総論としての感想(ネタバレなし)
本日、書店にて『エマ』10巻を買いました。19世紀末のイギリスを舞台に、上流階級の紳士とメイドが恋をする、という物語もついに最終巻を迎えました。
初めて『エマ』に接したのは2002年の大晦日、コミケ初参加の翌日でした。当時はまだ1巻を買ったばかりでした。メイドを主役に物語として、実に丁寧に生活風景を描いていて、すぐにファンになりました。
それから実に五年以上の歳月が流れて、ここに終わりを迎えました。(森薫先生のあとがきでは、6年に及ぶ連載とのこと)
最初に最終巻の感想を言うならば、「7巻でメイド・エマの物語は完結」「10巻で、物語『エマ』の世界が完成」だと思います。
7巻で『エマ』の物語は終わりました。しかし、自分としてそれはあまりすっきりした終わりではありませんでした。過去にも書きましたが、後半は「物語を書くことが優先し、最初の頃にあった好きで好きでどうしようもない明るさ・朗らかさ」が感じられませんでした。
最後の場面では当時の絵のようなタッチでウィリアムとエマが並んで歩く構図で終わって行きますが、どこかそれは明るさを感じないものでした。8巻からはそうした制約が解けたのか、好きなものを書いているのが伝わってきて、世界が明るくなった感じがします。
そして最終10巻、最後の大団円のところまでの流れは、今までに登場したキャラクターや、あの世界に生きる人々を要所要所に織り込みながら、とにかく躍動して、生き生きとして、輝くような時間を描ききったと思います。
そのあまりに眩しい世界は、7巻の終わりが「『エマ』という物語の完結」ならば、今回の最終巻の終わりは「森薫という作家が描いた『世界』の完成・終幕」と言う言葉がふさわしいと思います。生きていることへの肯定、踊りや人間としての感情の吐露、メイドが好きだという森薫先生ならではの喜びや明るさは、作品世界を暖かなもので満たしました。
背景やイギリス世界の描き込みの非凡さは元々際立っていましたが、今回はそれ以上に、生きている人間をその情熱で、照らし出しました。
終わるのが惜しく思える。
読んでいて気持ちが明るくなる。
ここまで登場人物の笑顔にあふれた作品はありません。
これが、森薫先生だ、という極致の結末です。
6年間、お疲れ様でした。
この日記に、しばらくの間、一話一話の感想を書き足していこうと思います。久我の中ではアデーレがやばいです。ストップ高です。明日も明後日もストップ高です。

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『エマ』と出会って変わった人生? 作品から受け取ったもの
『エマ』と言う作品は、久我の人生を変えました。
『エマ』がなければ、ここまでメイドや屋敷に深入りしなかったかもしれませんし、そうした世界に興味を持つ人に出会えたなかったとも思います。久我は『エマ』を知る前に、メイドと屋敷の同人活動を始めていましたが、『エマ』をきっかけに、多くの方に出会えました。
また英国への初旅行も、森薫先生の日記に触発されたところも大きかったです。
一緒に英国へ行った友人も、森薫先生の日記を読んで、「行こう、イギリス」と後押ししてくれました。それがなければ、今こうして英語を勉強し、またこの界隈での活動に楽しみを見出せていなかったかもしれません。
もちろん、何をきっかけにするかは、自分次第です。人生を変える出来事なんて、よほどのことがない限り、ありません。ただそのきっかけで、自分の人生を変えるかどうかです。しかし、「そのきっかけ」として、人を動かすだけの作品、エネルギーを持った作品だったと思うのです。
いったい、どれだけ多くの人がイギリスに興味を持ったか?
また、メイドや執事に興味を持ったのか?
そして森薫先生に押された「スイッチ」で、突っ走ってしまったのか?
森薫先生というある種、「スイッチが入ったまま突っ走っている」先人(久我がニ号生ならば、三号生筆頭)がいましたので、久我は自分自身の活動や情熱にリミットを設けず、走ることが出来ました。
今の人生を好きですから、いい作品を、人生のきっかけを、ありがとうございました!
……人のせいにしているわけではないですよ?
しかし、このように書いていて、もう『エマ』について、新しい単行本の話を書くこともないと思うと、急に寂しさが募ってきました。その寂しさの理由のひとつは、『エマ』『Under the Rose』以降、久我の魂に響くメイドや屋敷のコミックスに出会っていないからかもしれません。