ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

イラスト・同人界でも「高速道路論」

森薫先生が「『MANOR HOUSE』と『ヴィクトリアン・サーヴァント』があればメイド漫画作れる」と言ったことで、久我はメイド創作における「高速道路論」が始まると以前書きました。



『MANOR HOUSE』は、ヴィクトリア朝/クラシカルメイドの「高速道路」



金曜日はGENSHIさんと秋葉原でお会いして、夏に制作予定の総集編についてご相談しましたが、そこでこの話が広がりました。GENSHIさんのお話では、イラストの世界でも「高速道路論」が起こっているそうです。



以下は久我の理解したこと・想起した範囲も含めており、GENSHIさんの見解そのままではないこと、付記しておきます。


1:先輩・助言者・仲間の存在

ネットには様々な素材やお手本が公開されていて仲間や先輩を見つけやすいことが大きいです。意識の上での参入障壁が低く(絵を描いているのは自分だけではない)、また絵に関して具体的な助言を得られやすいのです。



GENSHIさんはmixiで「お絵かき会」と言うのを主催されていますが、2005年の開催から月一度絵を描く人が集まるというこの会合、技術交流や批評や絵を見せ合う、合作するなど、刺激的なことをしています。


2:成長の機会(公開の場所)

ネット公開して反応があることで、悔しさや嬉しさを感じ、次回に繋げて新しい絵を描くという周期の短さもあります。これが紙の時代ならば雑誌に投稿するなり、同人誌で刷るなりしても反響があるまで時間がかかりましたが、良ければ見つけてくれます。



公開して、反応がある。



これが循環していくと、自身から意欲的に成長していこうと絵を描く時間を増やし、経験を重ねていくことになるのです。もちろん、同人イベントもそのひとつの大きなフィールドです。こちらは実際に「読者」と会える(そして、自分の本を「買ってもらえる」)のも大きいです。


3:ツール類の充実+先輩の存在

様々な基礎が必要なのは大前提ですが、各種ツール類も揃っていますし、そのツールを身につけやすい状況(経験者や相談する人が見つけられる)があるので、イラストを描こうとする人にとって、一定のレベルまで上がりやすい環境とも言えます。



確かに、ネットを見ると、イラストがうまい人を大勢見ます。全員がプロと言うわけではありませんが、プロと遜色ない人が多いのも事実です。



そして、それでも「プロ」(商業的な意味合いよりも、より人に影響を与える意味合いで)とそうでない人には、壁があります。それが、「高速道路論」(一定のレベルまでの成長速度が速くても、そこまで行く人が大勢いるので、渋滞を起こす)、うまいだけでは埋没して抜け出せない事に通じています。



そこから抜け出すには、何かが必要なのです。



GENSHIさんは、そこを、「総合力的なもの」とおっしゃっていました。個性であったり、表現の幅広さであったり、他の人とは何か違うもの、単純に「絵を描く」という技術ではなく、その絵を見た人にとって「何かが伝わる」全体としての表現力、というのでしょうか。



言葉を変えれば、「ブランド」でしょうか?



何かを始めて、一定レベルまで到達しやすくなった分だけ、業界全体のレベルが上がり、そこからさらに上に行くのは難しくなっている時代、なのでしょう。



同人誌にも、この「高速道路論」が当てはまります。以前は参加するサークル数も限られていましたが、今は簡単に本を作って参加できます。



その転換点は、「ネットによる情報の普及」(意識面での参加しやすさと先輩の存在)と、「オフセット印刷が安くなって作りやすくなった」(コストの障壁)こと、そして何よりも「多くの読者に出会える市場が存在」することにあると思います。



同人市場は、今、最高潮を迎えています。コミケによる「場の創出」は以前からでしたが、各種オンリーイベントの数の増加、同人ショップの存在(通販+リアルショップ)、そしてネットが読者と制作者との接点を増やし、制作に対する低コスト化を進めています。



これは久我の体験談ですが、1年間の「とらのあな」での頒布数は、1回分のコミケに相当するぐらいに伸びました。1年間委託するだけで、コミケに参加したぐらいの読者に接することが出来るのです(もちろんネット上でブログを書き、情報を出し、喚起すると言うのが前提ですが)



同人と言う言葉は、何も本だけではありません。



昨日、秋葉原の「とらのあな」に行きましたが、「同人ソフト」だけで、ワンフロアありました。以前は考えられないぐらいに、「ソフト」を作りやすい時代が来ているのだなぁと。



ひぐらしのなく頃に』も、筆者の方の素晴らしい文章力だけではなく、制作ツール面でのインフラ、ネットで音楽を公開している人々の存在があって、成立したものです。インタビューを見ると、ネットでの「体験版ダウンロード」の存在が普及に大きかったとも。



情報がそれだけ生み出されていけばいくほどに玉石混交の状況が生じ、まさしくネット的な「情報の見つけにくさ」が生まれてくるわけです。表現に携わるものはそうした状況下で、「いい作品を作る」だけではなく、「いい作品だというのを、どのように伝えていくか・わかってもらうか」にも、視点が必要なのかもしれません。



GENSHIさんと話をしていて、そんなことを感じました。