ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『エマ』10巻「アデーレの幸せ」から生きることと「仕事」の一致を振り返る

一昨日、少し機会があって、『エマ』について知人と話しました。その中で私が『エマ』で最も好きなエピソードに触れた時に、『エマ』10巻「アデーレの幸せ」を思い出しました。ここで語られるアデーレの視点は、著者である森薫さん自身の生き方が反映されている、そうでなければ描けないと私は思っています。



だから私は、このエピソードが持つ「仕事の本質」が凝集された結晶のような輝きが大好きです。



以下、ネタバレを含むので、未読の方はお気を付け下さい。



エマ 10巻 (BEAM COMIX)

エマ 10巻 (BEAM COMIX)














































「アデーレの幸せ」というエピソード

アデーレはドイツから英国にやってきた富裕なメルダース家に連れられてきたメイドで、ヘッド・ハウスメイドとしてリーダーの立場にあります。あるとき、彼女は同僚となったマリアと眠る前の時間に、次のような会話をします。




(アデーレ)
……誰かが死んだ時 その人の人生は幸せなものだったかと考えるわ
生きたと言えるだけの人生を生きられたのか

生きたと言えるような人生を生きたいから
やったと言えるだけのことをやりたいのよ

私にとっては自分の恋愛や結婚よりも今の生活のほうがそう思える
突き詰めればそういう事ね

(マリア)
そんなこと考えて仕事しているんだ

(アデーレ)
そんなこと考えながら仕事なんてできないわ

(マリア)
じゃ 何考えてんの

(アデーレ)
仕事のことよ

(マリア)
ワケわかんない

『エマ』10巻 P.61-63より引用


「生きること」と「働くこと」の境目のない暮らし

アデーレの言葉は、同僚のマリアから「(恋愛よりも)仕事に生きる新しい女」と揶揄された流れの中で、引き出されました。仕事をしているときは、目の前の仕事に集中する。そうでありつつも、「生きたと言えるような人生を生きたいからやったと言えるだけのことをやりたいのよ」と、彼女はその手段としての仕事に価値を見出し、「仕事のこと=生き方」を考えている、そしてそこで得る満足感も語りました。




ゴミやホコリがたまっていないか
玄関に泥が落ちていないか
家具はよく手入れされているか
……シワ一つない真っ白のシーツ

あるべきところにあるべき物が収められて よく暖められた快適な部屋
そこに住む人の生活に 何の不具合も感じさせない

そういうものが完璧だと気分がいいわ
『エマ』10巻 P.63-64より引用



日常でも、仕事のことを考えるというという感覚は正負があるでしょう。仕事とプライベートは別、という言葉にあるように。私も片付けなければならない仕事が頭から離れずに夢に見た経験もありますし、会社に行きたくない日もありました。一方、「早くこの仕事に取り組みたい」「こうやって解決したい」と、仕事がしたくてたまらない経験もしました。



その点で私は仕事の楽しさも、辛さも、つまらなさも、面白さも、自分なりに味わってきたつもりです。人間が使う言葉は、基本的にその人の理解の範囲で解釈されます。私が使う「同人」「メイド」という言葉は、他の人が見ている景色とは違っていると気づいていますが、「仕事」という言葉も、人によって意味が異なります。



「仕事」「働く」というと言葉はネガティブに受け止められることも多々あります。身体を壊してまで、何かを犠牲にしてまで、心を壊してまで働く必要はありません。しかし、「何か楽しさを覚えられる仕事」と「生きること」とが重なる環境を、私は幸せに思います。アデーレは、自分の仕事を見つけている、「居場所」を仕事の中に見つけた、仕事と共にあるというのでしょうか。



たとえば車が大好きな人が車の仕事に就き、趣味でドライブに出かけるように。たとえば、ネットが大好きな人が趣味でネットを使いながら感じた不便を、仕事で新しいサービスを考えて便利にしようとするように。それは、仕事のために「プライベート」を犠牲にしているという話ではないでしょう。



仕事の中にその価値を見出すか、自分の家族のために見出すか、あるいは趣味や創作活動にその価値を見出すかは人それぞれです。ただ、たとえば「仕事」から離れているときに仕事のことを考えてしまう、自分が大切にしているものと常に在る姿は、私には「仕事と生き方が一致している」との印象を与えます。



「仕事」を離れているはずのアデーレは、同僚のマリアとの対話の終わりに、ふと視線を上げて傷んでいる屋根のタイルに気づき、修理させなければと語ります。誰かに強制されることなく、自然な呼吸をするように。この時間、彼女は仕事をしなくてもいい時間です。傷んでいる屋根のタイルの発見と手配は本来的に彼女の仕事ではないでしょう。それでも、彼女が屋敷で働く「メイド」としての生き方を気に入り、選び、主体的に動けばこそ、どんな時間でも仕事へと意識は繋がっていくのでしょう。



そこには、「自分の仕事」とする主体性(ownership)があります。誰かにやらされるから行うのではなく、自分でやらなければ心が落ち着かない、「〜しなければならない」義務ではなく、「〜したい」という根源的な欲求、自己表現に似た「〜しないと気が済まない」という気持ちも込められているでしょう。



このエピソードは、私にとっては自分の根幹に響くものでした。そしてこの物語を描いた森薫さんはきっと、漫画と共に生きているのだと思います。漫画を描くときは漫画に集中して漫画を描くことしか考えていない。それ以外の時間では、漫画を描くことを考えている。日々生きながら、次に各マンガをどう描くのを考えているかのような、そんな森薫さんの姿が、アデーレから想起されます。


「好きになること」「自分でしないと気が済まないこと」は後から見つかる

Steve Jobsは、「あなたがすることを愛すること」の大切さを言いました。愛する主体となると、責任感や自覚が芽生え、次に何をするかが見えてきます。誰かに言われるからではなく、自分のこととして取り組む。それは、私にとっても、仕事で得られる気持ちよさです。



私事ですが、私は小さなシステム開発を受託する会社で働き始め、データベースを軸に仕事をしました。その後、ネットベンチャー企業の社内SEとなってアクセス解析や業務フローの改善、業務定義や管理を経験しました。その意味で、屋敷の業務を整理した『英国メイドの世界』という本は、私の同人活動の成果だけではなく、私の仕事の経験からも生まれたものです。



いつかまた書きますが、そもそも、私は今の仕事を好きで始めたわけではありません。プログラマになったのは最初に決まった仕事だからです。情報発信や表現に近い仕事、何かしら物を作る仕事を目指していましたが上手くいきませんでした。しかし、「それはネットで満たせる」とも感じ、ネットに可能性を感じました。同時に、受託開発だったために利用者の顔が見えないことに不満がありました。



主体的ではなかったにせよ、働く中で私は「ネットの仕事」「物を作る仕事」「利用者の顔が見える仕事」を軸に考え、ネットサービスの企業で社内SEの仕事と出会いました。そこではデータベースから派生して社内で数字をレポーティングしたり、ウェブサイトを解析する業務に従事しました。そこで、「結果の可視化」「結果の価値化」、そして「時間の創出」に意義を感じました。



また、この会社はベンチャー企業で、自分が頑張った分だけ、会社に何かを残せる環境でした。自分がいることで周囲を変えられるか、何かを残せるか、というところの楽しさも知り、「仕事が楽しい」と初めて思えました。労働時間が異常なときもありましたし、夢の中でも仕事をしたり、心を壊しかけたり、「あ、仕事では死なないんだ」と思うぐらいに働きましたが、そこで働く同僚の中には(辞めていった人を含めて)今も仲間意識があり、時々、飲み会にも顔を出しています。



同時に、同人でも私は、11年に渡ってメイド研究を続けています。これも誰かに強制されたものではありません。正直なところ、いつ活動が終わっても不思議ではありませんでした。当初は「自分が伝えたい」想いがあったところから始まりましたが、次第に「仕事の時は、ふと過去の家事使用人のことを考える(職場で彼らがどう振舞ったかを)」、同人活動では「仕事で感じた働きやすさや働きにくさ、問題改善の整理は、過去の家事使用人の世界ではどうだったのだろう」と、仕事と同人とがリンクしていきました。



英国貴族の屋敷の分業・専門化した業務フローを可視化する、という伝え方(2010/11/19)



生きることと、メイドを学ぶことが一致する。



自覚的に、私はその境地を目指しましたし、メイドを学ぶことによって、余計に「仕事とは何か?」を考える機会を得ました。メイドの働き方や失敗事例から学び、執事の指示の出し方や働きやすさに繋がるものは何か? 職場での障害との共通項は何か? この経験によって「働きにくさの見本」のような家事使用人の仕事を生み出した構造に関心を持ちました。



そして今、その先に生きる私は、この経験や出会った仲間の縁と、メイドを知るために学び続けた英語によって、外資系企業で働く機会を得ました。ここでやっていけるのか、この先をどう生きていくかは分かりませんが、英語を伸ばす意思がありますし、世界を広げることでメイド研究も幅が出ると思います。



同人活動」としては最近やや自分のパフォーマンスに不満はありますが、何かこう、自分にしかできない何かを、また見つけようと思いますし、求道的に生きたい気持ちを、今回の感想を書くために読み直した「アデーレの幸せ」は思い出させてくれました。



「仕事のやりがい」については会社から自覚的にコントロールされる危険も含んでいますし、ワーカホリックの観点もあります。他に選択肢がない状況で生き残るために「自分を変えて」環境に順応し、環境を変えることを思いつかなくなることもあるでしょう。そうした観点に今回は触れませんが、『自分をいかして生きる』(2009/09/22)という本は、この視点を広げてくれる一冊です。また、仕事の大切な要件には「誰と働くか」も大きくあります。しかし、職場の仲間意識が「ブラックな環境に耐えるモチベーション」になってしまう傾向があると、『ハードワーク 低賃金労働で働くということ』で描かれています。



他にもグローバリゼーション、経済格差など同時代のテーマを、「現代英国メイド」を学ぶことで以前より相対化できるようになったとも思います(『英国メイドがいた時代』が繋がっていくテーマの補足)。



――『エマ』10巻の感想を書くだけでこんな仕事の話を書いてしまう点で、私は「仕事」も『エマ』も、メイド研究も好きなんだなぁと再確認する次第です。