ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

「2つの使用人問題」を巡る19世紀末時点での女主人の見解

英国メイドの終焉を語る際には、「使用人問題」という言葉は欠かせません。英語では「The Servant Problem」「The Servant Question」と表記するこの問題は、時代によって「何が問題か」という意味が異なりました。



まず、19世紀末までに表面化した大きな問題は「優秀な使用人のなり手不足」です。こちらの見解は主に中流階級の女主人(=メイドの雇用主)の間で強い支持を受け、使用人個人の資質に対する攻撃や不満を含んだものでした。いわく、「昔の使用人は優秀だった」、いわく「メイドの質はひどく、訓練が足りない」など。



もう一つの視点が、同じ「なり手不足」でも、「メイドという職業全体」への需要に対する供給不足という、より高いレベルでの構造的問題を扱うものです。こちらが大きく顕在化し、政府が取り組み始めたのが第一次世界大戦に前後した時代で、1920年代以降はほとんどの場合、個人の資質云々ではなく、「待遇が悪いからなり手がいない」との社会問題として認識されています。



今回、夏の同人誌では『英国メイドの世界』で書いた続きとして、主に後者をテーマに扱いますが、たまたまネットをさまよっていたところ、前者の問題を扱った当時の女主人による著作を見つけました。ここで語られる世界は、空気感を知る意味で、非常に貴重です。



余談ですが、「使用人問題」はイギリスに限らず、19世紀末〜20世紀前半にアメリカでもフランスでもドイツでも日本でも形を変えつつ生じた事象であり、現在もいくつかの国々で生じています。


使用人への不満・被害者意識を丸出しする女主人

私が読んだ19世紀末の女主人の手による本は、質の悪い使用人に女主人がいかに苦しめられているか、を彼女の体験談や知人の経験、そして新聞などから集めた情報で満ち溢れた構成です。面白い点は、法廷の場で女主人は理不尽に負け続ける、との話です。



使用人の方が社会的立場が弱いことで同情を引きやすく、女主人に勝ち目はなく、女主人を保護する法律を作ってというのは、初めて見るものでした。ナースメイド、コックなど個別の職業についても彼女たちのひどい仕事ぶりのエピソードのオンパレードでした。



たとえばDevonshireから来たメイドの話は紹介状がないままに採用します。見た目も気質も良いように思ったものの、彼女は「父親です」「母親です」「親戚です」と、どんどんロンドンに親族がきたことにして、屋敷の金でもてなしを続けます。あるとき、このメイドが駅に迎えに行くと聞いた女主人が「その駅は、Devonshireからの到着駅ではない」と気づきます。他に、衣類をダメにされたり、ひどい目にあわされたりとして、紹介状を出さなかったという女主人の下を訪ねに行き、そこでこのメイドのひどさを教わり、解雇に踏み切りました。



もうひとつが、クリスマスの前に雇用したコックの話で、こちらは紹介状があったものの、コックの所業が怪しく、明らかに屋敷の食品や備品を部屋に持ち込んで隠し、同僚のハウスメイドから自分の行動を隠ぺいしようと動いています。途中で女主人は紹介状の主の下を訪ね、経済的に低すぎること(立派な家庭に努めたのではない)と、そこでこのコックのロンドンの家を突き止め、その家を訪ねて紹介状の筆跡が偽造されたものであること(姉妹の記述)や、コックの意図がクリスマスのための食材を持ち出すことにあると結論を下します。



警察沙汰→裁判・有罪、というところで落ち着きましたが、彼女が語る使用人問題は「質的問題」が軸足です。


解決策は教育・訓練

この「質的問題」に対する彼女の解決策は明確です。「優秀な使用人確保のための訓練」を提唱しています。職業に就くには、メイドたちは訓練が足りなさすぎる、その割を女主人(夫や子供の相手をするし、彼女の場合は身体が強いわけでもないので)は食っている、というものです。



引き合いに出されたのは、女主人たちの夫が活動する商業領域で雇用する、書記や店員、あるいは看護婦です。その職に就く前に訓練を受けているか、徒弟時代や見習いなどで訓練を受ける機会があると。メイドの訓練は女主人が行い、「使用人は女主人が作り上げる」との言葉もあるとしつつ、この本の著者はこのことを否定します。



ここで、私が分からなかったのは、この彼女が主張するロジックです。他の領域でも結局、「職場で一定の訓練を受けさせている」点で、女主人の置かれる境遇と変わりません。もちろん、業務の定型化が難しく、家族によってニーズが異なる仕事の複雑性が高い家事労働の訓練は、他の職種と若干異なるところもありますが、未熟な人間ならば雇わなければいいのです。



しかし、女主人は自分たちの負担を下げるためにメイドを雇用しますし、経済的に厳しい人々は安価なメイド=訓練を受けていないメイドを、「自分の意志で雇う」わけです。優秀なメイドが欲しければ、見合う代価を払えばいいだけです。しかし、代価を支払わず、優秀なメイドが欲しい、と言っているようにしか聞こえません。



メイドの仕事に時間の規律がない点について欠点として認めていますし、他の仕事との比較もしていますが、その時間の規律がない状況を生み出す業務の中心が「女主人」であることへの言及や反省が見つかりませんし(方向性として男性の無理解や男性軸の社会的価値観を責めている?)、メイドが過ごす部屋を快適にしたり、外の空気を吸わせるなどを提案しつつ、どう業務を減らすかの視点がありません。


メイドの職業訓練は需要に追い付かない

最終章で「私には夢がある」「ユートピア的であるが」と、メイドに限らず、女性の様々な職業の訓練校的なものを提案していましたが、ここでも説得力がありませんでした。職業訓練は受けられる人間の数も限られ、決して、巨大な需要を満たしえるものではないからです。



また、これは後の時代にも同様の経緯が見られますが、メイドの職業はこの時代、結婚=引退でした。つまり、他の職業より受けた訓練を活用できる期間が短くなっています。訓練を行い、優秀な人材を確保するならば、経験を重ねたメイドでも働ける長期的に勤められる環境が必要だと考えます。



結婚したメイドを好まないのは、メイドの側の都合ではなく、雇用主側の要請です。結婚したメイドの就職は難しく、なぜ実質的な引退に追い込むかは、個人的に「住込み」だからだと思っています。住込みによって家庭内に私生活を持ち込まれるのは好ましくないですし、子供や家族を優先されて人手が足りなくなっても困ります。



それを抜きにしても、最も大きな問題は労働環境が悪いからなり手が減っていく事実です。この著者は「優秀な使用人を雇いたい」としていますが、「優秀な使用人を雇うには使用人水準の底上げが必要」(彼女が遭遇した無能な使用人、犯罪などから)としつつ、あくまでも使用人側に努力を求めている点で、19世紀末的といえます。


見たくない現実は見えない・見ようとしない

少なくとも、冒頭で述べた「使用人問題」の問題分析について、1920年代までには「家事使用人の待遇が悪すぎる」と、広く周知されています。「法的に労働環境が保護されない」「社会的地位が貶められている」「女主人の権限が強すぎるし、個人の処理能力に対して業務量が過剰」と問題が明らかにされています。



今回言及した本自体がきちんとした資料本で大きく言及されているのをほとんど読んだことがなく、どの程度の位置づけなのかは、まだ把握していませんが、彼女の語る正しさの是非はともかく、そうした視点が盛り込まれた本が刊行されたことが興味深いです。



私が読んでいる本に偏りがあるのを自覚しつつ、こうまで見える世界が違うことにただ驚きます。「ゆりかごを揺らすものが世界を制する」的な、使用人の影響力を語る上での名言は気に入りましたが。



いずれにせよ、今回読んだ本の著者である女主人は、何度もダメなメイドに引っかかりすぎているのが、どうにもこうにも釈然としません。紹介状を偽られる実体験が2回出ていましたし、途中で疑惑を持って前職の雇用主に確かめにも行きましたが、最初からやれば済むことです。痛い目を見ているのですから。



信じたくないことは信じたくない、見たい現実を見るという人間心理が、対応を遅らせているようにも思えます。


サービスを安価に使おうとすると、サービス提供者の労働環境を悪化させる

女主人の見解は、どこか現代事情に通じます。



今回取り上げた女主人の要望は「雇用主は何も変わらず」「良質な使用人を得たい」とするもので、その間にある「悪い待遇」「低賃金」(裕福な屋敷に比べて相対的な低賃金)には目をつぶっています。ところで、これは過去の女主人の「都合がよすぎる要求」だったと一笑にふせないと私は思います。



個人的に現代メイド事情も含めて学ぶ中で気づいたのは、育児領域や介護領域、もっと広くサービス領域を含めて、利用領域が高すぎるから安く利用したいとの気持ちや、不規則な時間に合わせて使いたいというニーズが、働き手の賃金を安くし、労働時間を不安定にする引き金になります。



当たり前といえば当たり前ですが、行政サービスの利用料金が安いのは、その分だけ税金でコストを吸収してくれているからです。しかし、財政負担の増大に繋がり、いずれ限界を迎えます。英国では1980年代以降、IMFの融資を受けたことでの公共事業への投資が削減され、個人の負担は増大しました。



会社契約の人々や、公共サービスで働く家事サービス提供者が増えると、個人対個人で契約した頃よりもひどい待遇は出来ませんし、料金もかさみます。その隙間を埋めたのが、個人契約、移民など法的立場が弱く、低賃金労働でも受け入れる人々でした。公共で削減したコストを個人が負担し、個人は「安価に使える人々」を求めざるを得ず、またその質に対して不満を述べる構造が続いていることは、留意が必要です。



何かを享受しようとするとき、安価な何かを求めてしまう時、削れるものは人件費にならざるを得ないものは、多々あります。たとえば工場の海外進出の主要因となる人件費の削減ですが、工場ができると地元で経済発展が生じて賃金が上昇し、より安い地域へと流れる構造もあります。これは、常に貧しい人・低賃金で働く人を求めるトレンドでしょう。「世界システム」という概念を示したウォーラーステインに興味を持ったのも、この辺りからです。



低賃金労働を称えて:ひどい賃金のひどい仕事でも無職よりマシ:ポール・クルーグマンの言説も、有名なものですね)



現代事情を踏まえると、給与は稼げなくなるものの、週休3日制度の世の中を希望するのが、私なりの解決策です。その分、雇用のシェアも生まれ、消費も生まれると思いますし、家族と過ごす時間も増えるはずですから。週1日休む安息日の概念はあくまでも人間の取り決めに過ぎません。週休2日ですら、完全に実現されていません。



近代やメイドを学ぶと、そんなことを思うのです。


補足事項:2011/06/26 22:30追記

多くの人に読まれると想定せず、やや粗い感じのメモとして書いていたので補足を行います。ご指摘、ありがとうございます。現代と過去との価値観の比較は難しいものですし、私の言及が足りなかった情報を補いました。










中流階級の女主人に選択肢はなかった点

中産階級の女主人にとって、ご指摘のように、選択肢はない状況でした。まず、当時の中流階級としてのステータスを保つためにはメイドの雇用が不可欠で(雇っていないと恥ずかしいとの価値観)、さらに中流階級らしい生活水準を営もうとすれば人手が必要でした。「一定の生活水準」を期待されながらも、では使用人に使えた所得が大きかったのか、といえば大きいものではありません。女主人は限られた予算の中から、選択をしなければなりません。



実質的に家事使用人の仕事はインフラのようなもので、手に入る選択肢から入手せざるを得ませんでした。その中で「手に入りやすい(未経験者・若い層の)人材の底上げ」を個人の教育で賄うのか、社会へと期待するのかで、女主人の見解に相違が出ます。



個人で教育を行う場合、低賃金で雇えるものの、教育コストが必要です。しかし、メイドが一人前になると、メイドはより良い待遇の職場を目指して転職していく可能性が高まります。この点で、全体での底上げが実現されれば、女主人は「教育」を自己負担せずに済むので、今回の女主人は後者を期待していると私は読み取っています。



今回の女主人の経済的余裕についてですが、彼女の家庭はメイドを2名雇っている描写があることから、中流階級の中でも中間より下、下層より少し上ぐらいの位置づけでしょうか。決して高給を出せる境遇ではありません。愚痴りたくなる気持ちは、分からなくもないです。



ただ、労働環境は、女主人のスケジュール管理や支持の出し方次第で改善する余地もありました。すべての中小企業がブラックでないように、すべての女主人の用意した職場がブラックだったわけでもありません。



この中で不幸なことは、女主人自身が適切な家事教育を受ける機会を持たず、人を管理した経験に恵まれた人が多いわけでもなく、様々な矢面や社会的規範にさらされていた点は、今回のテキストでは抜け落ちている部分となります。



人の管理をできずに失敗する、という点では現代のメイド事情でも繰り返しています。「メイドの雇用主は部下を使うマネージャーであることを理解していない」との指摘もなされています。


高賃金よりも「待遇改善」を求めたメイドたち

賃金について、家事使用人がどれだけ不満を持っていたかについては、実は他の要因に比べるとそれほど大きなものではないと言われています。あくまでも相対的なものですが、今回はあまり言及しなかった1920年代の「使用人問題」へのメイド職の聞き取り調査では、メイドが求めたのは「高い賃金」より、「労働時間の緩和」「自分の時間を持てる機会」や「社会的に低い存在として扱われる・機械のように思われることへの改善」でした。



住込みで働くメイドは他の職業に比べて家賃や食費を免れる点で相対的に得られる賃金は多く、貯金もしやすい環境でした。それが故に選ばれる職業でしたが、他の職業が商業領域で広がっていくと、「長時間労働の緩和」「自分の時間を持てる自由さ」を求めるようになりました。住居と職業が分離する商業系の仕事に対して、家事使用人の仕事は業務が終わっても家にいて、呼び出されるリスクを持ちました。



この点を、1920年代の「使用人問題」を扱う人々は理解しており、労働時間の規制や他に休日の定義など法を整備したり、休み時間に呼び出さないとか仕事の量を減らす工夫をするなど改善を促す提案を行いましたが、現実には高い失業率もあってか、法律は成立しませんでしたし、メイドを雇えない人々が生活水準を変えていく動きなども見られました。



最後に大きかったのは、人として扱ってほしい、との要望です。人として扱わずに機械のように思うから、自分では行わない長い労働時間を強いるのだと。「使用人は家具である」との言葉もありますが、以下は1920年代に問題を分析した心理学者Violet Firthのコメントです。




『女主人は使用人に労働を求めるだけではなく、女主人の優越を示し、彼女から賃金を受け取る女性に劣等感を抱かせる礼儀作法をも求めます。使用人の仕事そのものには軽蔑を受ける要素はありませんが、使用人に求められる態度には、雇用主から見下されるような、それも個人の尊厳を傷つけるような何かが存在しているのです』
(『The Psychology of the Servant Problem』P.20)


この補償は、高い賃金では解決しえないともViolet Firthは述べています。



私は「安い賃金」と書きましたが、低待遇も含めて「安いコスト」の方が言葉として適切でした。


補足:家事の大変さを書いたテキスト:『家事の歴史からメイドがいた風景を知る』シリーズ

前編:近代英国の家事についての読書メモ(料理や燃料、照明の話)

後編:近代英国の家事から見るメイドがいた風景(掃除や洗濯など)


近代英国の家事から見るメイドがいた風景(掃除や洗濯など)

昨日のエントリ、近代英国の家事についての読書メモ(料理や燃料、照明の話)の続きです。なぜメイドが雇わらなければならなかったのか、メイドがどんな環境で家事をしていたのかを、家事の歴史の観点で照らすものです。



参考資料は、近代英国三世紀の家事の歴史を扱ったA Woman's Work is Never Done: History of Housework in the British Isles, 1650-1950です。


衛生・清潔さ

CLEANINGの概念・価値観は相対的なもので、英国の地域によっても異なりました。18世紀の外国人旅行者が英国の清潔さを絶賛する記録が残っていますが、家事を行う裏側はそうではないとの指摘もあります。『英国メイドの世界』でも取り上げたと思いますが、たとえば肉をローストする際に回転させる動力として犬を連れ込む(キッチンに犬の毛が舞う可能性)、タオルが汚れているなどの話も残っています。



ただ清潔さは一種の消費や、生活習慣に根差すものです。労働者階級と中流階級では財力に差があり、たとえば洗濯の頻度や衛生観念にも差が出ます。同様に、アイルランドブリテン諸島でも生活習慣の差があり、アイルランド移民のメイドの清潔感が、雇用主をいらだたせることもありました。



繰り返しですが、清潔さは、消費です。しかし、英国ではメソジストで福音主義に影響を与えたJohn Wesleyの影響で、信仰と清潔さが結びついていました。清潔さは、信仰心と同じく大切にされたのです。その結果、清潔と美徳が結びつきやすく、罪を犯した人が清潔にしていると違和感があると、語った人もいます。



少し余談となりますが、19世紀に重んじられた「リスぺクタブル」という、「社会的に認められるかどうか」という指標の一つに、見苦しくない格好をすることも含まれました。そう考えると、先日のコラムで記載した「第二次世界大戦前後の時代にもっとも普及した電化製品のひとつ」が、「電気アイロン」だというのも、「しわのある服を着ることを忌避する」心理の表れかもしれません。



尚、清潔さが追及された点については、猛威を振るった伝染病(過去にはペスト、19世紀にはコレラ)への対応を公的に行うようになっていったことも影響しています。この近代における伝染病対策は、国家増強の資源・手段としての「労働者」を維持する権力の働きかけを、思想家フーコーは指摘しています。そのフーコーの言説に基づき、ヴィクトリア朝を考察したのは、下記書籍です。(私はまだ、ここの部分を学習中です)



ヴィクトリア朝の生権力と都市

ヴィクトリア朝の生権力と都市




掃除

ということで、清潔さの演出も大切でした。都市に住む中流階級の人々は、玄関前の階段に、白くする粉をまいた工夫をしたエピソードもあります。土足の生活と石炭の利用が家中を汚したと私は考えていますが、掃除に使った道具類には、砂や石鹸、そして掃除機が出てきます。

掃除機はなかなか普及しませんでしたし、初期は巨大な大きさでしたので家庭で買うには高価すぎました。そこでまず商業施設、リース、そしてエドワード7世がバッキンガム宮殿に導入することで王室でも利用されました。ちなみに、電気照明については、チャーチルの母親モールバラ公爵夫人の家庭が、ショーケースとしての役割を果たしたそうです。



生活レベルの変化は、掃除の負担にもなりました。同じ皿を使って食べる習慣が変化して個別に皿を用いるようになる(陶器類の安価な普及も必要)と洗い物も増えました。カーテンや絨毯で家を飾るのも掃除の質を変えますし、窓ガラスも磨かないといけなくなるので経済発展とも相関が強くなります。



だからメイドが必要、との話に繋がります。



余談ですが、この項目で何が一番驚いたかというと、大好きな作家トマス・ハーディの家に勤めていたパーラーメイドが、ハーディの家の暮らしを本にしていたと知ったことです。ハーディ研究者にとっては当たり前かもしれないですが。ハーディーは1840年生まれ、1928年に逝去で、結構長生きしていました。



このパーラーメイドは1920年代にハーディーの家に勤めた人です。この記録は入手し、トマス・ハーディに仕えたパーラーメイドの記録『Domestic Life of Thomas Hardy』(2011/06/04)で、紹介しました。


洗濯

洗濯は『英国メイドの世界』のランドリーメイドで学んでいるので復習や、他の資料から以前読んだ本の妥当性を補う感じでした。よく考えると、足で踏む洗濯って女性の足を見せてはいけない価値観の時代だと、すごいことだったんだなぁと。



ちょっと意外なのは、家の中で十分に洗濯出来る環境がないと、川沿いに出かけて水汲んでお湯沸かして、その川沿いで洗濯するという話でした。他に、衣類のシワをとるために、墓石の上に広げて木のローラーで伸ばした人がいたというミニエピソードが。絞り機がないので代用に。現実は想像を上回りますね。ここでも、そんなにしてまで、「シワ」を伸ばさなければならないのか、と。



洗濯の流れとしては、「叩き・もみ洗い」→「漂白(アルカリ性:尿や糞や灰→石鹸)」、他にのり付けや青み付けという話も出ています。現代でも室内干しは苦労がありますが、過去の英国の室内干しはさらに大変そうでもあります。煤が多いと、雨が降っていると外に干せないのは同じです。洗濯物を地面に落とした時の絶望感も、伝わってきますね。



英国貴族はロンドンに滞在中、領地のある屋敷に洗濯物を送り返しました。ロンドンで洗濯を行うよりも、豊富な水に恵まれ、石炭の煤も少ない地元で行う方が合理的でした。



最後に洗濯機の普及については値段だけではなく、給水と排水、並びに電気のインフラが必須だったので1948年の調査でも3.6%の家族が保持、というレベルでした。過去にあって、商業ランドリーの利用はなかなか進まず、1942年の労働者階級調査では73%の回答者が自宅で行っていました。



値段的に商業ランドリーは安いはずですが、ためらう理由として「衣類が傷む」「他の人の衣類と混ざるのがいや」「勝手に着用されるかもしれない」との不安だけではなく、「自らの手(家庭)で行いたい」(欲求か強迫観念かは別として)との心理も指摘されていました。



面白かったところは、自家製石鹸を作る障壁として、必要となる脂類が、灯火での利用と被って喰いあうとの話です。石炭利用が進むことも自家製の石鹸作りを遠ざけました。植物性の灰と違って、石炭の灰の洗濯への利用はできないからです。



と、Twitter上で、漏れていた点をご指摘いただきました。







昔の場合は煮沸消毒したいという欲求もありましたが、石鹸と硬水の関係は。"硬度の高い水での洗濯"に。日本で暮らしていると気にならないですが、外国人の大疑問:日本の洗濯機はどうしてお湯が出ないのですか。というのも見つけました。



ヴィクトリア朝の頃もお湯に熱湯を用い、そして、危険でした。


メイド雇用は「疫病」か?

最後は、家事使用人についてです。基本的に下層中流階級主体。思想家カーライルの家は32年間で34人のメイド雇用しました。その遍歴はどこかで紹介しますが、とにかく辞めていきました。



低い経済力では未熟なメイドを雇いますし、トレーニングも必要でした。しかし、育ったころに出て行ってしまうのです。メイドが実家で家事経験を積んでも、経済レベルや要求水準は勤め先ごとで違いすぎ、役に立たないことも多いものでした。



1898年のロンドンを除くEnglandとWalesの2443人のメイドを対象にした調査では、35%が1年以内に離職。4〜5年同じ職場は5%、10年以上は8%でした。(近いうちに、メイドの離職率と年齢別のデータをウェブにアップします。年代が経つごとに、徐々に若い子が減っていきます)



とはいえ、こうした離職率の高さはヴィクトリア朝固有ではなく、もっと前の時代から一般的でした。18世紀になっても19世紀になっても、そして20世紀になってもなお、雇用主たちは「昔の使用人の方が従順でよかった」とノスタルジックに語ってますが、「今の若者は〜」的な話に似てます。



話がそれますが、この「昔の使用人はよかった」は英国に限った話ではなく、日本でもアメリカでもありましたし、最近読んだ香港の現代メイド事情でも、似たような話が出ていました。



他に、仮説として出ていたのが、家事技術の伝播者としての使用人です。主家に同行して社交の季節にロンドンへ出る使用人は文化を持ちかえったとされていますが、家事にまつわる知識や技術も、転職を繰り返す使用人経由で伝播した要素があるかも、との指摘です。



あとは使用人不足の話ですが、その辺は夏の同人誌で扱います。



他に福音主義者が好んだ「メイドの勤めは結婚前の修行」的な当時の見方のひとつも出てきますが、経済力の差もあって結婚後には必ずしも全部は役立たないとの事例(ex,食器の数が違う、家計の規模が違う)が出ています。


女性と家事仕事

「なぜ、家事が女性の仕事として、また責任領域として疑う余地がなくなったのか」と問題提起がありますが、その中で、本書では女性の家事労働時間の話にふれます。



家事サービスの仕事が「女性の仕事」と思われるようになった経緯については諸説あります。その中で本書では、男性使用人への課税に言及して、女性比率が圧倒的に高くなった現実からの影響が考察されています。この辺はあまり見ない指摘です。「家事をやるメイドが大勢いた→だから、家事が女性の仕事」と。



18世紀ぐらいには男性も家事を分担していましたが、19世紀には家事をする姿を外部に見られないようにしたりと、家事の回避が進みました。労働時間の長期化や「外で働いて疲れたから、家事をしない」という労働者化が進みましたが、その対照的な存在としてアイルランドが指摘されます。



このアイルランドは結構独特で、そのうち細かく調べたい領域です。産業革命が進み、男性の労働者化が進む英国本土では男性が家事労働をする姿を見られるのを忌避したといわれていますが、アイルランド(あるいは産業革命以前)では男性が家事を分担した、と。また、アイルランドは男性使用人の課税がなかったので、男女の家事分担や使用人数のバランスが取れています。



あくまでも「家事使用人」による影響の「考察」にすぎませんし、この辺りの話はまた別の機会に。



終わりは1930〜40年代に調査した、家事労働時間の調査が共有されます。現代と比較していませんが、労働者階級、つまり大多数の女性は勤めに出ていたし、家業を手伝っていたし、その上で家事に時間を費やしていた風景もあったよと。女性の社会進出という言葉もありますが、労働者階級の女性たちは、家業をしたり外で働いたりした後も、家事もして、男性より長時間働く姿が見られました。


終わりに

私がメイドの世界に興味を持つのは、メイドが好きだからだけではなく、そのメイドが雇用された家庭の置かれた環境が、現代社会に繋がるからです。アイロンのかかったシャツを、なぜ私は綺麗に感じ、好むのか。



また、私たちが現在享受している豊かさは、どのようにして成立していったのか、と。知らずのうちに、自分に刷り込まれている、近代に成立した価値観を相対化していくのが、メイドを学ぶことなのかとも思います。



最後に、メイドが雇用された社会背景にも言及していますので、屋敷で働くメイド・執事の仕事が分かる資料本『英国メイドの世界』:第一章の試し読みを是非。


近代英国の家事についての読書メモ(料理や燃料、照明の話)

少し前に、近代英国の三世紀に渡る家事の歴史を扱った『A WOMEN'S WORK IS NEVER DONE』の読後感想をまとめて呟いていたので、ブログ用に再編集しました。ざっくりした本の感想まとめです。



メイドがどういう職場で働いたの、というところの理解なしに、彼女たちの業務は把握できません。家電がない時代、生活レベルを上げることは、それだけ多くの労働力=メイドを必要としました。ただ、あくまでも同書の主体は近代から家事に責任を持った女性を中心に、その家事環境と電気ガス水道のインフラ、それに利用できたテクノロジーの話などをしています。



その点では、以前ご紹介したアメリカ事情を扱う『『お母さんは忙しくなるばかり 家事労働とテクノロジーの社会史』感想(2011/01/31)と重なりや相違があります。比較して読むと、より楽しめると思います。



長くなったので2回に分けます。前半は社会インフラや料理、燃料、照明の話で、後半は衛生観念や洗濯、家事使用人の話を。



参考資料:A Woman's Work is Never Done: History of Housework in the British Isles, 1650-1950



※あくまでも、メモです。


電気・ガス・水道の普及

現代日本で普及し、近代に普及していなかった社会インフラは電気・ガス・水道です。いずれも普及して家庭に届けるには、鋼や鉄や銅といった工業製品が大量生産されて、安価な水道管・ガス管・電線などが利用できることと不可避でした。その点では、こうした社会環境が英国で十分に整っていくのは、20世紀以降の出来事でした。



労働者階級よりも経済的余裕を持った中流階級の家庭では1920年代に、それまで家事労働を担っていた使用人のなり手不足が深刻化し、電気やガスによる家事削減での家事労働力不足解消の提案が行われました。様々な設備を導入するコストより、使用人の人件費の方が安い時代には使用人の労働力への依存が続きましたが、使用人を雇用できなくなったり、雇用しにくくなっていったりすると、設備投資や仕事を楽にしようとする試みが始まりました。



電気普及の主体のひとつには、EAW(女性のための電気協会)があり、家事総量削減のために当時の家事労働時間の比較(電気導入前・導入後)をして、削減できる数字を(独自の計算式ながら)発表し、電気普及に協力しました。同書によると、「水」と「ガス」の普及に女性のアクションは目立っていませんが、電気だけは女性が集合的・積極的に家事へ導入する動きを見せたそうです。



1935年でしょうか、電化されていない家は週26.5時間を家事に使い、電化すると7時間で済むという話ですし、1930年代には家事労働の時間の可視化を行う調査も他に行われました。



しかし、1948年までの家電の普及率を見ると、電気アイロンと電気室内暖房がメインで、他はあんまり高い数字ではありません。"電気は中流階級の女性や貧しい女性たちにとって最良の友"という1934年のコメントも出ています。結果としてこの年代の普及は知っていましたが、その背景のアクションに女性の関与があったという話は面白かったです。



ちなみに現代事情では家事労働は依然男女格差が歴然=OECD調べ(2011/04/13)と記事が出ていますし、その元になったOECDの資料は、Who’s busiest: working hours and household chores across OECDとなります。


調理・料理・燃料

英国での料理は「煮る・パン焼き・ロースト」がベースでした。魔女やファンタジーで見る吊るした鍋は囲炉裏的なもので、あの形態では複雑な調理器具が使えませんでした。そこから開放式の石炭レンジ→閉鎖式の石炭レンジを経て、ガスや電気調理器具へと至りました。



ガス調理器具の普及への始まりは19世紀後半と実用化からかなり間隔が開きます。その理由は電気会社・電燈の台頭でガス会社が脅かされ、新しい消費先を求めたことにも影響とのことでした。



パンを焼かなくなる、ビールを自家醸造しなくなる、というのも家庭の生産能力がアウトソーシングされる歴史の中で語られることですが、他に石炭の利用については流通が大きく影響しており、地域によって手に入れられる燃料に差が生じました。地産地消、というのでしょうか。



農村では乾燥させた糞の利用が根強かったりとの話や、スコットランドでは特に
ピート(泥炭)が使われました。動画探していたら、切り出しているところや、ピートを燃やしたものがあったので是非。







燃料の話では、過去の英国ではアメリカ的なストーブや温室にあったような温水管による暖房をあまり見ません。多くの人々は借家に住み、設備投資の問題でリプレイスされないままで、冒頭の話に戻りますが、メイドを使った方が安い時代は新技術に設備投資しない、という話もありますし、国民的な好みとして「暖炉」に集まり、みんなで「赤い炎」を眺めたいという願望も指摘されています。



しかし、お金持ち以外は石炭がもったいないので、暖炉で燃やすのは1室ぐらいという話でした。その都度、メイドがつけたり消したりしていたのでしょう。


照明の話

窓に課税された頃は家も暗く、日中の家事もそう考えると大変な状況でした。燃料に使われたのは、イグサを使った蝋燭、獣脂、蜜蝋、クジラの脂でした。これも出身地域で使える燃料に差異も出ました。ランプの燃料も漁村では魚やあざらしのオイル(十五少年漂流記)、植物油も利用。他に燭炭(cannel coal)も存在しました。



モミの木や、海辺では海鳥の脂なんて言う話もあり、近代にあって、都市化が進む前に多数を占めていた農家の人々は、材料を身近なところから調達して、家庭で使う品物を自給自足していました。都市の住む労働者はこうした資源にアクセスできないので、既成品を買うことになります。



そこから鉱物製のランプのためのオイル(石油など)が登場します。年代ごとに使えた照明の種類も違ってくるんですね。ただ便利な石油ランプでした。男性使用人が蝋燭やランプ類を扱い、フットマンやボーイが管理を行いました。管理が大変で、多くのランプを使ったRutland公爵家の屋敷Belvoirでは6人以上が専任でランプの清掃に従事しました。





他に、ランプの形態にも進歩がありました。それを促したのがArgand lamp(V&Aに所蔵)であり、さらにそのランプを改良したのがRumford伯爵です。石油ランプからガス照明、電気照明へと転換する中で、掃除の手間も減り、燃焼時の匂いも無くなっていきました。これだけでもガスや電気を導入する価値はあります。



twitter:74653466294890497:detail



このようなご指摘もいただきました。確かに、銀の燭台や食器でのディナーは光の輝きも違っていそうですね。だからこそ、その銀食器の磨きが素晴らしいと、担当者の執事やフットマンが褒められたのでしょう。また、ランプや蝋燭の光で見る宝石の光も、現代と違うといいますし、その辺りは谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』にも通じるでしょう。



陰翳礼讃 (中公文庫)

陰翳礼讃 (中公文庫)





最後に印象的なのは、照明が自由に使えるようになって家事の時間が日中以降にしやすくなったとの話です。夜にも安価に照明を使えるようになったことで、家で過ごす時間も変わっていきました。



というところで、次回へ。


『英国メイドの世界』第一章「英国使用人の世界」PDF公開開始

英国メイドの世界(著者による紹介)ページにて、第一章「英国使用人の世界」のPDF公開を始めました。以下、Twitter上での告知と同じ内容です。



データの都合上、見開き2ページでPDF1ページとなっています。既読の方でもPDFにすると読みやすいかもと思ったものの、上記都合で、大きめのモニターで読むのが適しています。試し版ということでご了承ください。また、『英国メイドの世界』PDFのファイルサイズは約23.7MBあり、私が普段使っているサーバにファイルを置いているので重い際はご容赦を。



『英国メイドの世界』PDF版公開の経緯は、以前の職場の同僚の方(特にメイドに興味がない)から「第一章を読むと、メイドのイメージが伝わってきたので公開したら?」と助言されたことによります。その後、担当編集の方に調整していただき、実現しました。



今の時代、それほど「試し読み」は大げさな動きではありませんが(星海社ではシリーズものの1巻を丸々公開していますね)、ご購入検討の際や友人へのご紹介などにご利用いただければ幸いです。



以上です。


『英国メイドの世界』ネット上での感想のまとめ:その2

『英国メイドの世界』に関連して、読者の方がつぶやかれたことや、その補足をとりまとめる更新の2回目です。なんというか、ブログで書ける分量をつぶやいているので、ブログがおろそかになっているという気もします。



まとめてみると、結構ありますね。



1回目は『英国メイドの世界』ネット上での感想のまとめ:その1に記しています。



その日につぶやいたことも混ぜています。


2011/04/29更新分




2011/04/30更新分












2011/05/02更新分




『英国メイドの世界』刊行から半年経過と振り返り

『英国メイドの世界』をお買い求めいただいた皆様、並びに読みくださった方々にお礼を申し上げます。2010/11/11の『英国メイドの世界』発売から、半年が経過しました。幸いにも二度の重版を経験することができました。



英国メイドの世界

英国メイドの世界





発売後は精力的にPRに取り組んできましたが、特にここ1か月は「半年が経過すると、返本される可能性が高まる=書店という『面を失う』」との話を聞き、焦りながら可能なことをしてきたつもりです。



書店からの返本が多数生じた場合は出会いの機会が減ります。ネットを軸にした販売へと移行すると、全体を試し読みしたり、手にしたりする機会が減ることや「偶然の出会い」の確率が下がりますが、これからしばらくその結果待ちということもあって、まずはこの半年間を振り返ってみようと思います。


はじめに

元々、同人活動をしていたこともあり、「本を作る」だけではまったく認知が得られないことは自覚していました。同人イベントに参加しても、まず人が通らなければ本は読まれません。読まれなければ評価もされません。見つけてもらえなければ、存在しないも同じとなります。



著者が本の宣伝を積極的に行うことには賛否があるかもしれませんし、本を読んで何を思うかは、読者に委ねられる部分もありますが、少なくとも私はこれまでの同人イベントの経験から、「伝え方を変えると、興味を持ってもらえるかもしれない」と考えました。ゼロから押し付けるのではなく、元々、本人が気づいていない共感しえる部分に響かせるように伝える、との考え方です。



その中で最も強い文脈が、「代々仕えることの少なさ・高い離職率」「働いて、転職する使用人像」「屋敷を職場と見なし、業務を定義する」本書の構成です。屋敷を働く会社員の眼差しで照らすという視点を明確にすることで、現代を生きる方々にも興味を持ってもらいやすいと考え、ブログでその辺りの橋渡しを行うつもりでした。



また、同人版『英国メイドの世界』が2008年にネットで一時的に話題となったこともあって、「あの時、出会った人たちにまたお会いしたい」とも考えました。特にあの当時に買えた方、買えなかった方々に届けることができれば、それは「本」を届けるだけではなく、「過去が現在と繋がる物語」を体験を味わっていただけるのではないかと、そのために「見つけてもらう」「気づいてもらう」情報発信にも努めました。



これも同人からの経験ですが、ウェブと同人イベントを含め、情報の伝播には限りがあります。自分が情報を出した時に見ているとも限りませんし、同人イベントの時だけ足を運んでくださる方もいます。「情報は届かない」前提で、多様な角度で語り続けることが、自分に課したことでした。



そして、発売から半年が経過しました。何をしてきたのかを書いてみます。


発売前

『英国メイドの世界』で描けること・描きたいこと(2010/10/11)にまとめていますが、これに沿ってコンテンツの幅広さやこれまでの本にまつわるエピソードをご紹介するつもりでした。



ところが、やや「自分が伝えたいことが軸」になっている気がして、「興味を持ってもらえるように書けていない」のかなぁと、ここの更新は一旦停止して、少し様子を見ようと考えを変えました。



また、「同人版を持っているけど、どう違うの?」との疑問も想定されましたので、ひとまず目次や情報の見せ方、同人版との相違など補足(2010/11/06)を更新しました。


発売直後

発売後しばらくは、「買えない状況の是正」に努めました。アキバBlog様に掲載されたこと、Twitterでの情報共有などで『英国メイドの世界』発売ご報告(2010/11/13)に記しましたように、AMAZONで最高総合順位31位、在庫切れ・ネット在庫の増強(編集部・営業部による対応をしていただきました)、並びにbk1での売上ランキング1位といった、ネット上で非常に大きな反響を得る初動となりました。



買えない状況を是正するため、比較的在庫が多い書店を案内を行いました。『英国メイドの世界』を一定数扱っている全国の書店情報(2010/11/15)です。このリストは秋葉原のメイド私設図書館シャッツキステとのイベントの際に「帰り道に書店で買ってもらえたら」と、発売前に営業の方に教えていただいたものでした。



その後もお求めの際は一般書店や大学生協などへ(2010/11/19)と案内を行いつつ、裏では『英国メイドの世界』発売5日目で増刷決定・第二刷の見本誌届くと、増刷による対応が粛々と行われていました。



発売後はこうしたサポートに徹しつつ、所々で啓文堂書店三鷹店様にて関連書籍フェア(2011/11/23)といった嬉しい話や、店頭での画像は、二度と再現できない瞬間(2010/11/27)と記したような書店でのPOPや平積みの写真を教えていただく機会があり、とても嬉しかったです。



発売からしばらくして、一つの大きな節目となるイベント、秋葉原・シャッツキステにて『英国メイドの世界』出版記念コラボイベント(11/24〜28まで)(2010/11/23)を行いました。この企画は私の方で出版時に一緒にシャッツキステと何かやってみたいと思っていたところ、偶然、店長の有井エリス様からお話をいただいたという、偶然の産物でした。



このイベントで実際の読者の方にお会いして話をする機会を得たり、同人誌を一緒に作ったり、企画用の展示やメニューを楽しんだりできました。シャッツキステとの出版記念コラボイベント・無事終了(2010/11/29)に感想を記しましたが、出版を経験したことで体験できたイベントでした。


発売後しばらく:2010年12月

初動が去った後に『英国メイドの世界』重版により店頭・AMAZON等への在庫補充開始(2010/12/01)のように在庫情報をお伝えしていくことと、いかに出会いの機会を増やしていくかというところで、ブログでの更新をいろいろと試していた時期です。



Twitterの反応として「同人版を持っているから買わなくてもいいかな?」「買うのを迷っている」との言葉を拝見し、「講談社版がどれぐらい違うのか、以前書いたものではなく、より具体的に振り返ってみよう」と、自分の勉強も兼ねて、次のエントリを書きました。



出版社から出ることで同人誌はどう変わったか?(2010/12/07)



ところが、これが想定外なことに、出版や編集の現場にいる方に届くコンテンツとして、多くのアクセスを集めることとなりました。この経験から、「伝え方を広げると面白いなぁ」と、自分の方向性の再確認ができた気がしました。



ちなみに、英国貴族の屋敷の分業・専門化した業務フローを可視化する、という伝え方(2010/11/19)の方は、さっぱりでした。



また、その時期に自分が読んでいた本の感想と、メイドがどう繋がっていくのか、あるいはメイドに限らず「メイドがいた時代・近代」への関心の高まりを自覚していたので関連がありそうな本を紹介することをしました。



『まおゆう』刊行を記念して、振り返る「近代」関連の書籍(2010/12/04)

『イギリス近代史講義』〜現代を照らす一冊(2010/12/15)

『小さいおうち』〜昭和前期の「メイド」が主役の直木賞受賞作(2010/12/20)



他に、星海社・最前線『非実在推理少女あ〜や』のメイド喫茶モデルがシャッツキステ(2010/12/19)で書いたように、漫画中に『英国メイドの世界』を出していただくという嬉しい出来事もありました。



年末年始で「お年玉で買ってもらえるかな」と淡い期待を抱いていたところ、ネット書店で在庫切れ(補充は年明け)・書店をオススメします(2010/12/24)と、重版も尽きる状況を迎えました。いろいろと事情があって、店舗とネット在庫に偏りがあったというところですが、慌ただしいままに年明けを迎えました。


発売後しばらく:2011年01〜03月

年が明けた時に2010年を振り返る&2011年への抱負(2011/01/01)を新年に書き、在庫補充は2011/01/20前後を目安(2011/01/06)と、第三版も決まっていたので対応待ちをしていました。



この辺りで発売から2か月が経過したので、出版した本に1日でも長く生きてもらうため、著者に出来ること(2011/01/16)を書き、タイトル通りの振り返りを行いました。これは、この先に自分にどんな選択肢があるかを見つめ直そう、この後、「沈むだけ」になるのは避けたいという気持ちもありました。



本を書店で初めて売る体験から気づいたこと(2011/01/26)

書店で本を売る現状認識と著者が提案可能なアクション(2011/02/07)

書店・店員様向けの案内を告知するカテゴリを、サイトに新設(2011/02/16)



結論としてはあまり面白味のないところに落ち着きましたが、上記については今後も継続的に行うつもりです。



ただ、年始から出版以外の領域での情報整理も行っていて、過去にまとめたもののアウトプットを始めました。こちらは宣伝というより、「日本のメイドブームに支えられた立場として、出版を通じて恩返しできることは何か」を考え、「ネット(特にwikipedia)に載っていないメイドブームコンテクストの可視化」と、「テレビで伝わる特定のメイドイメージの強さの把握と、それ以外のメイドイメージの整理」を始めました。



自分にとっての原点探しでもありましたし、世の中に伝わるメイドイメージの強さに驚いたのもあります。また、出版を通じて意外と情報が集まる立場になっていたのも契機となりましたし、「今、テキストを残しておくと、10年後に興味を持つ人が調査しやすい」と思いました。



日本のメイドブームをフロー図にする試み中(2011/01/19)

10年後に読んでくれる人がいることを願って(2011/01/29)



途中、『348人の女工さんに仕事の話を聞いてみました』が描き出す「個人の言葉」と英国メイドとの共通性(2011/03/08)と、「女中」ならぬ「女工」の話に刺激を受けつつ、英国の「メイド」は待遇を改善する転職をするし、キャリアアップも行う(2011/03/08)とのテキストも書きました。



2011/03/11に東日本大震災があり(東京では震度5強)、その後も様々な出来事が続き、何をできるのか、どう生きていくのかに自身の気持ちが切り替わりました。しかし、自分にとって近代やメイドを学ぶこと、そして出版や表現は「生きること」であったので、そのことを他の方々にも教わりながら、自分の範囲で出来ることを続けました。



今もそれは継続中です。


振り返り〜宣伝に飽きてくること

4月に入ると、AMAZON在庫手配補充中と返本の時期(2011/04/23)と題したように、在庫の補充確認や、「返本」が視野に入ってきました。「返本」は当たり前に起こりえることでしたが、個人的には「大変だ!」と、急に活動を加速させた次第です。



『英国メイドの世界』感想のTwitterでの共有と在庫状況(2011/05/02)

『英国メイドの世界』ネット上での感想のまとめ:その1(2011/05/02)



自分が関心を持つことを軸にブログを書くという、今までと変わらないスタンスを続けてきたつもりでしたが、当初の計画通りに動けなかったと思うこともあります。思ったより、多様な本の伝え方をできていないことです。


飽きてしまう自分

ひとつは「飽きてしまう自分」「同じことを繰り返し言う自分への嫌気」です。たとえば何の気なしに、「はてな記法」で自分の本の紹介をするたび、AMAZONへのリンクを張っていたのですが、気づくと自分ばかりなのです。「どんだけ!」と思いましたし、とてつもないノイズになってしまったかなぁと反省しました。



Twitterでも自分の本の話題ばかりを呟いているような気がして、バランスが悪い感じがしてきました。しかし実際は、自分の視点で見れば「同じこと」であっても、繰り返しであっても、外から見ればそうではないことが多々あります。Twitterは見ている瞬間に呟かなければ消えていきますし、ブログも常に同じ方が見ているとは限りません。



現に、半年が経過した今になって、「私の本を知り、購入する」方々がいます。半年をかけても、ネットで活動をしても、書店に本が並んでも、同人イベントに出ても、いまだに接点を持ちえない方々が存在しているのです。そのことに絶望はせず、むしろそれが希望となります。


結果の見えにくさ

もうひとつは、アクションした結果がどの程度、結果に繋がっているのか見えにくいことです。自分でできることが限られており、数字を確認できるのは自分のAMAZONアフィリエイトIDぐらいです。書店でのアクションにコミットできたのは、啓文堂書店三鷹店様だけでした。



以前書きましたが、新刊を出すことが最も話題性が高いプロモーションであるならば、いつまでも同じ本の宣伝をするのはどうなのか、新しい企画を考えて本を作ることに注力した方が良いのではないかと、自問しました。整理すればするほど、「結局、著者の認知度を上げる・本の価値を伝える」ことが書店での売り上げにも繋がる、というのは感じるところでした。


感想をシェアする・広がり

いろいろと「何もしなくても変わらないか」と思いつつ、最近、Twitterやブログでの感想をシェアすることを始めました。「他の人がどんな感想を持っているか・どう読んでいるかが」を、既存の読者の方、あるいは新しい読者となりえる方に伝えたいと思ったからです。



この「感想のシェア」を積極的に行う視点が、私には抜け落ちていました。「宣伝」が過ぎるのもどうかと思ったのですが、前述したように、「常に同じ人が見ている保証はない」ですし、本を売る以前に、「本を読んだ人がどんな視点でいるのか」を知る場を作るのは、本を多面的に伝える手段になると考えました。野菜を作っている人が、自分が作った野菜がどのように料理されているか、楽しまれているのかを知りたい感覚に似ています。



料理のレシピや感想をシェアするように、私の本を買っていただいた方々が満足し、また本を通じてコミュニケーションが行えたり、作品が生まれていくベースになったりすることを願いつつ、より感想の幅が広がっていくと面白いのかなと、思いました。


終わりに

本を出すことで終わりではなく、本を自分で宣伝し、「読者と出会う機会を自分で作り、楽しむ」ことが、私の出版時の目標でした。今もそれは変わっていません。その意味では、初めての出版経験を堪能できました。努力が報われるとも限りませんが、手をかけることで結果が大きく変わったと思っています。



『英国メイドの世界』の多面性を伝えるのは、「自分」の言葉だけである必要はありませんし、世の中に投げかけた時点でこの本はもう、私の手を離れて歩き出しています。



読者の方に限らず、書店の方たちのプッシュもいただき、運や縁にも恵まれました。私と同じくこのジャンルが好きな方々にも多く出会えました。また、日本で描かれるメイドイメージの幅広さを伝える役目も(既に詳しい方向けではなく、このジャンルに興味がなかった方に向けて)、ある程度、果たせたように思います。



『英国メイドの世界』はメイド界の「高速道路」を目指す(2010/11/02)に記した気持ちは変わっていませんし、今後も、この方向に進んでいきます。



さらに年内は『英国メイドの世界』で伝えきれなかったことや、現在進行形で吸収している事象を改めて発表する機会を作れるよう、頑張ります。



最終回というわけでもありませんし、今後も多様な伝え方をしていきますが、ひとまずの区切りとしてまとめました。気持ち的にまだまとめきれず、応用が利きそうな要素は今回書けませんでしたが、いただいた感想のまとめなども行いたいと思います。



ありがとうございました。


『英国メイドの世界』ネット上での感想のまとめ:その1

2011/04/25から、感想の共有やその点についての感謝やコメントなどを書くことにしました。感想をRTすることに迷いがあって行っていませんでしたが、「他の視点での感想」を、既存の読者の方にも提供できると教わる機会があったので始めました。



また、RTをすることで自分の思考が広がり、補足の情報を書くようにもなりました。宣伝というよりも、読者の方々の言葉と向き合う機会となっています。個人的に思うのですが、私の本の読者の5〜10%はウェブにいて、感想を何かしらの形で共有して下さっているように感じます。


2011/04/25更新分












2011/04/27


















2011/04/28