ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

エリザベス・ギャスケル『Cranford』(クランフォード)から思うこと


ベテラン俳優を大切にしている作品

『Cranford』(クランフォード)は意外と面白いですし、きっと日本では映像化されにくい作品です。その辺が日英の相違点かもしれませんが、主役やメイン人物が「50歳以上」ぐらいのキャラクターで固められています。



日本では若い芸能人を起用しますし、ドラマのほとんどは若者の恋愛無しには商業化されていないと思います。全年齢対象のドラマって、あんまりない? 日本のドラマをそんなに見ていないので、思い違いもあるかと思いますが、「国民的な人気を得るドラマ」において、ベテラン女優たちが枢軸を務める作品は、知りません。



しかし、『Cranford』は見事なまでにおばぁちゃんが主役張ってます。ベテランの女優たちがきちんとリスペクトされている、若い俳優たちは彼女たちに接することで経験を重ねていくような構図がしっかりしています。



何よりも、ヒロインを演じる女優たちも王立の学校で演技を学んだ子がいたり、舞台出身の人もいたり、向こうと日本ではキャリアの描かれ方も違うのかなと思いました。日本でのそういうポジションは、歌舞伎役者か宝塚、なんでしょうかね?



何が言いたいかと言えば、「登場する役者の感情を損ねるようなキャスティングではないし、むしろ彼らの価値を高めてくれる、彼らにふさわしい舞台」を用意して、「ベテランたちのキャリアにふさわしい」重厚なドラマに仕上がっている、ということです。


恋愛だけではなく、移り行く社会を描いた群像劇

また、ギャスケルの作品は登場人物が幅広く描かれているようですね。



『Cranford』と言う街を縦軸、登場人物を横軸にすることで、単なる「一本道」「恋愛」ではなく、「変化するCranfordという街の社会」までも描こうとしています。キャラクターの年代も幅広く、大人から子供まで、誰もが見ることが出来ます。



その点では、非常にスケールが大きいのです。



同じ女性作家ではありますが、ジェーン・オースティンが基本的には「恋愛メイン」、メインの主人公が決まりすぎている、描かれる世界が非常に限定的なのに対して、ギャスケルは自身が社会的な活動を行っていたとのことで、視点が「個人」「社交の世界」「庶民の世界」「社会情勢」「街の経済」にまで向いており、正直、なぜ日本でこれほどマイナーなのかが不思議な作家です。



ギャスケルは「経済」と「歴史」を理解していたと思います。



たとえば、第一話において「Ladyが使用人を採用する面接のシーン」がありました。応募してきたCooper(桶職人)の娘は、「父が読み書きを教えてくれた」と誇らしげに語りますが、ここでLady Ludlowは「読み書きなんて必要ない」と、採用を断ります。



民衆が自由を得たフランス革命で従弟を失った?Ladyは民衆が自由な力を持つことを恐れて、「私は学校にも投資しているし、使用人に必要なのは祈りと仕えることだけ」と言い切ります。その一方で、彼女は「私は使用人たちの未来に永遠の責務がある」というような発言もしており、必ずしも専制的ではないのです。



こういうふうに主人と使用人の関係を描いた過去のイギリス作家を、久我は知りません。さらに、その彼女が信頼する領地を仕切るLand Agent(Land Steward)のMr CarterはLadyと異なる考え方をしており、「教育によって、人は変われる」と採用されなかったメイドに同情的であったり、密漁をしていた少年を保護して自分の下で育てようとします。



Ladyの傍に、こういう価値観が異なる人物を配置しているだけで、「この先、どうなるのだろう?」と物語への期待は高まります。



最初は人物とエピソードが多すぎて、あまり理解できませんでしたが、BBCのサイトで公開されている役者による、演じるキャラクターのインタビュー記事を読むと、理解が深まります。



『Cranford』キャラクターリスト/BBC



また、会話の端々に「若い世代と古い世代」の価値観の対立(対立と言うほど深刻ではないですが、齟齬やぶつかり)も盛り込まれていて、変わり行く時代を描こうとしているように思えます。



第一話の視聴率が29%だったと言うのもうなずけます。


関連する日記/サイト

BBC放送の最新・人気「クラシック・ドラマ」のDVD『Cranford』/久我の日記

日本ギャスケル協会/こういう団体もあったようで。