ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

英国貴族の屋敷の分業・専門化した業務フローを可視化する、という伝え方

目次

  • はじめに
  • 屋敷を「大勢のスタッフが働く職場」として捉え直す
  • 屋敷の業務の流れを知る
  • ヒト・モノ・カネの流れで見る過去の「仕事」


はじめに

『英国メイドの世界』を刊行して1週間が経過しました。本が扱う領域が多様で伝え方も難しく、一般書店では本の配置に苦慮されているのを感じています。私自身、知人に出版の報告を行うと、だいたいの反応は「メイド喫茶?」「お帰りなさい、御主人様のメイド?」というもので、本書の説明は難しいものでした。



しかし、少数ながらもイギリスに留学していた方や、『エマ』や『日の名残り』を好きな方、イギリスの歴史に詳しい方には、話が通じます。香港に単身赴任する友人にとっても「メイド」は身近な事象ですし、私の父親の世代では「お手伝いさん」として日本でもメイドがお金持ちに雇用されていた時代があることを知っていたので、「イギリスの話なんだ」ぐらいのトーンでした。



「メイド」の言葉で何を連想するかは、その人が普段接している情報に左右されます。そして多くの方は、そもそもメイドに関心がなく、関心がないゆえにメディアやネットで消極的に伝わる情報を受け入れます。それがただひとつの、「入ってくる情報」だからです。私自身、詳しくなかったり関心がない領域では、伝わってくる一つの情報を受け入れ、判断や評価もしていないでしょう。



関心が無い方に届けるのは至難の業です。しかし、伝え方によっては関心を持ってもらえたり、実は相手の中に響く要素があったりするのも事実です。



何度も持ち出す事例で恐縮ですが、私はイギリス旅行をされる方や、かつて英文学をされていた方と同人イベントで出会いました。イギリス旅行が好きならば、メイドが働いた屋敷に訪れることもあるでしょう。文学にも、メイドが登場しているものもあります。最近では衣装劇を好まれる方や、ホテル業やサービス業に関心が高い方にも、興味を持っていただけました。



創作や同人という観点で、私の本に興味を持つ方もいらっしゃいます。その意味では、適切な伝え方を私がまだ気づいていないだけかもしれません。さらには、そもそも私の本にピンポイントで興味を持って下さるような方にさえ、ネットだけでは情報が届いていない事態が散見しています。何かしら関心を持って下さるかもしれない方の目に入ることを目指し、相手に応じた伝え方を探す試みを、今回のテキストで行います。



本の購入の有無はさておき、少なくともこうしたテキストが読まれることで話をしやすくなったらいいなぁとの意味合いも込めて。



今回のテーマは、「屋敷の業務フローを可視化する」です。


屋敷を「大勢のスタッフが働く職場」として捉え直す

友人と話していて、『英国メイドの世界』は「屋敷という職場にあった多様な職種と、それぞれの職種がどんな業務を行ったのかを可視化した」と説明しました。その後、メイドに興味を持たない同業者の知人に本の趣旨を説明する時、「屋敷の業務プロセスを扱っている」とのフレーズを使ってみました。



私は社内SEを経験し、一時期、ある事業部(15名程度)に所属し、システム面での業務可視化と改善提案を担当しました。誰がどんな仕事をどのシステムを使って行い、どれだけ時間がかかり、現場はどこを不便に思うのか、どういうシステムが理想形なのかをヒアリングしました。また、どのプロセスを改善(あるいは廃止)するのが費用対効果が高いか整理して意思決定者と相談し、実行に移す仕事です。



屋敷をひとつの「事業部」として捉えると、重なりが多いことに気づきます。



意思決定者は雇用主となる主人や女主人、現場のリーダーは執事やハウスキーパー、ヘッドガーデナーなどの上級使用人となるでしょう。そして実際に現場で手を動かして作業を行うのはハウスメイドやキッチンメイド、フットマンなどといったスタッフになります。



意外に思われる方も多いかもしれませんが、裕福な屋敷では多くのスタッフを雇って分業化を行い、高度な専門性を持つスタッフを雇用しました。大まかにいえば屋敷内の家事は「家政」(掃除・洗濯・育児)と「料理」、そして「サービス」(給仕・応対)の領域が存在し、上級使用人と呼ばれる管理職が統括しました。



彼ら上級使用人は基本的に雑用をせず、彼らの給与に見合った高度な専門性を必要とする業務(部下のマネジメントを含む)に従事しました。また、上級使用人の下で働く下級使用人内部にも序列が存在し、掃除を行うハウスメイドが複数いる屋敷では「1stハウスメイド」から「5thハウスメイド」のように分けて、上位の1stほど身体的に楽で専門性が必要な仕事を、5thに近いほど雑用を任されました。



また、外資系企業に似て個々の職種の役割が明確にされており、中流階級向けの家政マニュアル『ミセス・ビートンの家政読本』では「採用する前に、やってもらう業務を明確にすること」とアドバイスをしています。不一致が働きにくさに繋がることを知っていたからですし、雇う人間に何をさせるかが決まっていなければ、こうした対応はできません。(現実には、それをできない雇用主が多かったのですが)



さらに上級使用人は部下を解雇する権限を持ちました。



『英国メイドの世界』では、屋敷に存在した職種ごとの業務定義を行い、個々の使用人が「果たした仕事の解説」をしています。しかし、必ずしもその時点で手にした情報がすべてではありませんし、業務全体を眺めて流れを見つければこそ、見えてくるものもあります。現場での業務ヒアリングでも、必ずしも現場から言われた物を作ればいいわけではなく、業務を俯瞰する必要があるのと似ています。



そのために、「英書を軸とした使用人研究書」、その研究のベースとなる「19世紀に刊行された使用人業務マニュアル」、そして「実在した使用人の手記やインタビューの情報」を整理し、業務フローに穴がないかを考えたり、疑問に思うことを解消するのに他の資料を探したりと、情報収集に努めました。


屋敷の業務の流れを知る

サンプルとして、屋敷の一つの業務を見てみましょう。



英国貴族はカントリースポーツとして、領地で狩猟・シューティング(銃でキジやウズラといった獲物を撃ち落とす)を行いました。主人がシューティングに夢中だった屋敷では、年間で1万羽近いキジを撃ち落としました。この狩猟を主導し、当日の猟をコントロールしたのがゲームキーパーという屋外で働く使用人です。



しかし、ここで疑問が生じます。



第一に、1万羽近いキジをどこから調達していたのか?

第二に、撃ち落とした1万羽のキジをどのように保管したり扱ったのか?



前者のキジ育成はゲームキーパーの業務に含まれ、彼らは多大な時間をその育成に費やしましたし、主人の財産となるキジを密猟者から守る仕事も含まれました。後者の仕事もゲームキーパーが行いました。「1万羽近いキジを撃ち落とした」という数字は、彼らが残した記録なのです。



そもそも猟を行うにも、事前の準備が必要でした。まず領地内のどの場所が狩猟に適しているか、どこで銃を撃つのがよいかのを関係者で決定し、キジを育成した猟場からキジを追い出す役目の「ビーター」(勢子)を領地内労働者から集める作業、主人とゲストを送り迎えする乗り物や猟に関わる関係者の荷物を運ぶ馬車、猟の獲物を回収する段取り、そして猟の最中に行われるランチの手配と場所の確保と後片付け、これらが関係者の仕事として割り振られました。



紹介した事例は『英国メイドの世界』本文のゲームキーパーの項目で説明していますが、実際にどのような仕事をなさなければならなかったのかという全体像を洗い出すことに注力したのが、本書の特徴となります。大規模になればなるほど、入念な準備が必要でしたし、屋敷ではそれだけの業務が存在しました。


ヒト・モノ・カネの流れで見る過去の「仕事」

屋敷は「消費の場所」でもありました。たとえば、イギリスの貴族がロンドンと地方に屋敷を持っていた場合、彼らは秋や冬の間は領地の屋敷で過ごし、社交の季節が始まると大勢の使用人を引き連れてロンドンに移動しました。



ロンドンに滞在している間は、そこで出た洗濯物を、設備があって専門のメイドがいる領地の屋敷に鉄道で送り返し、綺麗に洗ってもらいました。領地で育てた果物や野菜、花もロンドンに配送して、逆にロンドンからは高級デパートやその場所でしか手に入らない商品を購入して地元に送りました。



現時点で『英国メイドの世界』で扱い得る領域は「屋敷でのヒト・モノ・カネ」がどのように流れていたかを示すレベルですが、将来的には「屋敷に流れてくるカネはどのように生みだされたか」(領地経営や領主の財政事情)について広げたいと考えています。



私がたまたまSE経験があるので冒頭ではSEを事例としましたが、社内の承認や決済フローを設計したり、業務改善を提案したり、人に業務プロセスを引き継ぐ経験がある方ならば、今回話したような内容は身近だと思います。私は、その対象として今所属している会社や業務だけではなく、「過去の職場」を捉えるのは面白く、他の方による「異なる時代の職場・仕事」が読みたいなぁと思います。


終わりに

屋敷を大勢のスタッフが働く職場として捉え直す。



それが、『英国メイドの世界』で伝えたかったことのひとつかもしれません。



「メイド本」というところで「まったく興味がない」と思われるかもしれませんが、この話に関心を持っていただけたならば、幸いです。相手に応じた伝え方を、いろいろと模索中です。



むしろ、伝えるためのテキストで一冊書けてしまうのではないかという懸念が。シンプルな1枚広告を考えてみます。