ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『君の名は。』感想(ネタバレあり)





新海誠監督の最新作『君の名は。』を見てきました。新海誠監督の作品をきちんと見始めたのは2007年の『秒速5センチメートル』がきっかけでした。当時、この作品の第1話がYahooで公開されており、その桜の描写と、『秒速5センチメートル』という言葉、そして描かれた新宿の風景に興味を持ち、公開時は劇場まで行きました。桜、大好きなのです。そこから、過去作品を一気に見ました。



その後、新作が出るたびに見ていました。そして最近、久々の新作ということで映画より先に出た小説版を読み、公開初日に劇場へ行きました。今回は小説版を先に読んでからですが、「あと少しだけ」に届いた物語に、接することができたように思いました。そして、時間を経て遠ざかっていく物語から、近づいていく物語へと。



劇場の客層は幅広く、男女比が結構近しかったように思いました。全体には学生や20代前半が多かったです。自分自身は物語を楽しむ気持ちがありつつ、今回、新海誠監督はどういうふうに物語に決着をつけるのかが、とても気になっていた。で、多分、そういう心理で見る人を想定した展開もありました。



小説を先に読んでから映画を見て驚いたのは、小説では主体的に描写されなかった東京の舞台が描かれた際、知っている景色が多かったことです。こういう「小説」と「映像」といった表現手段の違いによって生じる驚きは、結構、好きです。個人的には、新宿や代々木、四谷、千駄ヶ谷、六本木など、見知っている景色が美しく描かれて、「桜の美しさ」に通じるものがありました。特に新宿は大学時代や会社通勤で20年以上使っていますし、新宿での買い物も多いので、だいたいが見知った場所でした。今日映画を見に行く時に通った道も、写り込んだ映画館も、六本木ヒルズも、国立新美術館も、代々木駅のホームも、様々な場所も。「仕事」を象徴するオフィスビルは、『秒速5センチメートル』同様に、西新宿のビル群で、そこは原風景のようなものなのかもしれませんね。



ということで、以下、ストーリーに触れるネタバレでの感想です。改行します。




































































想い人と出会えた主人公

端的に言えば、新海誠監督作品の共通テーマと感じていた、「ここではないどこかにいる誰かを探すことで、目の前よりもそちらの世界に手を伸ばしてしまう」「理由のない喪失感」「現実の居心地の悪さ、欠落感」。その要素を小説版では「あと少しだけ」と表現していましたが、そこに手が届いた作品だったと思います。今回、主人公はその欠落の理由を持ち、かつその欠落を埋める想い人と出会うことができました。



秒速5センチメートル』ではその表現が端的で、中学時代の初恋が強すぎたが故に、少年の方はその後も彼女の面影を探し続けて、それを自分の心の中に置いたまま、高校時代もそして成人してからも、人と付き合っていても傷つけてしまう結末を迎える展開となっていました。それはさながら、呪いのようでもありました。



ほしのこえ』は別離から始まって二度と会うことができない関係で、「私たちは、たぶん、宇宙と地上にひきさかれる恋人の、最初の世代だ。」とのフレーズに全てが表現されています。次の『雲のむこう、約束の場所』も恋心を抱いていた少女が突然消えてしまい、彼女の行方を捜し、取り戻すために行動する少年が主人公でした。



最も強い印象を残した『秒速5センチメートル』で、結局、第1話で強く結ばれたはずの少年・貴樹 と少女・明里は、その後、別々の人生を歩みました。ラストシーンでふたりは踏切ですれ違い、出会えそうになりますが、通り抜けた電車が邪魔をして、貴樹は足を止めて電車が去るのを待っていたものの、明里は去っていき、お互いの顔を見ることはかないません。



「物語」の解釈によりますが、「あれ、ここで出会わないのか」と思ったものの、 [小説]『秒速5センチメートル』を読むと、貴樹の方は「明里とすれ違っていたならば、奇跡」と肯定的に捉えて、それからの一歩を踏み出していったように見えました。



その後、『星を追う子ども』は宮崎駿監督作品的な世界なのかなと思いつつ、別の世界・アガルタへと導かれていきます。この作品もその点では、「目の前の現実では得られない世界」を求めて、「ここではないどこか」へと旅立っていく話です。現実に喪失感があり、それを補完するものとして、「運命の人」「運命の場所」(宇宙空間や別世界)を希求して、現実よりも優先してしまい、今の自分を幸せにすることを許せないような強迫観念に似たような。



続く『言の葉の庭』では、これまでと表現が少し変わったと思えたのは、男子高校生と年上の女性の高校教師が気持ちを通わせた後、別れを迎える選択をした高校教師を、男子高校生が追いかけて、繋ぎとめようとしたことです。ここで主人公は自ら動き、その先がどうなるかはさておき、人と人が結びつくことを選ぼうとしました。



今回の『君の名は。』は、「少年と少女が出会う」という物語を描き続けたこれまでの作品の構図を持っており、主人公の少年が「運命の人・ここにはいない誰かを求め続けて、喪失感を抱える」という、これまでと共通した生き方をするのか、しないのか、新海誠監督がどういう描写を選択するのかが、個人的な注目点でした。


時間の経過の仕方と描写の変化

同じテーマが、形を変えて、その表現の仕方が歳月とともに変わっていき、広がっていき、響いた音によって作品自体も変わっていって。そんな「ほしのこえ」からの16年で描かれた円環を、感じ入る次第と、Twitterで感想をつぶやきました。これを言語化しておくと、最初の作品 『ほしのこえ』は時間と距離が隔たって行き、それは二度と戻ることがありませんでした。こうした「存在をお互いに自覚しながら、会えない」ことは、作品の根底に流れる喪失感にも繋がります。



今回の『君の名は。』は同じ時間をテーマにしつつも、終わった過去の時間を書き換えることで、現代の未来を書き換えていく展開で、その辺りは、不可塑的だった物語が、16年の歳月を経て、可塑的になっていったこともまた、上記に記した主人公が抱える喪失感が解消されるかとあわせて、大きな変化だったように思います。



かつ、小説版のあとがきを読むと、今回の作品は音楽をプロデュース・楽曲提供したロックバンドのRADWIMPSや映画監督、プロデューサーなど多くの方と作り上げたことで、作品の方向性も変わったのではないのか、と思えました。




小説は一人で書いたものだけれど、映画はたくさんの人によって組み立てられる構造物である。『君の名は。』の脚本は、東宝(映画会社です)の『君の名は。』チームと数ヶ月にわたり打ち合わせを重ねて形にしていったものだ。プロデューサーの川村元気さんの意見はいつもキレッキレで、僕は時折チャラいなあと密かに思いつつも(重要なことも軽そうに言う人なのです)、常に河村さんに導いてもらっていたと思う。(小説版より引用)


こうした点も鑑みると、一人で制作を始めた作品が広がり、その自身の発した作品によって多くの人に響き、動かし、その反響を自分自身も受けて、作品表現が変わっていったのかもと、思えました。


小説版と劇場版で最も驚いた場所

小説版と劇場版で、それぞれ「新海誠監督のこれまでの作品を知っている」からこそ、「え〜」と驚かされる箇所がありました。



小説版では成人した立花瀧(主役の少年)が、カフェで結婚するアベックの会話を聞きます。ここで「てっしー」という名前が出てて、これまでの新海誠監督作品のファンとしては、「え? 宮水三葉(主役の少女)とてっしー(三葉の高校の同級生)が結婚したの?」と一瞬、思ってしまいます。これがアニメでは映像で描かれているので、てっしーの結婚相手がもうひとりの高校の同級生・名取早耶香とわかります。



一方、劇場版の罠は、新宿警察署近くの歩道橋で雪の日にすれ違う、成人後の瀧と三葉の描写です。小説版では上記のカフェのエピソードの後、瀧と三葉は運命的な出会いをしていますので、そのふたりが最初にすれ違う歩道橋での描写が出会いのシーンになると思っていたものの、片方が振り向くと片方が背を向けて、お互いがお互いを意識しつつ、結局、ここでは別れてしまうのです。



「あれ、これはもしかして、『秒速5センチメートル』展開ですか?」「小説版と劇場版は違うエンディングですか?」と思いこまされそうになるものの、その後のシーンで、ふたりは出会うことができました。非常に主観的ですが、ここでふたりが出会うシナリオが作られた点で、新海誠監督作品で描かれるものも、変わってくるのではないかと思えたのです。



「ボーイミーツガール」作品として、主人公がようやく始まれるスタート地点に立てる結末を迎えられたことが、その作品が作られたことが、これまでの作品のファンとしては感想を書かずにいられないものでした。




あとすこしだけでいい、と俺は思う。
あとすこしでいい。もうすこしだけでいい。
なにを求めているのかもわからず、でも、俺はなにかを願い続けている。
あとすこしでいい。もうすこしだけでいい。
(小説版より引用)


この「なにかわからないなにか」として「あとすこしだけ」を願い続ける気持ちは、『秒速5センチメートル』を代表として感じた喪失感の描写の根底にあるものでしょう。その喪失感がようやく解消する、そのあとすこしだけに手が届く、それが『言の葉の庭』を経て、新海誠監督作品に感じられたことでした。届くことを、選んだのだなと。



この次の作品で、どのように広がっていくのか、楽しみです。



そして、この作り手としての表現の変化から想起したのは、ドストエフスキー作品です。



『白夜』や『虐げられた人々』、『罪と罰』、『悪霊』など、ドストエフスキー作品の登場人物たちの中には、「幸せになることを恐れている」「幸せになる選択をするならば、すべてをめちゃくちゃにしてしまう」ような強迫観念を持っている描写もありました。



しかし、最後の作品『カラマーゾフの兄弟』で登場した主役たるアリョーシャ・カラマーゾフは、ドストエフスキーの作品とは思えないほどに、人と人の間に生き、行動的で、誠実でした。そうした、ドストエフスキーのメインキャラクター描写の変化に象徴されることに似ているかもというのが、今回の映画を見て感じた、自分の中で最もしっくりくる感想でした。


『羽海野チカの世界展 ハチミツとライオンと』感想


コミケ終了後の夏休み2日目ということで、明日08/17まで開催の『羽海野チカの世界展 ハチミツとライオンと』に行ってきました。西武池袋本店2階ですが、無印良品がある方の別館なので、通常のルートでは行きにくく、地下1Fを通る感じになります。前に、同じ場所で羽海野チカさんの作品を見た記憶があったのですが、2009年の羽海野チカの生原画を堪能、「3月のライオン」原画展だったかもしれません。



そういえば今年の冒頭、羽海野チカ先生がダウントンしない英国ドラマを紹介してみるという記事を書いたのを思い出しました。


「オフィーリア」

展示会場を入ると、最初に『ハチミツとクローバー』の展示がありました。ここ数年読んでいなかったのですが、2005年ぐらいにITベンチャーで働いていた頃、同僚からおすすめされたのと、同じ時期にアニメのCM「人が恋に落ちる瞬間を はじめて見てしまった」というフレーズの美しさに響き、またアニメのオープニング曲、YUKIさんの『ドラマチック』が良くて、DVD初回特典付きを購入したのを覚えています。



という自分語りはさておき、この最初の展示でひときわ目を引いたのは、はぐちゃんが怪我をしてしまう文化祭の回を予兆したイラストで、久我が好きな19世紀の英国画家ジョン・エヴァレット・ミレイによる、「オフィーリア」をモチーフにした、水面に花とともにたゆたう、はぐちゃんの姿は忘れがたいものでした。このイラストを生原稿で見られたのは幸せで、なんども見てしまいました。



山田さんは健気でいいですね。はぐちゃんとのペアで様々なガーリッシュな服装をしているのもまた似合っており、可愛いなぁと思えるものでありながらも、その流れで続く森田先輩のフィールドが、何かこう、気持ちが明るくなるような雰囲気でしたし、羽海野チカさんの世界として魅力的に感じられるものでした。


3月のライオン』の多様性

3月のライオン』も、桐山零の初期のひとり語りによるドロドロとした沈み込むような、閉鎖された世界の表現が黒を基調に描かれていましたが、次第に光を浴びていく、世界につながっていく漫画の展開もまた、展示で感じられました。おっさん達も健在で、個人的に応援している島田八段(『3月のライオン』5巻に感じた「人と人の様々な繋がり」で言及)のイラストも、よいものです。



「かわいらしい世界」が詰め込まれた、お菓子箱のような雰囲気も、貫かれています。前回の企画展で『ハチミツのクローバー』と『3月のライオン』でコラボしたイラストが、よいものでしたし、その並びにあった、和菓子屋の三姉妹のメイド姿もコミックスを見てから気になっていたものでしたし、羽海野チカさんが「可愛いコンテクスト」でメイドが描かれる存在になっているのも、メイド研究者としてはうなずけるものでした。もちろん、『ハチミツとクローバー』を含めて、童話的な、世界名作的な、民族衣装的な、多様なエプロンドレスの描写や、描かれていた『赤毛のアン』の表紙も、羽海野チカさんの世界観にふさわしいものでした。


こうした少女らしさの世界表現は、ひなちゃん(ひなた)のブロックに凝集されていたように思います。大正から昭和前期的なイラストがあったり、パフスリーブのワンピース、エプロン、おさげにおかっぱなどの髪型など、イラストが並ぶことでより強く、そこに込められた世界に漂う優しい眼差しを感じられます。


作り手としての削るような生き方

芸術家として生きるはぐちゃんは、他者の人生すべてを求めてしまうぐらいにその世界に没頭し、命を削るように作品を作っていました。その原型ともいうべき、生みの親の羽海野チカさんの創作もまた、壮絶さを感じるものでした。今回の展示で最も「羽海野チカの世界展」として、その世界を形作るものを表現し、感動したのは、妥協のない作り手としてのスタンスです。



それは、8ページ分の漫画のネームが完成に至るまでのプロセスを可視化した展示に凝集されています。ネームを描き上げた後、何度も何度も作品を再構成、ブラッシュアップさせて、結晶化させていく。第一段階から第二段階、第三段階と、その描き方もユニークに思えましたが、妥協せずに丁寧に作り上げる様子は、自分が読んでいる『3月のライオン』という漫画がこのように心血を注ぎ込んで作られていることに、震えました。



もうひとつ、今回の展示で「漫画家」としての羽海野チカさんの凄みを感じたのは、ショーケースの中に入ったイラストに色を塗っていくプロセスについてです。絵の具のパレットが展開されており、それぞれの絵の具の色の番号を記した数字が、カラーイラストの描かれたボードにも色のサンプルとセットで添えられており、デジタル化ではない形でのイラストの完成に向けた心の配りように、驚くのみでした。



私はクリエイターの方の制作現場を知らないので、ここで見ているものがひときわユニークなものでないかもしれませんが、繊細で美しく、可愛く、時に凄みがある世界を描き出す羽海野チカさんが、どれだけの時間と心を配って作品を描いているのかが、伝わってきた気がします。



クリエイターとしての羽海野チカさんの源流を感じさせてくれる展示が、セーターとワンピースです。特にワンピースの方は、ピンクハウスをモチーフとして手作りしたもので(一度も着られなかったとのこと)、作品の世界に存在する地に足がついた生活描写、ハンドメイドな雰囲気も、こうした生き方の積み重ねにあるのかなとも思いました。


明日までなので行ける方は是非

最後に、作家としての優しさを感じたのは、『3月のライオン』6巻を発売記念で、2011年7月22日付朝日新聞広告掲載のイラストです。私はこの企画を存じ上げなかったのですが、読者から応募した登場人物へのメッセージは心揺さぶられるものがありました。かつ、このイラストはオークションにかけられ、売り上げは全額、東日本大震災義援金になったとのことです。



そうそう、「コロッケ」の展示もユニークでしたし、ブンちゃんの写真も良かったですね。「3月のライオン お茶の間の川本家」を表現したミニチュアも含めて、とにかく「羽海野チカの世界展」の名にふさわしい展示ばかりでした。そいて、副題の「ハチミツとライオンと」に限ったものではなく、クリエイターとしての羽海野チカさん自身を知る・作家としてのあり方に接することができ、そのあたたかで優しい世界に包まれる展示でした。



明日08/17までなので、このブログを読んで興味を持たれた方は、是非に。



公式サイト:『羽海野チカの世界展 ハチミツとライオンと』


※事務的なコメント

通常の美術展と違い、展示作品全てのリスト配布は無かったようです。図録に相当するイラストセレクションを購入しましたが、それも全てを掲載しているわけではありません。


東京都庭園美術館「こどもとファッション」の展示

コミケの感想は後日。



今日はコミケ後の夏休みということで、東京都庭園美術館の「こどもとファッション」の展示を見に行きました。twitterでフォローしている人たちが話題にしていることと、昨日お会いした方から説明を受けた展示内容に強い興味を持ったからです。



東京都庭園美術館の建物自体は好きで、何度か足を運んでいましたが、リニューアルしてからは一度も行っていなかったので、折角だからと行くことにしました。



東京都庭園美術館の「こどもとファッション」紹介ページ



今回の企画がユニークだったと思えたのは2点あります。



1) こどもの衣装に集中しており、数多くの衣装が展示されていたこと。比較用に大人の衣装もあったけど、ここまでこどもの衣装がまとまった展示を見たことが私の経験上、ありませんでした。こどもの靴や靴下、すごろくや図版などもあわせて展示されていて、こどもを取り巻く文化が垣間見えます。



2) 展示はヨーロッパだけだと思っていたのですが、その影響を受けた明治以降の日本のこども服(洋服)や、それらをモチーフにした絵が展示されていたこと。この話を知人に聞いたことが、「足を運ぼう」という動機にもなりました。1階がヨーロッパ、2階が日本と建物のフロアによる内容の変化も、良い構成でした。



私は日本の明治以降のこどもの衣装に詳しくはないですが、特に気になったのはエプロンの導入や、エプロンドレス的な衣装の多さです。そうした衣装の実物が展示されているだけでも驚きましたが、エプロンをつけたこどもを描いた当時の雑紙や絵画が非常に印象的でした。「これが日本なんだ」と驚きもしました。絵画では、明治27年頃の「はるの像」(紙中糸子、No.89)では幼女が着物にエプロンをつけ、明治45年の「遊戯」(秦テルヲ、No.93)では数多くの子どもたちが和服+エプロン姿で手をつないで遊んでいる姿が、同様に「あそび」(北野常富、No.94、明治末期から大正初期)でもエプロンが目を引きます。



あと、服の装飾の歴史というのか、シンプルな布地から、レースや刺繍、織などの装飾が盛り込まれていき、衣類の線が複雑化していく様子もまた、面白かったです。どれぐらいの制作時間がかかったのかと思えるような服も散見しました。


メイド研究者なのでメイドっぽいイラストやエプロンドレスについて

これらについても話しておきますと、ひときわ印象に残った展示は『プリンセス・パーティ』。1993年に販売していた子供服を用いたと記載があれど、1993年にエプロンドレスなどが流通していたことは目を疑いました。自分が生きていた時代ながら、その当時に関心がない領域は未知ですね。



メイド的なものでは、こどもを着替えさせているメイドの写真(フレデリック・ボワッソナ『身づくろい」No.54)があったり、19世紀の作家ケイト・グリーナウェイのイラストが展示されていたりと、自分にとっては意外な展示も多かったです。グリーナウェイの展示の近くにあった楽曲集『幼い子どもたちのための古い歌』(1883年、ルイ=モーリス・プテ・ド・モンヴェル)も、私にはとても19世紀の作品に見えませんでした。そこに描かれた、列になった子どもたちのイラストのタッチと、その着ている衣装とが、どちらもモダンに見えたからです。


建物を鑑賞する楽しみ

展示のユニークさもさることながら、やはり旧朝香宮邸は素晴らしいのです。正面玄関のルネ・ラリックのガラスの装飾。様々な部屋の天井と照明、壁面の美しさ。階段マニア的には、玄関ホールから通じる表階段と、奥にある裏階段の2つが、たまりません。天井の高さも楽しめますし、存在そのものが美術品の館です。



そして現地で『アール・デコ建築意匠: 朝香宮邸の美と技法』を購入しました。結構な値段をしたので買おうか迷いましたが、中身に「建築にまつわる費用」の詳細が出ていたので購入を決めました。セメント代とか水道工事費、館の工事費用から、家具まで様々です。



中でも個人的なお気に入りは、それぞれに仕入先も記載されていること。たとえば、妃殿下下居間緞帳代68円、たとえば受付レース取り付け代2290円。いずれも三越から。消耗品(文具)や器具代、通信費、給料、電気代までの詳細もあるので、生活風景マニアには最高の資料です。








屋敷といえば正面と、庭に回って裏の姿を見ることも醍醐味です。唯一残念なのは、庭園のほとんどが整備工事中だったことです。



今回の展示は8月31日までということで、ご興味のある方は是非。

新刊『ある英国メイドの職場遍歴』 2016年夏コミ向け

久しぶりに更新します。コミケ88新刊『メイドイメージの大国ニッポン世界名作劇場・少女漫画から宮崎駿作品まで』以来の新刊です。



今回の新刊は16ページの冊子(コピー誌ではなく、同人印刷所によるオフセット)で制作しました。久しぶりにイラストなし、情報のみです。委託できる本の形態ではないので、コミケでの頒布のみになります。原点回帰的に、ガチな英国メイド本ということにて、当日はよろしくお願いします。



タイトル:『ある英国メイドの職場遍歴』

著作:久我真樹、イラスト:なし

仕様:A5サイズ、16ページ

内容:テキスト

サークル:SPQRコミックマーケット90 3日目「西地区 "ね" 11a」」で頒布開始

価格:100円

Webコミケカタログ:https://webcatalog.circle.ms/Circle/12704964/

委託:なし



ここ数年、日本のメイドブーム関連の新刊と、池袋のメイド喫茶ワンダーパーラーカフェとのコラボ創作『屋根裏の少女たち Behind the green baize door』など、英国メイドの資料からは遠ざかっていたので、英国メイド関連同人誌制作のリハビリということにて。



今回の内容は、実在する英国メイド(コックに転身)、Jean Rennieの15箇所の職場経験と、それぞれの職場で出会った人たちのエピソードを書きながら、Jeanの人生を追いかける冊子になっています。



本当は他の使用人も主役として、彼らが働いた屋敷・同僚たちを描く本にしたかったのですが、Jeanの転職回数が多すぎて、今回、コミケ用に確保できた作業時間で終わりませんでした。冬はゲームキーパーの本も考えたいところではありますが、申し込むべきか考えているところです。ここ数年、仕事が忙しく……



とはいえ、英国メイド関連の研究を怠っているわけではなく、少しずつ資料も増やしています。たとえば、以下の画像の2冊は『英国メイドの世界』を書いていた当時、その存在だけを他の資料で知っていながら、入手できなかった本です。今は手元にあります。以下の画像の赤本は「愚痴が多い、失敗経験豊富な執事」Eric Horne(大好き)の2冊目。緑本は成功した執事W.Lanceleyの本です。







他にも間に合わなかった資料があります。『英国メイドの世界』を書いたときには伯爵家でゲームキーパーの息子として裏方事務をする人を紹介しましたが、刊行した後にそのお父さん(ヘッド・ゲームキーパー)の本を入手できたのです。そのお父さんの本は、別のゲームキーパーの本で、誤って人を撃ってしまったエピソードの参考文献として出てきたものでした。



で、その資料本はゲームキーパーが管理している猟鳥の数字や、領地内の狩猟エリア(猟場、beat)の地図とかもあって、面白いのです。



最後に、当日は売り子として、過去お世話になったメイドさんにまた来ていただけることになりました。



当日、お会いできれば幸いです。


1990年代のCLAMP作品に見るメイドイメージ

カードキャプターさくら』20周年を記念して

 2016年は、『カードキャプターさくら』の連載開始から20周年を迎え、新作の発表やアニメ化が話題となっています。



カードキャプターさくら公式サイト http://ccsakura-official.com/







本当に偶然ですが、日本のメイドイメージを研究する活動を続ける中で、私は今年になって『カードキャプターさくら』が1999年時点で「メイド服を着たウェイトレスがいる学園祭」を描いていることに気づきました。以前、『カードキャプターさくら』を読んでいたものの、強い印象に残っていませんでした。



メイド研究をしていて楽しいのは、こうした「作品が、もう一度取り上げられる機会」に出会えることです。



本テキストは、『カードキャプターさくら』を基点に、1990年代のCLAMP作品におけるメイドイメージを考察します。



※画像が見えなかったら、リロードをお願いします。

※本来は「英国メイド研究者」なのですが、いろいろとあって「日本のメイドイメージ研究者」にもなっています。ここ数年の研究成果は以下の同人誌にて……

[特集]第1期メイドブーム「日本のメイドさん」確立へ(1990年代)
[特集]第2期メイドブーム〜制服ブームから派生したメイド服リアル化・「コスプレ」喫茶成立まで(1990年代)
同人誌『メイドイメージの大国ニッポン世界名作劇場・少女漫画から宮崎駿作品まで』

同人誌『メイドイメージの大国ニッポン 漫画・ラノベ編』

同人誌『メイドイメージの大国ニッポン 新聞メディア編』


カードキャプターさくら』の4つのメイドイメージ

日本を代表する女性漫画家グループ、「CLAMP」の代表作品には、メイドと少女漫画の親和性を垣間見ることができます。特にメイドブームと時期が重なる『カードキャプターさくら』(講談社、1996年連載開始)はNHK-BSでアニメが1998年から放送されるなど、1990年代を代表する人気作品です。その作品中に、これまで語ってきた要素が、凝集されています。



この世に災いを為すという「クロウカード」を集めるため、魔法少女となって戦う小学四年生の木之本桜(きのもと・さくら)を巡る物語を、メイド視点で見ると、4つの注目点があります。


1.メイド服の構成要素とのデザイン的な親和性

カードキャプターさくら(4) (KCデラックス なかよし)

カードキャプターさくら(4) (KCデラックス なかよし)



主役の桜の服装はレースとフリルで飾られており、「カワイイ」が詰め込まれています。4巻の表紙はアリスイメージで、水色のリボン、フルリがついたエプロンドレス、そしてパフスリーブに広がるフレアスカートの緩やかなラインの衣装で着飾っています。桜が家庭科の実習で、自宅の家事手伝いで着用するエプロンもまた、フリルがついたメイドのエプロンと同じものでした。アリスイメージでは、2巻1話の扉絵もアリスのお茶会をイメージしたイラストが飾られましたし、『不思議の国の美幸ちゃん』(角川書店、1993年)も、アリスをテーマとした作品です。






2. 「コスプレ」で戦う魔法少女

桜は魔法少女となって戦う時、「コスプレ」をしています。親友の同級生・大道寺知世は可愛い桜が大好きで、自身で用意した衣装を桜に着替えさせて、動画で撮影するという念の入れようです。変身魔法少女作品は通常、魔法の力で変身しますが、この作品では「知世がその衣装を用意する」ことで変身させ、かつ、桜が都度、可愛らしい格好をするという仕立てになっています。



1990年代という作品の連載時期を鑑みれば、コスプレブームの影響を無視することはできないでしょう。また、コスチュームの観点でみれば学園生活で出るべきもの(制服:夏服、冬服、スクール水着)から、夏の縁日での浴衣、そして本職の巫女までが登場します。



そして、興味深いことに、この知世が制作した衣装の中には「猫耳・首に鈴・尻尾・エプロンドレス」のスタイルがあります。この衣装は、「でじこ」を彷彿とさせるものです。この衣装が描かれる2巻4話は雑誌『なかよし』1997年3月号に掲載されており、「でじこ」が1998年に登場するよりも前に、「メイドではないのに、可愛い衣装としてのエプロンドレスを着た」(かつ猫耳)イメージが存在したことは、今回、初めて気づいたことでした。



カードキャプターさくら(3) (なかよしコミックス)

カードキャプターさくら(3) (なかよしコミックス)




3. 本職の「メイド」の存在

メイドとの親和性では、第三に、友人の大道寺知世がお金持ちという設定であるため、彼女の屋敷にもまた「メイド」が登場します。少女漫画の文脈で職業メイドが適切に存在しているのです。作中では2回、メイドが姿を見せました。メイドはヘッドドレス、ロングスカートにエプロンという姿です。

カードキャプターさくら』3巻P.100(CLAMP 講談社 1997年8月刊行)から引用


4. 文化祭でのメイド服

そして最後に、桜もメイド服を着ました。桜が通う「友枝小学校」の文化祭の模擬店で喫茶店が開催された際に、「メイド服」(作中で「メイド服」という言及は一切なし)を着たウェイトレスになったからです(コスプレ喫茶の歴史は秋葉原におけるメイド喫茶・コスプレ喫茶の歴史に詳しい)。



 『カードキャプターさくら』10巻P.30(CLAMP 講談社 1999年11月刊行)から引用



桜のメイド服は、作中で描かれた本職・知世の家のメイドの制服とは異なり、この作品で桜の衣装として貫かれる「フレアスカート」です。長さも短く、ソックスを履いているのに対して、メイドは黒タイツです。他にも襟元が桜の場合はリボンで飾られ、エプロンも胸元は空いているなど、デザインの差が明確に出ています。



作中、桜が縁者からプレゼントされた服装もクラシックで世界名作劇場のお嬢様が来ていそうなフリルで装飾されたドレスとなっており、この点では「ロリータ・ファッション」を具現化した存在とも言えます。



2000年代はメイド服とロリータ・ファッションがより注目を集めた時期で、そうした時代性を象徴するのが、2004年に刊行された新装版7巻の表紙です。桜の衣装はまさにメイド服のエプロンドレスで、ピンク色の色彩と相まって、少女世界を表現していますし、新装版になって「(旧版になかった)メイドが表紙」となるのも、時代を反映したものとなるでしょう。



カードキャプターさくら(7) (なかよしコミックス)

カードキャプターさくら(7) (なかよしコミックス)




メイドロボが描かれた『ちょびっツ』へ

ちょびっツ(1) (ヤングマガジンコミックス)

ちょびっツ(1) (ヤングマガジンコミックス)





CLAMP作品でよりダイレクトにメイドを出現させたのは『ちょびっツ』(講談社、2000年)です。アルバイトで生活費を稼ぎながら、予備校に通って大学受験を目指す主人公・本須和秀樹は、ごみ捨て場で人型パソコンを拾い、「ちぃ」と名付けます。この作品世界では、人型パソコンが流通しており、人の暮らしのパートナーとなり、会話もできました。しかし「ちぃ」は会話をすることができず、1巻chapter-4では、ちぃの正体を探るため、パソコンに詳しい少年・国分寺稔の家に行きます。



そこで秀樹とちぃを出迎えたのが、「メイド」の格好をしたパソコンでした。それもボンデージにエプロンというセクシーな「フレンチメイド」の姿で。



 『ちょびっツ』1巻P.64(CLAMP 講談社 2001年2月刊行)から引用

 『ちょびっツ』1巻P.71(CLAMP 講談社 2001年2月刊行)から引用



稔は別の人型パソコン「柚姫(ゆずき)」を有し、その柚姫は背中を大きなリボンで結ぶエプロンにミニのドレスという姿で、描き分けられています。稔がなぜフレンチメイドの格好をさせているのか理由は説明されませんが、柚姫は名前をつけるだけの特別な存在で、その大切さをメイド服の描き分け(フレンチメイドは見かけ・性的消費)たのかもしれません。



付け加えれば、『ちょびっツ』のメイド服デザインはこの2つにとどまりません。言葉を覚え、知識を身につけていった「ちぃ」は、秀樹の生活を助けるため、洋菓子店「チロル」でアルバイトを始めます。そこの制服は「チロル」の名の通り、チロルの民族衣装を彷彿とさせつつも、メイド服的な要素を残し、かつミニスカートからドロワーズを見せるスタイルは、ロリータ・ファッションの要素も入っています。



カードキャプターさくら』におけるメイド服イメージは、メイドを描くためというよりも、あくまでも作品を彩る要素で、少女らしい世界を描く際に不可欠の要素がメイド服の中にある考える方が妥当です。一方で、『ちょびっツ』における人型パソコンは、「メイドロボ」で解説した「家電」としてのメイドロボの要素を満たし、作品を成立させる必須の条件になっています。



青年誌の『ヤングマガジン』での連載という点を鑑みても、性的な対象としての「メイドロボ」という視点も作中には何度も描かれています。作品には人型パソコンに夢中になって妻を蔑ろにする夫も出てきたり、人型パソコンを生涯の伴侶として結婚を試みた男性が登場したりと、人とアンドロイドの境界線を巡る感情移入・パートナー選びが作品テーマの根底に流れる点では、「メイドロボ」の文脈に乗る作品として見ることができます。


「メイドロボ」への道を繋ぐ『ANGELIC LAYER

Angelic layer (1) (角川コミックス・エース)

Angelic layer (1) (角川コミックス・エース)



メイドイメージ(メイド衣装とメイドロボ)を巡る点では、『カードキャプターさくら』と『ちょびっツ』を繋ぐ作品に、『ANGELIC LAYER』(角川書店、1999年)があります。同作品は「天使」と呼ばれるドールを操作し、対戦格闘を行うゲームが作品の根幹にあります。1990年代後半のドールブームの影響を鑑みつつも、そこはCLAMP作品で「アリスイメージ」を引き継ぐキャラクターとして、その名も藤崎有栖が登場し、かつ彼女の「天使」の名もまた「アリス」で、エプロンドレス姿をしています。



さらに、主役の鈴原みさきが駆使する「天使」の「ヒカル」の着せ替え衣装の中にメイド服がある扉絵も描かれました。

(スキャナの故障により、後日、引用画像を更新します)



ANGELIC LAYER』と『ちょびっツ』は地続きですが、『ちょびっツ』ではドールが「人間の大きさ」になり、「人間のパートナーになる」人型パソコンが登場して行く流れは興味深いものです。メイドブーム期に登場した『HAND MAIDメイ』もまた、当初はドールサイズでありました。



1990年代のメイドブームを研究する中で、「コスプレブーム」や「格闘ゲームブーム」、「ファミレスなどの制服ブーム」 、さらには当時のオタク向けのショップムックから、「ドール」の流行を感じました。等身大のドールが話題になり、店頭に鎮座している写真もそうしたムックには掲載されています。









ここで列挙したものすべてを「メイドイメージ」は繋ぐことができます。そして、1990年代後半のCLAMP作品には、この影響を見ることもできると再確認しました。そして、『ちょびっツ』はWindows98の普及でパソコンが身近となり、またインターネットの利用率が上がっていったこととも切り離せません。


メイドブームの影響

今回の考察のきっかけは、『カードキャプターさくら』の20周年を聞き、ふと「そういえば、知世が桜に用意していたコスプレ衣装にメイド服ってあったっけ?」という疑問から始まりました。そして「どうせならば、CLAMP作品の画集を買って、メイドイメージを探してみようか」というところに繋がり、まず『ちょびっツ』でメイド服を発見しました。



その後、『カードキャプターさくら』を読み直し、知世のコスプレ衣装にメイド服はなかったもののアリス衣装があったことや、知世の家にメイドがいたこと、そして学園祭でメイド服を着ていることに気づきました。過去に読んでいるはずなのに、その時期、そういう視点で作品を読んでいなかったので、思い切り、メイド服をスルーしていました。



ただ、私がこれまでメイドイメージ研究をする中で、知人や私の観測範囲で、『カードキャプターさくら』をあげた人はほとんどいません。それぐらいに、メイドは作品の中に自然に溶け込んでいるのかもしれません。



今回は1990年代後半に生じた2軸のメイドブーム([特集]第1期メイドブーム「日本のメイドさん」確立へ(1990年代)と、[特集]第2期メイドブーム〜制服ブームから派生したメイド服リアル化・「コスプレ」喫茶成立まで(1990年代))をベースにしています。第3期以降は現在、準備中で、それにあわせて第1期も第2期も書き直しを進めています。



それらはそのうち公開しますので、お待ちください。



なお、CLAMP作品で「文化祭でのメイドカフェ」とメイドカフェの文字が明示的に使われたのは、『XXXHOLiC』(講談社、2003年)と『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』(講談社、2003年)がコラボするドラマCD『私立堀鐔学園2』(講談社、2006年)でした。



そして、20周年を記念して「カードキャプターさくら」初のコラボカフェが開催決定!8店舗で順次開催されるのもまた、作品が先取りした表現に、時代が追いついたのでしょうか。感慨深いものがあります。カフェのノベルティのコースターには、「メイド服姿の桜」がいます。



20周年という期間で、作品を巡る表現の変化を見ることもまた、メイドブームを学べばこそ見えてくるものです。

羽海野チカ先生がダウントンしない英国ドラマを紹介してみる

昨日からNHK総合で『ダウントン・アビー』シーズン4の放送が始まりました。私は先に寝てしまって、真夜中に目覚めてTwitterを見たのですが、『ハチミツとクローバー』や『3月のライオン』を描く漫画家・羽海野先生が以下のようなつぶやきをしていました。





確かに『ダウントン・アビー』はシーズン3の終わりからシーズン4にかけて、より描写が過激化(人が死ぬ、精神的にも肉体的にも悪意によって傷けられる)していくので、私個人としてはピークはマシューの結婚までと、シーズン6ぐらいからの復活なのですが、「ダウントンしない」作品というものを考えるのは、自分の棚卸的に良いかも、と思いました。



事前に私の立場を記しておくと、『英国メイドの世界』という英国家事使用人の歴史本を作り、英国メイドの研究は16年目です、2014年12月には『ミステリマガジン』2015年2月号「ダウントン・アビー特集」に寄稿しました。


条件

・上流階級の屋敷や生活描写ができるだけある。

・ドロドロした恋愛劇や、ドラマ上の死が数多くは存在しない。

・キャラクター同士が傷つけ合う関係がずっとは続かない。

・ハートフル要素あり。



そうした条件でいろいろ考えてみました。


映画『アーネスト式プロポーズ』

オスカー・ワイルドの『真面目が肝要』を原作とする『アーネスト式プロポーズ』が、屋敷を舞台にした喜劇で楽しい作品です。撮影に使われた様々な屋敷が豪華なだけではなく(私が大好きなロンドン・スタッフォードハウスの階段も出てきます!)、コリン・ファースジュディ・デンチルパート・エヴェレットなど役者も豪華でオススメです。



執事もメイドも様々に出てきて場面を彩るので、今回の条件に最も適合すると思います。



『アーネスト式プロポーズ』感想


ドラマ『ラークライズ』

『ラークライズ』は英国の古典的な書物で、「イギリスで高校生の必読書とされた」作品です。1880年代の英国を生きた作家フローラ・トンプソンが描き出すのどかな田園風景と、田舎の素朴な暮らしは英国田園マニアには最高の資料で、日本では先に書籍が登場しました。



一九世紀イギリスの田園風景を描いた『ラークライズ』



ドラマも作られ、英国ではシーズン4ぐらいまで続きました。日本でDVD化されていないのですが、LaLaTVなどで一時期放送されました。



DVD『Lark Rise to Candleford』第1話(2008/04/12日記)

DVD『Lark Rise to Candleford』第2話(2008/04/17日記)


ドラマ『クランフォード』

おばあちゃんたちが主役の物語『クランフォード』も、羽海野先生へのオススメになるでしょう。エリザベス・ギャスケル原作の英文学で、ジュディ・デンチが主演するこの作品は田園地帯を舞台とした庶民の物語で、英国貴族の絢爛豪華な生活描写という指定からは外れますが、ドラマとしてはハートフルで、落ち着いた作品です。



『クランフォード』感想


ドラマ『北と南』

同じエリザベス・ギャスケル原作の『北と南』は工業都市が舞台の異色作ですが、上流階級の物語です(正確にはUpper-Middle?)。先述の『ラークライズ』と『北と南』には、『ダウントン・アビー』でヴァレットを演じるベイツ役のブレンダン・コイルが、それぞれ石工のお父さん、工場の職人長で出てきます。



あと、この作品は『ホビット』でドワーフのトーリンを演じたリチャード・アーミティッジが工場主として主演をしています。



『北と南』感想


ドラマ『高慢と偏見

安心してみられる上流階級のドラマといえば、ど定番の『高慢と偏見』です。最近では『キングスマン』、その前では『英国王のスピーチ』でおなじみのコリン・ファースの代表作といえるものではないでしょうか。1990年代半ばに日本ではNHKで放送され、この作品を通じて彼のファンになった女性も多いとおもいます。



原作は英文学を代表するジェーン・オースティンの『高慢と偏見』です。シリーズ数も短く、屋敷での撮影もしっかり行われていつつ、田園の風景もあるなど、さまざまな魅力が詰め込まれた作品です。



『高慢と偏見』感想


映画『秘密の花園

バーネットの児童文学の映像化では、まず映画『秘密の花園』が最高にハートフルといえると思います。そういえば、この作品で屋敷のハウスキーパーを務めているのが、『ダウントン・アビー』で伯爵未亡人のおばあちゃまを演じるマギー・スミスでしたね。メイドが出演する作品としてはベスト3に入ります。



鉄板すぎて、自分のブログでは感想を新しく書いていないですね……


ドラマ『小公子』

同じバーネットの児童文学の映像化では、ドラマ化した『小公子』があります。こちらは相当忠実に原作を映像化しており、個人的にはオススメの作品なのですが、NHKで15年以上前でしょうか、放送があったのち、再放送がありません。その上、日本での商品化もなく、英語版を買うしかありません。



『Little Lord Fauntleroy(邦題:小公子)』感想


映画『ミス・ポター

ミス・ポター [DVD]

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ピーター・ラビットの原作者のビアトリクス・ポターを主役とした『ミス・ポター』は、いかにしてミス・ポターが自身の作品世界を作り、また出版を行って自分の世界を伝えていったかを描いたハートフルな作品です。生まれが良いので、上流階級の世界(こちらもUpper-Middleといったほうが良い?)も描かれています。



『ミス・ポター』感想(ネタバレなし)


映画『日の名残り

最後に、上流階級の家事使用人のトップである執事を主役とした、英国使用人ドラマの最高峰『日の名残り』を。英国作家カズオ・イシグロと言えばこの作品だった時代がありました。この作品は第二次世界大戦後の英国屋敷に住むアメリカ人富豪に仕える英国執事スティーブンスが主役です。スティーブンスという執事キャラがいれば、間違いなくこの作品の影響でしょう。



物語の時間軸は2つあり、「戦後を生きる執事」と、そもそもこの屋敷の所有者でスティーブンスが最高の敬意を持って仕えた英国貴族ダーリントン卿がいた時代=「屋敷の暮らしが華やかでピークだった時代」への回想で進みます。



1990年代に作られた映像作品では最高資料と言えるほどに家事使用人の仕事(日常生活ではないですし、執事視点なのでその他の使用人はそれほど描かれないです)と、また執事とハウスキーパーという「上級使用人」の管理職を描きました。



ハートフルかと言われれば難しいのですが、先述の「ダウントンしない」条件は満たすかと思います。



『日の名残り』感想(原作小説)


ここまで書いてみて:なぜ「ダウントンする」のか、背景を考えてみる

そもそも「ドラマシリーズ」は話を長く続ける都合上、「繰り返し」と「何かしら事件を起こして話を続ける必然性」があるので、あまり「ダウントンしない」条件に適合しないかも、と思いあたりました。飽きさせずに次回を見たいと思わせるには、強い引きもインパクトも必要かもと。



そして『ダウントン・アビー』のようなドラマは、「そのほかの同時期に放送している現代ドラマ」シリーズとも視聴率争いをしているかもしれません。その点では、放送中のほかドラマと意識して、ある程度、展開の起伏が大きくなっていくのも必然なのかも、と考えました



「ダウントンしない」作品として私が列挙したものは、ほとんど文学作品のドラマでした。表現に規制が多かった時代もあり、こうした原作付きの作品はおとなしい表現が多くなりますし、短い時間で済むことも多いです。その点、児童文学もハートフル枠になりますし、アニメの『ハウス世界名作劇場』シリーズも、この枠に入るでしょう。スタジオジブリの作品も、空気感は似ていますね。



こうした「先行のドラマ」作品がある上で作る別のドラマは、その先行作品との差異化の中で過激化する必然なのかもしれないと、改めて思いました。


終わりに

ダウントン・アビー』には非常に魅力を感じる点が多くありつつ、「ダウントンしない」という言葉はしっくりきました。とはいえ、いざそうした作品を紹介しようと考えると、意外と思いつかないものでした。『ダウントン・アビー」がきっかけで色々とこの界隈に興味を持つ方がいるならば、その楽しみ方の選択肢を広げるお手伝いができればと、ブログの形でまとめました。



全作品オススメですが、いくつか上流階級の屋敷ではないドラマも混ぜてしまいましたので、きっちり絞れば『日の名残り』『秘密の花園』、『アーネスト式プロポーズ』でしょうか。



なお、『名探偵ポワロ』と『ゴスフォード・パーク』はハートフルではないので除外しています。『名探偵ポワロ』はポワロさんとヘイスティングスがチャーミングなので、ぜひ、見ていただきたいですね(今、NHK-BSで土曜日夕方に放送していますので)。



NHK公式:名探偵ポワロハイビジョンリマスター版



取り上げなかった英文学で言えば、ディケンズ作品シリーズで『荒涼館』もありますね。他に、イブリン・ウォーの『Brideshead Revisited』も。『情愛と友情』としてリメイクされた作品には、ベン・ウィショーもでていますね。





最後に、言及した世界名作・ジブリつながりで言えば、私の同人誌(2015年8月に製作)『メイドイメージの大国ニッポン世界名作劇場・少女漫画から宮崎駿作品まで』が、メイド・使用人描写の変遷を1970年代から遡って分析していますので、オススメです。



『ダウントン・アビー』シーズン6からの完結編・UKで発売&視聴完了

その一方で、英国では昨年末に放映された『ダウントン・アビー』の最終シーズン6の完結編になる『Downton Abbey: The Finale』が、DVDで発売されました。今日、UKから届いたので視聴しました。



http://www.amazon.co.uk/Downton-Abbey-The-Finale-DVD/dp/B018K7M0TI






このドラマを知ってから丸々5年が経過したのですが、『ダウントン・アビー』を超える映像美と世界観の作品はいまだあらわれず、2010年12月に記した『Downton Abbey』(ダウントン・アビー)は「屋敷と使用人」の史上最高レベルの映像作品との言葉は、そのまま今も通じていると思います。



前述したように、特にシーズン3〜4の展開は必ずしも私が好きなストーリー展開ではありませんでしたが、シーズンを賑わせてきたメインキャラクターたちが様々な毀誉褒貶を経ながらも、最終的には自分たちの居場所や幸せを見つけていくエンディングには、素直に感動しました。癖が強く、魅力的なキャラクターが多かったです。



物語は1920年代で終了しますので、この後、屋敷の存続に関わる相続税の問題や、今後の第二次世界大戦で接収されることも描かれることはありませんでしたが、1912年のタイタニックの沈没から始まッタ物語が、1925年に終了することは、メインキャラクターの年齢を考えると、妥当かと思います。



この作品が入口となって、英国屋敷やメイドの世界に興味を持つ方が増えることを願って。



以下、屋敷の崩壊について触れたtwitterでのつぶやきです。