最新刊が発売されました。絵の質とかストーリー展開とかキャラクターの描写は磨きがかかって完成度は上がっていますが、今までほどわくわくしません。「メイドマンガ」を通り過ぎ、「ヴィクトリア朝マンガ」になってしまった、読者よりも速いスピードで行ってしまったのかと、ちょっと考えました。
今までは何度も、「使用人のこういう風景を描きたい」とか、「ヴィクトリア朝のこういう描写をしたい」とか、そういう行間を拾ったり出来る、「気づき」「新発見」「わくわくする」ものがありました。それがダイレクトに伝わって、感想を書かずにいられませんでした。
しかし、今回の6巻には、そういった隙間があまり感じられず、目の前には圧倒的な「ヴィクトリア朝」が広がります。
筆が走るような感覚が、今回はそれほど感じられず、緻密に構築された人間ドラマ(台詞の応酬や感情の交錯は、正直、他のマンガでも少ないほど高いレベルです)があります。
・ハウスキーパーが通り過ぎる時に腰に下げた鍵が鳴る。
・ヴィヴィアンの感情描写。
・テオのエピソード。
・父とのやりとり。感情の昂りを表現する素晴らしいコマ割。
・最後の人々の描写。
個別に見ると、今までどおり・今まで以上です。
話が暗いから、そういう展開だから、と言えば、森薫先生の行間の姿が見えにくくなるのは当たり前ですが、今回は、ストーリーの中で必要な描写がいつもより多く、今までに書かなかったものを補いすぎてバランスが崩れ、「次の巻」を期待する気持ちが強すぎ、コミックス1冊としては、胸に響かなかったのでしょう。
完成度も高く、上質な映画のように仕上がった作品。
でも「読みたかったものではない」のです。
話の展開が暗いから、カタルシスがあると思える次の巻と一緒に読むべきものなのでしょう。
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