ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

20世紀前半の英国でのメイドの移民(出入国)について

このところ、ほとんどこの[同人誌進捗]というタグを使わないぐらい、同人活動に特化した進捗がありませんでしたが、1年ぶりのコミケ参加ということで、少しずつ準備を始めましたので、その報告を。



前回、5月のコミティアで配布した『階下で出会った人々 英国メイドのいた時代の終わり』予告編は、今回扱う3章中の1章の冒頭部分ですが、ここも若干、見直していくつもりです。この週末は大まかなスケジュールを決めていましたが、資料の整理も行いましたので、メモ程度に残しておきます。


20世紀前半の英国発・海外移民としてのメイド

第一次世界大戦以前には、カナダやオーストラリア、ニュージーランドなど英国の影響下にある国々への移民が奨励されていました。受け入れる国々や家事労働者の支援団体は旅費を負担したり、家事教育機関を設けたりと、サポートを行いました。



受け入れ側の国はいくつか解決したい課題を抱えていました。第一に家事労働力の不足です。元々植民地だった受け入れ側の国々は人口が足りなく、現地で農場を営む家庭ではサポートを必要としました。第二に女性が少ないことです。現地の男女比バランスは悪く、家事労働者は妻としてだけではなく、英国文化や家庭生活を伝える担い手としても期待されました。



実際の待遇に差異はありますが、海外でメイドとして働けば、給与の上昇や社会的地位の上昇が期待されましたし、階級が下の人間というより、家族として迎え入れられることも期待されました。



第一次世界大戦以降も戦争による男性の死亡による女性の過剰や、高い国内の失業率もあって(元々深刻化していた英国内での家事労働者不足がありつつ)、待遇を変える海外での仕事への支援は続きましたが、1920年代後半になると世界的な不況に見舞われ、受け入れ側の国々での渡航費支援が中断するようになりました。高い渡航費の支援があってこそ実現できていた移民の奨励は、事実上、途絶しました。



一方、執事といった上級使用人や専門性が高いナース(特にNorland College出身者)はヨーロッパやアメリカの上流階級での雇用も期待できました。特に後者のナースはロシア貴族に仕えた話も残っています(ロシア革命に巻き込まれた話も)。アメリカの億万長者も、雇用主となりました。


20世紀前半の英国への海外からの流入

英国へのメイドの流入は幾つかの局面がありますが、古くから受け入れられていたのはスイス人やフランス人の侍女やナース、そしてフランス人シェフなどでした。ただ、その数は絶対数では小さく、1911年時点では女性使用人全体で1%以下、室内で働く男性使用人でも4%以下と言われています。



第一次世界大戦後は状況が変わります。国内では高い失業率があるものの、メイドの成り手は不足していました。男性の移民は規制を受けたものの、女性の移民はメイドを欲する中流階級の需要を満たすため、海外からの移民を受け入れました。



入国しての就業が自由だったわけではなく、家事労働者としての入国者は就業先(=ほとんどの場合は住込みなので)が変わった場合はその界隈の警察に届けなければなりませんでした。この申請自体は1920年代はそれほど大きなものではなく、年間1000〜1500件程度のようでしたが、特に1927年には第一次世界大戦で敵対したドイツとオーストリアからの移民も受け入れるようになると増加していきました。



状況が変わっていくのは1930年代でした。元々は労働省による移民受け入れ(+オペアの受け入れもあり)が、経済的な不況の深刻化とドイツ・ナチス勢力の伸長による難民なども「家事労働者として入国する」ことで入国を果たす動き(資格制限あり)が見られました。しかし、こうした難民は元々メイドを雇用できる中流階級出身者も多く、家事労働経験を持たず、英国での立場は難しいものでした。



英国の家事労働者不足を補うために迎え言えられた人びとは、第二次世界大戦開戦後は、厳しい敵意にさらされました。元々、海外移民は国内労働者の仕事を奪うものとして敵意を受けやすかったからですが、移民を疑う民意も根強く、敵国出身者はランク分けされて、スパイとして疑われての収容も行われました。


まとめ?

ざっくりと言えば、20世紀前半は「海外に機会を求めて出ていく動き」がありつつ、第一次世界大戦以降、特に恐慌期には海外からの受け入れが加速していき、政情不安が難民の受け入れ窓口としての家事労働への就業を可能としましたが、開戦後はその立場は英国内で敵意を受けるものもあり、その点では、『日の名残り』で解雇されたユダヤ人メイドたちのような立場も、少なくないものでした。



個人的には、海外出身の中流階級出身者、それもメイドを雇用しえた人々が英国内で難民として受け入れられるために家事労働の境遇を経路とする、というところが印象的ではあります。



また、こうした「自国経済の不況による海外への移民」は、受け入れる側の国々で働く人々よりも低賃金・低待遇で受け入れざるを得ない事情もあり、そのことが受け入れ国の労働者の就業機会を奪うと、敵意を受ける危険も伴います。英国でも、いわゆるゼノフォビア(外国人嫌悪)が生じました。



しかし、この構造は決して過去のものではなく、グローバリゼーションによる人の流れが加速する昨今では世界中で見られるものです。この点でメイドの歴史は現代も雇用が続くメイド自体の構造的な問題だけではなく、移民の受け入れを巡る受け入れ国の反応や事例としても、見直す価値があるものだと私は考えます。


参考文献

Life Below Stairs in the Twentieth Century

Life Below Stairs in the Twentieth Century