ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

百年前の執事から学ぶマネジメント

今回の隠し玉、というわけでもないですが、通勤時間はメイド(Lilian Westall)の手記を読んでいます。適当な長さなので気が向いたら、帝國メイド倶楽部向けに翻訳します。気が向いて、体力があれば、紙になります。コミティアしだいです。



執事の読解を進めていますが、上級使用人の話はマネジメントに結びつき過ぎています。こういうのも買う必要があるかと考え中です。



マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則





20世紀初頭の執事に学ぶ

『日の名残』、或いは「上級使用人・執事」補遺



前にこういうエントリを書きましたが、そういう視点は結局、「如何に適切に主人の要求を、手持ちの資源(資金・資材・人材)でかなえるか」になってくるんですね。その点において、執事とは「バトラー」だけの能力(ワインの管理者:給仕:周辺の世話という対個人スキル)では不足で、「スチュワード」的なより高い観点(組織を動かす:人を育てる:資金の管理)が必要だと感じる次第です。



で、こういう観点は文学や歴史の研究者からは出にくいものだと思うのです。前にも書きましたが、久我は大学で専攻したわけでもなく、師匠もいませんし(出会いたいですが)、院にいっているわけでもなく、社会人として普通に働きながら、この活動をしています。



自力で、周囲に学びながら、研究しています。それはマイナスでもありますが、専門領域が無いが故に、自由な視点を持てます。(この辺りの詳細はヴィクトリア朝メイドを語ること・『エマ』に思うことに記しています)



自分自身が「組織の中で働いている」のは強みです。過去の使用人たちと似たような境遇にあったり、似たような人を毎日見ていればこそ、感覚が培われているのかなぁとも思うのです。



最近になってこうしたマネジメントへの関心が広がったせいか、今まで気づかなかったマネジメントにおけるいい言葉を『ヴィクトリアン・サーヴァント』に見つけたので、ご紹介しておきましょう。




「どんな世帯でも統制することが[執事の]任務である。とりわけ大世帯では、この思慮分別ある権力の行使が大いに必要とされるであろう。というのは、だらしのない管理のもとでは、下級使用人たちは決して居心地もよくないし、まして幸福でもないから」(『ヴィクトリアン・サーヴァント』英宝社・パメラ・ホーン著:子安雅博/訳P.126より引用)


マネジメントの立場にある人間が、与えられた権限を使わないのは、責務の放棄と同じです。それを、百年前?の手引書が述べているのです。現代とまったく変わりません。使用人を学ぶことは、社会人として働くことに繋がっているのだと思います。



だから、長い間、続けていて飽きないのでしょうね。



もちろん、それ以外の魅力も大きいのですが。


20世紀初頭の執事に学ぶ

今週より、久我の中で「執事週間」が始まりました。執事資料をひたすら読んでいます。



映画・小説『日の名残』も執事としての仕事内容が豊富ですし、多くを学びましたが、あくまでもフィクションです。知識は断片的なもので、必ずしも「参考文献」としての要素をすべて満たすものではありません。その視点や示唆、心理描写は卓越していますが、やはり実際に働いた人の言葉、仕事内容などから学ぶのが適切でしょう。



ということで、久しぶりに執事の資料がどこにあるのか、整理しました。



『ヴィクトリアン・サーヴァント』

『THE SERVANTS' HALL』

『COUNTRY HOUSE LIFE』

『NOT IN FRONT OF SERVANTS』

『THE COMPLETE SERVANT』

『FLUNKEYS AND SCULLIONS』

『KEEPING THEIR PLACE』

『DUTIES OF THE SERVANTS』

『A Country House at Work』

『ROSE:MY LIFE IN SERVICE』

『GENTLEMEN'S GENTLEMEN』

『Of Carriages and Kings』

『BELOW STAIRS IN THE GREAT COUNTRY HOUSE』

『LIFE BELOW STAIRS』



単純にリストアップすると、これだけの資料本がありますが、「執事」の詳細について扱っている本は極めて限られています。その中で最も参考になるのは、実在した執事の言葉です。中でも、最も学ぶことが多いのは、当代随一、『Lord』とまで呼ばれたアスター家の執事Edwin Leeです。



同人誌7巻『忠実な使用人』にて取り上げた執事で、詳細はそちらに譲りますが、上級使用人の改訂版を作成するに当たって、彼の存在を知りえたのは幸運でした。執事の必要要件に、「調整能力」が必要なのは、彼から知りました。



ひとつ、面白いエピソードをご紹介しましょう。



彼がまだ執事として未熟だったとき、千人近いゲストが来るパーティを倫敦の屋敷で行いました。このとき、交通渋滞を予見した彼は警察官3人に事情を説明し、取り計らってくれるよう頼みましたが、指揮系統がばらばらで道路は大混雑。結局、交通を麻痺させてしまったのです。



その後、彼は「警視」「警部」などの命令権を持つ人に仕事を依頼し、二度と同様の混乱を招かなかったそうです。「権限のある人に、仕事を任せる」というのが、学んだ教訓だとか。



また、交通が麻痺しなかったとしても、それだけの数の馬車・自動車(彼の時代はもう自動車がありました)が来るので、玄関前でそれらを適切に裁き、また追い出していくのも屋敷にとって重要な仕事でした。専任の役割がおり、それをlinkmanといったそうです。



こんなエピソード、聞いたことがあるでしょうか?



映画でも小説でも、見たことが無いです。



実在した人たちの言葉、だからこそ、ですね。



「誰が本物であるのか?」を見つけるのもまた、資料本作成の楽しみです。



そんな感じで、粛々と進めています。



『エマ ヴィクトリアンガイド』と戦えるとの確信を持てた3巻『貴族と使用人(二)』、3巻を初めて超えた手ごたえを持った7巻『忠実な使用人』、それらをさらに上回るだけの密度を、この『総集編1』では実現できそうです。



懸念していたハウス・スチュワード、ランド・スチュワードも資料が見つかりました。が、ハウスキーパー、ヴァレット、ガヴァネスあたりがまだ弱く、ボトルネックになるかもしれません。



関連するコラムなど

使用人・メイドさんの手記特集1

『日の名残』、或いは「上級使用人・執事」補遺

日の名残り (ハヤカワepi文庫)
読み直すのは五度目ですが、味わいが違いました。去年の夏コミにて7巻『忠実な使用人』を作成したおかげで、今までに見落としていた、或いは真価に気づけなかった箇所に目が向きました。今までは正直なところ、書いてあったことの半分も理解していなかったのではないかと思えるほどです。



ここに記す文章は『日の名残』の文学論ではなく、『日の名残』で語られた「執事」という職業を、実在の執事のエピソードを交えて考察する目的で書かれています。



執事の能力とは、何か?


2011/02/06

2011年現在の最新知識で書き直しを行いました。[コラム]屋敷に仕えた執事に求められた4つの能力をご覧ください。






執事の本質1:計画能力

『日の名残』の主役である執事スティーブンスは、何かに触れて「計画」という言葉を用います。かつての主人である英国貴族ダーリントン卿が屋敷を手放し、数多くの使用人が屋敷を去った後、スティーブンスは様々なミスをします。




じつは告白せねばなりませんが、私はこの数ヶ月間に、仕事の上で小さな過ちをいくつも重ねてしまいました。取るに足りない些細な過ちとはいえ、これまで過ちというものに無縁であった私には、過つこと自体が心穏やかならざることでございまして、その原因についてあれこれと悲観的な考えを抱きはじめたのも、無理からぬこととご理解いただけましょう。

『日の名残』カズオ・イシグロ著/土屋政雄訳:P.10
そのミスの原因を、彼は以下のように振り返ります。




(前略)一連の過ちの原因は職務計画に不備にあって、それ以外のなにものにもない――これでございました。



いやしくも執事たるもの、職務計画の作成には、慎重のうえにも慎重を期さねばなりません。いいかげんな計画のために、これまでどれだけ多くの争いが起こり、過てる非難が交わされ、不必要な解雇が行われ、惜しい人材が失われていったことでしょう。



すぐれた職務計画の作成こそ一人前の執事の証明である――その意見に私も全面的に賛成いたします。私自身、これまで多くの計画を作成してまいりましたが、あとで変更を余儀なくされるようなものは、まず作ったおぼえがありません。これはあながち私のひとりよがりではないと存じます。
『日の名残』カズオ・イシグロ著/土屋政雄訳:P.10


職務計画とはすなわち、適切なマネジメント。マネジメントとは与えられた権限を行使して、資源や人材を適切に管理して、職務を遂行することです。現在の状況を適切に理解して、起こりえるトラブルを未然に防ぐのです。



たとえばシステムの仕事に置き換えれば、わかりやすいでしょうか? 主人を「クライアント」、執事を「システムエンジニア」とした場合、システムエンジニアは限られた資源と時間と予算で、クライアントの要望を満たすシステムを設計し、部下であるプログラマに開発を任せます。



しかし、クライアントへのヒアリングが適切でなかったり、調整がうまくいかないと齟齬が起こり、作ったものを修正する仕様変更が発生します。こうした設計や仕様策定の不備は現場にミスを起こしやすくします。執事が主人の要求を適切に解釈しなければ、低いレベルのサービスを提供することになります。



また、仕様を部下に伝え、品質を管理するのも大事な作業です。自分の部下がどういうレベルにあるのか、それがわからなければ、仕事は任せられません。



作りにくいもの、或いは作りこみが必要で他の誰かにとって理解しにくい仕様で開発を任せてしまうと、ミスが起こりやすく、修正も発生しかねません。現場がきちんとミスなく実行できるような、仕様は大切なのです。



さらに、「人間は間違える」という前提に立ち、エラーが起こったとしても致命的にならないようなフローやチェックを業務に組み込む、というのもシステムエンジニアには求められるかもしれません。



・主人の要求を適切に理解する。

・主人の要求を満たすよう、部下を動かす。

・部下がミスをしないような仕組み、ミスをしても致命的にならない仕組みを作る。



例えが少し迂遠でしたが、失敗やトラブルの目をあらかじめ摘み取っておく、というのが、スティーブンスの言う「職務計画」に近いでしょう。



何をなすべきか、何が起こりえるか、ある意味で「台本」に似たそれがしっかりしていればいるほど、舞台に上がる「役者」である使用人は、最高のパフォーマンスを発揮できるでしょう。



だからきっと、経営学やそうした人材マネジメントを学ぶ人がいれば、イギリスの使用人の資料や小説、伝わってくる世界は、サンプルに富んでいるのではないでしょうか?


執事の本質2:実現能力・対応能力

長くなりましたが、もうひとつ、触れなければならないことがあります。それは、完璧な「作戦」を立てたら、実現する能力が必要です。現場では様々な状況の変化が予想され、必ずしも計画通りに行きません。



適切な「判断」を下し、用意した計画に基づき、現場に混乱を招かず、最高のサービスを提供する能力こそ、執事に求められる力のひとつなのです。



前の例えがよくなかったですが、「職務計画」はあくまでも「戦争にて戦場に到達するまでの動因計画・補給計画」であり、こちらの「実現能力・対応能力」は、いざ戦闘が始まった場合に刻一刻と変化する戦場において、適切な指揮を執る能力です。



スティーブンスは、その能力を、備えています。主人であるダーリントン卿が国際会議を開催するに際して、ゲストを招くことに伴う使用人の困難が出現します。ここでは、「完璧な計画」を狂わせる諸条件と、乗り越える彼の意思が描かれます。



少し長くなりますが、以下、スティーブンスが会議を振り返ったときの言葉です。




期日が迫ってまいりますと、執事である私にのしかかってくる重圧も――ダーリントン卿のご苦労とは次元が異なるとはいえ――決して小さからぬものでした。お客様には快適にご滞在願わねばなりません。不快を感じるお客様が一人でもおられますと、そのために会議全体に計り知れぬ悪影響が及ぶことも考えられます。



私の計画作成作業は、不確実な要素の多さから、困難なものにならざるをえませんでした。たとえば、お客様の人数です。たいへんレベルの高い会議でもあり、出席者は、男性が著名な紳士ばかり十八人、ご婦人がドイツの伯爵夫人と、当事まだベルリンにお住まいだった、あの女傑として有名なエレノア・オースティン夫人のお二人、計二十人に限定されておりました。



しかし、それぞれが秘書、従者、通訳をお連れになることも考えられ、総勢が何人になるのかはまったく見当がつかず、それを事前に確かめる方法もありませんでした。



さらに、会議は三日間の予定でしたが、何人かのお客様は会議の数日前にダーリントン・ホール入りし、根回しをしたり、ほかの出席者のムードを保ったりしたいとの意向を示しておられました。しかし、正確なご到着日はいつになるのかは、やはり、まったくわかりませんでした。



『日の名残』カズオ・イシグロ著/土屋政雄訳:P.108
誰がいつ来るかも、どれだけの人数が来るかもわからない状況で準備できることは、ただ「何があっても対応できるようにする」ことだけです。



・使える部屋の数は足りている?
・ゲストの随行者が何人いても間に合う?

・使う部屋の掃除は完璧?

・想定外の人員に提供する食事の準備は?

・数日前に来るゲストの対応は?

・もしも従者を連れてきていなければ、誰が世話をする?



さらにスティーブンスは、こう続けます。


私どもダーリントン・ホールの召使一同には、たいへんな激務になることが予想されました。仕事量もさることながら、全員が常に神経を張り詰めて、機敏に、かつ柔軟に行動しなければなりません。



私はしばらくの間、外部から助けを借りなければ、この大行事をこなすことは無理ではないかと考えておりましたが、外部から人を入れることは、ゴシップが外部に漏れ出す危険を招くことでもあり、ダーリントウ卿がお許しになるまいと思われました。それに私自身にしても、過ちがいちばん起こってほしくないときに、力量も何も未知数の人手に頼らざるを得ないことになります。





『日の名残』カズオ・イシグロ著/土屋政雄訳:P.108〜109
現場の処理能力を超える事態が予想されるにもかかわらず、スティーブンスは「援軍」を招きません。それが現場の混乱を招き、また主人の意向に沿わないと考えたからです。



そして、彼は自分自身を「将軍」に例えます。




こうして、私は来たるべき数日間の準備に全力を傾けました。将軍が作戦を練るというのも、こんなものではありますまいか。まず、起こりうるあらゆる事態を想定し、細心の注意を払って特別の職務計画を作り上げました。



私どもの最大の弱点がどこにあるかを分析し、その弱点が突破されたときのために、幾通りかの緊急避難的な計画も作成いたしました。さらには、召使たちを集め、軍隊調に檄を飛ばすことまでいたしました……

『日の名残』カズオ・イシグロ著/土屋政雄訳:P.109
「敵を知る」のが難しい状況下、少なくとも「己を知る」こと、そして「弱点が突破されたとき」の対応策まで考える。時にそれは「魔術」のようにも、見えることでしょう。



執事が慌てない、ように見えるのはそれまでの経験もさることながら、その経験から導き出される事前の「職務計画」に裏打ちされたもので、有能な執事は粛々と計画通りにこなし、なるべく予想外の事態を減らして、事に当たるのです。


モデルのひとりと思える実際の執事:Mr.Edwin Leeから学ぶ

これだけでは『日の名残』の引用に終始してしまうので、上記に出た例を、違う角度で補足します。



スティーブンスと同時代(1930〜50年代)を生きたと思える実在の執事に、『ロード・オブ・クリブデン』(クリブデン卿)と呼ばれたミスター・エドウィン・リーがいます。



彼はエキセントリックなアスター子爵夫人に仕え、社交界に君臨した彼女の生活を支えました。執事として生きた彼のエピソードのひとつに、「外部から手助けを得る姿」があります。



パーティを主催するとき、どうしても足りない場合、外部から「フットマン」や「執事補佐」的な人々を集めました。スティーブンスは「外部からの協力」を、主人の意向を考慮して選びませんでしたが、こうした特殊な環境で無い限り、外部の協力を求めるのは珍しいことではなかったようです。




住み込みの使用人の仕事の募集がいっぱいあったように、パートタイムや一時的な求人も多くあり、特別な機会や新しいスタッフが来るまでの繋ぎとして、雇われました。



クリブデンでは、大きなパーティが屋敷で開催される場合、領地で働くスタッフの妻たちが、キッチンの臨時スタッフとして雇われました。追加のシェフやウェイターは、倫敦から連れてこられました。



ゴードン・グリムはかつてフットマンとしてクリブデンで働いたフットマンでした。彼は屋敷を離れて、他のキャリアに進みましたが、こうした特別の機会にはミスター・リーに雇われました。彼は他にも幾つも、倫敦でこうした一時的な手伝いをしました。



『私はアーリントン・ハウスでの「マッチング・フットマン」の補助要員の仕事をよく頼まれました。「マッチング・フットマン」とは、背格好が揃ったフットマンを選び、一緒に仕事をさせることです。私たちは王族を訪ねるような特別の機会のとき、髪に粉をまぶしました。私たちは主に装飾的な役割を果たし、ディナーの後は、薄暗い廊下に並び、そこに立って夜を過ごすのです。』



この一晩の仕事で、彼は二ポンド五シリングを稼ぎ、もしも髪に粉をつけた時は、さらに五シリングを受け取りました。しかし、こうした支払いに、減額はつきものでした。『仕事を終えて、支払いのサインをするとき、五シリングを執事に渡して、「もう一度、あなたに会いたいものですね」と付け加えました』
『LIFE BELOW STAIRS in the 20th Century』Pamela Horn P.51
こうした「臨時スタッフ」を集めるだけではなく、制服を手配し、役割を決め、トラブルが起こらないようにコントロールするのも執事の役目であり、ミスター・リーはその職務を全うしました。



トラブルはつきもので、例えばヴィクトリア朝末期のフットマン、フレデリック・ゴーストはあるパーティの時、「高級な葡萄」の盗難事件に遭遇します。この犯人は、宮殿から手伝いに来ていたフットマンでした。



屋敷に部外者を招きいれることは、リスクにもなる。その点で『それに私自身にしても、過ちがいちばん起こってほしくないときに、力量も何も未知数の人手に頼らざるを得ないことになります』と述べたスティーブンスの意見は間違っていません。



しかし、ミスター・リーの実例を見る限り、他にも「正解」はあります。逆を言えば、「常日頃から、力量がわかっていて、信用できる予備兵力」を用意することさえできれば、身内だけに頼ることで生じる現場の負荷を下げ、人員不足をカバーできます。



これはあくまでも理想論ですし、アスター子爵が社交界の中心にいたこともありますので、単純に比較できませんが、ミスター・リーに一日の長があったことでしょう。


執事の本質3:育成能力・人材収集力

ここで、小説が語らなかったもうひとつの要素が出てきます。執事が完璧な仕事を遂行するには、彼を手助けするスタッフが必要です。そのスタッフを育成し、一人前に仕立て上げていくことが重要な任務になるのではないでしょうか?



少なくとも、スティーブンスは「執事」として完成していたかもしれませんが、小説の中では、必ずしも「後進の育成」をしていないように見えるのです。彼が語るのは執事と主人のことばかり、スティーブンスは「己」を高めること、それが完成した執事に繋がると考えていたように見えます。



ただ、それではスティーブンスにフェアでないかもしれません。小説の中、スティーブンスが「人材育成」に関して「執事の資質」として強く主張する箇所は見当たりませんが、同僚のハウスキーパー、ミス・ケントンが見所が無いメイドを育て上げたことを評価する箇所があります。



この「人材育成」というあたりは、今書いていて思いついたことなので、事例や論拠が乏しいです。ただ、ここも重要な要素だとは思いますので、後日、どこかで補強します。



長々と書きましたが、何度も読み直すことで、新しい側面を持つ作品があります。自分が変わることで、違う輝きを放つ作品があります。過去、使用人の小説といえば『日の名残』だけが有名でしたが、これだけメイドや使用人の情報があふれる今だからこそ、振り返るだけの価値があります。



日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)



男性使用人・主人との絆など:7巻『忠実な使用人』