ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

その5:2日目は屋敷行き

起床:02:00、06:00

翌日、目が覚めて窓の外を見ると、まだ外は真っ暗。午前二時です。もう一度眠りにつきましたが、目覚めてもまだ午前六時。外は真っ暗、なんとなく窓の外を眺めて、夜明けのロンドンを待ちました。




赤みがかった夜明けの空が、段々と抜けるような青空に変わっていき、霧のロンドンとは程遠い鮮やかな夜明けを見ることが出来ました。


朝食:07:30

ホテルのレストランへ向かい、イングリッシュ・ブレックファーストを楽しもうと、そういう優雅な気分でいました。そうした期待に応えるように、レストランは天井が高く、かつてここで舞踏会が開かれたのではと思えるほどに広く、壮麗な内装でした。



この雰囲気に気おされつつ、席に着きますが、ビュッフェ形式の食事はやや品目が少ない感じでした。前回のボニントンホテルでは受付でルームナンバーを告げ、あとは自由にビュッフェ形式の朝食を楽しめました。席に着くと紅茶とトーストはホテルのウェイターが持ってきてくれます。



今回も席に着くと綺麗なお姉さん(メイドさんの格好ではなく、ウェイターっぽい姿)が質問に来ますが、どうやら様子がおかしいのです。メニュー表を見せてくれたのですが、「朝食は別料金」。しかも、朝から13ポンドぐらい……他にメニューがないかを良く探しましたが、隣にあるメニューは「追加料金8ポンドで、イングリッシュ・ブレックファーストを」。朝から4200円を払うつもりはありません、さすがに。



ここまで来て逃げるわけにも行かず、がっくりしながら、せめていい場所を眺めようと、悲しみの朝食は始まりました。朝食の味は普通……今回の旅行は大丈夫なのだろうかと、本気で心配しました。


予定1:Kenwood Houseへ

日本でも有名な屋敷


この日はロンドン郊外、小説版『エマ』では、ウィリアムの屋敷(ジョーンズ家)があるハムステッドへ行く予定でした。ここにはロバート・アダムが関わったカントリーハウス・Kenwood Houseがあります。この屋敷は日本人には有名で、ネットで検索するとあちこちに名前が出てきます。



有名な理由は二つ。ひとつは映画『ノッティングヒルの恋人』で登場したこと。もうひとつは、日本でも人気のある画家フェルメールの絵画があること。そして今後はもしかすると、『エマ』の舞台のひとつ、になるのかもしれませんね。



そしてネットの情報で共通していたのは、「迷う」ことでした。バスもありますが、駅から二十分ぐらいとのことで、迷うことを前提に、入場時間の午前十時ぴったりに入れるように早い時間に出発しました。


地下鉄で移動:08:00出発?

だいたい9時ぐらいにGroucester Roadから地下鉄を乗り継ぎ、目的地のHampstead駅に到着しました。Hampstead駅は地下鉄で言うとエリア3ぐらいなので、注意が必要です。駅を降りると目の前に坂道があり、ここを上がっていけば辿り着くだろうと、右に曲がって坂道を上り始めました。



だいたいこういうところがいいかげんなのですが、そういう寄り道も見越して、早めの行動をしています。方位磁石が本気で欲しいとも思いました……


森の中にいる

しばらく進むと、左手に池のようなものがあって、そこからさらにまっすぐ進むと右手に立て看板があり、そこに「Hampstead Heath」の文字がありました。Kenwood HouseがあるHampstead Heathの入り口です。



このまま車道沿いに進めば目的地の屋敷に辿り着けるのですが、例によって久我は「なんとなく」の感覚で「Hampstead Heath」に入り込みました。こっちから屋敷に辿り着いた方が面白いだろうなぁと、そういう気持ちです。自転車で通り抜ける人や、犬の散歩で歩いている人が多いので、大丈夫だろうと一歩を踏み出しました。




道を入るとすぐ、丘の上から、霧に包まれたロンドンを見渡すことが出来ました。朝の黄金の光に包まれて、その鮮やかな光景にしばらく心を奪われました。写真ではうまく撮影できませんでしたが、朝目覚めるたびに、こうした眺めを見渡せるならば、確かにこの辺りが「高級住宅地」というのもうなずけます。



そこから道なりに歩いて行きますが、段々と道が消えていくような気がします……芝生ではなく、足元は土に。今までは暖かい日に当たっていたのに、気がつくとちょっと肌寒く。



「あれ?」



そう、いつのまにか「森」の中にいました。「歩道」がありません。


それもホラー映画(『スリーピー・ホロウ』など)か中世ファンタジーの、薄暗く鬱蒼として不気味な森……見てください、この木の根を。カメラの都合で色彩が伝わりきらないのが残念ですが、何か違う世界。夜に迷い込んだり、太陽が出ていなかったら、恐怖で怯えることでしょう。




このままでは「まずいかも」と道をいろいろと探しましたが、道なき茂みの向こう側に、散歩している人影を見つけ、無理やり茂みの中を突っ切って道に出て、看板を見ると。



「Hampstead Heath」の入り口……別のスタート地点に戻ってしまったのです。さすがです。


Kenwood Houseへ

気を取り直して、地図を見ながら今度は迷わないように、道を進んでいきました。今度の道は開けていて、散歩で犬を連れて通る人が多く、親子連れもいました。安心です。途中、迷ったものの、そこは「Dairy」でした。




そのまましばらく進んでいくと、ようやくKenwood Houseの門に到着しました。







カントリーハウスに到着するまでも「美しい風景」という話がありますが、このKenwood Houseもその通りでした。上の並木道を通り抜けると、すぐそこにKenwood Houseが姿を見せるのです。



がががが、入場時間は……午前十一時! 去年の調査では十時でしたが、最新情報をチェックしなかったばかりに……現在の時間はまだ09:50。あと1時間、過ごさなければなりません。


周囲を散策1〜キッチン

ひとまずいろいろ見て回ろうと歩き出しました。Kenwood Houseは屋敷の北側を正面に、西側には「ウィング」とでも言うべき、使用人たちがいたと思われるエリアがあります。後で買ったパンフレットによると、ここは「Service Wing」。ここにトイレと、かつてキッチンだった場所があり、今はカフェとレストランになっています。




キッチンだった場所はかなり広く、今はテーブルが幾つも並んでいて、さながらレストランのようで、隔世の感がありますが、四方の壁には百年以上前の痕跡が残っていて、調理器具や皿が並んでいますし、奥には開放式のレンジもあります。流しやオーブンなど、マニアックな久我にとっては嬉しい発見でした。



他に浴場もありましたが、ここはちょっと寒そうでした……その名も、Cold Bathでしたし。


周囲を散策2〜ミューズとキッチンガーデン


というふうに、いろいろと屋敷に隣接したエリアを歩いていると、木造の離れの建物を発見しました。そこは、Mews、つまり厩舎でした。壁にある張り紙によると、アポイントメントをすれば見物できるとのことですが、語学力が無く、一人旅では弱気なので、今回は諦めました。



厩舎の先には、ちょっと小さな建物と庭園風の場所がありました。見てみるとそこは、Kitchen Garden。最近勉強している、キッチンガーデンが目の前にあったのです。




イギリスの庭園は有名ですが、中でもカントリーハウスと切り離せないのがキッチンガーデンです。ここでは屋敷に必要な野菜や果物、それに異国の花や珍しい植物、そして季節をずらした野菜などを育てていました。



話すと長くなりますが、『秘密の花園』を読んだ時、疑問に思わなかったでしょうか?



『どうして庭園は壁に囲まれていて、鍵がかかっているのか?』



まだ詳しく調べていないのでざっくりとしたものですが、壁は一種の「温室」的な役割を果たしました。冷たい風を遮るのです。本当の温室は閉鎖してセントラルヒーティングのように密閉していましたが、暖房費やコストがかかります。



壁に囲まれたエリアはそこまでしないものの、冷たい風への耐性を備え、植物を育てる環境を整えるためにありました。




もうひとつ、壁に関して面白いのが、果樹の育て方です。初めて見たときは意味がわかりませんでしたが、イギリスのガーデナーは果物の木を植えるとき、壁に打ち付けました。



これには装飾的な意味合い、枝葉をコントロールして綺麗な形にするという意味と同時に、「太陽の熱を受ける壁の温度で、樹が温まるようにする」という効果もあったのです。



目の前には、そうして育てられた樹木があります。これらを間近に見られただけで、早く来た甲斐がありましたが……それでも時間はまだまだあります……ベンチに座って、日に当たり、しばらくイギリスの空を眺めていました。



空の色は日本と同じですね。観光地に来て、ぼけっと日に当たって空を見ている、何をしているのでしょうか?










ようやく入場:11:00


11:00、いよいよ入場できます。



写真集で見ていたケンウッド・ハウスをついに見物できるのです。最初の入場客として入った玄関ホール。思ったよりも天井は低いものの、見上げた先の装飾はまさにアダム。水色の扉と、薄い若草色の壁面、やや屋敷としては小さな印象でしたが、これが多分、最初に訪問したカントリーハウスになります。



床は木製で、ちょっと意外でした。



それから時計周りに移動しました。



正面ホールの隣はGreatStaircase、直訳すれば偉大な階段、屋敷のメイン階段です。とはいえ、玄関ホールに直結しておらず、廊下にあるので、ちょっと日本的な感じもします。



落ち着いた色合いの木製の手すり、そしてそれを支える黒く塗られえた鉄製の支え(柵というべきでしょうか)、ここにもアダムの趣味が見られます。メイドたちにとっては装飾が多くて、掃除して磨くのは大変だったことでしょうね。



ここの床も木製で少し不思議な感じがしましたが、このまま階段を上らず、まっすぐ進みました。そこから左に曲がるとLobbyになり、DiningRoomへ通じる場所。ここは、屋敷の中でも壮麗な部分のひとつといえるでしょう。



部屋自体は狭いのですが、天井は吹き抜けぬなっていて、柔らかい白い光が降り注ぎます。床は色を組み合わせた石で飾られていて、これぞまさに屋敷だという雰囲気でした。屋敷のパンフレットの表紙の写真も、このLobbyを使っています。



行き止まりのDiningRoomを見てからそのまま戻っていくと、今度は左手にLibraryがありますが、ここは本当に素晴らしいとしか言いようが無い部屋でした。



写真で見たときは小さいという印象だったのですが、実際はかなり広くなっていました。入り口の扉が狭いのですが、そこから一歩踏み入ると天井は高く、室内が一気に広がります。



床は緋色の絨毯が敷き詰められ、内部には白い円柱が立っていて、左手にはThomas Chippendale(イギリスに行くと頻繁に見る名前、チップンデール)がデザインしたという鏡、右手にも大きな四角い鏡がありました。壁は書棚にもなっていますが、あくまでも主役はこの部屋で、天井はバッキンガム宮殿とは違った意味で、美しい装飾と色彩と壁画で彩られていました。



ため息しか出ません。



ここの部屋は多分ですが、わざと入り口を狭くして、中に入ったときに感じる広がりをより感動的なものにしているのかと思います。何度も往復して、見惚れてしまいました。



二階にはペンダントなどに施した細密画のコレクションがありました。あと屋敷にはフェルメールの『ギターを弾く少女?』という絵もありましたが、Libraryの印象が強すぎ、あとはあまり覚えていないのです……



尚、Libraryと対になるOrangery(温室)は撮影に使っていたようなので、見物できませんでした。という感じで、初めてのロバート・アダムの屋敷訪問は終了です。


帰り道

帰りは迷うのも嫌なので、素直に車道に沿って帰ることにしました。そちら側には駐車場もありましたが、やけに混雑しています。そういえば、なぜか子供をつれた家族が非常に多かったです。



しばらく歩いていると、三人組のお年寄りに道を聞かれました。



「ケンウッド・ハウスはこのまままっすぐ行けばいいのかい?」

「はい、まっすぐ行くと門があるので、そこを右に曲がります」



なぜかこの日も道を尋ねられました。地元民には見えないはずなのですが、こんなところを一人で歩いていると、旅慣れているようにも見えるのでしょうか?



というイベントの後、しばらく歩いていって、ちょっと寄り道を考えました。実は来る途中に、NationalTrustが管理しているというFenton Houseの看板を見つけていたからです。しかし、そこから適当に歩いていたので、目的地は見つからず、そのまま駅に戻りました。(今調べると、この時間では開いていなかった模様です。昔の楽器のコレクションがあるとのこと)



このぐらいで、だいたい12:30ぐらいだったでしょうか。



English Heritage:Kenwood House(Libraryの写真がトップに)


予定2:Tate Britainへ

予期せぬ出会い〜ジョン・エヴァレット・ミレイ


ロンドンの北から、今度は南へ向かいます。目的地はTate Britain。前回の旅行で行きたいと思っていたものの、降りる駅Pimlicoは若干主要幹線から外れていて、スケジューリングが難しく断念しました。



とはいえ、Hampstead駅からはNorthen線、Euston駅でVictoria線に乗り継ぎ、スムーズに行けました。Pimlico駅を降りると、だいたいの人が同じ方向に歩いていきますので、そこについていけば間違いないと思って歩いていき、実際に間違っていませんでした。



場所はテムズ川沿い。この時期はドガ展を臨時でやっているようで案内のポスターを地下鉄各所で見ましたが、今回の目的では無いので、スルーしました。美術学校らしき建物の向かい側に、神殿のように広がるテート・ブリテンを発見しましたが、ふと目の前にある銅像に気づきます。



その銅像こそ、「ジョン・エヴァレット・ミレイ(Sir John Everett Millais)」。『ヴィクトリア朝万華鏡』で彼が描いた、発狂して流れていく『オフィーリア』を見て以来、気に入っていた画家です。日本で「ヴィクトリアン・ヌード展」が開催された折も、半分は彼の絵を見る為に足を運びました。(半分はアルマ・タデマの『ローマ風呂』:仮称の為でしたが)



テート・ブリテンの訪問理由は、彼のオフィーリアの絵を見るためでしたので、こんなところでまったく意図せずにその作者の銅像に出会えたのは、嬉しい偶然でした。



しかし、この偶然か、必然か、意識した途端に見え始めたものは、旅行中、ずっと続きました。まさに、今回の旅は「ミレイに出会う旅」だったのです。


テート・ブリテン:13:00


臨時のドガの方は入場料が必要で、また若干混雑していたので、今回は無料の常設展示を見ることにしました。それだけでも十分な分量のコレクションが展示されています。



階段を上った入り口ホール、着飾った幼い少女の絵がありました。なんとなく見覚えがあるタッチ……そう、最初に見た絵画も「ジョン・エヴァレット・ミレイ」でした。



絵画はもう、それこそたくさんありすぎて、ひとつひとつコメントすることも出来ませんが、次に目に飛び込んできたのは、アーサー・ヒューズ『四月の恋』。鮮烈なスカートの青?紫?、ヴィクトリア朝の批評家ラスキンが、急いで買ったエピソード(『ヴィクトリア朝万華鏡』)を思い起こしました。



ヴィクトリアン・ヌード展を見に行ったときも思ったのですが、向こうの絵画は大きいキャンバスに描かれたものが多いです。そして、それだけの絵画を収めるにふさわしい美術館で見られるのは、幸せでした。



そして、ようやく待望の絵画『オフィーリア』に出会えました。それは非常に大きく、美しい絵画でした。



さらに、その隣にもミレイの絵がありました。



それは腰に手を当てて背筋を伸ばす女性、青い服の鮮やかさと、女性の柔らかさが魅力的な絵でした。



他にも、かつて買った英書『THE RISE OF THE NOUVEAUX RICHES』の表紙の絵も見つけました。作者はJohn Singer Sergent。サージェントの絵はもうひとつあって、それは日本人にとっても馴染み深い「提灯」を題材にしたものでした。



そして、ウォーターハウスのグィネヴィア王妃の絵を見て、感情は飽和してしまい、クライマックスに突入しました。



絵画の話は詳しくないのですが、他にも幾つかエピソード的な話で言えば、ターナーの常設展をやっていて、彼が実際に使った絵の具セットやラフスケッチを見られたのは、貴重な体験でした。絵画を見る機会はありますが、ではどのように絵を描いていたのか。特にラフスケッチは、小説を書こうとしたときに知りたいことでした。



そのターナーが訪れた屋敷チャッツワース(デボンシャー公爵家)の内部をいろいろと描いていたのも、チャッツワースそのものに興味のある久我としては、印象深いものでした。



印象深いものしか記憶には残らない、記憶に残るイベントとして認識されないとは思うのですが、いろいろと広がりが繋がっていく感覚が気持ちよかったです。



wikipedia:ジョン・エヴァレット・ミレイ(オフィーリアの絵も)

Tate Britain




ミルバンク・テムズ川・ビッグベン

ミルバンク

帰りは地下鉄に乗らず、サラ・ウォーターズの小説『半身』の舞台となったミルバンクの監獄があったエリアを通りました。ミルバンク・タワーらしきものもありましたが、過去の痕跡を残すようなものは見つけられませんでした。




それから国会議事堂・ビッグベンを目指して、テムズ川の横を北上しました。国会議事堂の南側には小さな公園(Victorian Tower Park)がありますが、そこから見えたのが、このヴィクトリアン・タワーです……青空を背にして伸びる尖塔が目の前に広がって、素晴らしい光景でした。






国会議事堂

国会議事堂前は観光客であふれかえっていました。普段はカメラを出すのはためらいがあるのですが、この時ばかりは他の人々に交ざって、いろいろと写真を撮りました。しかし、クロムウェルの像は人気が無いようでした……



















ウェストミンスターからHyde Park

この後、地下鉄を使って、Hyde Park Cornerを目指します。ウェストミンスターの地下はまるで未来の基地のようなデザインをして、かなり地下深くまでエスカレーターで潜っていきます。前回の旅行ではこの駅で友人とはぐれてしまったのを思い出しました。そのときは、駅を降りたその先に、確か記憶が間違っていなければ銃をぶら下げた警官がいて、びびったような……



それからJubilee線でGreen Parkまで出て、Piccadilly線に乗り継ぎ、HydeParkCornerに出ます。この辺りは去年の旅行でも来ているので、そこそこ安心感がありました。


予定3:Apsley House 15:00

英雄の邸宅〜ウェリントン公爵

HydeParkCornerで降りた理由は、前回の旅行で行き損ねた場所、Hyde Parkのすぐ傍にある屋敷Apsley Houseがあるからです。残念ながら外壁を工事をしていて去年の姿(写真)は見られませんでしたが、今年は中に入って見物できるとあって、期待で胸が高まります。



ナポレオンとの戦争では、ふたりの英雄がいます。ひとりはトラファルガーの海戦のネルソン提督、今年はちょうど海戦から二百年が経過しています。もうひとりがワーテルローの戦いでイギリスに歴史的勝利をもたらしたウェリントン公爵です。そのウェリントン公爵の屋敷が、Apsley Houseです。




現在はEnglish Heritage(National Trustのような組織でKenwood Houseもここの管理下にあります)が管理し、一般に公開されていますが、素晴らしい場所にあるわりに、意外と観光客は少ないのです。



穴場かもしれませんが、その理由は、様々な観光資源に恵まれるロンドンの中では「地味」で、やや趣味が貴族的であるせいかもしれません。



入り口の扉を開けると、内部はやや薄暗くなっています。ここから巨大なナポレオン像がある階段を上がると、二階に出ます。そして、ここがなぜ主要な観光名所になれないのか、という答えもわかるかと思います。


派手すぎる? エドワード朝とヴィクトリア朝

ここはウェリントン公爵の戦勝記念館であって、英雄を称える絵画や銀細工、宝飾品があまりにも多すぎます。ロバート・アダムが関わっているからこの屋敷を訪問したのですが、残念なことに、ロバート・アダムの内装の多くは、その後に関わった建築家Wyattによってことごとく「上書きされている」ようでした。



アダムは明るい色彩、落ち着いた雰囲気の屋敷のインテリアを心がけていましたが、Wyattは強い色彩、エドワード朝的な金色や黄色、そしてストライプで飾り立てたようで、色彩が強いのでおとなしい風景画は埋もれていました。



この建築家は久我としては「派手すぎる」デザインを好んだようで、落ち着きませんでした。内部に飾られている絵画や美術品は美術的な価値より歴史的な価値に重きを置き、さらに内装もゴージャス過ぎる、けれどバッキンガム宮殿ほど突き抜けていない、という具合でした。



ただ、華やかな往時の社交界を連想させる「The Waterloo Gallery」だけは、別格でした。ここは小さな体育館ぐらいの広さで、かつては大きなダンスパーティが開催されたであろうことは想像できました。その広さと天井の高さはとにかく圧巻で、部屋の隅の椅子に腰掛けて、百年前を思いながら、しばらくの間、その空間を眺めていました。



果たして、どんな令嬢たちが踊っていたのか?

これだけ広い床、高い天井、掃除はどうしていたのか?

メイドは何人ぐらい働いていたのか?

この屋敷にメイドたちは住んでいたのだろうか?



屋敷の1階や地下にはいろいろな食器類もありましたが、豪華すぎて、あまり記憶に残りませんでした。ただ食器類だけはそれなりに綺麗で、往時の生活を思わせるものでした。



久我はロバート・アダムが好きなだけに、そこを上書きした建築家に偏見を持っています。なのでかなり批判的にこの屋敷を書きましたが、ロンドンの中心にあり、訪問しやすい屋敷なので、一度見ておいて損は無いと思います。



かなり疲れていたのも原因かもしれません……この日、ロンドンは暑かったのです。そして、中学生の部活動の如く、この日最後の行軍へ。



English Heritage:Apsley house/The Waterloo Gallery


予定4:Hyde Park:16:00

ロットン・ロウ


『エマ』で有名になったロットン・ロウ(王の道)、今回の旅行でも通りました。かつては社交の為に馬車や馬に乗った人々が通りましたが、今はたまに乗馬の人が通るのみです。



ここからは直進行軍で、HydeParkの散歩をして、今日一日の旅行を終えようと決めました。




秋の公園内は暖かな日差しに照らされて、黄色く染まった木々が輝いていました。ロンドンの秋を感じるのに、これほどふさわしい場所は無いと思えるほどに、ゆっくりとした時間が流れ、時々はベンチに腰掛けて、目の前の光景を楽しみました。



明治時代の長谷川如是閑もここに立ち寄り、詳細なレポートを記しています。ちょっとそこから引用して、往時の雰囲気をお伝えしたいと思います。


ハイド・パークの貴族的趣味は、ロットゥン・ロウとリングに遺憾なく発揮される。これはロンドン名物の一として世界的に有名なものだ。ロットゥン・ロウというのは、蛇の池(サーペンチーン)の南に沿うて、ハイド・パーク・コーナーからケンジントン・ガーデンスまで、美しい並樹の間を一直線に通っている一マイル半もある馬場だ。Rotten Rowを直訳すれば、枯れた列で、何のことか解らぬが、これは仏語のRoute du Roiの訛りで、昔この馬場に入る者は、皇室から特権を投げられた貴族に限ったので、王の路という名が起こったものだとある。今は誰れでも自由に馬を入れられるが、それでも自ずからの習慣で自ら特権のある事を自認するか、あるいはこれに匹敵する自信のあるものでなければ、敢て此処に馬を馳せざる事は、ハイド・パーク・コーナー門内のベンチに腰掛ける女に、一定の自任乃至自信を要すると同じ具合である。朝の八時頃、午後の五時前後、此処に来て見ると、シルクハットの紳士、山高帽の貴女が、一頭何千ポンドというような月鹿毛、磨墨の轡を並べて、雲集している様は、日本ではちょっと見られない図だ。
『倫敦!倫敦?』長谷川如是閑・著 岩波文庫P.61〜62より引用(ASIN:4003317629
だいたいにおいて如是閑が解説してくれていますが、途中でサーペンタイン池にも立ち寄り、秋の公園の風景を楽しみました。









ロットン・ロウの終点?


アルバート公










前回の旅行では行けなかった場所は、ケンジントン宮殿や、ヴィクトリア女王の夫であるアルバート公像、そしてアルバート・ホールなど、ちょっと西側のエリアでした。今回はその西側のエリアに近いところにホテルを確保しているので、なんなく辿り着けました。



ただ、この頃には本当に疲弊が著しく、ケンジントン宮殿に足を伸ばすのは不可能だと判断し、アルバート公像を眺め、アルバートホールを一瞥して、帰路に着きました。





QUEEN'S GATEまで歩いて、昨日迷った辺りを通り抜け、左手に自然史博物館を眺めながら、十字路では右に曲がり、そしてホテルに戻って、この長い一日は終わりました。


ホテル:17:00

ホテルに戻るとさっさとシャワーを浴びました。ロンドンは日本よりも暑く、とても汗をかきました。一日中歩いていたので足の疲労も相当だろうと、準備していたシップを貼り、寝る前にストレッチをして、あとはもう爆睡です。かなりの距離を歩いたので、中学生の頃の部活を思い出しました。



十分すぎるほどに歩き回りましたが、同じ行程を友人と一緒に行くのは不可能だったでしょう、と思えるほど過酷なスケジュールだったかもしれません。しかし、これは今回のロンドン旅行ですべての日に当てはまりました。



そして目覚めるのは、再び午前二時。というところで、また翌日に旅行記は続きます。



光る謎の飛行物(嘘)