ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『うみねこのなく頃に』Ep.03プレイ後の感想

謎解きは放棄しています。



ただ、作者が伝えたい物語のテーマを考えました。



以下、ネタバレなので『ひぐらしのなく頃に』も『うみねこのなく頃に』も未プレイの方は、読まないようにして下さい。





































ひぐらしのなく頃に』は猟奇殺人やミステリの部分にスポットが当たっていますが、作品が訴えかけるテーマは、「人とコミュニケーションしよう」「勝手に思い込まずに話してみよう」というものです。



「相手を偏見で疑わず、思い込みで見ず、話してみる」ことや「仲間に、周囲に相談しよう」がキーワードです。周囲の助けを得て、巻き込んで、様々な問題を解決し、圧倒的な悪意に抗っていく、そこにカタルシスがありました。



うみねこのなく頃に』作品自体のテーマは何でしょうか?



それは前回Ep.02の「羊と狼のパズル」のときに自分で書いたコメントに、ヒントがあると思います。



「全員が魔法を信じれば魔女の勝ち」。登場するキャラクターのほとんどは「魔法を信じたい状況に追い込まれ」ています。



大きな悩みの無い、主人公(と一部使用人)を除いて。



しかし、本当にその問題は魔法が無ければ、解決しないのでしょうか?



経済的苦境に陥った両親たちがすがる『黄金』、主人と使用人という立場で引き起こされる『恋愛を超える力』、しかしそれは奇跡を信じて、魔法によってだけ叶えられるものでしょうか?



物語に隠されたテーマは、「他から与えられる奇跡を信じず、自分と周囲の力を信じて、話して、協力して、立ち向かっていくこと」だと思います。



安易な解決策、すべてを解決する魔法なんて、どこにも無い。



ただ人間だけが、自分の力、自分たちの力、家族の力で問題を解決していけることに気づくことが、『ひぐらしになく頃に』に共通し、続いていく、この物語が訴えかけたいテーマなのではないか、と思うのです。



誰も助けてくれない?

助けを求めた?



誰もわかってくれない。

わかってもらえるように伝えた?



どうしようもない身の破滅?

でも、命までは奪われないのでは?



もちろん、奇跡が起こらなければ解決しない問題もあるでしょう。



しかし、少なくともゲームの中に登場する人々の置かれた環境は、「黄金」や「恋愛成就の魔法」に頼らずとも、違う形で解決策を見つけられるものではないでしょうか? 奪い合わずに、協力し合うこと。



その時、軸になるのは『ひぐらしのなく頃に』にあった「村」や「仲間」ではなく、「家族・血族」でしょう。その中には使用人も含まれているはずです。かつてアスター子爵家に仕えた使用人は、誇りを持って、主人たちと自分たちは「ひとつの氏族(CLAN)」という表現を使っていましたが、屋敷が代表する「血族」的な要素、ネガティブな意味で家長が支配する抑圧的なものではなく、生きていく支えとなる共同体として。



家族や地域との結びつきを大切にした『CLANNAD』と若干テーマが被るかもしれませんが、個が切り離されていく現代において、家族との不和や孤立、相談相手がいないことが犯罪を助長する一因にも思えればこそ、そこの解決策のひとつは「家族」に求められると思います。



困ったときに頼れる相手がいる、支え合える、そこに気づいて欲しいと言うのが、作者である竜騎士07さんの想いなのではないかと、勝手に考えました。



『詩羽のいる街』といい、最近接する作品は、こういう要素が多分にありますね。人との繋がりの中で生きていく、生かされていること。一人では生きられないから助けてもらうし、助けることもあるということ。



これが、自分が『うみねこのなく頃に』に見つけた、「テーマ」です。正解かはわかりませんが、近しいところにいるのではないかと。それとも、そうした要素を、今の自分が求めているから、勝手に「見える」のでしょうか?



次回作、冬が楽しみです。