ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

映画『秒速5センチメートル』

予告編を見たときに感じた以上に、受け取るものが多く、心に残りました。素晴らしい映像作品です。空間の切り取り方と風景風景をコラージュして物語を作り上げていく構図が美しく、それでいて背景の質感や色彩も現実以上に存在感があり、幻想的でした。



尚、映画を楽しみたい方は上映前にパンフレットを読まないことをオススメします。第一話〜第三話までのあらすじが書いてあって、ちょっともったいなかったと思いましたので。



ちなみに、新海監督の作品は初見です。


以下、ネタばれありの感想になります。
















































第1話「桜花抄」(公式サイトフォトギャラリーへ)

第一話で素晴らしいと思ったのは、「中学生が遠出をすること」、ただ遠くの駅に好きな女の子に会いに行くと言うそれだけなのに、物語として成立していることです。「それだけ」とは言い切れないぐらいに、感情移入させられました。



電車が立ち往生することで、約束の時間に間に合わない焦りと苛立ち。待っているであろう彼女のことを思いながらも、辿り着いたとしても彼女はもう帰ってしまったかもしれない……そういう不安もありつつ、もしかしたらいるかもしれないとの儚い望み。



ここでは、その願いが叶いました。



甘酸っぱいです。




第2話「コスモナウト」(公式サイトフォトギャラリーへ)

種子島にやってきた貴樹。その中学時代、貴樹に初恋をした花苗。中学、高校と同じ時間を過ごしながらも、なんとか好意を伝えようとしながらもまったく出来ない、十代の恋のもどかしさと、純粋さ。



第一話はある種の「言葉にならなかった相思相愛」でしたが、第二話は現実にある、身近な「形にならなかった、片思い」です。物語やマンガならば踏み越えられそうな壁も、現実では不可能にも思えるもので、なかなか言えません。



自分自身、あぁいう感情に記憶があります。それは結局、曖昧なままで現実で答えを出さなかったが故に、長い間自分の心に残り続けました。



朝早く行って、会えたら嬉しかったです。「彼氏がいる」との噂があったので、初めから、それは広げようが無いものでしたが、当時の自分は試せず、また卒業式で言うだけ言おうかなぁと迷ったまま、それっきり……のはずでしたが、高校に入ってからもほんの少し続くのでなんとも言えませんが、相当、尾を引きました。



初恋は、片思いであっても、「人をこれだけ好きになれるんだ」というのがわかります。片思いであればこそ、余計に強すぎるかもしれません。



だから花苗の想い、わかるつもりです。



花苗に感情移入してしまいましたが、その一方で、片思いの相手である貴樹が何を考えているのかも、なんとなく伝わってきます。貴樹も、「片思い」の人だと。あの最初の恋、あの感情を味わってしまったが故に、それ以上の如何なる感情も、閉ざしてしまったように。



「東京に彼女がいる」



そういう噂を補強するように、誰かにメールを打つ彼。でもそれは、明里とのやりとりではなく、自身の想いを連ねた言葉ばかりでどこにも届かない。



宇宙への憧れの中、その風景にいつも登場する女性は明里。しかし、貴樹は現実の明里とは向かいあっていなかった、二人で味わったと思えたあの世界は、貴樹のものだけになってしまったように思えます。



種子島の空、ロケットが打ちあがる光景。今までにテレビや映画では何度もあぁした光景は見てきましたが、あれほど美しく宇宙へ打ちあがっていくロケットを見たのは初めてです。(『オネアミスの翼』は未見)



第3話「秒速5センチメートル」(公式サイトフォトギャラリーへ)

「映像でしか表現できないもの」



それはここに無い風景だったり、ここにない時間だったりしますが、瞬間瞬間の風景を切り取り、時間経過を交互させ、観客に見ている風景の意味を委ねる手法は鮮やかでした。勝手に、いろいろな解釈が広がります。



山崎まさよしさんの歌が途中で入り、あとはそのまま一気にエンディングまで。ここは象徴的で、歌のフレーズ、「いつでも探しているよ、どこかに君の姿を」が描かれていたように見えました。明里の髪型に似た雰囲気の人を見ると、「彼女だと思ってしまう」、そういう姿を、探し求めてしまう。その描写が何度も。



やばいぐらいに、中学高校の記憶が紐解かれます……



離れ離れになったことで、貴樹の気持ちはより内向的に、あの時味わった気持ちの延長線上になってしまった、対照的に明里は他の人との結婚を控え、荷物を整理した時に出てきた「貴樹へ渡せなかった手紙」も、思い出のひとつとして語っています。



で、今、予告編を見直しましたが、ここに、ふたりの気持ちのずれを理解するヒントがあるように思えます。桜の木の下で触れ合ったふたり、その時、「彼女の心が、どこにあるのかわかった気がした」と告げる貴樹に対して、ナレーションで流れる明里の言葉は、「彼の心がどこにあるのかわかった気がした、のに」と結ばれています。



解釈に過ぎませんが、明里は言葉が欲しかったのだと思います。恋心が広がりすぎて、強すぎる想いを味わったのは貴樹だけであって、明里は「何も言わない」(あの分かり合えたと思えた後だからこそ)貴樹が不安になった、ように感じるのです。手紙を渡せなかったときの、表情。貴樹と違いすぎます。



「わかりあえている、と思い込んでいる貴樹」

「不安に思いながらも、言葉に出来ず、そのままになった明里」



文通は、どちらかが返事を送り忘れる、というほんの些細なことで終わったのでしょう。「相手が出してくれる」のを期待していたら、いつまでも手紙は来ません。お互いがお互いに期待をして、そして結局、形にならなかったふたりの恋、このふたりの間で、「好きという言葉」は、一度もやりとりされなかったように見えました。



伝えない想いは、届かない。

強すぎた想いは、消えずに、残り続ける。



物語全体で見ると、「初恋」と「片思い」と「強すぎる想い」の三つでしょうか。結婚する明里にとって、「あの時間は過去」、恋人がいながらも結局別れられた貴樹にとって、「あの時間は永遠」になってしまった。



ただ一言、好きと言えていれば、違ったかもしれないのに。



ラストシーン、ふたりがそれと気づかぬまま踏み切りですれ違います。あの結末の賛否はあるかもしれません。正直、二人には再会して欲しかったです。第一話のように、予定調和の美しさを、偶然の物語を。



しかし、それでは、観客の心に「残り続けない」でしょう。



電車が去るのを待った貴樹。

留まらずに去った明里。



……もしかすると、「また似ている人にすれ違った」と、貴樹は思ったかもしれません。そして過去にあったように、何度も、「本当の明里」の姿を求めてしまうような。最後、貴樹は気づいたのでしょうか?



別の観点で考えますが、貴樹は大学に入るため、東京に出てきています。だとすると、明里と出会える可能性も種子島にいた頃よりはあったはず、なのです。この時、もしかしたらふたりは一度だけ出会って、「別れて」いたかもしれません。或いは、文通の終わりは「明里」からだったかもしれない……しかし、この想像は無理がありそうです。



貴樹の性格的に、「直接、言葉に出来ない・行動できない」ような感じはします。ただ「明里」の傍に行きたくて、東京に出る。必死に探している、偶然に期待している。でも、実際の彼女に会おうとはしない、連絡もしない。偶然に頼らなくても、いいはずなのに。



明確な「別れ」があったら、明里はあんなふうには振り返らないでしょうし、貴樹ももう少し現実を受け入れられるかと。ただ、あの初恋の「原体験」が、人生を縛ってしまうのもしょうがないと感じます。ある種、「あれ以上の感情」が今後訪れることを、拒否するほどに。



再会が叶わなかったが故に、冗長な説明が無かったが故に、こういう「余韻」も許されています。久我はどちらかというと、貴樹や花苗寄りの視点でしたが、見ているそれぞれの人によって、感想が違うかもしれないのも、面白いですね。



こういう物語、大好きです。



もう二十回ぐらい見たいです。見逃した映像の中に、ヒントがあるかもしれません。