近くにいた人は寝ていましたし……ストーリー展開や、再現される価値観で、好みは千差万別、その辺りがはっきりするかもしれません。自分は、描かれた『ネバーランド』の世界が駄目でした。あれが違った形ならば、人に勧めているかと思います。
しかし、こうした映画が世界的に作られ、日本でも受け入れられていくのは、ヴィクトリア朝やエドワード朝を好む自分としてはありがたいものです。たとえジョニー・デップが理由にせよ、あそこに描かれた生活風景を好む下地は、日本にもあると思えるからです。
恒例というのか、「屋敷&メイドさん」映画の視点で、キャスティングを見ていくと、マニアが喜ぶ・制作者がわかっているキャスティングがありました。舞台でピーター・パンを演じたのは、なんと『ゴスフォード・パーク』で主人公のメイドを演じた、ケリー・マクドナルドでした!
ケイト・ウィンスレットはつい最近見直した『いつか晴れた日に』に出ていましたし、ケイトの母役を演じたジュリー・クリスティーは、『ハリー・ポッター アズカバンの囚人』で、居酒屋"三本の箒"の女主人を演じたそうです。そして何よりも驚いたのは、ダスティン・ホフマン。ショーン・コネリーばりの白い顎鬚、ちょっとした皮肉とバリとの関係は、見ていて楽しかったです。
過ぎ行く時間を感じさせること。
ここで描かれた人々はもう、誰も生きていないということ。
そんな、人が大人になり、或いはなれずに、死んでいくということを伝えた作品に仕上がっていると思います。
ジョニー・デップ、そして一緒に寝る愛犬ポーソス、さらにナナを演じた役者の人もいい味を出していました。この映画を見て、ますますジョニー・デップがいいなぁと感じ入る次第です。ティム・バートン監督とは三度目になるのでしょうか、その次回作も楽しみにしています。次は『オペラ座の怪人』を予定しています。