ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『Under the Rose』7巻 春の賛歌 感想

待望の『Under the Rose』の新刊が発売されてから、しばらく時間が経過しました。本来はすぐ感想を書きたかったのですが、私にとって『Under the Rose』という物語は特別で、自分自身を問われるように内奥へ入り込んでくるもので、なるべく丁寧に味わい、咀嚼し、堪能してから感想を書きたい想いがありました。



ざっくりと『Under the Rose』7巻・最新刊発売(2011/10/01)に記してから間隔が開きましたが、ようやく体勢が整ったので感想を書きます。



Under the Rose 7 春の賛歌 (バーズコミックス デラックス)

Under the Rose 7 春の賛歌 (バーズコミックス デラックス)





ネタバレを回避しての感想で、抽象的な話に終始せざるを得ませんが、「出口が見えるようで、見えない迷路」のようなこの物語は様々に読者を翻弄する筋立てをしていますが、段々と終息に向かっており、伯爵と伯爵夫人、そして二男のウィリアムを軸としたストーリーは激しさを増していきます。


家事使用人描写の頂点に達する7巻の「階下の人間模様」

今回の新刊で、『Under the Rose』はまた新しい側面を見せてくれました。それは、「家事使用人の多面性」です。主人に忠義を尽くす姿があり、同僚との信頼関係がある一方で、上級使用人・下級使用人の立場の間には壁があることです。



私は屋敷で暮らす貴族の日常生活を知りたくて、家事使用人の研究を始めました。そして家事使用人を研究することを通じて、彼らが照らし出す「貴族」の姿を数多く見ました。仕えた人々を学ぶことは、仕えられた人々を知ることにも繋がるのです。この点で、『Under the Rose』という物語が進行・深化していく中で、貴族たちが描かれれば描かれるほどに、家事使用人の存在感が極めて強い光を放っていきます。



屋敷の運命共同体としての家事使用人。



家事使用人の圧倒的な存在感。



家事使用人たちが日常生活で「家事」をする姿が描かれるだけではなく、屋敷に訪れた「危機的状況下」で執事やハウスキーパー、侍女、ハウスメイド、そしてガヴァネスがどのように振る舞うのか、その姿が、今回の物語の中核を成しています。



伯爵の物語は劇的な展開を迎えていきますが、物語の根幹にかかわるネタバレになるので、私の立場としては以下の2点に触れておきたいと思います。正直なところ、日本でこのレベルで「階上と階下の緊張感」を描ける方がいる殊に驚きますし、今、イギリスでこの作品を「ドラマ」にしても何の不思議もないでしょう。このレベルの作品を私は映像として視聴したいです。本当に、海外展開しないでしょうか? 極めて上質の作品です。


1.屋敷内のヒエラルキー

以前から『Under the Rose』は階下の人間関係の綺麗な信頼関係だけではなく、そこに存在する「使用人同士のヒエラルキー」を描いてきました。たとえば主人に近い立場にある上級使用人(執事、ハウスキーパー、侍女、ナースなど)は主人に直接接して忠義を尽くす立場にあり、下級使用人とは経歴も立場も待遇も違います。



下級使用人にとっては、上級使用人が「屋敷の主人」として君臨することも珍しくありません。しかし、すべての局面において「上級使用人」が支配的とは限りませんし、常に「下級使用人」が虐げられるものでもありません。私が『Under the Rose』を非凡だと思うのは、この「立場の逆転」を描いているからです。



たとえば、下級使用人の教育の不徹底は上級使用人の責任となります。また、では教育されていない下級使用人をあっさり解雇していけば屋敷の労働力は不足し、まともな運営をできなくなります。下級使用人がいてこそ、上級使用人は上級使用人としての責任を果たせる、その意味では運命共同体です。



下級使用人も「従順な天使」ではありません。自分の責務を全うせず、他と比較し、待遇や給与、仕事の厳しさに不満を持ち、愚痴をこぼし、陰口をたたき、上司に無理な要求を行おうともします。気に入らなければ、辞めていきます。その権利があるからです。ただ、そこには上級使用人が部下を思いやる気持ちが伝わっていないこともあります。



私の中では、今までの『Under the Rose』の中で最も好きな展開となっていき、この空気感は船戸さんでなければ描けない「使用人の明暗」の部分だと思います。


2.屋敷の運営を行う家事使用人の姿

今回の7巻では、屋敷に勤めるメイドの仕事が「論理的に」厳しくなる、大変になる事情が描かれていますし、その帰結として屋敷全体の家政が崩壊しかねない危機的状況となっています。そこで「主体的」に動くのは、上級使用人です。



下級使用人に君臨する上級使用人とて、人間です。仕事に生きて報いを得られやすい、長期のキャリアを形成している彼らは、主人の傍に仕える運命共同体としての立場もあり、上級使用人達だけで過ごす時間は多く、仲間意識も強く、そこで垣間見せる表情は下級使用人に向ける物とは違っています。



7巻では様々な苦難を、上級使用人同士が支えあって解決へ向けて、歩み出していきます。特に今回、「侍女」と「ガヴァネス」の関係性が素晴らしいエピソードをもって語られていますし、献身的な侍女の姿は心を打ちます。



「階段の上」を巻き込んで一つの目的を果たすために彼ら(レイチェルの提案)が選んだ方法は、私には素晴らしい描写に思えました。むしろ、この領域のレベルの話をいまだ深く踏み込めていなかった自分が悔しくなるぐらいです。物語の成り行き上、「そうならざるを得ない」その説得力と自然な流れが、私には響きます。



この「響き」を多くの方に、味わって欲しいです。


終わりに

Under the Rose』は私にとって、ひとつの憧れです。人間関係を丁寧に描き、他者の評価によって、自身の視点によって、実際の姿を知ることによって、人を見る目も変わっていきます。今回の7巻を踏まえて既刊を読み直せば、また作品をより深く理解する機会にもなるでしょう。



最新刊が出るたびに、すべての物語が形を変えていく。



Under the Rose』の魅力はそこにあると思いつつも、その世界を成立させる「家事使用人の姿」も、この作品を彩る要素として欠かせないものです。このレベルまで家事使用人を描ききる作家が日本にいること、同時代に作品を読み込めること、そして私が家事使用人を研究する立場にあることで、『Under the Rose』は私にとって、特別の作品であり続けています。



ちなみに、久我オススメの三つ編みのメイドが今回出ていて、嬉しかったです。