ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

『小さいおうち』〜昭和前期の「メイド」が主役の直木賞受賞作

小さいおうち

小さいおうち




目次

  • はじめに
  • 1.日本にメイドがいた時代=経済発展による豊かさ
  • 2.理想化された日本的メイドらしさと緻密な描写
  • 3.当時の価値観・現代の視点の交錯
  • 終わりに〜類似しつつも異なる『小さいおうち』と『リヴァトン館』
  • 本の紹介
    • 小説:華やかな時代と、その時代を生きたメイドの追憶の物語
    • 資料:日英メイド比較


はじめに

今年の直木賞受賞で興味を持って購入した一冊です。日本の戦前の生活を、中流階級(経済的にはかなり豊かな方です)の家庭に「女中」(戦後は「お手伝いさん」と呼称)として奉公に出た山形出身の少女タキの視点で描き出しています。



以下、私が魅力に思った箇所を3点挙げます。


1.日本にメイドがいた時代=経済発展による豊かさ

日本にも大勢の「女中」がいたことは、あまり知られていないかもしれません。戦前の日本には、女性工場労働者(女工)についで、数十万人の規模で女中奉公に出る女性がいました。19世紀の英国ヴィクトリア朝では中流階級の増大が雇用主の増加を生み、メイドの雇用増加を支えましたが、明治以降、経済発展を遂げていく日本でも、この物語でタキが仕えた平井家のように、豊かな中流階級が誕生していました。



現実社会が沈滞している際には、ある種、「豊かで幸せだった時代」をノスタルジックに描き出す作品が生まれますが、この作品が選んだ舞台は「戦後の高度経済成長期」ではなく、「昭和前期」(第一次大戦以降)という時代だったのは私には驚きでした。そして、これまで私は、このような形で描かれた「豊かで華やかな昭和」を、あまり知りませんでした。



当時生じた事件の説明や丁寧な日常描写は、徹底的に調べ込まれているように思えました。森薫先生の『エマ』に通じるような、緻密な描写です。特に女中生活の描写は、私が日本のメイドにはそれほど詳しくないことを踏まえても、簡単に集められない資料で構成されているのが感じられました。以前の新聞記事でのインタビューや著者インタビュー・中島京子さん『小さいおうち』を拝見する限り、丹念な取材と資料収集を行っており、「この本を作るのに利用した資料を教えて欲しい」と思えるほどです。(『女中イメージの文化史』以外で)


2.理想化された日本的メイドらしさと緻密な描写

個人的には、日本人が思い描く「理想のメイド・イメージ」(忠義・献身・奉公・家事における有能さ)を体現しているようで、今年読んだ本の中では最も印象に残ったメイドでした。



英国の思想家のジョン・スチュワート・ミルの家のメイドが、主人が思想家カーライルから借りていた原稿を燃やしてしまったとのエピソードは、一部では有名ですし、『英国メイドの世界』(P.100)でも取り上げたものですが、この解釈やストーリー上の展開は、歴史的事実を調べて知っているだけではなく、「小説として醸成する」素晴らしいものでした。このような解釈を行えるのもきっと、「日本らしさ」だと私は思います。



また、ところどころに「日本らしい」メイドの扱いも出ています。女主人が家事を行うことを「ランクが下がる」と回避した英国と異なり、日本での女中奉公は花嫁修業的な要素を持ち、必ずしもすべての家庭で当てはまるわけではありませんが、女主人が家事を教えて一人前にする要素も持ちました。



また、夜間の女学校に通わせてもらえそうな描写もありましたが、これも英国ではほとんど聞いたことが無い、日本独自のエピソードです。住み込みで働き、勉強し、他の職業を目指すという苦学生的な働き方も、少数とはいえ、存在しました。



比較的雇用主との距離も近く、若い夫人・時子と、少女だったタキ(14歳から26歳までの間を勤める)との関係は、年齢の近さもあって、厳しい隔たりを感じさせるものではありませんでした。



『女中の基本は、「気は心」』(P.120)

『奥様、タキが参ったんですよ。手ぶらで伺うと思いましたか』(P.261)



仕事に誇りを持つタキの言葉や、出入り商人とのやりとり、疎開先から戻ってきた時の会話など、こうしたエピソード盛り込める懐の深さに感嘆します。


3.当時の価値観・現代の視点の交錯

この物語は「米寿を超えたタキ」が女中をしていた戦前を振り返る、という構造をしており、「在りし日のタキ」と「在りし日を思い起こすタキ」の2つの視点が繰り返します。後者には、タキの甥の次男・健史(健史にとってタキは大伯母)が登場し、彼は現代的な視点、つまりは「俯瞰された歴史」として、大伯母が語る昭和に異論を唱えます。

私は立場上、健史と同じ視点を持つので、健史同様、タキの語る昭和が別世界に見えましたし、日常描写に徹底するタキの話に、少し違和感を覚えました。「メイドの視点」で見た昭和は、後世から歴史を見る立場からすると、物語中で登場する「甥」のように、彼女が知りえる世界の狭さを指摘したくなるかもしれません。



しかし、よく考えれば、今を生きる私自身を振り返ると、今、仮に後世から見たら巨大な事件が水面下で起こっていたとしても、分かるはずがありません。また、その人の見る世界は、その人が所属する世界、入ってくる情報源に左右されるのは当たり前で、タキが描く世界は彼女にとって見えていたものすべてで、決して「誤ったもの」ではありません。



もうひとつ、冒頭でタキは釘を刺しています。「当時の価値」を「現代の視点で判断して欲しくない」ことを。私も英国メイドを学ぶ立場として、この辺りのバランスには気をつけていますが、タキの言葉は胸に響くものがあります。




わたしは偶々、こうして生涯、嫁に行かなかったけれども、元来、女中奉公というのは、嫁入り前の花嫁修業であった。よい花嫁となるためのご奉公なのであるから、今日の女子大学とまではいわぬものの、そう馬鹿にした職業ではなかったのであるのに、なにかこう、奴隷のごとき存在のように思われているのはいかがなものか。



わたしにしたところで、つらい思いをしなかったわけではないが、はて、仕事というもので、どこもつらくない、楽しいばかり、ということがあるだろうか。



とはいうものの、「女中」という職業に、ある種の、ひやかしのような視線が向けられることがなかったかといえば、ないとは言い切れない。



『小さいおうち』(中島京子文藝春秋)P.8より引用



タキがメイドをしていた時代の日本では、同時代の英国で起こったように、労働条件の悪さや社会的地位の低さから、メイドのなり手が不足する「使用人問題」が生じていたことも指摘されますので、たまたまタキの労働環境がよかったということも出来ますが、少なくともタキが語る「そう馬鹿にした職業ではなかったのであるのに、なにかこう、奴隷のごとき存在のように思われているのはいかがなものか」との言葉は一面で真実で、否定できるものではありません。



たとえば50年後に現代の労働環境を省みたら、今を生きるわたしたちの労働環境が、「奴隷」に見えてしまう可能性さえ、あるのですから。価値観は相対的なもので、過去と現代を比較することが出来ても、同じように評価するのは難しいことです。


終わりに〜類似しつつも異なる『小さいおうち』と『リヴァトン館』

私がこの本を読んでいて最初に想起したのは、昨年刊行されている『リヴァトン館』です。森薫先生が推薦されたこの本は、英国の立派なお屋敷に仕えたメイドだった高齢の女性が人生を振り返り、過去の秘密を追憶していくという筋立てで、ほとんどこの『小さいおうち』と同じ構造をしています。物語の構造だけではなく、仕えている女主人とその恋人を巡る話でも似通った部分が感じられ、その偶然には驚いています。



もっとも、話の雰囲気や流れ自体は異なっています。リヴァトン館の感想は今年1月に書きましたが、「屋敷モノ」的なトーンが強く、『小さいおうち』が描こうとしているものとは、また違っています。日本と英国の家事使用人事情の違いを知る意味でも、興味がある方は是非、ご覧下さい。



いずれにせよ、『小さいおうち』はメイドを学ぶ立場として、参考になることが多く、また小説家でなければ描けない面白さや着想が緻密な資料で裏付けられている作品だと、私は思います。


本の紹介

小説:華やかな時代と、その時代を生きたメイドの追憶の物語

小さいおうち

小さいおうち



リヴァトン館

リヴァトン館




資料:日英メイド比較

“女中”イメージの家庭文化史

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ヴィクトリアン・サーヴァント―階下の世界

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英国メイドの世界

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