ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

映画『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋(W.E.)』感想

マドンナが映画監督を務めたこの『ウォリスとエドワード』は、ウォリス・シンプソン夫人」の観点で描かれた珍しい作品です。







1年半以上前に、第二次世界大戦を国王として迎えたジョージ六世を主役とした映画『英国王のスピーチ』が日本で公開されました。この時は弟のジョージ六世に焦点が当たり、彼が王位に就くきっかけを作った、つまりは「王冠を賭けた恋をした」エドワード八世はやや身勝手に見えるような登場人物の一人に過ぎませんでした。



しかし、そのウォリス・シンプソン夫人との恋も、私がこれまでに接する情報にあっては、その多くが「王位を捨てるまでに追いつめられた国王」の視点で描かれていました。王は王位と愛する女性を秤にかけ、王位を捨てました。そうした決断を強いられた国王は歴史上、唯一でしょう。しかし、「王位を捨てさせるほど夢中にさせてしまった」女性は、この現実をどのように受け止めたのでしょうか? 王位を失った公爵は王室から弾かれ、またシンプソン夫人も公爵の葬儀になるまで王室とは接点を持ち得なかったと言われています。


アメリカ人が見た『英国王のスピーチ

物語はエドワード八世の伴侶となったアメリカ人のウォリス・シンプソン夫人と、現代のアメリカに生きる女性ウォリスの視点で描かれます。現代人のウォリスは優秀で社会的評価も高い医師との結婚を契機に職を辞しますが、結婚生活は幸せなものではなく、夫の浮気に思える行動や自らの不妊の悩みを抱えていました。



そんな彼女がサザビーズのオークションにかけられるために行われた「エドワード八世とウォリス・シンプソン夫人の遺品」の展示に行き、ふたりの人生に強い興味を持っていきます。物語は過去のウォリスと現代のウォリスとが交錯する形で進み、場面転換が非常に多く、字幕で出る年代と場所を見つつ、「どちらのウォリス」の視点なのかを意識して見る必要があります。



こうした「過去と現代の物語」は必ず過去が現代に繋がる形となり、今回は初めから「オークション・展示」と言う形で結末が約束されていますが、最初の頃はこの映画を見ていて強い違和感がありました。「純英国の過去の映画」を見に来たつもりが、現代アメリカ(1990年代)を舞台にした現代劇を見せられているような気がしたので。



とはいえ、映画を見るうちに、独特なカメラワーク、男性に振り回される現代アメリカ女性の立場の弱さ、透明感のある音楽の美しさ、マドンナが描こうとする「シンプソン夫人の視点」が気に入りました。「英国が大好き」という人には強く薦めることはできませんが、一方的に悪役にされることが多かったシンプソン夫人の異なる一面を見せてくれる作品でした。


英国とフランスの家事使用人

期待していた「家事使用人」は、物語に数多く登場しました。この時代の上流階級の人間が日常生活を送ろうとすれば、家事使用人の存在は不可欠です。とはいえ、映画の中で家事使用人は重要な役割を果たしませんし、シンプソン夫人を陰で支えた侍女も存在しません。ただ役割や機能として、きびきびとゲストを出迎える、荷物を運ぶ、ディナーを用意する、給仕する存在として描かれています。



エドワード八世がウィンザー公爵となってフランスで過ごした日々を支えたのは、執事Ernest Kingでした。彼は手記『GREEN BAIZE DOOR』を記し(『英国王室・王族と縁があった三人の執事』)、ウォリス・シンプソン夫人は手厳しい視点で女主人としての資質の欠如を指摘されました。現場に細かな指示を出し過ぎ、また指示が二転三転すると。



その彼女らしいエピソードはほんの少しだけありましたし、英国とフランスの執事やメイドが物語上では様々に姿を見せていましたが、これも視点の相違と言うのか、シンプソン夫人をどう見るのかで、意味が異なるシーンがありました。



たとえばウォリス・シンプソン夫人がシンプソン家を訪問した客人のために、シェーカーでカクテルを作り、振る舞うシーンがあります。これは当時の英国上流階級の女性からすればあまりない行動でしょう。こうしたエピソードが実話とするならば、確かに、シンプソン夫人は家事使用人の仕事にも口を出す人(自らも手を動かした経験があるので)にならざるを得ないのかな、とも思いました。



ディナーテーブルを用意する執事やメイドのうち、蝋燭を準備していたメイドに指示を出していました。「蝋燭が長すぎる。ゲストの目線の高さになるように」と。


終わりに

この作品は、『英国王のスピーチ』が存在しなければ生まれなかったのではないかと、私は思いました。英国らしさにあふれてその時代を描き切った『英国王のスピーチ』的な作品と思って見に行った私は(多分、劇場に足を運ばれていた大勢の年配の方々も)、その期待を裏切られたといえるでしょう。



『ウォリスとエドワード』を見るならば、事前に『英国王のスピーチ』を見ることをお勧めします。あの作品が全年齢向けに作られた、友情や家族愛で困難に立ち向かい克服するカタルシスがありましたし、見る人が望む「英国らしさ」がありました。



一方、『W.E.』は現代を生きるアメリカ人のために作られた作品だと、私は感じました。不幸な結婚をした女性で、「不妊」という共通点を持つ女性と設定された二人のウォリス夫人。同じアメリカ人が過去にも現代にも抱えた悩みと、そこからの救いとしての「愛されること」の充足が物語にありました。



「王冠を賭けた恋」の結末は意外なものでしたが、交錯した二つの人生が生み出すカタルシスと、最後に流れるマドンナの曲の美しさと"masterpiece"という言葉の響きは、忘れがたい印象を残しました。



「愛する女性のために王位を捨てた男性」がいた一方で、「愛する男性に王位を捨てさせた重みを味わった女性」がいることを、思い出させてくれる作品でした。



http://we-movie.net/

中島みゆきさんがメイド服を着た『夜会 VOL.6 シャングリラ』(1994年)

以前、『英国メイドの世界』でイラストを描いて下さった撫子凛さんより、「中島みゆきさんがメイド服を着ていた『夜会』(中島みゆきさんのライブ)がある」との情報をうかがいました。



その映像作品(他にシナリオあり)を、最近ようやく購入しました。



夜会 VOL.6 シャングリラ [DVD]

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シナリオは、Amazonの紹介を引用すると、次のようなものです。




メイは新聞の求人欄に、ある女の名を見つける。その人は亡き母を陥れ、今は「シャングリラ」に暮らすかつての母の親友。出自を隠し住み込みのメイドとして雇われたメイは、母の無念をはらす機会を狙う。しかし、過去に封印された扉を開けようとしたメイが知った真実とは。一九九四年『夜会』上演作品「シャングリラ」完全版シナリオ収録。


冒頭部分ではノースリーブのセクシーな黒のドレスで登場した中島みゆきさんが、歌を歌う中でシーンが転換していき、『南三条』を歌う中で求人を探す女性「メイ」となり、駅のベンチで読んでいた新聞の求人欄で、上記の「住込みのメイド」の仕事を見つけ、勤め先へと乗り込んでいく展開です。



屋敷を訪問した中島みゆきさんを出迎えるのは、屋敷の荷物を持ち出して逃亡する三つ編みのメイドです。ここで「メイド出現→中島みゆきさんの荷物さえも奪う→逃亡→追いかける・荷物取り戻す」波乱の展開があり、中島みゆきさんが新しいメイドとなって、メイド服姿となります。



モブキャップにロングスカートに白いエプロン姿と、いわゆるクラシックなスタイルのメイドさんです。キャップもエプロンもフリルの装飾が見事です。ただ、少し薄い縞が入ってている感じで、漆黒ではなく、黒に近い濃紺のように見えます。舞台にある階段を上がるとき、後ろ姿でちゃんとドロワーズの白が出ているようで、そのこだわり方は宮崎駿監督作品を想起させます。



中島みゆきさん、このとき42歳であるというのに似合っています。



興味深いのは、この時代のメイド服デザインがどこから来たのだろうという点です。以前読んだ香港のメイド事情の研究書(家事労働を巡る研究書です)では、1994年香港のショーウィンドウに並ぶ、英国的メイド服がありました。ロケ地(香港とマカオ)で必要なものを調達したともシナリオ集にありましたが、メイド服についての言及はありませんでした。現地調達したのかもしれませんし、持ち込んだのかもしれません。



舞台は階段のあるホールへと切り替わり、食器棚やテーブルなどがあり、そこでメイドとなった中島みゆきさんが舞台上で一日中働いている描写が続きます。階段を上がって女主人の用事を済ませたり、リネンを運ぶ、階段を磨く、家具を掃除する、重労働です。と思ったら、心臓が悪い女主人の面倒を見るため、白衣の看護婦さんが登場します。舞台が1990年代のはずなので違和感はないですが、館+クラシックなメイド服との共存は不思議です。



と、メイド服の話ばかりになりましたが、メイドとして潜り込んだ過去の因縁が歌詞や舞台での演劇によって次第に明らかになりつつも、最後の方ではどんでん返しが待っているという、鮮やかな展開でした。



結論から言えば、舞台の70%ぐらい中島みゆきさんがメイド服姿という作品でした。この密度は素晴らしいものですし、何よりも、メイドで在ることの必然性と、その軸となる物語を織り込んだ舞台での劇、そして美しい詞と歌声が響きました。



どうしてこの時代にこの舞台が生まれたのかを、知りたくなりました。1994年はメイドブーム以前の時代、舞台は香港・マカオといった英国植民地(返還前)だった頃のもので、なぜこの時代にメイド服が成立しえたのかに興味がありました。1993年に永野護さんが刊行した『ファイブスターストーリーズ』の設定本「Character6」でも、植民地とメイドのフレーズが出てきておりましたので、この時代に何があったかに興味はありました(■10.余談:1993〜1994年に何があったのか?参照)



バブルの後ぐらいなので、日本の駐在員・商社イメージもあったかもしれませんし、香港を舞台にした映画があったのかもしれません。ちなみに、英国執事を主役とした『日の名残り』は1994年3月日本公開とのことで、時期としては少しかぶっていますが、影響を与えたのでしょうか? なぜ、1994年なのかと。



さらに、日本で刊行された英国メイドを取り扱う書籍の中で、実在したメイドの手記である『イギリスのある女中の生涯』の刊行は1994年です。関連性はないかもしれませんが、「メイド」「女中」という仕事へ関心が向かう何かが、より広い範囲であったのかもしれません。



ここでもう「メイドが出る舞台」が生まれる可能性のひとつが、宝塚です。三つ編みのメイド役(または看護婦さん役)の女性が宝塚出身の香坂千晶さんで、歌劇的世界でメイドは不自然ではないのかも、と発想が繋がりました。以前、私が『英国メイドの世界』を刊行した時に宝塚歌劇のファンの方がメイドと劇を結び付けられていた話を見たことを思い出しました。宝塚的な歌劇では英国に限らず、ヨーロッパを舞台にした華やかな作品は多いはずで(ジャンルとしては宝塚に限らず、歌劇やオペラも)、その辺りの公演記録なども年代で重ね合わせると見えるものがあるかもしれません。



芸能的にこの後、メイド服が姿を見せるのは、1997年の三谷幸喜さんの『総理と呼ばないで』だと思います。



総理と呼ばないで DVD-BOX

総理と呼ばないで DVD-BOX





尚、サブカル軸のメイドブーム的に1993年は転換点・起点となりえるもので、その辺りは[特集]第1期メイドブーム「日本のメイドさん」確立へ(1990年代)にて考察しています。



というところで、メイドブーム以前の1994年に、中島みゆきさんがメイド服を着ていたという映像は、日本におけるメイド・イメージを研究する立場として書く価値があると考え、本テキストを記しました。



『図説 英国執事 貴族をささえる執事の素顔』予約開始

図説 英国執事 貴族をささえる執事の素顔 (ふくろうの本/世界の文化)

図説 英国執事 貴族をささえる執事の素顔 (ふくろうの本/世界の文化)





『図説 英国メイドの日常』に続き、村上リコさん執筆による男性家事使用人の解説本とのことです。『英国メイドの日常』に掲載された膨大な写真コレクションを見る限り、男性使用人版が無いはずはないと思っていました。



英国執事を軸とする男性使用人については、私も『英国メイドの世界』で「ボーイ→フットマン→(ヴァレット)→執事」へと至るまでの解説を行いましたし、すべての家事使用人研究書の原典ともいえる『ヴィクトリアン・サーヴァント』でも語られているところです。



しかし、語り手たる執事のどの側面を取り上げるか、情報をどう取り扱うか、そして「どの執事を紹介するか」で随分と本の中身は変わってきます。特に以前の雑誌記事ではお気に入りの執事として、私のアンテナに引っかかっていない執事の名前を挙げていましたので、発見が多いと期待しています。



尚、私が『英国メイドの世界』で取り上げた実際する英国執事/ヴァレットは以下の通りです。これでも資料を残した執事の一部のはずです。


Albert Thomas

Arthur Inch

Charles Cooper

Charles Dean

Edwin Lee

Eric Horne

Ernest King

Frank Widdop

Fred Shepperd

George Washington

John Henry Inch

John James

John Robinson

Mr Bentinck

Mr Stanley Sewell

Mr Wolrey

William Lanceley

Eric Oliver(会計監査役)

Sutherland公爵家秘書



あと、大きな相違として、私は『英国メイドの世界』で「ジーブス」をほとんど取り上げませんでした。これは私が実際にジーブスを読んだ上で、他の方よりもこの作品を取り上げる資格はないと思えたからです。その辺りで、ジーブスの映像作品を愛される村上リコさんの言及は深くなっていると思います。




日本の女中資料本の完成版『女中がいた昭和』

女中がいた昭和 (らんぷの本)

女中がいた昭和 (らんぷの本)




日本における「大正〜昭和」への関心の高まり

『女中がいた昭和』を読みました。編者の小泉和子さんは昭和生活研究のスペシャリストで、また英国マニアお馴染みの『イギリス手づくりの生活史』を監修されています。過去、私のブログではこのエントリで小泉さんの著書を取り上げました。



『コクリコ坂から』と家事使用人からの脱却を迎えた日本、ジブリ作品の家事描写についての雑感(2011/09/14)



大正〜昭和の朝の連ドラにもブームの一端は感じられます。NHK朝の連続ドラマ『おひさま』と女学生と女中奉公について(2011/04/13)、『小さいおうち』〜昭和前期の「メイド」が主役の直木賞受賞作(2010/12/20)、そして最近では『カーネーション』も話題になっています。



日本の領域は、正直なところ、自分で研究するのは無理だと思っていたので、同書の刊行は嬉しかったです。去年は近代日本の女中(メイド)事情に関する資料一覧 を公開したにとどまりました。元々、この領域は『女中イメージの文化史』が最も完成度が高いものでしたが、その違いはどこにあるか、時になりました。



“女中”イメージの家庭文化史

“女中”イメージの家庭文化史




『女中がいた昭和』感想

同書は、素晴らしい完成度でした。小泉和子さんは編集的立場でかかわり、その中で各領域の専門家が書いています。特に、建築、生活史、工学などの専門家が多いように思え、本の中心が「文学的ではない」こともアプローチとして幅広さや広がりを感じました。



このレベルの日本の女中、それも家事や暮らしを描いた本は後続を許さないレベルです。特に女中がいた建物の間取り図をしっかり載せたり、資料が少ない占領軍家庭、在日朝鮮人の「女中」まで解説した本は類がありません。日本の「女中の歴史」についての本は、この本が終わらせたと思います。それほど、密度、情報の幅広さ、図版の多さが圧倒的です。「女中部屋」に1章割いているなんて、分かっていすぎです。



英国における『ヴィクトリアン・サーヴァント』に比肩する本が、日本にも生まれたといえるでしょう。『女中イメージの文化史』はだとすると、ウッドハウスが絶賛した『What the Butler Saw』的な立ち位置かもしれません。久しぶりに、資料本を読んで、その密度に驚愕しました。



『女中イメージの文化史』あとがきで著者の清水美知子さんは同書で描ききれなかった「生活・個人軸の本、研究」を願っていたと思いますので、それを補い、包み込むような流れのようにも見えます。『女中がいた昭和』あとがきでは、清水さんへの謝辞がある。想いが繋がり、広がった幸せな事例ではないでしょうか。



参考文献の幅広さが圧倒的で、女中を描くには女中の本だけで足りず、自分ひとりだけで扱いえない領域へ、いかに到達するか、その問いか超えた一冊で、専門家同士の勉強会から生まれたというこの本は、私にとって憧れで、とても参考になりました。



扱いえるテーマが「昭和」なので、それ以前については引き続き、研究の余地はあるかと思います。個人的に知りたかった華族の家政や、駐日の欧米人家庭のメイド事情も言及はないように見えるので、その辺りはきっと後に託されているものなのかなぁとも。ただ、この本を読まずに、「女中」を語ることはできない、間違いなくそう思える一冊です。


『ヴィクトリア朝時代のインターネット』感想

ヴィクトリア朝時代のインターネット

ヴィクトリア朝時代のインターネット




インターネットとヴィクトリア朝

ヴィクトリア朝時代のインターネット』は1999年頃に執筆された本で、2011年12月に日本での翻訳版が刊行されました。著者の方は歴史研究家というより、テクノロジ系のジャーナリストで、そうであるが故に歴史資料本とは異なり、読者層を非常に広く設定し、またこの時代に興味が無い人であっても「現代のインターネットとの比較」を自然に行える点で、非常に同時代性を持つ書籍に思えます。



ヴィクトリア朝時代のインターネット』はまず電信成立の歴史的経緯から、それがどのように社会インフラとして普及していき、どのように使われたか、誰によって運用されたか、そして電信の登場による社会的な影響、衰退の歴史までを扱います。これが各章がしっかりと結びついているというのか、とても分かりやすいです。



ヴィクトリア朝はそもそも、現代に通じる基礎的な部分が多いので、伝え方次第でもっと盛り上がりそうな気がしています。貧困と社会福祉、家族論、労働環境、自由主義、消費社会、メディア論、鉄道、株式会社、郵便制度、公務員制度、社会インフラなどなど、テーマは非常に膨大で、同時代的です。



これまで私が摂取する範囲の情報は「歴史」や「生活史」が多く、また日常生活にあっても今回取り扱う「電信」をネタにした本にも出会ってきませんでした。しかし、技術史を軸に見れば当然研究されている領域で、目次を見ると内容が見えてきます。鉄道や軍事関係の人は詳しそうですね。




第1章 すべてのネットワークの母
第2章 奇妙に荒れ狂う火
第3章 電気に懐疑的な人々
第4章 電気のスリル
第5章 世界をつなぐ
第6章 蒸気仕掛けのメッセージ
第7章 コード、ハッカー、いかさま
第8章 回線を通した愛
第9章 グローバル・ビレッジの戦争と平和
第10章 インフォメーション・オーバーロード
第11章 衰退と転落
第12章 電信の遺産

技術の確立からインフラ整備と問題への対応

今でこそインターネットが当たり前になって、テキスト情報や音声情報もある程度自由にやりとりできますが、100年以上前にそれに酷似した環境は作られていました。技術が確立するまでのモールスや彼の先達や同時代人たちによる苦闘を経て、国境を越えて繋がれた電信ケーブルは、海にも敷設されました。特に大西洋横断海底ケーブルのエピソードは、シュテファン・ツヴァイクが『人類の星の時間』で書いた話もあるので、興味のある方はそちらも是非。



興味深かったのは情報量の増大によってインフラが圧迫されたことで、回線利用状況の分析が行われて、多大な量を占めていた利用方法については「物理的なテキスト情報のやり取り」を行った点です。たまたまこの本を読む数日前に気になったtweetに以下のようなものがありました。







これが英国でも代替手段として用いられました。この「情報量の増大→インフラの圧迫」は、「インターネット」への関心が高い人に向けて書かれているので、現代人にも理解しやすいでしょう。当時のtraffic集中による「輻輳」の発生、原因への対応・解消策の流れが見えます。



また、利用者が発する情報量で課金される制度や通信環境のセキュリティへの不安があることから略文字による情報量削減や暗号化による難読化も行われました。こうした環境を支えて電信のやり取りを行ったのが、電信オペレータです。電信局同士を繋いだ大きな会議や、オペレーター同士で電信を通じて雑談をしたり、電信の癖で相手が誰かを分かりあっていたり、19世紀のオンラインを通じた恋愛エピソードも紹介されています。



このオペレーターと言う職種がまた面白そうで、実力主義で転職も繰り返せたとの話や、エジソンもこの職種にあって能力を発揮したとのことです。19世紀に国境を隔てた相手とリアルタイム的に取れるコミュニケーションは輝いている。今、それが当たり前の環境にあるのだけど、あらためて感じ入る次第です。


技術の普及に伴う社会的な影響の可視化

著者が歴史家ではなくテクノロジ寄りのジャーナリスト的な立場にあることもあって、影響範囲は通信インフラだけではなく、その通信でもたらされた社会的変化にも広がります。通信環境が出来上がると政治、軍事、経済や報道、交通機関にも影響を与えましたし、初期のhackerが登場して犯罪にも使われました。



通信社(AP通信、ロイター通信)誕生や、軍事利用で前線と後方を結びつけたクリミア戦争(後方から前線に対して指示が送られるタイムラグの減少、戦争報道によってナイチンゲールがアクションしていくなど)、さらには情報が即座に伝わることで変質する外交の話(悠長に構えていられなくなる)と、広がりが面白いです。軍事に詳しい方には周知の話かもしれないけれど、自分レベルではちょうどいいです。



そして現代人に特に響くのは『第10章 インフォメーション・オーバーロード』でしょうか。情報が絶え間なく流入することで判断材料が増加したり決断する速度が上昇したりすることで、さながらモバイル環境の発展で仕事が家庭に持ち込まれるように、グローバリゼーションで24時間対応の仕事が生じるように。




『いまでは世界の主要市場の報告が毎日届き、そして顧客も常に電報からの情報にさらされている。承認は毎年何本かの大きな船積みをこなすのではなく、いつも行動していなくてはならず、常に仕事を何倍もしなくてはならない。

(中略)

商人は忙しさや興奮に満ちたその日の仕事を終え、家族と遅い夕食を取りながら仕事の話を忘れようとする。すると急にロンドンからの電報で中断され、多分それはサンフランシスコで2万バレルの小麦粉を買えと言うような指令で、商人はかわいそうなことに大急ぎでカリフォルニアに注文のメッセージを送るため、さっさと夕食を済ますのだ。いまの商人は常に暇なしで、急行列車など遅くて仕事には使えず、かわいそうなことに家族の生活を保障するために、電信を使うしかないのだ』



ヴィクトリア朝時代のインターネット』P.168-169より引用


このテキストは、そのまま現代にも通じます。運用を見ていた時は深夜にトラブル対応をしたり、旅先でもノートPCで仕事をしたり、休日でも呼び出されたりした頃を思い出します。休暇明けの絶望的なメールの件数にも……


過去の延長線上の未来にある「現代」

こうしたトレンドを書きつつ、電信の情報量増大に伴って回線を有効利用する技術が発展し、そのプロセスで「電話」が登場したり、自動的な入力機器による技術革新が生じたりして、電信オペレータの職業は特異なものではなくなり、電信技術そのものも電話に道を譲りましたが、その遺産がまさにインターネットに引き継がれていて、この繋がりの可視化には、感動を覚えます。



私事ですが、私は個人的にヴィクトリア朝を軸としてメイドや執事といった家事使用人の歴史を学びつつ、本業はデータベースSEやネットメディア企業での社内SEやウェブ解析をやってきた、ネット業界の人間です。その意味で、この2つの領域が交わるこの本は、私にとっては「嬉しい」一冊でした。



自分たちにとっての「当たり前」が決して過去の時代の当り前ではないことは歴史を学べば分かることですが、同時に、過去の時代の上に現代がある点では決して過去とも無縁ではなく、一見、無関係に見える「ヴィクトリア朝時代」と「インターネット」を結び付けて伝える本書は、ウェブを学ぶ人にも、ヴィクトリア朝を学ぶ人にも適した良書です。



温故知新と言うことで、今年オススメの一冊です。



ちなみに、私のメイド研究も『ウェブで学ぶ』から思うことに記したように、ネットの時代でなければ実現できなかったことが多々あります。研究を取り巻く環境も激変しています。その上で、ウェブを仕事にしている立場としては、「いつ、自分の技術が陳腐化し、不必要になるか」ということも考えさせられます。ある時代の最先端にあった電信オペレータが壊滅したように、今の自分も他山の石としなければなりません。それは、今行っている歴史研究の領域も同様です。



生活史の観点で、同じ著者による『世界を変えた6つの飲み物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史』も面白そうなので、読もうと思います。



世界を変えた6つの飲み物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史

世界を変えた6つの飲み物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史


日本の英国メイド関連本の刊行30年史

英国メイド(家事使用人を含む)関連書籍の歴史の整理の一環です。まずはメイド関連の知識が掲載されている資料本の変遷を暫定的に公開します。語感がいいので30年史にしていますが、厳密ではありません。私が把握する限りなので、すべてではありません。


2000年代(ゼロ年代):「メイド」ジャンルの独立へ

『階級にとりつかれた人びと』(2001年)

ヴィクトリア時代の女性たち』(asin:4423493381)(2002年)

『図説 イギリス手づくりの生活誌』(2003年:改訂)

『エマ ヴィクトリアンガイド』(2003年)

『ヴィクトリアン・サーヴァント』(2005年)

『不機嫌なメアリー・ポピンズ』(2005年)

『召使いの大英帝国』(asin:4896919351)(2005年)

『エマ アニメーションガイド(1)』(asin:4757724462)(2005年)

『エマ アニメーションガイド(2)』(asin:4757725973)(2006年)

『エマ アニメーションガイド(3)』(asin:4757727887)(2006年)

『図解メイド』(asin:4775304798)(2006年)

『図説 英国貴族の城館』(2008年:改訂)

『図説 英国貴族の暮らし』(2009年)

『従僕ウィリアム・テイラーの日記―一八三七年』(2009年)

『英国メイドの世界』(2010年)


2010年代:英国メイドの確立へ?

『図説 英国メイドの日常』(asin:430976164X)(2011年)

『執事とメイドの裏表』(asin:4560081794)(2011年)

『英国メイド マーガレットの回想』(asin:4309205828)(2011年)


概論

1980〜1990年代は「英国貴族の屋敷」と「庶民の生活史の中でのメイド」(日常生活ガイドブックや料理の中の1カテゴリ)、他に女性史での言及もあります。ただ、単独ジャンルとして成立していないのが特徴です。この「空白」と言える時期に「メイド資料本」を作っていたのが、同人ジャンルです。



2000年代に入ると如実にメイドブームの影響を受け(世の中の関心を満たすという意味において)メイド関連書籍が増加していきます。特に2005年ですね。しかし、少なくとも、2005年に刊行される『ヴィクトリアン・サーヴァント』『召使いの大英帝国』以前に「メイドだけ」を扱った資料的な和書は存在していません。一冊を除いて。



それが、『イギリスのある女中の生涯』(1994年)です。



なぜ1994年にこの本が出せたのでしょうか? 翻訳されたジャーナリストの徳岡孝夫さんが著名だったからでしょうか? 氏が知人から紹介されたこの本を出版に向かわせたとあとがきにあります。同書の出版社の草思社は、マークス寿子さんの本を出していたので読者のイギリスへの関心も開拓されていたからかもしれません。



私の手元にある同書は1994年時点で第三刷です。4月末にでて6月末でこの刷数というのも、「売れていた」という事実を示すもので興味深いです。



「世の中のトレンド」を複合的に見ると、2000年代半ば以降が「メイドブーム」の影響であるように、1990年代やそれ以前には別のブームがあったと考えるのが妥当かもしれません。少なくとも、1997〜1999年あたりには屋敷本・日常生活本の刊行が相次いでいます。



尚、ディケンズの孫娘のモニカ・ディケンズの家事使用人体験記『なんとかしなくちゃ』(asin:4794915462)は1979年に出ていますが、「体験記」なので個人的にはあまり取り上げていない本です。


小説『夜明けのメイジー』感想

夜明けのメイジー (ハヤカワ・ミステリ文庫)

夜明けのメイジー (ハヤカワ・ミステリ文庫)





2005年に日本で翻訳刊行された、分類としては「探偵小説」です。Twitterで紹介をいただいた作品で、第一次世界大戦前後を舞台としています。なぜ私に勧められたかと言えば、この作品で主役を務める探偵メイジーが、「元メイド」だったからです。決して「屋敷」を売りにした作品ではありませんが、その要素を色濃く持つ作品で、屋敷やメイドの話が好きな人にはオススメします。私がオススメされたように(笑)



ミステリマニア向けかといえば、ドラマチックさや謎解きの魅力の観点で、個人的にこの作品から大きく衝撃を受けるものはありませんでした。しかし、『夜明けのメイジー』単体で言えば、とにかく描写が丁寧で、メイジーのメイド時代や第一次世界大戦を巡って傷ついた個人の描かれ方は、響くものがありました。


1.第一次世界大戦前後を巡る変化


ロンドンで探偵事務所を開いたメイジーの初めての仕事は、上流婦人の浮気調査だった。早速、尾行を始めたものの、たどりついたのは寂しい墓地。貴婦人には一体どんな秘密が...?自らの才覚を頼りに、メイドから大学生、看護婦、そして探偵へと我が道を切り拓くメイジーのドラマチックな運命!二〇世紀初頭の古さと新しさが同居する英国を舞台に、恋に仕事に真摯なメイジーの姿を描くアガサ賞、マカヴィティ賞受賞作。



Google Books/夜明けのメイジーあらすじより引用


あらすじに記されている範囲で言えば、労働者階級に生まれたメイジー第一次世界大戦前の時代に、ある屋敷にメイドとして勤めに出ます。ここで彼女は執事やハウスキーパー、同僚のメイドと共に屋敷を支えますが、様々な経験を重ね、やがてその才覚に気づいた雇用主によって、学習の機会を与えられます。



そして彼女は大学に進学する機会を得てメイドを辞め、世界を広げていきますが、第一次世界大戦が勃発して、彼女は看護婦としての訓練を受けてフランスへと渡ります。そのフランスで彼女は辛い体験をしますが、そこから探偵事務所を開くに至ります。


1-1.選択肢としてのメイド

まず、ここで描かれる世界にはいくつかキーワードがあります。メイジーのように頭がいい女性であっても、親が貧しければ進学の機会を捨てなければなりませんでした。実在のメイド経験者、Margaret PowellもJean Rennieも高等教育を受ける機会を失い、稼ぐためにメイドとなりました。



英国における階級は血筋や人種や価値観の違いではなく、単純に言えば経済力の違いと、経済力をベースとした文化の違いでした。親の経済力によって未来が決まり、親に経済力が無ければ、収入が高く社会的に評価され得る職種に就けません。その上、女性は男性よりもその機会(教育、就業)も少ないものでした。メイドは、労働者階級にとって最も選びやすい選択肢のひとつでした。



メイジーのように支援を得られた女性はいたのでしょうか? これは分かりません。ただ、経済力がある人々の支援を得られれば、無かった話ではありません。貴族が支援者となって、たとえば歌の上手い女家庭教師がプロ歌手となったり、第二次大戦後ですが公爵家?に仕えた男性の子息の学費を公爵家が負担するなど、経済的支援をする人はいたようです。



ただ、まず「メイドや家事使用人をサポートしてもいい」と思える機会が無ければなりません。しかし、現実に両者の距離は隔たっており、支援をする気持ちがある人でも、何を支援していいか分からなかったかもしれません。



この「メイドの能力を知る機会」として読書というのはひとつの指標となりますが、前述のMargaret Powellは、彼女の能力を評価する女主人から読書をしていることについて、違和感を示されています。メイドについての「偏見」も、存在する時代でした。この辺、『夜明けのメイジー』では同僚との距離感を描いたり、理解者としての執事がとてもいい味を出していました。


1-2.第一次世界大戦とメイド

メイジーが体験した第一次世界大戦は、英国社会にも大きな変化をもたらしました。まず家事使用人の雇用が贅沢と見なされ、風当たりが強くなりました。戦時下にあってはどの国でも、贅沢は敵でした。さらに男性の従軍数が増加していくと、様々な職場で男性の欠員が生じ、穴を埋めるために男性の職種への女性の就業が進んだと言われています。



この中で特に労働人口を吸収したのは事務職や工場といった職場でした。メイジーの中でもメイドの仕事を辞め、工場に勤める元同僚の話が描かれています。工場の仕事は身体的に辛いものでしたが、同じ場所に同僚がいて、勤務時間が決まっていて、仕事を終えれば自分の時間を得られる上、メイドの仕事よりも賃金が高いケースもあり、元メイドにとっては抑圧から解放される職業でした。



こうしたこともあって第一次世界大戦後に家事使用人の労働人口は減少しましたが、戦後は男性を職場に戻す社会的圧力が非常に高まり、女性は事務職などの一部の職場を除いて、多くの職場を男性に引き渡さなければなりませんでした。



折しも、英国では家事使用人の労働条件が悪く、社会構造の変化で供給源も弱まったことで、家事使用人のなり手不足(使用人問題)が生じていました。失業者の女性に向けた就業訓練は家事使用人だけだったり、家事使用人職への就業強制(紹介を拒否すると失業手当を打ちきる)が行われるなど、家事使用人の時代は、「第一次世界大戦」を契機に終わったとは言えませんでした。



これ以上の詳細やその後の経緯は『英国メイドがいた時代』に書きましたので省きますが、大学に進学した上で看護婦として従軍する機会を得たメイジーは、この時点では中流階級の女性のようなポジションへと「メタモルフォーゼ」していたといえます。


2.「第一次世界大戦」を「当事者」として扱った作品

長文になってきたので、そろそろ話を終わらせますが、『夜明けのメイジー』時代的には『ダロウェイ夫人』のダロウェイ夫人が生きた時代(追想ではなく)と重なっていて、戦後の傷を引きずる青年セプティマスが思い出せる方には、関心を持てる作品かもしれません。英国らしさと、戦争で傷ついた人々の話を扱っていますので。



もうひとつ、第一次世界大戦を巡る時代を描いた作品には『リヴァトン館』があります。こちらも『ダロウェイ夫人』と同じく、戦争で傷ついた青年が登場しますし、屋敷には『Upstairs Downstairs』の執事ミスター・ハドソンや、コックのミセス・ブリッジス的な人物が出てきます。



『夜明けのメイジー』は同様に執事とハウスキーパーが出てきますが、より近い距離で人間らしく感じられます。特にメイジーの場合は「階級を超える」体験をするので、その階級的な障壁を感じさせる意味で、同僚との距離感は欠かせない描写で、それが上手く機能しているように思います。「英国メイド」の置かれた社会的背景を知っておくと、この作品でメイジーが辿った軌跡がどれだけの物なのかが、より伝わります。



また、『夜明けのメイジー』は前述の2冊と違って、実際に主役たるメイジーが従軍し、親しい人に犠牲者が出た当事者として描かれています。他の2作品では、この辺りは「目撃者」です。その意味では、描かれる第一次世界大戦との距離感や重さが違っているでしょう。



続刊が英書で出ているものの日本では翻訳されていないとのことで、作品として日本では高い評価を受けていないかもしれません。しかし、第一次世界大戦に前後した時代の『リヴァトン館』以上に、第一次世界大戦後の英国を描いていると思いますし、ストーリーとしては私の好みでした。


3.最新作はミステリの賞を受賞していた

最新海外ミステリーニュース20110330(執筆者・木村二郎)を読んでいたところ、『夜明けのメイジー』の続編(7作目)"The Mapping of Love & Death"が、2011 Bruce Alexander Memorial Historical Mystery Awardを受賞したとのことです。



著者Jacqueline Winspearの公式サイトを見たところ、1932年まで物語は進んでいるんですね。これまでになんと8作品も出ていました。続きは英書でそのうち読みますが、続きを読みたいと思える作品であることは間違いありません。



第一次世界大戦から一世紀を迎える(2014年が開戦から100年)時期が迫っていますので、今後、日本でも再注目されるかもしれません。第一次世界大戦に前後した「メイド」や「屋敷の仕事」が好きな方にも、『名探偵ポワロ』的な時代背景が好きな人にも、この作品はオススメできます。私はミステリとしてより、「メイジーという女性と、彼女を支援する人たち」がこの作品の最も大きな魅力だと思います。