ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

ITV『Victoria』 2016年放送のヴィクトリア女王の最新ドラマ

Amazon UKからヴィクトリア女王の最新ドラマ『Victoria』が届いたので、1話目を視聴しました。






女王の頼るべき人

序盤は影響力争いというか、子供扱いして権限を残したい母親 Duchess of Kentと、そのKent家に取り入っているSir John Conroy、このふたりとのコミュニケーションが面白いです。失敗を願うようなコミュニケーションが多く、周囲に支えてくれる味方がいない女王は強い反発を抱き、このふたり(あと母の侍女で、Conroyとの関係が疑われたLady Flora)からのコミュニケーションを拒否し始めます。



母の影響力が強いケンジントン宮殿から、バッキンガム宮殿への引越しは、さながら平城京から平安京への遷都のようでもあります。そして、この頃のバッキンガム宮殿は四辺がある今の形ではなく、あとで増築されたというエピソードも踏まえた外観になっています。ただ、さすがにそこはCGです。バッキンガムに移り住んだ女王は、自分をサポートする側近を自分で選び、当時の首相の2代目Melbourne子爵William Lambを頼るようになり、また自分の部屋と母の部屋を遠ざけます。



年齢が離れたMelbourne子爵が女王の庇護者として、教育者として、女王の自主性を重んじつつ、自身の影響力も自覚しつつ、抑制した距離感で側に支え始めます。権力を失い始めたSir John Conroyは焦りますが、追い打ちをかけるように、女王はSir JohnとLady Floraを戴冠式に呼びません。また、Lady Floraに妊娠の疑惑の噂が広まり、身の潔白を証明するため、Lady Floraは妊娠しているか物理的な検査を医師から受けるという、残酷な仕打ちを受けます。結果、彼女の妊娠はありませんでした。



https://en.wikipedia.org/wiki/Lady_Flora_Hastings



その後、彼女は死に至り、女王もその点で責められます。なお、このLady Floraにまつわるエピソードは、 以前に見たヴィクトリア女王の映画『ヴィクトリア女王 世紀の愛』にはなかったように記憶しています。これは、先の映画が「アルバート公との恋」がテーマのすべてではないので、より丁寧に描かれているからかもしれません。また、他の映画との比較ではジュディ・デンチが女王を演じた『Mrs Brown』(使用人Brownの影響力が大きく、その夫人と揶揄された未亡人時代)までいくのかな?とも思えました。



第1話は、戴冠式を迎えたのち、執務に励む女王の姿で終わっています。


見所1:家事使用人描写が充実している!!

今回のドラマで『ダウントンアビー』の影響を強く感じるのは、階下の描写を丁寧に行っている点です。即位した女王はすぐに階下にも手を伸ばし、元ガヴァネスのLouise Lehzenに階下の統括を任せます。面白くないのは元々いたハウスキーパー(侍女)と執事ですが、逆らえずにいます。



この階下の描写がかなり充実しており、たとえばケンジントン宮殿からバッキンガム宮殿に引越しをした際は、女王を描くだけではなく、階下の使用人の引越し後の仕事も描いているのです(ここで出てきたキッチンは、Harewood Houseで撮影したような気がします)



また、家事使用人はperksという、仕事を行う上で生じる「役得」として、たとえば料理で出た肉汁、たとえばこのドラマでは使ったロウソクのあまりや、女王の使い古した手袋などを、関わる使用人がいわば売り払って現金を手にする点についても描いています。このエピソードがLouise Lehzenの目に止まり、女王に報告されてあわや解雇か、というシーンにつながりますが、この辺の女王の対応はユニークでした。



これが仮に実話だとして、そういうのが実際に流通して購入した人があとで知ったら、どんな気持ちになるのだろうか……時になります。


見所2:女王の衣装

DVDパッケージには英国Leeds近くのカントリーハウス、Harewood Houseでこのドラマで使うコスチュームの展示があるとのチラシが入っていますが、2017年からとのことで。この前の9月下旬の英国旅行で訪問した場所です。IMDB撮影地情報にはこの屋敷の名前もあり、出てくる模様です。



http://www.imdb.com/title/tt5137338/locations



女王が閲兵するときに着たという軍服的なスタイルは、ヴィクトリア女王が始めたもので、バッキンガム宮殿でも展示されていたのと同じもののように思います。また、引越ししてすぐ王座に腰掛ける女王はかわいく、その辺りは子供っぽいてんも描かれています。この時の女王は半袖パフスリーブのドレスを着ていて、これも以前見たことがある女王のドレスを想起させます。



この時期が華やかであればあるほどに、喪服をメインとしていく女王のその後が際立つ、かもしれません。



第2話を見て元気があれば、また書きます。

『ヴィクトリア朝時代のインターネット』感想

ヴィクトリア朝時代のインターネット

ヴィクトリア朝時代のインターネット




インターネットとヴィクトリア朝

ヴィクトリア朝時代のインターネット』は1999年頃に執筆された本で、2011年12月に日本での翻訳版が刊行されました。著者の方は歴史研究家というより、テクノロジ系のジャーナリストで、そうであるが故に歴史資料本とは異なり、読者層を非常に広く設定し、またこの時代に興味が無い人であっても「現代のインターネットとの比較」を自然に行える点で、非常に同時代性を持つ書籍に思えます。



ヴィクトリア朝時代のインターネット』はまず電信成立の歴史的経緯から、それがどのように社会インフラとして普及していき、どのように使われたか、誰によって運用されたか、そして電信の登場による社会的な影響、衰退の歴史までを扱います。これが各章がしっかりと結びついているというのか、とても分かりやすいです。



ヴィクトリア朝はそもそも、現代に通じる基礎的な部分が多いので、伝え方次第でもっと盛り上がりそうな気がしています。貧困と社会福祉、家族論、労働環境、自由主義、消費社会、メディア論、鉄道、株式会社、郵便制度、公務員制度、社会インフラなどなど、テーマは非常に膨大で、同時代的です。



これまで私が摂取する範囲の情報は「歴史」や「生活史」が多く、また日常生活にあっても今回取り扱う「電信」をネタにした本にも出会ってきませんでした。しかし、技術史を軸に見れば当然研究されている領域で、目次を見ると内容が見えてきます。鉄道や軍事関係の人は詳しそうですね。




第1章 すべてのネットワークの母
第2章 奇妙に荒れ狂う火
第3章 電気に懐疑的な人々
第4章 電気のスリル
第5章 世界をつなぐ
第6章 蒸気仕掛けのメッセージ
第7章 コード、ハッカー、いかさま
第8章 回線を通した愛
第9章 グローバル・ビレッジの戦争と平和
第10章 インフォメーション・オーバーロード
第11章 衰退と転落
第12章 電信の遺産

技術の確立からインフラ整備と問題への対応

今でこそインターネットが当たり前になって、テキスト情報や音声情報もある程度自由にやりとりできますが、100年以上前にそれに酷似した環境は作られていました。技術が確立するまでのモールスや彼の先達や同時代人たちによる苦闘を経て、国境を越えて繋がれた電信ケーブルは、海にも敷設されました。特に大西洋横断海底ケーブルのエピソードは、シュテファン・ツヴァイクが『人類の星の時間』で書いた話もあるので、興味のある方はそちらも是非。



興味深かったのは情報量の増大によってインフラが圧迫されたことで、回線利用状況の分析が行われて、多大な量を占めていた利用方法については「物理的なテキスト情報のやり取り」を行った点です。たまたまこの本を読む数日前に気になったtweetに以下のようなものがありました。







これが英国でも代替手段として用いられました。この「情報量の増大→インフラの圧迫」は、「インターネット」への関心が高い人に向けて書かれているので、現代人にも理解しやすいでしょう。当時のtraffic集中による「輻輳」の発生、原因への対応・解消策の流れが見えます。



また、利用者が発する情報量で課金される制度や通信環境のセキュリティへの不安があることから略文字による情報量削減や暗号化による難読化も行われました。こうした環境を支えて電信のやり取りを行ったのが、電信オペレータです。電信局同士を繋いだ大きな会議や、オペレーター同士で電信を通じて雑談をしたり、電信の癖で相手が誰かを分かりあっていたり、19世紀のオンラインを通じた恋愛エピソードも紹介されています。



このオペレーターと言う職種がまた面白そうで、実力主義で転職も繰り返せたとの話や、エジソンもこの職種にあって能力を発揮したとのことです。19世紀に国境を隔てた相手とリアルタイム的に取れるコミュニケーションは輝いている。今、それが当たり前の環境にあるのだけど、あらためて感じ入る次第です。


技術の普及に伴う社会的な影響の可視化

著者が歴史家ではなくテクノロジ寄りのジャーナリスト的な立場にあることもあって、影響範囲は通信インフラだけではなく、その通信でもたらされた社会的変化にも広がります。通信環境が出来上がると政治、軍事、経済や報道、交通機関にも影響を与えましたし、初期のhackerが登場して犯罪にも使われました。



通信社(AP通信、ロイター通信)誕生や、軍事利用で前線と後方を結びつけたクリミア戦争(後方から前線に対して指示が送られるタイムラグの減少、戦争報道によってナイチンゲールがアクションしていくなど)、さらには情報が即座に伝わることで変質する外交の話(悠長に構えていられなくなる)と、広がりが面白いです。軍事に詳しい方には周知の話かもしれないけれど、自分レベルではちょうどいいです。



そして現代人に特に響くのは『第10章 インフォメーション・オーバーロード』でしょうか。情報が絶え間なく流入することで判断材料が増加したり決断する速度が上昇したりすることで、さながらモバイル環境の発展で仕事が家庭に持ち込まれるように、グローバリゼーションで24時間対応の仕事が生じるように。




『いまでは世界の主要市場の報告が毎日届き、そして顧客も常に電報からの情報にさらされている。承認は毎年何本かの大きな船積みをこなすのではなく、いつも行動していなくてはならず、常に仕事を何倍もしなくてはならない。

(中略)

商人は忙しさや興奮に満ちたその日の仕事を終え、家族と遅い夕食を取りながら仕事の話を忘れようとする。すると急にロンドンからの電報で中断され、多分それはサンフランシスコで2万バレルの小麦粉を買えと言うような指令で、商人はかわいそうなことに大急ぎでカリフォルニアに注文のメッセージを送るため、さっさと夕食を済ますのだ。いまの商人は常に暇なしで、急行列車など遅くて仕事には使えず、かわいそうなことに家族の生活を保障するために、電信を使うしかないのだ』



ヴィクトリア朝時代のインターネット』P.168-169より引用


このテキストは、そのまま現代にも通じます。運用を見ていた時は深夜にトラブル対応をしたり、旅先でもノートPCで仕事をしたり、休日でも呼び出されたりした頃を思い出します。休暇明けの絶望的なメールの件数にも……


過去の延長線上の未来にある「現代」

こうしたトレンドを書きつつ、電信の情報量増大に伴って回線を有効利用する技術が発展し、そのプロセスで「電話」が登場したり、自動的な入力機器による技術革新が生じたりして、電信オペレータの職業は特異なものではなくなり、電信技術そのものも電話に道を譲りましたが、その遺産がまさにインターネットに引き継がれていて、この繋がりの可視化には、感動を覚えます。



私事ですが、私は個人的にヴィクトリア朝を軸としてメイドや執事といった家事使用人の歴史を学びつつ、本業はデータベースSEやネットメディア企業での社内SEやウェブ解析をやってきた、ネット業界の人間です。その意味で、この2つの領域が交わるこの本は、私にとっては「嬉しい」一冊でした。



自分たちにとっての「当たり前」が決して過去の時代の当り前ではないことは歴史を学べば分かることですが、同時に、過去の時代の上に現代がある点では決して過去とも無縁ではなく、一見、無関係に見える「ヴィクトリア朝時代」と「インターネット」を結び付けて伝える本書は、ウェブを学ぶ人にも、ヴィクトリア朝を学ぶ人にも適した良書です。



温故知新と言うことで、今年オススメの一冊です。



ちなみに、私のメイド研究も『ウェブで学ぶ』から思うことに記したように、ネットの時代でなければ実現できなかったことが多々あります。研究を取り巻く環境も激変しています。その上で、ウェブを仕事にしている立場としては、「いつ、自分の技術が陳腐化し、不必要になるか」ということも考えさせられます。ある時代の最先端にあった電信オペレータが壊滅したように、今の自分も他山の石としなければなりません。それは、今行っている歴史研究の領域も同様です。



生活史の観点で、同じ著者による『世界を変えた6つの飲み物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史』も面白そうなので、読もうと思います。



世界を変えた6つの飲み物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史

世界を変えた6つの飲み物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史


『Under the Rose』7巻 春の賛歌 感想

待望の『Under the Rose』の新刊が発売されてから、しばらく時間が経過しました。本来はすぐ感想を書きたかったのですが、私にとって『Under the Rose』という物語は特別で、自分自身を問われるように内奥へ入り込んでくるもので、なるべく丁寧に味わい、咀嚼し、堪能してから感想を書きたい想いがありました。



ざっくりと『Under the Rose』7巻・最新刊発売(2011/10/01)に記してから間隔が開きましたが、ようやく体勢が整ったので感想を書きます。



Under the Rose 7 春の賛歌 (バーズコミックス デラックス)

Under the Rose 7 春の賛歌 (バーズコミックス デラックス)





ネタバレを回避しての感想で、抽象的な話に終始せざるを得ませんが、「出口が見えるようで、見えない迷路」のようなこの物語は様々に読者を翻弄する筋立てをしていますが、段々と終息に向かっており、伯爵と伯爵夫人、そして二男のウィリアムを軸としたストーリーは激しさを増していきます。


家事使用人描写の頂点に達する7巻の「階下の人間模様」

今回の新刊で、『Under the Rose』はまた新しい側面を見せてくれました。それは、「家事使用人の多面性」です。主人に忠義を尽くす姿があり、同僚との信頼関係がある一方で、上級使用人・下級使用人の立場の間には壁があることです。



私は屋敷で暮らす貴族の日常生活を知りたくて、家事使用人の研究を始めました。そして家事使用人を研究することを通じて、彼らが照らし出す「貴族」の姿を数多く見ました。仕えた人々を学ぶことは、仕えられた人々を知ることにも繋がるのです。この点で、『Under the Rose』という物語が進行・深化していく中で、貴族たちが描かれれば描かれるほどに、家事使用人の存在感が極めて強い光を放っていきます。



屋敷の運命共同体としての家事使用人。



家事使用人の圧倒的な存在感。



家事使用人たちが日常生活で「家事」をする姿が描かれるだけではなく、屋敷に訪れた「危機的状況下」で執事やハウスキーパー、侍女、ハウスメイド、そしてガヴァネスがどのように振る舞うのか、その姿が、今回の物語の中核を成しています。



伯爵の物語は劇的な展開を迎えていきますが、物語の根幹にかかわるネタバレになるので、私の立場としては以下の2点に触れておきたいと思います。正直なところ、日本でこのレベルで「階上と階下の緊張感」を描ける方がいる殊に驚きますし、今、イギリスでこの作品を「ドラマ」にしても何の不思議もないでしょう。このレベルの作品を私は映像として視聴したいです。本当に、海外展開しないでしょうか? 極めて上質の作品です。


1.屋敷内のヒエラルキー

以前から『Under the Rose』は階下の人間関係の綺麗な信頼関係だけではなく、そこに存在する「使用人同士のヒエラルキー」を描いてきました。たとえば主人に近い立場にある上級使用人(執事、ハウスキーパー、侍女、ナースなど)は主人に直接接して忠義を尽くす立場にあり、下級使用人とは経歴も立場も待遇も違います。



下級使用人にとっては、上級使用人が「屋敷の主人」として君臨することも珍しくありません。しかし、すべての局面において「上級使用人」が支配的とは限りませんし、常に「下級使用人」が虐げられるものでもありません。私が『Under the Rose』を非凡だと思うのは、この「立場の逆転」を描いているからです。



たとえば、下級使用人の教育の不徹底は上級使用人の責任となります。また、では教育されていない下級使用人をあっさり解雇していけば屋敷の労働力は不足し、まともな運営をできなくなります。下級使用人がいてこそ、上級使用人は上級使用人としての責任を果たせる、その意味では運命共同体です。



下級使用人も「従順な天使」ではありません。自分の責務を全うせず、他と比較し、待遇や給与、仕事の厳しさに不満を持ち、愚痴をこぼし、陰口をたたき、上司に無理な要求を行おうともします。気に入らなければ、辞めていきます。その権利があるからです。ただ、そこには上級使用人が部下を思いやる気持ちが伝わっていないこともあります。



私の中では、今までの『Under the Rose』の中で最も好きな展開となっていき、この空気感は船戸さんでなければ描けない「使用人の明暗」の部分だと思います。


2.屋敷の運営を行う家事使用人の姿

今回の7巻では、屋敷に勤めるメイドの仕事が「論理的に」厳しくなる、大変になる事情が描かれていますし、その帰結として屋敷全体の家政が崩壊しかねない危機的状況となっています。そこで「主体的」に動くのは、上級使用人です。



下級使用人に君臨する上級使用人とて、人間です。仕事に生きて報いを得られやすい、長期のキャリアを形成している彼らは、主人の傍に仕える運命共同体としての立場もあり、上級使用人達だけで過ごす時間は多く、仲間意識も強く、そこで垣間見せる表情は下級使用人に向ける物とは違っています。



7巻では様々な苦難を、上級使用人同士が支えあって解決へ向けて、歩み出していきます。特に今回、「侍女」と「ガヴァネス」の関係性が素晴らしいエピソードをもって語られていますし、献身的な侍女の姿は心を打ちます。



「階段の上」を巻き込んで一つの目的を果たすために彼ら(レイチェルの提案)が選んだ方法は、私には素晴らしい描写に思えました。むしろ、この領域のレベルの話をいまだ深く踏み込めていなかった自分が悔しくなるぐらいです。物語の成り行き上、「そうならざるを得ない」その説得力と自然な流れが、私には響きます。



この「響き」を多くの方に、味わって欲しいです。


終わりに

Under the Rose』は私にとって、ひとつの憧れです。人間関係を丁寧に描き、他者の評価によって、自身の視点によって、実際の姿を知ることによって、人を見る目も変わっていきます。今回の7巻を踏まえて既刊を読み直せば、また作品をより深く理解する機会にもなるでしょう。



最新刊が出るたびに、すべての物語が形を変えていく。



Under the Rose』の魅力はそこにあると思いつつも、その世界を成立させる「家事使用人の姿」も、この作品を彩る要素として欠かせないものです。このレベルまで家事使用人を描ききる作家が日本にいること、同時代に作品を読み込めること、そして私が家事使用人を研究する立場にあることで、『Under the Rose』は私にとって、特別の作品であり続けています。



ちなみに、久我オススメの三つ編みのメイドが今回出ていて、嬉しかったです。


『Under the Rose』7巻・最新刊発売

Under the Rose』待望の最新刊!

Under the Rose 7 春の賛歌 (バーズコミックス デラックス)

Under the Rose 7 春の賛歌 (バーズコミックス デラックス)





毎年秋頃に買っていた『Under the Rose』新刊が出ました。当ブログではUnde the Roseタグで各巻への感想をネタバレしないように書き続けていますが、全体での感想・初めての方へのオススメはUnder the Rose(アンダー・ザ・ローズ)に記しています。



今回、やや特殊というか、新刊にまつわる選択肢がいくつかあります。詳細は著者の船戸明里さんのブログに記されていますので、ご確認ください。



Under the Rose 7巻 9月26日発売



余談ですが、電子書籍ストアで、Under the Roseの(1)〜 (6)巻が合計2800円で購入可能です。


Twitterでの感想抜粋:ネタバレなし

『最初の刑事 ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件』感想

『最初の刑事』は英国に誕生した、事件を追求して解決する存在たる「刑事」の一人、ウィッチャー警部を主役としたノンフィクションの作品です。警部はディケンズも取り上げるほどの人物で、彼が扱った「ロード・ヒル・ハウス殺人事件」は「英国屋敷殺人事件」という一種のジャンルの走りともいえる出来事でした。



最初の刑事: ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件

最初の刑事: ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件





ここまで書くと、「殺人事件やミステリに興味はない」と思われるかもしれません。事実、私も「別に刑事にそれほど興味はないし、今はそれほどミステリを読もうと思わない」と、この本の存在を知ってから長らく読もうとしませんでした。しかし、実際に読んでみると、違いました。この本は、こうした「ミステリ」に閉ざすのが持ったない、むしろ、この本は2010年代以降の「英国ヴィクトリア朝社会を知るための、資料本」となる一冊です。



ノンフィクションである同書は、しっかりと「参考文献・引用」を明示して、この「ロード・ヒル・ハウス殺人事件」の調査、それを巡る人間模様、当時の証言を取り扱います。その上でこの本が非凡なのは、殺人事件を通じて、英国社会を照らし出していることです。特に、ここであえていえば、三つのヴィクトリア朝的特徴が描かれます。


1.三つのヴィクトリア朝イメージ

1-1.神聖な家庭像

ヴィクトリア朝には、現代的な核家族を軸とした「家庭イメージ」が流布しました。『英国メイドの世界』でも言及しましたが、「家庭を神聖」とする見方は政府による家事使用人への保護(最低賃金、労働時間の規制)を阻害した要因としても指摘されています。今回、この「家庭が神聖である」とのイメージが、随所で繰り返されています。



同時に、「家庭」はプライバシーの重視によって、家族だけの私的な空間ともなりました。貴族の屋敷を軸に家事使用人の歴史を学んでいくと、「城」に住んでいた頃はほとんど無かった「廊下」が増加して部屋を通り抜けた移動が減り、また使用人が主人の私的エリアから徐々に排除され、「階上」「階下」と棲み分けが進む様子も見られます。



『最初の刑事』は殺人事件を通じて、こうした価値観を浮かび上がらせていきます。「神聖な場」で起きた殺人事件の衝撃は、それだけ大きなものでした。




1830年7月10日の《モーニング・ポスト》は、こんな主張を展開した。「これだけの聖域を侵し、犯行は遂げられた。謎、入り組んだ可能性、ぞっとするほどの悪意を内包する犯罪は、わが国の犯罪史上例を見ないものだ。……家族の安全、イングランドの家庭という聖域は、この事件が未解決のままで放っておかれることがあってはならないと要求している」
『最初の刑事』P.86より引用


こうしたコンテクストは、なかなかヴィクトリア朝を巡る資料本では伝わりにくいものですが、「殺人事件で照らし出される、多数の反応」が事例として用いられることで、分かりやすくなっています。


1-2.強力な「探偵」熱に浮かされる英国

神聖な「家庭」を舞台にした事件の反響は、メディアを通じて増幅されました。中でも興味深いのは、事件の「犯人」を巡る言説の流行です。新聞だけではなく、一個人まで犯人の追及・推理を行い、事件担当者へと手紙を送りました。ここで描かれる人々の推理の熱狂に狂気を感じましたが、この辺りを「第12章 探偵熱」として取り上げています。



ホームズに代表される「探偵」はこの時代の産物といえるでしょうし、この探偵と「家庭」の結びつきが『最初の刑事』で取り上げられる背景に、高山宏さんの著作による指摘があります。




 視覚文化の中で、推理小説というものは非常に大きな意味を持つようになる。「ミステリー」という呼び方も面白いが、英米人はこのジャンルを「ディテクティヴ・ストーリー」と呼ぶ。

 我々はこの「ディテクティヴ」に「探偵」という訳語を当てて事足れりと思っているが、「ディテクト(detect)」という言葉は、「屋根のついた建物の屋根をはがす」という意味だということを雑誌『英語青年』のコラムに小池滋氏が書いているのを見て、さすがホームズ協会の大立者だねと、ぼくはおもわず膝を打った。



『近代文化史入門』P.244より引用

近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)

近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)




1-3.「見る」時代(見て、決められる・分類される)

探偵小説の中で高山宏さんが指摘された「視覚文化の中で」との言葉は、近代が「見る」時代だったことを土台としての言葉です。この「見る」を巡る言説はとても私がここで言及しきれるものではありませんが、様々なものの見方はキーワードのひとつでした。



特に、人間の外観から人物を判断する「観相学」や、骨格的なところから犯罪者の特徴を求めた「骨相学」、行動ににじみ出てしまうしぐさや振る舞いから類推を行って人物を掘り当てるシャーロック・ホームズへの道筋は、「見る」ことから生まれる分析に繋がっています。また、人間も「精神分析」対象となり、心も観察・分類されていきました。刑事小説、探偵小説も似た構造を持っていることが指摘されています。まず、外観的なところや精神的な動きから犯人を特定していこうとする手法です。



さらに、「探偵小説」自体、近代的な動きでした。「証拠」といった「点」を集めて分類し、点と点とを結び付けて「犯人・真相」を描き出そうとする手法は、近代に見られた様々な対象を観察、分類していく動きに重なり、たとえばリンネによる分類学にも通じるでしょう。



この辺りは私の専門外で、高山宏さんの様々な著作で言及され得ることですが、ヴィクトリア朝に見られた「人間を外見、身体的特徴で分類する考え」は選民思想の萌芽とも言われており(誤った事実を論理で結びつけて犯人を仕立てあげてしまう構造・危険については同書でも言及がありますが)、殺人事件を通じて非常に多様な文脈を持つヴィクトリア朝が照らし出されています。


2.英国使用人研究者としての立場から見た『最初の刑事』

『最初の刑事』には「屋敷で働く家事使用人」たちの姿も出ています。日常生活を彩る家事使用人は、不可欠の存在で、今回の殺人事件にも、この時代の犯罪でも、そして後の時代に続く犯罪小説でも欠かせない存在です。



冒頭には屋敷の図面も載っています。しかし、私は、この本で描かれる世界は、やはり「犯罪を軸に研究が進んだヴィクトリア朝に基づく家事使用人イメージ」であって、「実在する人々を軸にした家事使用人イメージ」とは異なると考えます。『最初の刑事』では、「犯罪」を軸にした引用が多すぎ、それをほとんどの使用人イメージとして伝えている印象です。



良い・悪い、間違っている・間違っていないではなく、伝え方や光の当て方、テーマの力点の違いがあると言うのが私が伝えたいことです。なので、家事使用人の資料を読んだ上で、『最初の刑事』を読むと、また違った楽しみ方も得られると思います。


2-1.「屋敷と使用人を楽しむ作品」として読みすぎるのは難しい

今回の本で描かれる使用人イメージや参考にしている資料から、あくまでもこの本は「犯罪を軸にした資料に基づくヴィクトリア朝視点」で構成され、「日常生活の資料に基づく家事使用人イメージを扱っていない」と評価します。



確かに、19世紀には家庭内に入り込む家事使用人への恐怖や、実際に犯罪の被害に遭う雇用主はいました。しかし、使用人が日常レベルで「役得」として食べ物をくすねることがあったとしても、その数多くは窃盗や殺人といった重い犯罪をしませんでした。ただ、ヴィクトリア朝ではメイドが130万人以上いて女性労働者最大の勢力となったように、あくまでも当時を代表する巨大勢力だったが故に、事件が多く見えるだけではないかと。



この点については私のひいき目かもしれませんし、実際のデータを調べて(少なくとも特定地域で表ざたになった警察が記録する使用人の犯罪件数と、同地域の家事使用人従事者数の比率)などで見えてくるかもしれませんが、『最初の刑事』で使われた主要な二次資料(『最初の刑事』P.495)、特に殺人や事件性を扱うものが1970年代頃のものである(たとえば『ヴィクトリア朝の緋色の研究』1970年、『ヴィクトリア朝の下層社会』1970年)ことを指摘します。



ヴィクトリア朝の緋色の研究 クラテール叢書 11

ヴィクトリア朝の緋色の研究 クラテール叢書 11





「殺人事件」を軸とした研究と、「家事使用人」を軸とした研究は切り離されていますし、日本ではシャーロック・ホームズなどを通じて圧倒的に前者の情報が流布してイメージが形成されているのではないかと。英国の家事使用人研究が盛り上がったのは1970年代で、この頃には実際に家事使用人を体験した人々の言葉も含めて、数多くのイメージが形成されていきました。しかし、先に取り上げた2つの巨大な影響力を持つ著書の刊行は1970年で、後の時代の家事使用人研究の影響を受けるには至っていないと私は考えます。



『ヴィクトリアン・サーヴァント』はそうした一冊ですし、私が刊行した『英国メイドの世界』も、実在した人々の声を軸に形成しています。



ヴィクトリアン・サーヴァント―階下の世界

ヴィクトリアン・サーヴァント―階下の世界



英国メイドの世界

英国メイドの世界




2-2.舞台は「カントリーハウス」ではない?

私は『最初の刑事』が「英国の邸宅における殺人事件」として注目を浴びたとのことで屋敷の構造に期待していましたが、実際に今回登場した屋敷は、「中流階級の家」であって、「領地に囲まれた貴族の邸宅」としての屋敷ではありません。



カントリーハウスの定義は様々ですが、私が抱くイメージとしてのカントリーハウスは「田舎の屋敷」という意味ではありません。私のカントリーハウスへの興味を育んだのは研究家・田中亮三先生の『図説英国貴族の城館』です。




カントリー・ハウス(country house)とは、おもにエリザベス朝末期の1590年代から、ヴィクトリア朝初期の19世紀半ばにかけて、主として貴族の称号をもつ大地主たちが、みずからの権勢を誇示するために、広大な所領(estate)に建てた壮麗な邸宅のことです。



『図説英国貴族の城館』P.4より引用

図説 英国貴族の城館―カントリー・ハウスのすべて (ふくろうの本)

図説 英国貴族の城館―カントリー・ハウスのすべて (ふくろうの本)



この基準に照らせば、今回登場するロード・ヒル・ハウスは壮麗とは言えない規模ですし、部屋数も少なく、小さいです。その上、近所に住居が立ち並んでいるので、「領地に囲まれた屋敷」ではありません。「郊外にある広い敷地を持ち、庭がある家」で、これは郊外に住宅を構えて馬車で通勤したという中流階級向けの建物です。


2-3.「見えにくい中流階級の家事使用人」像

ひとつ、この本でユニークだと思ったのは、「中流階級の家事使用人イメージ」が見えやすかったことです。家事使用人について「この本だけにしかない新解釈」があるかと言えばありませんし、前述したように、1970年代以降に見られた犯罪系の文脈を受け継ぐものだと考えます。



しかし、犯罪に巻き込まれた使用人や事件を通じて描かれる「中流階級」での仕事内容は、あまり見ないものです。特に、私は屋敷の地図を見て、屋敷で最も環境が劣悪な場所のひとつである最上階、「家事使用人の寝床があるエリア」に、「屋敷の子供たちの部屋がある」ことにとても驚きました(育児部屋ではなく)。



ここから子供たちが置かれていた境遇を読み取ることは出来ますし、逆に、中流階級の経済力で子供が多すぎる場合、確かにこの程度の広さでは家族の一員であっても部屋の配置には苦労したかもしれないと考えることもできます。メイドの中には「物置」が私室になったものもいますが、家屋が狭ければ、必然と言えるでしょう。



私は貴族の屋敷ほどには中流階級の家の構造図を読んでいないのですが(都市にあるテラスハウスの資料は多く、今回のような郊外型住宅)、『最初の刑事』を読んで、今回出てきたような中流階級の家屋構造をもっと知りたいと思いました。狭い家だけに家事使用人を吸収しきれず、通いでの使用人数も多いですし、逆に「通える」距離に使用人(+その家族)が住んでいるのは、広大な領地に囲まれた貴族の邸宅とは異なる環境を意味しています。



また、『第十章 星に流し目をくれる』で描かれた、家事使用人による「働き口を失いたくないので、子供を殺した」事件や、ロード・ヒル・ハウスの事件を巡って「使用人」に向けられる眼差しも当時の姿を伝えるもので、矛盾するかもしれませんが、家事使用人を巡る視点として面白い情報が多々あります。


3.これからの「英国ヴィクトリア朝資料」として間違いなく一流

最後に、私が知りえる範囲から情報を補足しましたが、あえて言及したのも、それだけこの本の完成度が高く、より多くの人に読まれる可能性があり、今後のスタンダードになると感じるからです。それほど、この本は「殺人事件」を入り口にしてとても読みやすく、ヴィクトリア朝の生活に興味を持たせる一冊に仕上がっています。



ミステリ小説に興味がある人にとっては最適な題材ですし、ヴィクトリア朝に興味が無い人もこの本を通じて価値観や文化を知ることができます。さらに、私たち現代人が抱く「家族イメージ」の形成や、犯罪を巡る報道と現代との類似についても、強い興味を持つでしょう。



事件にかかわった人々の最後の後日譚も、これは「現代と過去」が繋がる歴史的な興味深さを提供してくれますし、この事実を掘り当てた著者自身が、断片的な事象を繋ぎ合わせて、本書で描かれた「刑事・探偵」のような振る舞いをしているのも、印象的です。



私が取り上げた「三つのヴィクトリア朝」は様々な本に出ていますし、『最初の刑事』だけの特徴ではありません。しかし、これらの要素をとても分かりやすく、また広く流布する形でまとめ上げたのは、同書の大きな特徴だと思います。専門家向けに描かれていない本で、こうしたコンテクストが伝わるのは、私にはとても素晴らしいことに思えます。



尚、最後の余談ですが、今回の主要参考文献、その中でも一次資料として挙げられた当時の警察の犯罪事件記録は英国公文書館で入手可能で、日本にいながらも同じ情報が得られます。結構コストが高いですが、画像ファイルか紙を選べます。



犯人名が記載されているので、既に『最初の刑事』を読んでいる方だけにオススメします。



MEPO 3/61 Murder of Francis Saville Kent, aged 4 years by (省略)



私も『英国メイドの世界』を作る際、英国政府の使用人問題をまとめた資料(WW1後と、WW2後の課題としてまとめたもの)をここで入手しています。


『Victorian Pharmacy』(ヴィクトリアン・ファーマシー)の感想を更新

蓄えていたストックの更新です。



『Victorian Farm』と『Edwardian Farm』の感想を更新(2011/04/15)に引き続き、ヴィクトリア朝の薬局を通じて製薬の方法や当時の治療方法、薬剤師の試験制度などを紹介する番組、『ヴィクトリアン・ファーマシー』の感想を更新しました。



『Victorian Pharmacy』(ヴィクトリアン・ファーマシー)



番組の方向性としては正確な薬学の知識を持つ大学教授と、博士課程の学生の助手、そして『Victorian Farm』『Edwardian Farm』と連続して出演するRuth Goodmanの三名が、英国の世界遺産アイアンブリッジの近辺にあるヴィクトリア朝の街並みを残したエリアで、当時の薬局業を営む、というものです。



個人的に面白かったのは、副業としてソースを作ったり(著名なウースターソースをレシピに基づいて調合したのは2人の薬剤師)、花火を作ったり、写真を現像したりと多面的なビジネス展開をしていた点です。



当時の薬をどのように作るのかという点や、薬剤師資格の実技試験なども再現していて、見ごたえが十分です。


近代イギリスの食事情考察まとめの紹介

余談ついでに。最近、資料サイトで紹介していた『英国ヴィクトリア朝のキッチン』のページビューが高いなぁと思っていたら(あくまでも相対的にですが)、大英帝国・メシマズのルーツというTogetterにて、紹介されていました。



この考察も面白いので、興味ある方は上記リンクをどうぞ(はてぶのコメントも面白いです)。



上流階級にあっては、子供時代から食事の習慣はナースに躾けられますが、「残さず文句言わず食べる」、時に「偏食」の傾向も見られもしました。また、たとえばキッチンから離れている屋敷(記憶では世界遺産のブレナム宮殿)では「冷めた料理が来る」こともあります。コメントにあるような、「文句を言ってはいけない」的な雰囲気では、向上が促されませんね。



『英国メイドの世界』で紹介したエピソードのひとつに、ウェリントン公爵に仕えたあるフランス人シェフが、前職の主人に泣きついて「もう一度、あなたに仕えさせて欲しい」という場面があります。公爵が料理の感想を何も言わない、というのが辞めたい理由でした。




「あの方は最も親切で寛大な主人です。しかし、当代の名シェフが嫉妬しそうなぐらいに素晴らしい料理を私が作っても、あのお方はなにもおっしゃらないのです。私がどんな服装で給仕の脇にいても、公爵は私に一言も声をかけて下さらないのです。たとえ千倍も英雄だとしても、私はあのようなお方の下で働きたくありません」

『英国メイドの世界』P.230より引用



今回話になっているのは庶民レベルで食事がまずい、と言う所だと思いますが、都市部の水事情が悪い時代には、料理に使える水が「ありえない」レベルだったとの話を読んだ記憶があります。また、前述した『英国ヴィクトリア朝のキッチン』で再現される料理を見ても、リンク先のコメントにあるように煮沸的に「煮過ぎだろ」や、「手をかけ過ぎだろ、無駄に。裏漉し必要?」と突っ込みたくなります。



調理法が悪いのか、素材が悪いのか、調理環境が悪いのか、要因はいろいろとありますし、以前『近代イギリス労働者と食品流通―マーケット・街路商人・店舗』を言う本を読んだとき、下層まで含めた庶民で買える値段になる頃(売れ残り)になると、相当鮮度が悪かったとのことです。







また、石炭ストーブは料理の温度調整も難しく、庶民が入手しえた調理器具・調理環境というところでどんな料理ができたのか? 労働者階級の家庭の場合は妻が働きに出ていたら料理に時間を割きにくいでしょうし、生活レベルによる環境の違いが多きすぎます。上流階級、中流階級、そして当時の多数を占める労働者階級のメニュー(1週間分)が出ている有名な資料がありましたが、労働者階級はとてもシンプルなはずです。



中流階級でも雇用するメイドの腕が悪ければメシマズです。メイドが料理の教育を受けられるかどうかは環境次第で、料理を教えてくれる同僚や上司がいるのは、ある程度の経済力の家庭に限られます。また、メイドは労働者階級出身なので、出身家庭で学べる料理は推して知るべしです。ひとりしかメイドを雇えない経済力の家庭では、女主人がメイドを鍛えられたか、あるいは自分で『ミセス・ビートンの家政読本』を使いこなせたかどうか。書き出してみると、マイナス要因は多いですね。



ボーア戦争ぐらいの頃に兵員の体格が悪い→家庭生活(食事)が原因?→労働者家庭の生活環境を何とかしよう、という話をどこかで読んだ気がしますが、記憶で書いているのでところどころ間違いがあるかもしれません。気が向いたら、自分で書いたことについては文献に当たります。



『世紀末までの大英帝国』は食事のメニュー(前述した3階級分)、産業革命と民衆は、労働者の一日と食生活も書かれていたかと。