ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

知をつなげていく

web拍手ありがとうございます!

>2009/10/13 20時
>拍手から失礼します。十年以上前、『エヴァンゲリオン・スタイル』という分析本で、
>まさしく『倒錯の偶像』を援用して綾波レイに熱狂するファンの心理を分析していた方がいたことを思い出しました。
>「家庭の天使」信仰には、男性だけでなく女性側の欲望(レディ扱いされたい、有閑階級になりたい等)も
>共犯者であったと思います。現代女性にも専業主婦願望などとして、根強く生き残るパーソナリティーです。
>素人の長文で申し訳ありません。これからも更新を楽しみにしています。


『倒錯の偶像―世紀末幻想としての女性悪-ブラム・ダイクストラ』へのご感想と情報、ありがとうございます。やっぱり扱われていたんですね。機会を見て、国会図書館などで探って見ます。作品自体も映画の結末は、「男の妄想としての女性像」の破壊にも繋がっていたので、批評家には面白い題材なのかなぁと思います。



また、女性側の願望についてのご指摘もありがとうございます! 確かに自分も有閑階級になりたいです(笑) 同時代の女性の側からもこの「家庭の天使」信仰を助長していた動きもありましたように、いろんな要素がありますね。働くことは大変なことでもありますから。



最近読んだ本では「妻が工場で働き、夫が失業中」の話や、まだ細かい分析をした本を見つけていませんが、「女性の工場労働があった18世紀〜19世紀。19世紀半ばに女性を工場から除外」との指摘も見つけました。18世紀に、産業が進んだところでは女性が稼ぎ手の主体になっていたところもあったのは驚きでした。19世紀半ばのアクションは、女性を保護する観点と、「男性の職を確保する」観点もあったようです。



女性の財産権が認められていなかった社会背景も踏まえつつ、ダイクストラ以外に、最近読んだ本で「アラン・コルバン、ピータ・ゲイがヴィクトリア朝でしょうか、女性観の変容と受容の話を書いている」とのテキストを見つけたので、今後、これらの本を読んでみようと思います。


「貧困=自己責任」理論や、「女性を家庭の天使にする」理論受容の根幹

今回、あの本を読んでいて「ひとつの価値観が受容されていくのに、複数の分野が相互に、それぞれの主張に有利な言説を組み立てていく」ところに、興味を持ちました。それが「時代を反映したもの」なのか、「誰かが意図的に接合してストーリーを作り上げた」のかわかりませんが、「貧困=自己責任」との考え方も19世紀の影響もありますし、労働を神聖とするものもプロテスタント的なものでありますし、自分が考えずに「当たり前に受容している」ものが、どの時代に、どのようにして「空気」になったのか、非常に興味があります。



なんというか、当たり前に思っていた価値観が「その価値観があることで明確に得をする誰かがいる」点が多く目立ち、これは何なのだろうと、整理して理解したいと考えています。使用人を勉強しているつもりが、いつのまにか福音主義やメソディスト的なところにも足を踏み入れていました。



知が繋がっていく感覚ですね。



あんまり綺麗に描け過ぎると無理な接合をやっていることにもなりませんので、耽溺しないように気をつけたいと思います。