ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

森薫先生の公式ブログ開始&公式サイト閉鎖のお知らせ

なんでしょうか、たまたま今日の午前中に森薫先生の公式サイトを久々に見て感想を書いたのですが、先ほど再訪問してみると、数年ぶりの更新がされていました。



内容は、「公式ブログ開始&公式サイト閉鎖のお知らせ」でした。



ヘリオトロープ-短期集中・森薫の落書き置き場-



新連載が始まるまでの場とのことで、始まったら閉鎖されるようです。



ひとつの時代の終わりと始まり、でしょうか。寂しいような嬉しいような、複雑な気持ちです。しかし、ウェブで久しぶりに生の声を見られたので、よしとします。でもブログのカウンター5桁は、控えめすぎるような(笑)


『エマ』10巻発売とサイン会情報

黒い天使のブログ様にて、情報が出ています。2008/04/25に「とらのあな池袋」店で購入した人が、2008/04/29のサイン会に出られる、100名限定、とのことです。



今まで一度もサイン会には行ったことがないので、申し込みや整理券入手の難易度がわからないのですが、最後ぐらいは行きたいなぁと思います。しかし平日。有給消化しようかなぁ……駄目社会人です、はい。



『エマ』10巻・感想


『エマ』9巻感想

エマ 9巻 (BEAM COMIX)
ストーリーのレベルと絵の密度、描写の自然さがますます際立っていますね。以前は、「このシーンを描きたい(知識として得た風景を使ってみたい)」ようなところもありましたが、今はもう、視点が完全に「ヴィクトリア朝」に入り込んでいて、自然体です。



8巻からだいぶ肩の力が抜けて、「完結させる」ではなく、如何に短い話数で「綺麗なシーン、魅力的なキャラクター」を描くかに注力している感じがしていて、静かに流れる川のような雰囲気です。完成度が、非常に高くなっています。



映像化(アニメ化ではなく、実写化)してくれないですかね、イギリスのテレビ局で。最近、ジェーン・オースティンの三作品のドラマを見ましたが、一作品一時間半という制約だったので、脚本がひどいものでした。今の『エマ』ならば、本場でも通じるいい映像に仕上がると思います。



いちばん気に入ったシーンは、メイド・アメリアの台詞です。




「いつ来てもすごい花だ」

「空気が乾燥しなくてようございますわ」

『エマ』9巻「第十二話 三人の歌手(前編)」P.186より引用
声を出し、歌を仕事にする主人が喉を痛めないかどうか、乾燥しがちな環境に常に配慮しているからこそ、自然に出てくる主人想いの台詞は、いい意味での「使用人らしい」台詞ですね。ちょっと図々しいぐらいに思える使用人にこそ味がありますし、主人をしっかりコントロールする距離感も大切ですね。(この「花が多い」→「湿度があって、喉を痛めにくい」と主人を思いやる言葉につなげた森薫先生の台詞回しも、非凡だと思います)



今回の主役は久我的にはアメリアです。



あとがきにも登場するぐらいですから……



ストーリーとしては単体の完成度では「三人の歌手」がよかったです。あぁいう話は大好きですし、あの時代のアーティストを描いてみたいとは思っています。



エマ 9巻 (BEAM COMIX)

エマ 9巻 (BEAM COMIX)


関連するサイト

最近見たオースティンの三部作

The Jane Austen Collection - Mansfield Park / Northanger Abbey / Emma (3 Disc Box Set) [2007]


http://www.amazon.co.uk/dp/B000NDETME/


旅に出ていました

コミティアの翌日からフランスに出かけ、無事に帰国しました。



フランスはイギリスよりも開放的で、今回訪問したほぼすべての美術館・屋敷で室内撮影が許可されていました。なので、デジカメで1000枚以上、室内やら家具やら装飾やらを撮影してきました。イギリスの屋敷とフランスの屋敷は似ている部分と似ていない部分もありますが、革命が起きる国はすごい贅沢だなぁと、いう以前から抱いていた感想は、当たっていました。



という話はさておき、このブログをご覧の皆様へのお土産はと言えば。





ルーブル美術館の地下のショッピングモールで購入したフランス語版・『シャーリー』です。森薫先生の「あとがき」もばっちりフランス語です。







同ショップでは『エマ』が3巻まで販売されていたり、『週刊少年ジャンプ』作品が軒並み揃っていたり、アニメコーナーでは日本よりDVD-BOXが安かったり、日本製ゲームが多かったり、ネタに事欠きませんでした。



こちらは日本語版。

シャーリー (Beam comix)

シャーリー (Beam comix)





『シャーリー』を読んで、フランス語の勉強をしようかなぁと……


『英國戀物語エマ』第二幕感想がアキバBlog様にて

月間で1800万PV以上を記録すると言うアキバBlog様にて、『英國戀物語エマ』第二幕DVD発売に際して、久我の書いた感想記事がいい場所に取り上げていただけていました。何かPVがあがっているのでなんだろう、と思ったら、という次第です。



『英國戀物語エマ』第二幕が終わる(取り上げていただいたコラム)



英國戀物語エマ 第二幕 「これが本当のメイドですよ、みなさん」アキバBlog様)



以前、『図解メイド』の関連でご紹介いただいてから、二度目ですね。

ありがとうございます。



何かの縁とは思いますので、お立ち寄りの方にイギリスのメイドに興味を持っていただければ、幸いです。



もしも『英國戀物語エマ』で物足りなければ、森薫先生も絶賛したイギリスの『MANOR HOUSE』をものすごくオススメです。こちらの執事とメイドは、神がかっています。AMAZONで買えないのが残念でなりませんが、まだ下の公式サイトで売っています。



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『英國戀物語エマ』第二幕感想〜全体を振り返って

何かを吸収して、伝えることの難しさ

しばらく『エマ』のアニメ版『英國戀物語エマ』第二幕の感想を書いていません。一番「書けない」と思ったのは、同じ世界を見ても、感じることは違うんだなぁという事実です。当たり前のことですが、あまりにも認識の差が、大きいのです。



久我は「使用人を描ききれていない」と、第二話「月光」の感想で書きました。使用人たちのエピソードで、最も面白い題材であり、森薫先生の筆も走っていた「使用人だけのパーティ」。使用人を描くならば、これを外すはずがありません。第二幕で最も期待したシーンでした。




しかし、アニメではあっさり終わってしまい、華やかさも、使用人がそれをどれだけ楽しみにしていたかも、伝わらなかったのが、寂しかったです。



が、「今回は恋愛がメイン(使用人を描くのは今回の目的ではない)」と監督のインタビューを教わり、また第二幕だけで「7巻までを完結させる」というありえないぐらいのスピードで進むことを知り、「じゃぁ、しょうがないか」と諦めていたのですが、ある記事を読んで、「それはないだろう」と、思ったのです。



それが冒頭の「認識の差」です。


脚本家のインタビュー

長い前ふりですが、たまたま『月刊コミックビーム』にて、脚本家の方のインタビューを読みました。実際にイギリスに取材をして、屋敷の中を歩いていて、その上で、『エマ』を読んで、使用人を学んでいて、あのアニメを作っています。



MANOR HOUSE』を見て、『ヴィクトリアン・サーヴァント』も読んで、森薫先生が言うところの、「メイドマンガ」を描ける条件は整い、また日本ではかなりのレベルの資料・体験をしたでしょう。久我はその世界が好きですし、森薫先生が様々に勉強した結果に出力するそれを、好んでいました。



以前にヴィクトリア朝メイドを語ること・『エマ』に思うことと題して、『エマ』の原作、小説、アニメへの感想を書きましたが、結局、「その人しか見えない世界」が、『エマ』にはありました。



インタビューの中で、脚本家の方は「使用人の生活風景を描く」(描いた)と応えていました。



「そのつもりで作っていたの?」



久我は驚きました。



森薫先生と同じ視点ならばそれを言う資格はありますが、言葉とは裏腹に、久我には使用人を描いているように、伝わりませんでした。



確かに、使用人の仕事の描写、生活する風景は映像として増えています。しかし、それ以上ではありません。だから、あの記事を読んで、驚きました。



『恋愛を優先して、使用人を描くのを減らしたはずでは?』

『原作と同様に、使用人を描いているつもりなの?』



風景は描けても、『エマ』にあった価値観や質感、温度は伝え切れなかったと言うのが感想です。メルダース家の魅力的な使用人は、その輝きを失い、数は多くても、背景でしかありません。



時間的制約(第一幕の3倍のスピードで進む)があったとはいえ、劇的な展開を描かんがために、原作では大切にされていた小さな風景が、疎かにされたことは、残念でなりません。



『エマ』には、メイドブームに一石を投じ、あの時代を生きたメイドたちの風景を、段々と伝えていくようになった、新しい価値観に光を当てた功績がありました。



その功績とは、「ゴシックでダークで退廃的な雰囲気がするヴィクトリア朝に対して、光が当たり、人が暮らしている息吹が伝わる日常生活を描いた」ことです。使用人がいて、貴族がいて、彼らが暮らしている風景を、彼らが見ているロンドンの街並みを。



勉強しなければわからない、使用人の目で見た生活の風景を。



今回のアニメでは、普遍的な恋物語をメインの題材にした結果、原作のオリジナリティは損なわれました。原作を離れた結果、原作の作り出した「価値」を損ねる描き方になりました。



あのインタビューを読まなければこういう文章は書かなかったのですが、本当に、使用人は描かれていたのでしょうか? あれで描けていると思われたら釈然としませんし、原作とは別物だと言うことを伝えておくために、それを検証します。



使用人の生活風景を研究する立場として原作とアニメの「使用人の描き方」の差を、明確にしたいと思います。



以下、今までのような「描写の解説」ではなく、作品全体への感想です。まだ見ていない方はネタばれもあります。またアニメ版に対して、論理的に批判を試みています。対象ではないと思われる方は、ここから先は読まないようにお願いいたします。


















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『英國戀物語エマ 第二幕』

最終回まで見ましたが、原作ファンとしては残念でした。制作者は『マナーハウス』も見て、『ヴィクトリアン・サーヴァント』も読んでいるはずです。イギリスにも取材しているはずです。それで、あの使用人描写です。



原作で大切だったシーン、『クリスタル・パレス』『鉄道での旅立ち』を安売りした感じもします。原作の魅力的な使用人たちも、精彩を欠きました。原作に忠実で無いならば、原作を超えて欲しかったです。なんで原作のいいところを伸ばさなかったのか……



なによりも、「どうしてこのふたりは結ばれないんだっけ」という物語の根本的なところを、忘れてしまいました。エマさんがあまりにも周囲に話しかけず、会話をせず、返事をせず、ターシャやハンスやナネットが一人芝居しているみたいで可哀想だったのもありますが……



そんな、からからな心に。



久しぶりの更新『森薫の部屋』をどうぞ。



http://www.emma-victorian.com/rakugaki/



第二幕全体への感想は落ち着いてから書きます。