今日は冬コミの新刊作成に向けて、準備を始めました。残された時間は限られている中で、短編集を選択しました。短編集単体での同人誌は2006年12月に製作した『ヴィクトリア朝の暮らし8巻 この倫敦の、空の下で』以来です。
同人誌のシリーズとして『ヴィクトリア朝の暮らし』はメインでした。このシリーズを通じて屋敷や職種を紹介し、外伝ではそこに入らないものを扱ってきました。その総集編として作ったのが、2008年08月の『英国メイドの世界 ヴィクトリア朝の暮らし総集編』、そして『ヴィクトリア朝の暮らし9巻 終わりは始まり』でした。
2007年から2011年にかけて、カテゴリーに入らない『MAID HACKS』、『英国執事の流儀』、そしてヴィクトリア朝を終えて20世紀に入ってからの時代を扱った『英国メイドがいた時代』を刊行してきましたが、久しぶりに『ヴィクトリア朝の暮らし』シリーズの続きとして、この冬は10巻の作成となります。
この10巻は短編集としての「総集編」的な位置づけにもなります。現在廃刊にしている5巻(2005年08月)・6巻(2005年12月)・7巻(2006年08月)、9巻(2008年12月)、そしてウェブ公開で同人誌未掲載分のうち、14本を再掲載するつもりです。
今まで、かなり分散して短編・超短編集を書いてきましたが、今回は職場をテーマにまとめなおし、物語を繋ぐものとして新作を5本書く予定です。期限内に全部を終えられるか分かりませんので、優先順位を決めて、書ける物から仕上げていきます。
ここしばらく、久しぶりにまとめてライトノベルを読んで刺激を受けました。創作意欲が湧いてきており、今書きたいこと・伝えたいことをしっかりと描き切りたいと思います。何ページになるのか、ちょっとわかりませんが、値段は300円を目途にします。
【再掲・再編集】
序章:百年前:ウェブ
ブリキのトランク:5巻
擦り切れた膝:5巻
春の日に、思う
執事の肖像:5巻
束ね髪:5巻
侯爵のメイド:外伝2巻
すべて始めから:5巻
ほんのひと時:5巻
明日の自分:9巻
冷たい頬:9巻
その指先:9巻
いっぱいのトランク:5巻
終章:百年後:ウェブ
【新作】
鏡のかけら
誰かの始まりは、他の誰かの始まり
在りし日の面影
ようこそ、新しい生活
階下にベルは鳴り響く
既刊紹介
コミケ参加9回目+通巻10冊目+総ページ992!(2006/12/28)
2007〜2009年の新刊/9年間の同人活動を振り返る(2009/12/28)
Twitterでのメモ
昨日友人と話していて、冬の同人誌は久しぶりに『ヴィクトリア朝の暮らし』シリーズだと思い出す。『英国メイドの世界 ヴィクトリア朝の暮らし総集編』と9巻『終わりの始まり』が2008年。『英国執事の流儀』と『英国メイドがいた時代』は同シリーズではなく。今回は短編集、10巻に該当。
2011-11-06 18:05:50 via web
昨日友人と話していて、冬の同人誌は久しぶりに『ヴィクトリア朝の暮らし』シリーズだと思い出す。『英国メイドの世界 ヴィクトリア朝の暮らし総集編』と9巻『終わりの始まり』が2008年。『英国執事の流儀』と『英国メイドがいた時代』は同シリーズではなく。今回は短編集、10巻に該当。
2011-11-06 18:05:50 via web
2009年の9巻以来とすると、2年ぶり。同人誌を作る前は振り返りをいろいろと行うけど、元々、創作をしたい調べる分かりやすく雰囲気を伝える創作を盛り込む情報・読者の側の知識が広がればよりシンプルに創作できる、という流れもあったなぁと思い出すなど。
2011-11-06 18:10:45 via web
ハウスキーパーといって、現代のハウスキーパーではなく、上級使用人としてのハウスキーパーが連想されるように。という話を、去年の今頃、呟いていたなぁと思い出す。タイミングよく読んだのが『文学少女』シリーズだとすると、メイドや執事情報を伝える、遠子先輩を目指さなければ。
2011-11-06 18:12:44 via web
ちょっと気分転換にバンダイチャンネルを見ていたら、『こみっくパーティー』を発見。同人イベント前のやる気を出そうと少し見る。アニメ化とDC版は2001年。『げんしけん』は2002年以降か。
2011-11-06 18:18:07 via web
前も書いたけど、文化祭におけるコスプレ表現の広がりや、オタク系サークルの定点観測的なものも知りたいなぁと、昨日、早稲田祭に参加して思った。10年以上前と比べると、本当に雰囲気が違っていると思う。
2011-11-06 18:22:19 via web
文化祭繋がりで言えば、早稲田祭で少しだけもったいないと思ったのは、文芸サークル、児童文学サークルと、「同人誌即売会イベント」が連携していなかったこと。各種表現を伝える場として、何もかも受け入れる場がひとつならば、祝祭的により広がるかもと感じた次第です。
2011-11-06 18:25:29 via web