ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

変わる自分を楽しむこと

最近は自分磨き中なのかもしれませんが、目標を叶えたい、選択肢を多くしたい、知らない世界を楽しみたい、自分を成長させたい、というのが大きいです。



例えば今、英語を勉強していますが、過去に「英語が出来ていれば違っていたかも」と思うことが多かったですし、旅行の後は何度も「話せるようになりたい」と思っていました。



しかし具体的にどうすれば出来るのか真剣に考えなかったですし、わかりませんでした。なんとなくいろんなことに手を出しては失敗し、英会話学校も二度違うところに入りましたが、続きませんでした。



今回、高校時代の友人のNASEAMさんに紹介された学校で、初めて「自分が話せるようになる」確信を得られたのは、大きいです。NASEAMさんが話せるようになったと言うのもその教室を選んだ理由のひとつですし、説明されたメソッドが、これまで失敗してきた自分にとって信じるに足るものだったのが、大きいです。



一ヵ月半ぐらい続けてきてわかったことは、「個人が勉強するかどうか、勉強しやすい環境を作れるかどうか(英会話教室がそのサポート・方法論を持っているか)」がほとんどだと感じました。



久我は二度も失敗しているので、語学は「努力し続けられるか」だと思い至っています。その環境に身をおく努力、です。また努力の方向性が違っていたら、駄目なのもわかります。六年以上、同人活動を通じて英書を読み込み、英語DVDを見て、数千時間を費やしていますが、「話す」方向ではなかったので、話せるようになっていません。



もうひとつ、英語学習意欲への、過去との環境の違いもあります。その原動力は、具体的に「やりたかったけど、英語が話せないから出来なかったこと」が見えているからです。



たとえば、半年ぐらい前、「来年夏ぐらいに会社を辞めて、イギリスで勉強したい」と妄想してみました。金になるかもわかりませんが、留学して語学を身につけ、さらにイギリスの屋敷や使用人の研究を出来たら……夢を叶えるみたいですね。



しかし、社会人でありますし、お金持ちでもないので、まずシミュレートします。



「向こうで語学が身につくか?」

→必ずしもそうとはいえない。



「向こうでなければならない理由は?」

→気持ちの問題。行きたいだけ。



「そもそも、語学を身につけたいのではなく、研究したいのでは?」

→確かにその通り。



「研究してお金になる?」

→残念ながら、まだならない。



「貯金は十分ある?」

→辞めたら減る一方。戻ってきてからの職探しのリスクもある。



「じゃあ向こうで稼ぐ手段は?」

→語学が出来なければ、今の仕事と同じ以上の収入は無理。



「雰囲気に酔っていない?」

→酔いすぎ。



こう考えると、語学がネックになっていて、「語学を身につけたい」から向こうに行くのですが、向こうに行ってからの最低限の生活や将来を考えると、先に語学がないといけないのです。



そこでふと、「来年夏っていうけど、別に語学の習得自体は今からでもOKなんじゃないの? 半年以上あるし、半年勉強していれば違うんじゃないの?」と考えました。



実際に転職も考え、語学があれば海外でそこそこ通用するスキルを持っていることも確認しました。「先の予定を妄想」する暇があったら、まずこの環境で出来ることをする、自分の人生を「賭け」にしない、と結論付けました。



そして日本で出来ることを探して、学校を探していたところ、近くにいたのが学校に通う高校時代の友人、というのも何かの縁でしょうね。



趣味の面でも英語を取り入れている、仕事面でも英語に近づく努力をする(海外情報を取り入れやすい環境)、英語習得を「語学」に限定せず、コミュニケーション能力を高めることも意識する。仕事の多くはコミュニケーション能力だと思いますから。



今の会社には長期休暇制度もあり、今の仕事のまま向こうにしばらく滞在することも可能でした。日本にいても出来ることはありました。目的は「向こうにしかない情報を引き出す」ことで、語学取得は「手段」です。



ということで、「今始めるか」「妄想して、先延ばしするか」を秤にかけて、行動に移しました。日本で出来ることはしておくし、半年先に身につける自分を妄想するより、今、動くと。



友人に教わった『夢をかなえるゾウ』は、その点では、自分自身で体験して得てきたこと、感じたことを、言葉にしてくれていましたし、まだ学ぶことがあることも教えてくれました。



行動しなければ何も変わらないですし、続けられなければ意味がない。



人生を変える出来事なんてあるはずもなく、同じ体験をしても人それぞれ、結局は目の前にある機会で自分がどう動くか、なのだと思います。



思ったことを、実現できる自分でありたい。コントロールできることを増やしておいて、チャンスが来たときに逃さないようにしたい。あと十年早く気づいておけば人生違ったかもしれませんが、今の人生も好きなので、これでよしとします。



それに、実際、出来ることが増えた段階になって、過去にしたかったこととその時したいことが同じでなくて、構わないとも思うのです。同人活動を始めたのも、「欲しい資料本が無かったから」でしたが、今では「海外で研究したい」「人が働くことについて考えるようになった(使用人たちが会社員に似ているので)」など、別の価値を見つけました。



同じように、この先には、多分、今は知らない別の可能性や機会があるのだと思います。